うさぎが逃げる Act.11:ターミネーション 終息

車を走らせてから梶の元に電話が入り、運転していた梶は車を路肩に止めると外に出てしまった。後部座席に座るうさぎへ視線を向ければ、梶のスーツにくるまれたまま大人しく座っていた。けれども、背中でボタンを止められた状態でスーツにくるまれたその様子は何だかおかしくて岡嶋はつい笑ってしまう。

「岡嶋さん?」
「いや、うん、そうだよねぇ、洋服買って行こうか」
「あ……」

途端にうさぎも自分の格好に気付いたのか、顔を赤くしてしまいそんな姿が可愛くもあった。

「本当に怖い思いさせてごめんね」

この数日、自分にとっても非日常な現実だったけれども、より彼女にとっては非日常だったに違いない。少なくともこの状況に梶は微かな焦りは見せたけれども慣れているように見えた。

そして自分は、どんな状況に置かれても余り焦るタイプでも無い。さすがにうさぎを見失った時には、我を忘れて走り回ったが……。

「もう、大丈夫です」

恐らくうさぎは大丈夫と言えるほど落ち着いてもいないように岡嶋には見えた。けれども、それが虚勢なのか、終わったばかりの虚脱なのか分からないが、岡嶋はそれ以上感情について触れるつもりは無い。大丈夫と言えるだけの元気があるのであれば、うさぎはまだ大丈夫だろう。

ただ、問題は全てが片付いた後、本当にその後に色々問題が起きなければいいとは願う。元々異性を苦手としていたうさぎにどんな変化が起きるのか、岡嶋は専門家な訳ではないから分からなかった。

「うん、でもごめんね。あれだけ大きな口叩いたのに、怖い思いさせちゃったからさ」
「……自業自得だと思ってます」
「もうネットはしない?」
「それは無いと思います。ただ、グレーとしてはもう……」

それはもう、ハッキングは行わないということなのか、ただグレーとしてネットに上がらないだけなのか岡嶋には判断つかなかった。

けれども、そんな曖昧とも言えるうさぎの言葉が分からなくも無い。岡嶋だってもうプリンセスとしてネットに上がるつもりは全く無い。けれども、あのハッキングという針の穴に糸を通すような緊張感は中々手放せる楽しさでは無い。ただ、それを続けていればどうなるのか、いずれ足がつくものだと分かっただけでも岡嶋にとっては有意義なことでもあった。

さすがに、今回みたいなことは勘弁願いたい所だし、もう二度とごめんでもあったから、余程魔が差さない限りハッキングに手を出すようなことはしないに違いない。技術が高く、まだ高校生でもあるうさぎが迷う気持ちはとても分かる。恐らく、岡嶋だって目指すものが無ければ、その目指すものの害にならなければ再びハッキングを行ったに違いない。

「まぁ、その方がいいかもね。俺ももうプリンセスとして動く気は無いし」
「そうなんですか?」
「さすがに懲りたよ。それに、表沙汰になった時に困るしね」
「……役者さんになりたいんでしたっけ? 何だか不思議な気がします」

そう言って微かに笑ううさぎに殊更大きなそぶりで首を傾げてみせる。視線だけで問いかければ、うさぎは俯いてしまってその顔は見えなくなる。

「ネットって凄いなと思って。ネットをしてなければ、こうやって岡嶋さんや梶さん、梁瀬さんに会うことなんて無かっただろうし。それこそ、岡嶋さんがプロの人になったら、繋がりなんて全然無くて」

途端にうさぎの感情が岡嶋に流れ込んでくる気がした。全てが終わってしまって、うさぎは随分と感傷的になっているらしい。そんなうさぎに声を掛けることは簡単だけど、ただ、岡嶋自身、この繋がりを保っていていいものなのか迷う部分がある。自分がというよりもうさぎの為には、もう関わらない方がいいのではないかと、そう考える。けれども、自分はネットで会話を交わしていた時よりも、うさぎや梶に興味を持っていて簡単にこの繋がりを手放したくないとも思っている。

少しの間逡巡していたけれども、自分の気持ちに蹴りをつけると名前を呼んだ。ゆっくりと顔を上げたうさぎは、ただ真っすぐに自分を見ている。感情を上手く表すことの出来ないうさぎと、分かりやすい感情を売りにする役者を目指す岡嶋ではある意味正反対でもあった。役者として旨味があるかといえば、正直メリットは全く無い。それでも放っておけないのは、この乏しい表情のせいもあるのかもしれない。

いつか、うさぎが楽しそうに笑うところを見てみたい。その感情は肉親の情に近いものがあり、自分の中でうさぎの立ち位置は妹のようなものだと思っているのかもしれない。そんな自分に内心苦笑しながらも、顔には笑顔を浮かべる。

「梶さんに携帯返して貰ったら、メアド交換しようか」
「……え?」
「うん、これからもさ、お茶したりしようって話し。どうせ梁瀬もシステムセキュリティーでアルバイトするみたいだし、そういうお付き合いも悪く無いと思わない?」
「悪く無いです」
「でしょ? ネットで交わす会話も面白かったけど、多分、こうして顔見て話す方が楽しいだろうし」

殊更笑みを浮かべて言えば、うさぎの顔にも僅かながら笑みが浮かぶ。今はまだ焦らない。ゆっくりと知っていけばいいと思う。梶とは違いうさぎはまだ高校生で、楽しいことは楽しいと身体いっぱい表現してもおかしくない年なんだから、そうしたうさぎを見たかった。うさぎにしてみれば余計なお世話かもしれないけれども、岡嶋にとっては続く未来を考えると面白くもあった。

軽いノックの音がして後部座席の扉が開き、いきなり紙袋が差し出されてうさぎが固まる。

「岡嶋出ろ。君はこれに着替えろ」

電話にしては遅いと思っていた梶は、どうやらうさぎの服まで買って来ていたらしい。梶は後部座席に紙袋を置くとすぐに後部座席の扉を締めてしまい、岡嶋は小さく溜息をついた。

「まぁ、こんな通り沿いでどうかと思うけどねぇ、あの人は……どこか移動してから着替える?」
「あ……いえ、大丈夫だと思います」
「それなら着替えちゃった方がいいと思う。俺も外に出てるから、何かあったら呼んでね」

頷くうさぎを確認してからシートベルトを外して扉を開けた岡嶋は、先程まで全く気にならなかった夏特有の纏わりつく空気を感じて、不快指数が上がるのを感じる。梶は車に凭れたまま、こちらへと振り返った。別に何を言う訳でもない梶の横へ車を回り込んで立つと、態とらしいほど大きな溜息をついた。

「服買って来たのは上出来ですけど、ここで着替えろは無いんじゃないんですか?」
「家へ戻るつもりだったが、貴美が会社へ来いっていうからな。あのまま会社に行けばさすがに問題あるだろ」

ここからシステムセキュリティーまでは車でもう五分と掛からない距離で、梶の言いたいことは分からなくも無い。それにしても、余りにもな対応だと思う。けれども、うさぎが納得している様子だったから岡嶋としてもこれ以上言っても仕方ない。

「で、社長は何て?」
「……三人でプログラムの解析をしろと」
「プログラム? 俺、そっちは全然」
「あぁ、分かってる。ラストが時限爆弾を仕掛けてたんだ。自分が戻らなければ、ネットに彼女のプログラム、それから、君や梁瀬の名前が流れるように」

まぁ、確かにただでは転ばない奴だと思っていたけれども、それはそれで頭の痛い問題でもあった。一難去って、また一難とはこのことじゃないだろうか。

「で、俺の役割は?」
「ハッキングして一時的にサーバダウンさせろ」
「無茶言いますね。どこを?」
「オオヤサーバ」
「それはまた難題を……」

そう呟きたくなるのも仕方ない。オオヤサーバと言えば、世界をまたにかける大きな検索サイトだ。そんな巨大なサーバから微かな穴を探すのは、岡嶋程度の腕では針の穴に糸どころかバレーボールくらいに辛いものがある。

「何時までに」
「今晩〇時までに」

そのまま腕時計に視線を落とせば既に二十一時を回るところで、思わず額に手を当てた。

「無理難題と思うのは俺だけですかね」
「プログラムの解析は私がする。君は彼女と一緒にそっちに当たれ。恐らく彼女なら大丈夫だろ。ただ……大丈夫そうか?」

確かにあんなことのあったすぐ後なのだから、梶の心配も分からなくも無い。けれども、会話をした限り、大丈夫な気がした。いや、岡嶋自身が大丈夫だと信じたいだけかもしれない。

「恐らく。まぁ、集中しちゃえば平気じゃないですか。恐らく、梶さんが声を掛ければ大丈夫だと思いますよ」
「私が、か?」
「えぇ、梶さんが」

恐らく梶は岡嶋とも十近く離れている筈なのに、時折こういう鈍さを見せるところが面白い。わざと鈍くあろうとしてなのか、それが地なのか分からないけれども、本気で分からなそうなところはつい笑ってしまう。

「岡嶋」
「いや、すみません。うさぎちゃんは、梶さんのライバルなんですよ。まぁ、梶さんがどう思ってるかは知りませんけど。だから、上手く焚き付ければ動きますよ」
「そうか」

短く答えた梶の視線は遠くを見ているようで、僅かにその目が穏やかに細くなる。もしかしたら、かなり昔、それこそ俺やうさぎくらいの頃に梶にもライバルと呼ばれていた人間がいたのかもしれない。けれども、おかしなことに想像しても梶が全くライバルを取り合わない姿しか思い浮かばなくて、つい笑ってしまえばしっかりと見咎められた。

「何を笑ってる」
「いや、梶さんにもライバルがいたんでしょうけど……すみません、必死に競うっていうのが想像つかなくて」
「何をしても競うものだろ。別におかしなことじゃない。そんなものは幾つになっても続くものだ。ただ、それを表に出すか出さないかだけの話しで、お前が向かおうとしてる先も同じだろ。違うか?」
「……違いません」

時々、この人が凄いと思うところは、無意識にこれだけ傍から聞けば説教臭くなることを平然と言ってのけるところだ。照れも何もないところがまた凄い。

「彼女の実力は買ってる。けれども、まだ追いつかれる気もない」
「梶さん、意外と負けず嫌い?」
「負けず嫌いじゃなければ、今の立場にもいられないがな」

確かにこうして今は身近にいるけれども、一応一部上場間近なシステムセキュリティーの副社長様なのだから、ここまで平坦な道だったとは思えない。姉弟で会社を建てるということは遠慮が無い分、かなり厳しかったに違いない。しかも姉があれだけ行動力のある人であれば、それはもう大変だっただろうことは岡嶋にも分かる。少なくとも、岡嶋は自分の兄と会社を建てようなんて思いもしないし、冗談では無いという気分だ。

「追い落としとかあるんですか?」
「それなりにな」

システムセキュリティーの表立った役員は一応記憶にあるけれども、岡嶋の記憶では梶以外の身内は社長しかいなかった。だとしたら、社内はいい意味で争いはあるのだろう。勿論、梶にとっては嫌な争いだろうけど、そういう争いが無い会社は大抵、数年経てばそれなりのものにしかならない。会社なんてものは平穏無事であればあるほど、難しいものだと思う。
ただ、それは社会人になっていない岡嶋の感想だから、実際は違うのかもしれないが梶の顔を見ていればそう思える。

不意に背後で扉が開く音がしてそちらへと視線を向ければ、遠慮がちにうさぎが車から顔を出した。

「あの、着替え終わりました」
「うさぎちゃーん、聞いてよ。梶さん、まだ俺たち扱き使うつもりらしいよ」
「私ではない、社長だ」
「えー、似たようなもんじゃないですか」

岡嶋が唐突に態度を変えたにも関わらず、梶は気にした様子も無い。そういう空気を読むのに梶は長けた人なのだと岡嶋は思いつつも、車を回り込むと助手席へと腰を落ち着けた。運転席にも梶が座り、ゆっくりとサイドブレーキを下ろしてから口を開く。

「ラストが例の君が作ったプログラムをネットに流す時限爆弾を作った。プログラム解析は私がするが、君と岡嶋は二人で流す先でもあるオオヤサーバをダウンさせて欲しい。出来るか?」

言葉にすれば短いけれども、ミラー越しに見えるうさぎの視線が真剣味を帯びるのを見て岡嶋は上手いなと思った。やっぱり、上に立つ人間というのはこうでなくちゃいけない。下の人間に対して、自分の優位さを誇るのでは無く、こうしてやる気を出させてくれる人間は多くはない。

「結果は分かりませんが……出来ることはします」
「今から会社へ戻る。ラストが言うには〇時ということだがどこまで本当か分からない。到着次第すぐに取りかかる」
「分かりました」

答えたうさぎの声は静かだけれども、真剣味を帯びたもので真面目に取り組もうとする姿勢が岡嶋にも見て取れた。

そして、少しだけ羨ましくも思う。恐らくハッキングをするにしても、自分の腕ではうさぎを頼ることになるだろう。別に岡嶋自身、他人に頼ることは悪いことだとは思わないし、それに対して何ら思うところは無い。むしろ、得意な人間がそれに関わればいいし、逆に得意じゃない分野はこちらが手を貸す、それでお互い様で成り立っていると思っている。勿論頼られっ放しであれば、徐々に離れるだけだし人間の付き合いは何事にもイーブンであるべきだと思う。

だから羨ましいのは、自分の実力が無いばかりにそれに加われない羨ましさでもあった。

「岡嶋さん」

先程までのどこか怯えるような響きを感じさせない声で呼ばれて、思わず振り返る。その顔は既に集中しているのか、こちらを見る事もないうさぎの言葉を待つ。人が集中に入る瞬間というのは、中々見れるものじゃない。けれども、うさぎは今、間違いなく集中していることはその空気からでも分かった。

「サーバをダウンさせる方法は知ってますか?」
「何となく程度」
「ポートスキャンはできます?」
「それくらいはソフトもあるし」
「岡嶋さんの記憶に新しいオオヤサーバで最近更新された場所はどこですか?」
「それは……音楽のダウンロードサイトくらいしか記憶にないかな。確か半月ほど前だったと思うけど」

出来る限り端的に答えていれば、不意に俯いていたうさぎが岡嶋へと視線を合わせる。

「半月前ですか?」
「確か半月前にダウンロードしようとしたら、システムバージョンアップでダウンロード出来なかったから」
「そしたら、穴はそこかもしれませんね。戻ったら私はダウン用のプログラムを組みます。岡嶋さんはポートスキャンで穴を見つけて下さい」

言葉の端々はしっかりしているし、岡嶋には余裕ありげにも見えた。だからこそ、笑顔でうさぎへ問いかけた。

「出来そう?」
「多分いけると思います。一ヶ月経ってると厳しいものがあるかもしれませんけど、半月だったらまだバグ潰し状態だろうし、穴も見つけられると思います。でも、岡嶋さんがダウンロードサイトを見ていてくれて助かりました。更新状況を調べるだけでも結構な手間でしたから」
「うさぎちゃんは音楽聞いたりしないの?」
「ダウンロードサイトは基本的にキャッシュカード必須なので、さすがにそれは。携帯くらいなら使ったりもするんですけど……正直、パソコンで音楽ダウンロードする気には余りなれなくて」

高校生くらいであれば、結構はやりものの音楽を聴いたりするだろうし、実際に岡嶋もよく聞いていた。だからこそ意外さを隠さずにいれば、うさぎは少しだけ苦笑する。

「私の場合、色々と外に漏れると困るものがパソコンに入ってるから、出来る限り危ない橋は渡りたく無いんです」

こうして徹底しているところを見せられると、岡嶋としては時折うさぎが高校生であることを忘れそうになる。ある意味、職人に近いものすら感じて感嘆を隠せない。

「何だか色々考えてるんだねー」
「考えてるっていうか、結局、ずるいんです。悪い事してる自覚があって隠したいだけなんですから」
「あらら、それ言ったら俺たちみんな一緒でしょ」

笑い含みで言えば、うさぎは微かに笑ってそれから口を閉ざしてしまった。何を考えているのかは分からないけれども、それ以上会話を繋ぐことなく前へと向き直る。

システムセキュリティーの入っているビルはもう目の前にあり、せめてうさぎの荷物にならない努力だけはしようと岡嶋は気持ちを切り替えて遊び気分を捨て去った。

* * *

室内に入れば貴美と佐伯の二人がいて、梶は待ち構えていたように書類を渡された。

「これ、警備部からの報告書。あいつがうさぎちゃんと話せるようにしてくれたらもっと情報出すって言ってるけど、どうする? 正直、基本的なところだけどオオヤサーバというのが本当なのか疑わしい感じよ」

確かにまだそれ程の時間が経っている訳でもないのに、手の中には一センチ近い書類が仕上がっていて確かに信憑性や裏まで取れていないに違いない。

「一応、彼の言う通りウィークリーマンションにパソコンやハードディスク類はあって回収はしたけど、これがフェイクだったら目も当てられないわ」

途端に話しを聞いているだけだった彼女が梶の視界の端で動いたかと思うと、手近にあるケーブルを回収したノートパソコンへ差し込み隣に置かれているハードディスクへと繋ぐとパソコンを立ち上げた。

「ウィルスが入っているかもしれない」
「壊れたら壊れたで、復元ソフトもあります。完全には直せませんが、このパソコンに他のパソコン繋いで確認している時間はありません」
「うさぎちゃんの方が正論ね。それから、佐伯」

貴美が手を差し出せば、佐伯は無表情に小脇に抱えていたノートパソコンを貴美へと差し出す。それを受け取った貴美は、そのまま梶へと差し出して来た。

「余り人遣い荒いと減給もんよ」
「それだけの結果は出してるだろ」
「まぁ、それ言われると文句も言えないけど」

差し出されたノートパソコンを受け取ると、梶はラストから回収したパソコンの横に受け取ったばかりのノートパソコンを静かに置いた。置かれたそれに一瞬訝しげな顔をした彼女だったけれども、すぐにそれが自分の物であることに気付いたのだろう。慌てて見上げてくる視線とぶつかり、その反応に苦笑してしまう。

「慣れたものの方がいいだろう」
「確かにそうですけど……貴美さんが取りに?」

自分相手とは勝手が違うのか、どこか遠慮がちに後半は貴美へと声を掛ける。

「そうよ。何か問題あるかしら」
「いえ、態々有難うございます。凄く助かります」
「そう言って貰えると取りに行った甲斐があるわ。これにお礼言われるよりもうさぎちゃんに言って貰った方がずっと嬉しいもの」

はしゃぐ貴美に対して彼女の方は困惑しているらしく、どう返していいのか分からないらしい。貴美のテンションについていける奴は、梶が知っている中でも麻紀くらなもので他は知らない。

「で、うさぎちゃんどうする? 彼と会う?」

先程までと打って変わった貴美の声に、数秒悩んだ彼女は顔を上げた。

「会います。もし、オオヤサーバでないとしたら、無駄足踏むことになりますし」
「それなら行きましょう。いいわよね、貴弘」

恐らく警備部の人間もいるだろうけれども、見知らぬ中に一人で行かせるよりはマシだと踏んで岡嶋へと声を掛けた。

「お前も一緒に行け」
「いいですよ。今現状で出来ることありませんし」

素直に納得したところを見ると、岡嶋もうさぎを一人で向かわせることに不安はあったらしい。あんなことがあった後だから、ラストと顔を合わせるのは彼女にとってかなり重いことになるかもしれない。

「無理はするな」

心配はしているが、今後を考えると思い出させるような言葉を伝える訳にも行かず、梶の言葉は随分と遠回しなものになってしまった。梶の言葉に微かに笑みを浮かべると、すぐに貴美へと向き直り「行きましょう」と促す。時間が無いこともあり、すぐに佐伯を含めた四人が出て行ってしまうと部屋には梶一人が残される。

とにかくこのパソコンで時限爆弾を作ったのであれば、何かしら痕跡が残っている可能性もある。だからこそ、先程まで彼女の触っていたラストから回収したノートパソコンの前を陣取ると次々とウィンドウを開けていく。暫くあちらこちらパソコン内を探していたけれども、そこにめぼしいものは無く、次にパソコンに繋がれたハードディスクの中身を探していく。

そこには幾つかのソフトがあり、自作されたものも数点入っていた。主にハッキング用プログラムをバージョンアップしたものが多かったが、それでも見慣れぬソフト名はメモしていく。

そんな中、内線電話が鳴りだしメモしながらも電話のボタンを押してスピーカーにする。

「何だ」
「カメラ持ち込んだわ。警備部のチャンネル五十六番よ」

それだけ言うと貴美からの電話は切れ、梶もスピーカーボタンを押してから一旦立ち上がると部屋の片隅に置いてあるモニターをつける。目の前にあるキーボードで五十六番にチャンネルを合わせると、部屋の様子が映し出され、机を挟んでラストと彼女、そして彼女の傍には岡嶋の姿が見える。

予想していたような動揺は彼女にないらしく真剣な顔でラストを見ているが、向かい合うラストの方はどこかふざけた笑みを浮かべていた。けれども、岡嶋も似たような顔をしている所を見ると、今会話を交わしているのはラストと岡嶋らしい。どうやら警備部の人間は全て部屋から追い出されたらしく、スピーカーを上げれば声も聞こえてきた。

「サギだよなー、そりゃあ落ちない」

一体何の話しをしているのかと思えば、しばらく聞いていればラストが岡嶋を女と思ってちょっかいかけていたらしい内容に呆れ返る。

そんな話題につきあうつもりは全く無く、モニターの音量だけ大きくしてから再びノートパソコンの前に座った。その間もラストと岡嶋の会話は続いていたけれども、さして気になるような話題へは結びつかない。岡嶋も引き出そうと随分頑張っているようだが、どうやらラストはのらりくらりと交わして本題へと辿り着かない。そんな中で彼女の声が唐突に混じる。

「そちらから聞きたいことは何ですか?」

会話を遮るその声に、二人の声が静まりモニターの中に緊張感が生まれたのが分かる。果たして彼女に主導権を持たせたままで話しを引き出すことが出来るのか、不安が無い訳ではない。ただ、今更ここで口を出せる筈もなく、記憶にない全てのソフト名を書き出した梶は、改めて自分のパソコンへと向き直るとそれを一つずつ検索に掛けていく。

これが何ら問題の無いパソコンであれば、起動してしまえばどんなソフトなのか分かるが起動したと同時に中身が綺麗さっぱり消えて無くなられても困る。手間は掛かるが、今はこれが一番の近道でもある。キーボードに指を走らせながらも、耳はモニターへ傾けたままで、梶はただ静寂を聞いていた。

「聞きたいことは沢山あるんだよねー」
「私も聞きたいことが沢山あります」
「じゃあ、ルールを作ろう。俺が一つ質問したら、君も一つ質問すればいい。どう?」

喉から手が出るほど情報が欲しいのはむしろこちら側なのだから、この問い掛けに嫌とは言えない。案の定、モニターからはうさぎの声が聞こえてきた。

「……分かりました」
「んじゃ、俺から先に、君は処女?」

全く脈略もない質問のように思えたが、恐らく先程の動揺を誘っていることは十分に知れた。動揺を誘った上で、ラストは彼女の反応を楽しんでいるに違いない。思わずモニターに視線を向ければ、一瞬動揺を見せたものの冷静さを保とうとしている彼女がいる。

「それは答えないといけない質問ですか?」
「答えなければ、君からの質問にも答えないけど?」

問い掛けに問い掛けで返された彼女は、少し悩むそぶりを見せてから小さく溜息を吐き出した。

「無理だったら、別に答えなくてもいいと思うよ」
「いいえ、大丈夫です。これをパスしたところで続くのは似たような質問でしょうし」
「やっぱり分かってる?」

楽しげな顔をするラストとは違い、癒そうな顔をした彼女ではあったけれどもラストの質問に端的に答える。

「処女です。では、次はこちらからの質問です。時限爆弾を仕掛けたという話しは聞きました。あなたが流そうとしたデータを全て答えて貰えますか?」

書類上、少なくとも彼女の作ったデータや、個人情報だと書いてあったけれども彼女はそれを素直に信じている訳ではないらしい。

「先も答えたけど、君の作ったハッキングソフトと、君たちの情報」
「本当にそれだけとは思えないから聞いてるんです。他に何をしかけました?」
「……まぁ、いっか。新作ウイルスソフト。亜種なんかじゃなくて、きちんと一から作ったウイルス。見た人間、パソコンフォーマットされてただの箱になるのは楽しいと思わない?」
「全く思いません。……でも、見た、ということはどこかしらのサイトをハッキングしてサイトデータを書き換えて、そこにウイルスを仕組んだということですよね」
「あー……話しすぎた。ちぇっ、見た目に騙されちまうなー」

恐らく彼女の言ったことが本当だとすれば、サーバ書き換えようのプログラムがどこかに仕込まれている筈だ。いつまでもモニターを見てる訳にもいかず、梶は改めて検索を再開していく。

「まぁ、いいや、次の質問。セックス、したいと思わない?」

微妙な沈黙が流れて、モニターから伝わってくる空気は寒々としたものに感じる。余りにも長い無言にモニターへと視線を向ければ、彼女は俯いていてその表情は見えない。けれども、髪の隙間から見える耳は赤いもので、彼女の前に座るラストはニヤニヤと笑ってそんな彼女を見ている。彼女の背後に立つ岡嶋は、先程の不機嫌さなど通り越して既に無表情になっている。

彼女が奥手であることは、この数日で梶にも岡嶋にも十分に分かっている。だとすれば、その単語一つでも彼女には口にされると赤面ものなのだろう。

「ねぇ、どう?」

こんな下世話な会話を耳にしている事自体、彼女に悪い気がしてならない。けれども、ここでモニターを消してしまう訳にもいかず梶は彼女が沈黙している間に、一気に検索を掛けてしまえば十五あったソフトの内、ソフトの内容が分からないものは三つになった。いかにもウイルスですと言わんばかりの名前がつけられた三つのファイルを前に、梶は再びラストのパソコンへ向かうとソフトの名前で検索を掛けていく。もしラストが作ったものであれば、何かしらプログラムの切れ端がこの中にあると梶は踏んだ。

「……分かりません。したいような、したくないような」
「えー、理由まで言わないとこっちも答えないけど」
「……初めてだから怖いんです。これでいいですか!」

怒ったように口調を荒くした彼女にラストはパチパチと手など叩いている。これだけあからさまであれば、幾ら彼女でもからかわれていることは十分に分かっているに違いない。ラストの拍手が止み、違和感があるくらいに無音が続きモニターへ視線を向ければ、彼女は深呼吸をして落ち着こうと努力をしている最中だった。

あの調子であれば、恐らく大丈夫なんだろう。

ラストのパソコンの検索がようやく終わり、並べられたプログラム名をチェックしていれば、幾つか見ている内にそれらしいファイル名を見つけ出す。手早くそのファイルがあるフォルダを開いた途端、一瞬にして画面がブラックアウトした。そして次の瞬間、ブルー画面が現れてハードディスクが強制的にフォーマットされていくのを見て舌打ちをするしかない。

「次の質問です。ウイルスを仕掛けようとしているサイトはどこですか」
「だから、それも答えたけどオオヤサーバ。細かいところは自分で探して。スリルがあっていいでしょ」

いかにもラスト的な言葉に普段であれば苦笑の一つも零したところだが、既に時間が無いこともあって梶は「くそっ」と小さく呟くと引き出しの一つからハードディスク修復ソフトを取り出すと、遅々として進まないフォーマットにイライラしつつモニターに視線を向ける。

「答えないということは、こちらからもう一つ質問しても?」
「えー、きちんと答えたじゃん。オオヤサーバってことは。だから今度はこっちが質問。君はどうしてデータを売らない?」

揺さぶりに掛からない彼女に対して、話しを引き延ばしにきたらしいラストに果たして彼女は気付くだろうか。時計を見れば、そろそろ二十二時に差し掛かろうとしていて時間がとにかく無い。

「売る必要が無いからです。別にそこまでお金に執着してませんし」
「ふーん、彼の前でそれを言うのは酷いと思うけど」

ラストの言葉は岡嶋の状況を分かってのことなのだろう。それに対して岡嶋は肩を竦めて見せると苦笑した。

「それぞれ立場が違うんだから、羨んでも仕方ないと思うけど」
「金のなる木が身近にあれば手を伸ばしたくならね?」
「他人のものを手に入れても意味ないからね。自分で手にしないと意味がないし、俺にとっては意義が無い」
「そういうもんかね。でも、金だけの問題じゃなくて名誉が欲しいと思わない」

どこか煽るような物言いで彼女を見たラストだったが、彼女はそれに対して苦笑すると口を開いた。

「それこそ、他人のデータで成り上がっても意味があるとは思えません。第一、私は悪い事をしている自覚はありますけど、落ちるとこまで落ちる気はありません。狡いんです」
「それは狡いとは言わないだろ。ただ単に物事を実力で利用しているだけだ。間違ってはいないさ」
「別に回りが何と言おうと、自分の定義を曲げるつもりはありません。なのでラストの口車に乗るつもりはありません。次の質問をいいですか?」
「どうぞ」

これ以上の引き伸ばしを諦めたのか、どこか投げやりにラストは言い捨てた。

「私のデータや私や彼らの個人情報をどこへ流すつもりでしたか?」
「それは質問二つになるでしょ」
「ということは二カ所に分けてあるんですね、やっぱり」
「ったく、ガキ相手だからちょろいと思ってたのに、思ってたよりも頭働くね、君は」
「褒めても何も出ませんよ。そういうことであれば、まず一つ。個人情報をどこのサイトに流そうとしていますか?」

しばらく沈黙のあった後、ラストはガリガリと頭を掻いた後、彼女を見据えた後に楽しそうに笑った。

「サイバーフォース。勿論、ハッカーとして。ディンブラの名前だけ漏れたのは勿体ないけど、それでも面白い事になると思わない?」

自分だけがラストに知られていないからといって、安心できるような状況では無い。少なくとも警察が介入すれば、後々面倒なことになる。既にルナスペースとの確約は取れているし、ICPO相手であれば司法取引として見逃して貰えるが日本の警察にはそんな取引は無い。

「さてと、次はこっちからの質問だけど……そうだなぁ、今後ハッキングの予定は?」

幾分、訪ねられた彼女の顔色が悪くなっているのは警察という名前が出て来たからなのだろう。元々、彼女は捕まることに恐怖を抱いていたのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。悪い事だと分かってはいたけれども、下手をすれば逮捕されるという現実は考えていなかったに違いない。

「……分かりません。ただ、もうグレーとしては活動する予定はありません」
「そうなの? じゃあ、また見つけたら遊んでもらうことにするよ」

その言葉に彼女の目が大きく見開かれる。ラストの言葉は、近い内にまたネットに現れるということで、ラスト自身はそれを疑っていない様子だ。けれども、彼女は目を瞑って一度深呼吸をするとゆっくりと口を開いた。

「最後の質問です。私の作ったデータをどこのサイトに流そうとしていますか」
「俺ね、君のこと、ずっと前から知ってたよ。まぁ、グレーとイコールだとは思っていなかったけど。どこで知ったと思う?」
「質問に質問で返さないで下さい」
「答える気は無いからヒントを上げたんじゃん。それじゃあ、頑張ってねー」

両手を上げて降参という態度を取ったラストを前に、彼女は勢いよく立ち上がるとそのまま扉に向かって歩き出す。それを最後にモニターの電源を切ると、梶はようやく終わったフォーマット画面に向き合い大した中身の入っていないパソコンとラストのパソコンを繋げる。ネットワークに繋がっていないことを確認してからしばらく使っていなかったパソコンを立ち上げると、ノートパソコンの中身を調べていく。

ラストの腕であれば、フォーマットをかけた画面を作り出すことは簡単だろうことは想像がついていた。もし、フォーマット画面がダミーでウイルスに感染したら目も当てられない。けれども、パソコンから調べた限り、それがダミーだった訳ではないらしいことはすぐに知れた。修復ソフトで修復を試みるが、一部は復元できたものの、例のフォルダだけは復元不可能だった。

苛立ちながらもパソコンの間に繋いだケーブルを引き抜いたところで、背後の扉が梶は開き振り返る。

「ラストのパソコンは」
「フォーマットされた。元々あるフォルダを開くとフォーマットされるようにプログラムが組まれていたらしい。復元不可能だ」
「そうですか、せめてウイルスプログラムの名前だけでも分かれば」
「それは分かる。恐らくどこかネット上にアップされているだろうから、そちらは私が調べよう。岡嶋、お前はオオヤサーバの穴を探せ。君は自分が出入りしていた掲示板の穴を探せ」

それぞれに指示を出せば、言葉短く返事をした彼女と岡嶋はそれぞれパソコンの前に座るとキーボードの上で指を走らせる。そんな中、ノックの音が響き誰もが扉へ視線を向ければ、そこには貴美と松葉杖をついた梁瀬が立ってこちらへと手を振っている。

「ほら、強制退院させてきたわよ。人手いるんでしょ」
「あぁ、助かる」
「それじゃあ、俺は何すればいいですか?」

正直、オオヤサーバの件を岡嶋に頼むには荷が重いと思っていたが、梁瀬が来たのであれば任せておいても問題は無いだろう。少なくとも、岡嶋よりも梁瀬の方が詳しいことは話しの端々から聞いて知っていたし、梶自身もネットワークに関しては梁瀬の方が上だと思っていた。そして、それをあからさまにした所で岡嶋が機嫌を損ねることは無いと知っていたからこそ、梶は言葉を選ぶことなくそれだけ告げた。

「岡嶋のバックアップを頼む」
「了解」

無言の空間でキーボードを打つ音と、時折、岡嶋と梁瀬の問答だけが部屋に響く。ファイルの預けられるサーバをひたすらハッキングして足跡確認して、ラストが使ったことがあるのか調べていく。

「岡嶋さん、ちょっとすみません」

彼女の声に梶もパソコンモニターから視線を移せば、自分が使っていたパソコンの岡嶋に見えるように傾けているところだった。

「私が見ていた掲示板で恐らくラストが出入りしていたサイトはこの三つになります。もしラストのプログラムが探せなかった場合にはオオヤサーバと同じようにここもダウンさせて下さい。方法は梁瀬さんから説明を受けて下さい」
「うさぎちゃんはこれからどうするの?」
「ラストのプログラムを梶さんと一緒に探します」
「頑張れ」
「はい」

そんな会話を聞いていれば、彼女は梶の方へと向き直ると声を掛けてきた。

「すみません、余ってるパソコンありませんか?」
「あのデスクトップならネットに繋がってる。もしだったら、デスクトップを岡嶋に使わせて君は自分のパソコンを使え」
「分かりました」

彼女が岡嶋と会話をしてデータを掲示板アドレスを移行している間にも、梶はひたすら無数のサイトへ接続して確認しては次へという作業をしていた。すぐに彼女もその作業へ加わり、お互いに声に出して確認しながらファイルサーバをひたすら探して行く。時刻は刻一刻と迫っていて、梶のキーボードを打つスピードは更に上がる。

「梶さん、五分前ですけど、カウントダウン必要あります?」
「あぁ、しててくれ」
「一分前から一秒カウントしますよ。今、五分前です」

梁瀬の言葉でパソコンの片隅にある時計へ視線を向ければ確かに〇時五分前になっていて、徐々に焦りが生まれ出す。

「国内サーバの検索終了です。ラストが出入りしてたサーバにはありませんでした」
「それなら、海外サーバの方を頼む。まだイギリスサーバは手をつけていない」
「分かりました」

既に海外サーバの内、米国や中国などラストが頻繁に出入りしていた国のサーバチェックは終わっている。残るのは今梶が調べているインドサーバと、うさぎが手をつけたイギリスサーバのみだ。けれども、ここまで二時間近く掛かっているだけに残り五分でチェックを掛けられるかどうかは微妙なところでもあった。ログを探し出しラストの記録を追いファイルスペースを探している間にも、梁瀬のカウントが徐々に減っていく。

「インドサーバ終わりだ。そっちはどうだ」
「あと少しで終わります」

彼女の返事を聞きながらも彼女のパソコンを覗き込めば、まだ幾つか確認しなければならないスペースが残っているのが分かる。けれども、ここまできたら作業を分けるには微妙な量でもあり、梶は梁瀬へ視線を向ければ梁瀬もそれに気付いたらしい。

「あと一分三十秒です。あの、これで発見出来なかった場合どうするんですか? 取り合えず、ラストが他人に委ねる性格には思えないし」
「その場合は、ラストと繋がりのあった人間のログを探して行くしかない」
「それは……気の遠くなりそうな作業ですね」

とても嫌そうな顔をした梁瀬に梶は苦く笑うと、再び彼女のモニターを覗き込む。黒い画面の中で白い文字が次々と彼女の手によって打ち出されて行く。そして、その手が止まると梶を見上げた。

「ありました。削除しようとしたけどロックが掛かってるみたいです」
「外すのにどれくらい掛かる」
「一分は掛かります」
「一分前です」

梁瀬の声に彼女の指先が再び手早く動き出す。

「〇時二秒前になったらどちらのサーバも落とせ」

梶の指示に梁瀬と岡嶋が返事をするのを聞きながら、視線は彼女の操るモニターから動かすことが出来ない。梁瀬のカウントが徐々に減る中で、室内は緊張に包まれていた。

「サーバ落とします」
「削除完了です」

梁瀬と彼女の声が重なり、それぞれがお互いに視線を合わせると室内に大きな溜息が誰ともなく零れた。

「間に合ったか?」
「多分、プログラムが動いてる形跡はありませんでした」
「よくやった」

彼女の頭を軽く撫でてから、梶は梁瀬と岡嶋へ視線を向けるとすっかり安堵しきった二人に声を掛けた。

「落ちました。オオヤサーバは二分後に復旧します」
「こっちも落ちてます。恐らくすぐに復旧するとは思います」
「そうか、一応全員で自分の名前検索しておけ」

すぐにそれぞれがキーボードに指を走らせてそれぞれの検索サイトで自分の名前を検索していく。その間、梶は深く椅子に腰掛けるとようやく小さいながらも溜息を吐き出した。

こんなにヒヤヒヤさせられたのは、会社を建ててから初めてのことかもしれない。だが、苦労させられた分だけ、いい手駒が揃えられたのは間違いないと梶は確信していた。少なくとも、今自分が持っている部下なんかよりもずっといい働きをするのは確実で梶はひっそりと小さく笑う。

悪い事をしているという彼女に対して、梶としてはここでのアルバイトは反対ではあったが、ここまでも働きをするのであればやはり喉から手が出るほど欲しいのも確かだった。確実な信頼できる手駒が欲しいというのは会社設立時から梶が願っていたことでもあった。
それぞれ自分の名前がどこにも書き込まれていないことを確認すると、お互いに喜びを分かち合うのを見ていたところで、彼女がポツリと零した。

「でも、ウイルス解析してみたかったかも」
「……懲りてないね、うさぎちゃん」

呆れたような声は岡嶋のもので、それを聞いていた梁瀬もどこか呆れた顔をして彼女を見ている。そんな彼女の頭を幾分乱暴に撫でると微かに笑う。

「そんなもの、これから幾らでもさせてやるから覚悟しろ」

その言葉に顔を上げた彼女は、少し不思議そうな顔をしてからようやく思い当たったのだろう。

「アルバイト、してもいいんですか?」
「する気があるなら、してくれた方が助かりそうだ」

素直に心情を吐露すれば、ようやく彼女の顔に僅かばかりの笑みが浮かんだ。どうやら、アルバイトを反対していたことに、梶が思っているよりも彼女は不安になっていたらしい。そんな彼女との会話に勢いよく割り込んできたのは梁瀬だ。

「えー、俺は!」
「お前も一緒だ。就職したいなら、単位落とすような馬鹿するなよ」
「大丈夫、岡嶋いるから」
「俺に頼らないで、少しは自分で努力しなよ」

あっさりと岡嶋に躱されて泣きつく梁瀬の姿に、その場が和み梶の口元にも自然と笑みが浮かぶ。恐らくこれからも事後処理はあるが、少なくともこの三人を今回の件から解放することは出来るだろう。そう考えると、梶自身もようやく解放された気分になった。

「結局、うさぎちゃんとラストの繋がってたイギリスサーバって何に使ってたところだったの?」

そういえばラストがそんな質問をしていたことを思い出し、彼女へと視線を向ければ彼女は大きく溜息をついた。

「プログラムのテストサーバとして使ってました。一応ロックは掛けてあったし、グレーの名前では使って無かったのでピンとこなくて、すみませんでした」
「いや、別に謝らなくても……取り合えず、無事に終わったんだし、ね」

梁瀬がうさぎに笑顔を向ければ、微かながらうさぎも笑みを浮かべた。

「一体、何のプログラムを作ってたんだ」

梶が問い掛ければ、すぐにうさぎはこちらへと向き直り説明をしてくれる。

「情報収集プログラムです。キーワードを足していくことで世界中のデータを引っ張ってくるプログラムを作ってたんですけど……」
「君はもしかして、それでネットワーク周りを学んだということか?」
「はい、あとハッキングの技術とか。ああいうデータは表立っては出て来ないですけど、ネットワークに無い訳ではありませんし」
「えー、それならすぐに気付きそうじゃん」
「それが、そのプログラムを作っていたのがもう三年以上前だったので思い出せなくて」

唖然とした顔をした梁瀬だったけれども、唖然としていたのは何も梁瀬だけでは無い。聞いていた梶も驚きですぐに口を開くことは出来なかったし、岡嶋にしても同じだ。それでも真っ先に我に返った梁瀬の声で梶も我に返る。

「は? 三年前って、まだ中学生じゃん! えー、もうプログラム組んだりしてた訳?」
「小さい頃からパソコンには触れていたので、ゲームとか作り出したのは中学になる前でした」
「ごめん、何か色々とカルチャーショック」
「大丈夫、うさぎちゃんみたいな子が早々いる訳じゃないから。ですよね?」

そう言って梶に視線を投げてくる岡嶋に、梶は小さく頷いた。けれども、それだけプログラムに触れていたのであれば、今の高い技術を要していてもおかしなことでは無い。それどころか、まだ高校生の彼女がこれからどれだけ吸収して伸びて行くのか、それを考えると梶は背筋が寒くなるような気すらした。

ただ、予想以上にいい人材を手元に置くことが出来るのかもしれない、そう思うと自然と梶の口元には笑みが浮かんだ。

* * *

結局、土曜日は梁瀬さんも一緒に梶さんの家へ泊まり殆ど宴会のように盛り上がった。盛り上げ役は梁瀬で、他三人がお酒を飲む中、うさぎは一人オレンジジュースで乾杯した。

ネットで色々と話しはしていたけれども、こうして顔を揃えると話すことは色々あるもので、それぞれの近況やそれぞれの生活を聞いて笑い、そして時折意見を交わして衝突するのは楽しくもあった。それでも時間としては遅かったこともあり、一時にはそれぞれ部屋に戻り眠った。

うさぎも用意された部屋で久しぶりにぐっすりと眠り、日曜日には梶に送ってもらい家へと戻った。誰もいない家は先日までの騒がしさもあって寂しく感じはしたけれども、それについて文句を言っても仕方ない。時間を潰そうとネットに繋ごうにも、形だけのパソコンは稼働する筈もない小さく溜息をつくしかない。ぼんやりと日曜日を過ごし、月曜日、学校へ行くために誰もいない家を出たところで思わず足を止めた。

「思ったよりも早いな」
「……どうしてここにいるんですか?」

予想していなかった人物が家の前に立っていて思わずその人をマジマジとうさぎは見上げてしまう。

「送り迎えする約束をしていたからな」
「もう、その約束は無効かと思ってました」

そんなうさぎの言葉に梶は器用に肩眉を上げると、車の助手席の扉を開けた。

「約束は守るものだろ。ずっとは無理だろうが夏休みに入る前くらいまではな」

梶は優しいと思う。岡嶋のように表立った優しさとは違い、少し突き放した優しさがあってうさぎとしては困る。だからといって嬉しく無い訳でもない。
ただ、困るのだ。惹かれそうになっている自分に    。

「乗れ」
「有難うございます」

断ることなく素直に車へと乗り込むと、学校までの間会話は無かった。けれども、居心地が悪く感じることもない。梁瀬の弟のこともあるし、アルバイトの内容も詳しく聞いていない。まだ問題は色々とあるけれども、うさぎは口を開くことなく窓の外を眺めふりをしながら、窓に映る梶の顔を見る。

整った顔立ちに低い声はとても梶らしいもので、少し命令口調であっても余り気にならない。前を向いて運転する梶を見て、諦め混じりにうさぎは内心で溜息をついた。
やっぱり、もう好きかもしれないな……。

そんなことを考えながらも、今度は窓の外へと視線を向ける。まだ七時にも関わらず、太陽の日差しは強く夏を感じさせる。所々に黒々とした影を落とす風景を眺めながら、うさぎは少しだけ変化した日常に戻るべく学校の裏門に止めてくれた梶の車から降りる。

しっかりと視線を合わせて梶にお礼を伝えてから、梶に見送られながら夏休みまでの僅かに残された時間のために学校へと一歩を踏み入れた。

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