うさぎが逃げる Act.04:サポーター 支持者

ヒヤリとした感覚に薄く目を開ければ、自分を覗き込んでくる目と視線が合う。

「気付いたか?」

低いその声に身体を強張らせると、伸びてきた手はゆっくりとうさぎの髪を撫でた。

「まさか高校生だとは思わなかった。しかも男だとばかり思っていたから、怖い思いをさせた。すまない」

整った顔がすまなそうな顔をして自分を見下ろしているのを、うさぎはぼんやりと眺める。何だか、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか、区別がつかないようなふわふわとした気分だった。

「サンダーは?」
「無事だ。ただ、今は病院にいる。明日にでも会わせてやるから安心しろ」

少し素っ気無い、けれども、どこか偉そうな言葉は確かにディンブラのもので、うさぎは小さく安堵の溜息をついた。

「両親はどうした」
「仕事で今日はいない」
「そうか……起きられるか?」

少し身体は重いけど、起きられないほどじゃない。うさぎはゆっくりと起き上がり、それから辺りを見回せば自分がやけに大きなベッドに寝かされていたことが分かる。そしてべちゃりという水音と共に手の中へ落ちてきたタオルは冷たいものだった。

「少し熱がある。今プリンセスが飯を作っているからそれ食べて薬を飲め」

辺りを見回せば、部屋には何も無い。ただ、広い空間の中にベッドとそしてすぐ近くにサイドテーブルが置いてあり、その上には氷と水の入った洗面器があった。静かな空間にカチャリと遠慮気味な小さな音が響き、扉の隙間から男が顔を覗かせた。

「グレーは起きた?」
「あぁ、起きてる。立てるか?」

うさぎに向けられた最後の問い掛けに頷けば、手の中にあるタオルをディンブラは手にすると洗面器の中へと入れた。
重い身体を叱咤しながらうさぎゆっくりと布団を捲ると、ベッドから足を下ろす。どこか現実感を伴わない状況に困惑しながらも立ち上がれば、ディンブラの手に背を押されながら大きく開いた扉から部屋の外へ出た。暗い部屋から出てきたこともあり、眩しさに目を細める。

「大丈夫? どこか痛いとかある?」

覗き込んでくる心配そうな顔は、優しい顔立ちをしていた。少し目尻の落ちた優しげな目元と、通った鼻筋はまるでモデルのようにも見える。

「少し頭が痛い、です」

まるでとってつけたような言葉尻に、プリンセスは笑うと背を向けてすぐにカウンターの向こう側へと足を向けてしまう。

「ここに座るといい」

ディンブラに背中を押されながらソファに座ると、うさぎは辺りを見回す。
広い部屋に無駄な家具は無く、ソファと低いテーブル、そしてプリンセスのいるカウンターの向こう側にキッチンがあるらしいことが分かる。壁際には薄型テレビが掛けられ、一面は大きな窓ガラスになっていて街の明かりがキラキラと瞬いているのが見える。

「ここは?」
「私の自宅だ」
「何が起きてるのか、全然分かりません」
「食べながら話す。親に連絡が必要なら取るが」

言われて時計を見れば、既に三時になろうとしていた。三時になろうというのに、窓の外には明かりがキラキラとしているのを不思議な思いでうさぎは見ていた。

「いえ、必要ないです。朝までに家へ帰れたら」
「勿論、そのつもりだ。ただ、家に誰もいないのであれば今日はここで休むといい。熱があるから無理はするな」

一応、心配されているんだとは感じられた。だからうさぎは素直に礼を言えば、そこで会話は途切れる。

「はい、出来たよー。まぁ、この時間だから軽くね」

茶目っ気たっぷりにプリンセスは笑いながらテーブルに人数分のポトフと、大皿にサンドウィッチと生春巻、そしてサラダを手早く並べていく。

「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
「コーヒー……で、お願いします」

年上との接触が余りないうさぎにとって、二人にどういう対応をしていいのか分からず、どこかぎこちない口調になってしまう。けれども、そんなうさぎにプリンセスはただ穏やかに笑う。

「無理して敬語使わなくてもいいよ。元々敬語つけてやりとりしてなかったし、全然気にしてないから」

そう言われても、はい、そうですか、と聞けるものでもなく、うさぎとしては曖昧な返事をするしかない。そんな曖昧な返事にも全く気にした様子も無く、プリンセスは再びキッチンへ向かうと、すぐに三つのカップにコーヒーを淹れて現れた。

「はい、どうぞ」

笑顔で差し出されて、うさぎはお礼と共に受け取るとカフェオレ色をしてる温かな液体を口に含む。少し砂糖が入っているらしく苦味と甘味が口の中に広がり、うさぎは身体が少しずつ落ち着いてくるのが分かる。疲れている時に甘いものは必要といのは、どうやらでまかせではないらしいことをうさぎは実感しつつ、カップをテーブルの上に置いた。

「えっと、まず自己紹介からかな」

問い掛けはうさぎではなくディンブラに向けられたもので、小さくディンブラが頷いた。

「オレは岡嶋涼、T大経済学部の三年。サンダーである梁瀬とは腐れ縁で、元々あいつに誘われてあのチャットに入った」

確かに自己紹介といえば自己紹介だろうけれども、大学名まで言う岡嶋をうさぎは不思議に思う。けれども、そんなうさぎに岡嶋は苦笑した。

「いや、こっちはうさぎちゃんのこと色々知ってるのに、教えないのは卑怯かなと思ってね」
「知ってる?」
「ごめん、携帯からメールがきた後、うさぎちゃんのこと色々調べたから。ちょっと不味い事態だったし、悪気は無かったんだ」

かなり不味い事態だったことはうさぎにも分かってるつもりだから、それを責めるつもりはない。むしろ、自分は恐らく助けられたんだと思う。

「怒るのであれば、私に怒ればいい。勝手に調べたのは私だ」

低い低音が会話に加わり、岡嶋の隣へ座るディンブラを見上げれば、その目は自分を真っ直ぐに見ていた。涼やかな目元に見つめられると、どこか落ち着かない気分になり俯くと口を開く。

「大丈夫、分かってます」
「そうか」

そっけないくらいの一言だけど、それはディンブラらしいと思える。

「私は梶貴弘。システムセキュリティーの社員だ」

予想外の言葉に勢いよく梶を見上げれば、こちらを見ていた梶は僅かに口元を弛めて苦笑する。

「システムセキュリティーの人間が……ハッキング?」
「この業界ではよくあることだ。セキュリティー会社にはハッカー上がりの人間が多い。ネットスカウトだって普通にする」

事も無げに言う梶にうさぎとしては開いた口もふさがらない。表と裏くらいに相反するものだと思っていたのに、まさかそんな現実があるとは思いもしなかった。しかも、あのディンブラがセキュリティー会社の人間だとは、うさぎは全く思ってもいなかった。けれども、そうだとすれば、あの警告は本気だったのだろう。

「でも、残念でしたね。高校生じゃあスカウトも出来ませんし」
「あの腕で高校生とは思わないだろう。海外ならともかく、日本で」
「まぁ、気持ちは分かりますけど……でも、どうします? 女の子を苛める趣味オレにはありませんよ」
「私にも無い」

二人の間で会話が進み、うさぎとしては口を挟むことも出来ず、手持ち無沙汰にカフェオレに口をつける。けれども、二人の視線が自分に向けられているのに気付き、どうしていいのか分からずうさぎとしては俯くしかない。男性に、しかも顔の整った二人に見つめられると、うさぎはどうにもいたたまれない気分にさせられる。

「ルナスペースから奪ったデータはどうした」
データはうさぎにとって命綱でもあるが、梶の詰問口調に少し悩んでから口を開く。
「まだあります」
「それならすぐに消せ。ルナスペースには私が話しをつける」

ルナスペースと直接話をつけるなんてことが本当に可能なのだろうか。あのデータの内容を考えると、そう簡単に話しがつくとは思えない。

「そんなこと出来るんですか?」
「あぁ、元々ルナスペースに出向していたからな。多少の融通はきく。第一、グレーが持ち出したのは私が作ったダミーだ」

驚きに目を丸くしていれば、梶はうさぎの顔を見て少し笑う。

「あれ、ウイルスだって」
「まぁ、ウイルスではある。実行したらそのパソコンを壊すように設定してある。飛び火はしない。もしかして、実行したのか?」

途端に顔をしかめた梶に、うさぎは慌てて首を横に振る。

「いえ、文章読んでたら実行する気には……」

途端に梶の目が訝しげに細められ、鋭い眼差しがうさぎには突き刺さってくるように感じる。

「君は英語が理解出来るのか?」
「ある程度でしたら。話したりヒアリングは余り得意じゃないです」

少し考える素振りを見せ、会話に間が空く。うさぎとしては、問い詰められるような空気がかなり居心地悪い。

「プログラムは自己習得したのか」
「いえ、親にある程度まで教えて貰って、それ以降は自分で調べながら」
「あの防壁のプログラムは君が組んだのか?」

何故それを知っているのか、困惑しながら梶を見上げれば、今度は逆に目を逸らされてしまう。

「君のパソコンをハッキングしようとした」

そう言われて、うさぎにはすぐ思い当たった。助けられたと思っているにも関わらず、つい、梶を見る目が冷たいものになってしまう。

「そのお陰で私のノートパソコンは壊れました」
「……すまない」
「あれ? じゃあ、ノートパソコン二台も三台もうさぎちゃんは持ってる訳?」
「違います。あれは昨日出来立てほやほやです。父がパソコンを買うことに反対しないんです。状況も状況だったので、恥ずかしながら父にねだってお金を出して貰いました」

父親にねだらないとパソコン一台買えないという自分の状況が、うさぎには恥ずかしかった。この年になればバイトをしている子も多いけれども、うさぎは一度もしたことが無かった。親の反対もあったけれども、それ以上にネットに繋ぐ時間が少なくなることがうさぎにとっては嫌だった。けれども、こうして大人二人に囲まれていると、自分がどれだけ甘やかされているのか分かり恥ずかしくなる。

「いい親父さんじゃん」

甘い父だと思うし、うさぎにとっていい父だと思うけれども、他人から誉められると素直に頷けないものがある。

「ノートパソコンは弁償する」
「いいです。親に今さらどう言えばいいか分からないですし」
「えー、弁償するって言ってるんだから、貰っちゃえばいいじゃん。別にパソコンに使わなくたって他に使い道あるんだし」

そう言われても、既に新しいパソコンは手元にあるのだから弁償されても困る。

「必要ないです。もう既に手元にはありますし、お金なら余計必要ありません」
「うーん、うさぎちゃん真面目だねぇ」

どこかからかい含みの岡嶋の言葉に居心地悪さを感じながらも、うさぎはすっかり冷めてしまったカフェオレに口をつけた。
うさぎ自身、自分でも真面目な答えだと思う。けれども、壊れた責任の一旦は確かに梶にもあるが、自分のセキュリティーの甘さが招いたことだと考えれば梶に弁償して貰う訳にはいかなかった。その思いをごまかすようにうさぎは、カップを再びテーブルに置いてから口を開いた。

「そろそろ説明をお願いしたいんですけど」
「あ、そっか。ごめん、ごめん。えっと、全部言っちゃっていいんですか?」
「いや、私から順番に話そう。最初から……そうだな、君以外のメンバー全員の素性を私は知っていた」

膝の上で軽く手を組んだ梶は、時折遠くを見ながら思い出すように話し出した。ラストがハッキングしたデータで企業を脅迫していたこと、それに対しては大した驚きは無かった。実際にグレーにもデータを元に脅迫すればお金が入ると公言していたくらいだから、うさぎ以外にもログを読んだ人間はいた筈だ。

「あのチャットでラストに弾かれた後からは、ずっとチャットを見ていた。あの中からうちへスカウトするつもりでもあったからおかしな方向へ行くことを危惧していた」

うさぎとしても確かに気持ちは分からなくもない。ディンブラがチャットから弾かれたと聞いた時、そろそろあのチャットに顔を出すのは危険だと思ったくらいだった。

「君がルナスペースにハッキングしたとチャットで言ったあの夜、ルナスペースからうちの会社に電話があった。グレーという名前でルナスペースを脅迫する電話があったと」
「私、そんなことしてません」
「あぁ、分かってる。君がそういうことをするタイプではないことはあのチャットにいる時から分かっていた。それからすぐにシステムセキュリティーへのハッキングが始まった。私は会社の人間である以上、ハッキングは阻止しないとならない。けれども、梁瀬がネットから消えた」

だとすれば、やはりあの掲示板での実況は正しかったらしい。だとしたら、あの実況をしていたのは……。

「ディンブラ、あなたがあの掲示板で実況していたんですね」
「そうだ。メールの後に君はネット落ちをしてしまった。だから、実況すればあの掲示板を見るんじゃないかと思って、あの掲示板を張っていた」
「そこまでして素性を知ろうとしたのは何でですか」
「単純に興味があったこと、そして身の安全が気になった。けれども、張っていたのは私だけでは無かったようだがな」

小さく舌打ちした梶は、その涼やかな目を細めて若干顔をゆがめた。

「梁瀬が落ちたあと、すぐに岡嶋がネット落ちした。二人がいなくなったのでラストも落ちた。そして、すぐに岡嶋から連絡があり、梁瀬がいないと聞いた。それからすぐに岡嶋と合流して会社に問い合わせれば、うちの会社で梁瀬を拘留していると言う。どういうことか聞いてみれば、梁瀬がグレーという密告が自宅住所つきであったそうだ」

一体、どこの誰が密告したのかうさぎには訳が分からなくなってしまう。けれども、この話を聞いていれば少し考えれば分かる。どういう目的だったのかは分からないが、ハッキングの腕から考えると梶で無いならラスト以外にはいない。

「ラストは何を考えてそんなことを……」
「想像でしかないが、ラストは君の周りにいる人間、ようはあのチャットにいる君以外のメンバーを消し去りたかったらしい。周りに誰もいなくなれば、君を手に入れられると思ったのだろう。君のハッキングの腕を」

例え一人になったとしても、うさぎはラストにデータを渡すようなことはしなかったに違いない。うさぎ自身、ラストという人間を信用していなかったのだから。

「一人ずついなくなることで恐怖を与えて、怖がるグレーを優しく守って懐柔予定だったんだと思うよ。あの男がやりそうなことだと思うけどね」

言葉を聞くだけでも、どうやら岡嶋もラストを信用はしていなかったらしい。

「なら、何でシステムセキュリティーにハッキングなんて」
「俺たちの所には梶さんからのメールは届かなかったんだ。サーバに届いた時点でラストがハックして消してしまったから。来ていたら俺だって梁瀬だってそんなことしなかった。ただ、乗り気だったグレーが参加しなかったことを怪しんではいたけれどもね」
「あれは……その、パソコンが壊れてログイン出来なかったんです。すみません」
「別に責めてないって。ただ、気付いてたよ。俺も梁瀬も、ラストがグレーに執着を持っていることは。勿論、グレーというハッカーの腕に」

誉められて嬉しいのは確かだったけれども、梁瀬のことを思うとむやみ喜ぶことも出来ない。

「あの梁瀬さんは結局……」
「うちはネットセキュリティーメインだが、警備部門も持っている。警察を介する時間が無い時は警備部門に踏み込ませることもあるから、それなりの猛者が揃ってる。ルナスペースから頼まれていた社長が、梁瀬の家に乗り込んで梁瀬を取り押さえた。ただ、大分抵抗されたので、うちの人間がやりすぎたらしく腕を折った。私から社長に連絡を取り、説明して梁瀬はすぐに病院に送られた。命に別状は無い」

安堵の溜息を零せば楽しそうに岡嶋に笑われてしまう。

「大丈夫、あいつ頑丈だから。グレーに会うって言ったら凄い興奮してたよ。明日会ったら喜ぶと思うよ。いや、驚くかな」

笑い含みで言う岡嶋さんにつられるてつい笑ってしまえば、岡嶋は更に笑みを深めた。

「うん、ようやく笑った。大丈夫、オレたちは君の味方だよ」

穏やかなその笑みと言葉にうさぎは肩の力がストンと抜けた気がした。当たり前だ、今日出会ったばかりの人間に緊張するなという方が難しい。

「話しながらでいいから少し食べた方がいいよ。後で薬が飲めなくなるから。それに折角作ったのに食べて貰えないと寂しいじゃない」

少しおどけてから唇を尖らせる岡嶋に、うさぎはつい笑いが零れる。

「全然口調が違いますよね。私、プリンセスは絶対に女の子だと思っていました」
「女子高生騙せるならオレの腕も悪くないな。これでも、俺、卒業後は劇団に入ることになってるから、プリンセスは練習の一環」

楽しそうな岡嶋の笑顔を見ていると、劇団という言葉に納得だ。モデルのようなその顔は、確かに舞台栄えするに違いない。

「おっと、話しがズレちゃったな。まぁ、梁瀬は本当に無事だから安心してよ」

多分、気を遣われていると思う。うさぎは分かっているからこそ笑顔で大きく頷いて見せてから、改めて梶へと視線を向ける。

「サンダーNGと書いたのは梶さんですね」
「あそこも見ていたのか。あれはラストに向けて書いたものだ。あの場所をラストがチェックしていることは分かっていたからな」

だとしたら、あれを見たラストが焦ったことはうさぎにも想像がついた。だから、あれほどしつこくデータをよこせとメールを送ってきたに違いない。脅迫はしたものの、データはまだラストの手の中には無かったのだからうさぎとしては納得だ。

「君の立場が危ういことは分かっていた。だから秋葉原まで行ったが君はもういなかった。しかも、確実に分かると思っていたにも関わらず、防御プログラムは強化されていた。昨日の今日で強化されていて正直舌を巻いた」

梶は非常に難しい顔をしているが、うさぎとしては誉められていることは分かる。ただ、梶にとって面白いことでは無かったのだろう。

「悔しそうだったよ~、梶さん。うさぎちゃん、逃げ足早いから。でも、確実にハッキングされていた訳じゃないのに、随分早い逃げ足だったよね、何で?」

笑いを隠すことない岡嶋に対して、梶は隣で憮然とした顔をしている。その対比がうさぎにはおかしかったけれども、声を上げて笑うには梶の憮然とした表情で遠慮させて貰う。

「場所を特定された可能性も考えたし、あとは門限がギリギリだったので」
「親がいない時だけ夜遅くに繋げられたんで、親が帰って来る日は帰って来る時間までに家に戻らないとまずいから。でも、私、梶さんがあのカフェに来たこと覚えてますよ」
「でも梶さんは逃げた後だったって」
「もう帰るのに会計しているとこで梶さんが慌てて入ってきたんです。私、梶さんとぶつかったんですけれども、覚えていませんか?」

それに対しての答えは無く、梶は不躾とも言える視線でうさぎを見る。何だかそこまでジロジロと見られると、うさぎとしてはいたたまれない気分になってくる。

「梶さん、見すぎです、見すぎ。記憶あったんですか?」
「確かにあのカフェでぶつかったことは覚えているが……また、随分とイメージが違うな。やはり女は化け物だ」
「変装でもしてたの?」

問い掛けられてうさぎは寝ていたせいかボサボサになった髪を下ろし、眼鏡を外してから改めて岡嶋へと向き直る。

「この格好に帽子と、あとは洋服を少しラフなものにしていたんです。これだと高校生に思われることありませんから」
「確かに見えない。うわぁ、女の子ってやっぱり凄いな。そうだよねぇ、うさぎちゃんくらいの頃が一番伸び幅が大きい時だもんな。子供に見えても、次に見た時には大人に見えたり」

納得している岡嶋に対して、梶はどこか渋い顔をしている様子なのは、眼鏡を掛けていないうさぎにも伝わってくる。余り目はよくないから外していた眼鏡だけ掛けていると、岡嶋がどこか納得したように声を上げた。

「うさぎちゃん、女の子だし高校生じゃ門限あってもおかしくないよなぁ」

どこか納得したような顔で頷いていた岡嶋だったけれども、改めてうさぎに視線を合わせると心配そうに問い掛けてくる。

「昨日、何があったの?」

それからうさぎは梶と合流するまでのことを説明すると、二人して難しい顔をしているのが分かる。

「梶さん、うさぎちゃんの自宅に行ったのはどっちだと思う?」
「恐らくラストだろ。うちの人間もグレーを探していたが、プリンセス宛てのメールを見るまで捜索しきれていなかった」
「でも東京駅であそこにいたのラストじゃないですよね」
「あれはうちの人間だ。ラストではないな」

二人の会話を聞きながら、すっかり冷めてしまっただろうポトフに口をつければ、野菜の味が美味しくスープに出ていて、大きなじゃがいもを口に含めば口の中で崩れた。こうして出来たての手作りの料理を食べるのはどれくらいぶりだろう。うさぎの夕飯といえば、大抵は母親が作った冷凍されたものをレンジで温めて食べるか、コンビニ弁当やファーストフードだった。

「美味しい?」

優しい声に顔を上げれば、二人がこちらを見ていてそんな二人にうさぎは素直に頷く。

「でしょー。という訳で梶さんも少しは食べて下さい。夕飯食べてないんですから」

岡嶋の言葉で眉間に皺を寄せながらも、梶は箸を持つとポトフに手をつけた。

「確かに美味いな。意外な才能だ」
「もっと誉めてー。俺、誉められるの大好きだから」

岡嶋の高いテンションに梶は苦笑し、うさぎはつい笑ってしまった。誰かと食べる食事はそれだけで美味しいのに、作られて並べられた料理は確かに美味しいものだった。

「うさぎちゃん、嫌いなものある?」
「特にないです」
「じゃあ、サンドウィッチも食べて、食べて。こっちがベーコンレタス、こっちがポテトサラダ、こっちがツナとキュウリ、どれでも好きなの食べて」

両手でサンドウィッチを示す岡嶋にうさぎは更に笑ってしまう。

「う、うさぎちゃん? え? やっぱり美味しくなかった?」

問われてうさぎは意味が分からずいれば、梶の手が伸びてきてその指先が頬に触れる。

「どうした?」

落ち着いた大人の声と、伸ばされた指に残る水滴に自分が泣いてることに気付く。

「す、すみません……何か、緊張が解けたら急に」

俯いて手の甲で涙を拭うけど、だだ漏れになった涙はどうやっても止まらない。こんなの恥ずかしいと思うし、人前で泣くなんて子供の時以来だから、うさぎ自身もどうしていいのか分からない。

そんな中で微かな音と共に頭の上に広げたタオルが被されて、うさぎの視界を遮ってくれる。視界が遮られたということは、二人からはうさぎの顔は見えないということで、被されたタオルを掴むと「うー」と一つ唸る。後はもうただ泣くことしか出来ず、けれども、そんなうさぎの頭を大きな手が優しいてつきで撫でてくれていた。その手の優しさにうさぎは更に泣けて、子供のようにうさぎは泣いた。

どれだけの時間泣いていたのか分からない。それでも、徐々に涙も嗚咽も落ち着いてくると、ゆっくりと頭を撫でていた手が離れていく。

「はい、お水」

差し出された手と氷の入ったグラスがタオルの隙間から見えて、素直にそれを受け取ると一口含む。泣きすぎてぼんやりする頭にはその水はすっきりするものだった。

「すみません」
「謝ることないよ。色々ありすぎてちょっとびっくりしちゃただけだよ。うん、大丈夫」

何が大丈夫なのかは分からない。けれども、その優しい言葉にうさぎは確かにホッとした。

「うさぎちゃん、明日、っていうか今日学校?」
「はい、まだ木曜日なので今日、明日は学校です」
「学校終わってからの予定は?」
「今日は何もありません」

まだぐずぐず鼻声だし、泣いた後の顔を見られるのは恥ずかしくて、うさぎは俯いたまま答えれば思ったよりも近い場所から低い声が耳に届く。

「まだ眠くないなら、一旦家へ戻って学校の用意をしてこい。あと、数日分の着替えも持ってくるんだ。車で自宅まで行くから」

言っている意味は分かるつもりだけど、どうしてそうなるのか意味が分からない。固まっているうさぎに優しい声が振ってくる。

「家にうさぎちゃん一人だとまだ危ないから。梶さんもグレーがここにいることは会社に言っていないし、ラストもまだどこにいるか分からない状況で一人にはしておけないから」
「もし、家族に言い訳が必要なら電話はしておく」
「……私、警察に捕まりますか?」

親がという言葉が出てきて、うさぎは不安になってきて震える声で聞けば、少し沈黙の後笑いが部屋に響く。

「あはは、ないない。大丈夫だから」
「くくっ……言える筈が無い。言えば君だけでなく、私も岡嶋も捕まることになるが」

二人の楽しそうな声にタオルの隙間から二人を探せば、岡嶋は斜め前に、梶はソファの背凭れに腰掛けて笑っている。

「仲間、オレたち仲間よ。だからここは三人だけの、いや、梁瀬入れて四人だけの秘密、ということで」
「警察に突き出すことは無い。安心しろ」

その言葉にホッとすると、うさぎはソファから立ち上がり顔を隠したまま口を開く。

「あの、洗面所お借りできますか」
「あぁ、そこを出てすぐ右側が洗面所だ」

いつまでも泣いてなんかいられないし、何よりも二人の笑い声と言葉がうさぎにとって力強かった。そして気持ちも軽くなり、梶に言われるまま扉から外へ出ると、じんわりとした熱さが身体に纏わりつく。それを振り切るようにうさぎはリビングへの扉を閉めると、洗面所と言われた扉を開き洗面台の前に立つと水を出した。

熱があるからなのか、泣きすぎなのか、どちらか分からないけど少し頭が痛い。それでも頭から被っていたタオルを取れば、大きな鏡に映る自分は情けない顔をしていて冷たい水で何度か顔を洗う。被っていたタオルで顔を拭けば、どこかすっきりした自分がいて、そんな自分の顔に少しだけ笑ってしまう。

うん、大丈夫。不安が無いといえば嘘になるが、それでもうさぎの気持ちはずっと軽くなっていた。

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