うさぎは家に帰ると自分の部屋に駆け上がり、鞄の中からパソコンを取り出し立ち上げる。悲しいことにパソコンのファンが回る音は聞こえたけれども、画面は暗いままで暗いため息を落とした。使い始めて一年、たった一年で壊すことになるとは思ってもみなかった。自分で組み立てた初めてのノートパソコンはそれなりに愛着もあり、うさぎとしては涙ぐむしかない。
「あー、もう。あれさえなければ!」
一人怒ったところでどうなるものでもない。悲しさ半分、腹立たしさ半分でうさぎはノートパソコンをドライバーで開くと、ハードディスクを取り出した。こうなったら、うさぎとしては壊された相手だけはつきとめないと気が済まない。
デスクトップパソコンから延びるケーブルをハードディスクに差してからパソコンを立ち上げる。パソコンが立ち上がるまでの間に着替えを済ますと、うさぎは椅子に座り眼鏡を掛けた。
繋げたハードディスクが壊れていないかチェックをしたけれども、完全な復旧は難しい。それでも、残されたデータや防壁プログラムのログなどをチェックしCDにデータを焼いてしまうと繋げていたハードディスクも切り離した。ネットにつなげる際、万が一ハッキングされグレーのデータがパソコン内にあれば自分にとって致命傷だ。うさぎはデータコピーの履歴すら消し、防壁プログラムを立ち上げてから普段使うIDでネットを繋げた。
チェックしたログにあったサーバを調べていけば、やはり幾つかのサーバを経由しているらしく、その線は途中で途切れた。自分以外にもこのラインを追っている人間がいるらしく、海外サーバだというのに日本から繋いでいる人間が随分と多くいた。
意外に思いながらも、個人でやっているネットニュースを幾つか拾い読みしている時に、一つのニュースが目についた。ニュースサイトではあるけれども、テレビでやるようなニュースを取り扱っている訳ではなく、ネットの有名人を追いかけるニュースサイトの一つにその記事はあった。
『アメリカ、ルナスペースはハッカー追跡システムを稼動――――』
記事の内容は明日0時からの稼動とあったが、もしかしたらテスト的にうさぎがハッキングしていた時に稼動させていたのかもしれない。うさぎは落ちてきた眼鏡を人差し指でクイと上げてから、小さく取り上げられたその記事を睨みつける。もしかして、昨日の段階で追跡されていて、今日繋ぐのを待ち構えていた可能性もある。
追跡システムか……うーん……、ちょっと不味いかなぁ。
ただ、追跡システムが果たしてあの速さで進入してくるものなのか些か信じ難いものがある。日々、IT分野が進化していることは分かっている。けれども、あそこまで高速なものを現段階で作れるものなんだろうか。うさぎはそのまま追跡システムについて調べてみたけれども、それに関するブログや掲示板には当り障りのないことばかり書かれていて詳しいことは何も分からない。
そういえば、ルナスペースからのファイルは一体何だったんだろう。改めて不思議に思いながら、ネットを一旦切ってから先日ハッキングした時のデータをパソコン上に開いてみた。
書類と共に幾つかのプログラムをダウンロードしてしまったけれども、ファイル名だけじゃ何だかさっぱり分からない。書類データにウイルスが無いこと、ネットに繋ぎにいくプログラムが仕組まれていないことを確認してからファイルを開ければ、ずらずらと英文が連なっていた。
うさぎにとって、英文を読み解くのは苦痛な作業じゃない。幼稚園の頃から親に強引にさせられた英会話教室、それにプラスして海外ネットで記事を読むことで英文はよっぽど癖が無い限りは読むことが出来る。
そして、うさぎはファイルを読んでいる内に自分の頬が強張ってくるのが分かった。
ルナスペースというのはセキュリティーソフトを販売している米国最大の会社だ。米国ではランキング一位に輝いており、日本でも国内開発ソフトと一位争いをしている。それ以外にも手広くやってはいるが、そのセキュリティーソフトが一番の売上だということは明白だった。
そのセキュリティー会社にて新しいウイルスが作られている。ウイルスの開発手順書や、それに対するウイルス除去方法、どのようにして感染するのかが書かれている書類にうさぎは最後まで目を通してから大きく溜息をついた。
セキュリティーソフト会社が、自社でウイルスを作り、ばらまいてからそ知らぬ顔で対応セキュリティーソフトを売る。もしかしたら、とてつもなく不味いものを手に入れてしまったかもしれない。
もし、こんな情報が公になれば、ルナスペースは大打撃を受ける。データを盗まれたことに気付いているとしたら、今頃うさぎを血眼になって探しているに違いない。
どうしよう、まさかここまでの物なんて考えもしなかったし……けど、今更返しますと言って素直に受け取りだけしてくれるとは思えない。
しばらく、グレーとしての活動を止めるべきじゃないか。そんなこを考えながらも、うさぎはグレーとして活動した記録を思い出していく。
自分が経由したサーバ情報は基本的に上書きして消してあるし、ルナスペースからデータを引き出した時のログは全て消した。恐らく後を辿るのは難しい筈だが、うさぎの頭にちらつくのは先ほどのニュースで見た追跡プログラムのことだった。
もし、あれがプログラムの早さなのだとしたら、うさぎとしては落ち着いてはいられない。もっと情報が欲しい。そう願いながらもうさぎはセキュリティー関係に詳しい人間が集まる掲示板へとログインした。
出来るだけルナスペースの追跡プログラムについて知りたいこともあり、そこにあるログを読み漁る。ニュースに出ていたこともあり、話題にも上がっていたので、そのログを隅から隅まで読んでみるが徹底的なことは書いていない。当たり前と言えば当たり前のことだ。ルナスペースだって出来たばかりのプログラムのことを公に話す筈もない。けれども、一つの話題に目が釘付けになる。
『追跡プログラムの開発に加わっていた日本人が、システムセキュリティーにいるらしい』
らしい、ということだから確証がある話しではない。ネットには必ずしも正しい情報ばかりが流れる訳じゃない。幾つもの嘘や、宣伝、思い込み、そんな情報が溢れているから、情報は精査していかないといけないのはうさぎ自身にも分かってはいる。
けれども、ディンブラからきたメールが引っ掛かる。
……もしかして、メンバーは不味いことになってるんじゃないだろうか。気にはなる。なるけれども、今の自分には身動きが取れない。
あと十分もすれば父親が残業を終えて家に帰ってくるから、今更家を出る訳にはいかない。今、ここでグレーとしてネットを繋ぐ訳にはいかない。キーボードの上に置いた掌をギュッと握り締めてから、うさぎは大きく溜息を吐き出した。
ディンブラは全員にメールを送ったと言っていた。大丈夫、みんなそこまでバカじゃない。言われたからには下調べだってするだろうし、恐らくあのメンバーであれば誰かしらココを見て話題にはなっている筈だ。そうであって欲しい。うさぎには今、そう願うしかなかった。
とにかく、明日は早起きしてどこからかネットを繋いで確認するしか……。
そこまで考えて、うさぎは自分のノートパソコンが壊れている事実に気付き、再び大きな溜息をついた。
恐らく父親に頼めば、すぐにでも買ってはくれるだろうけど、どちらにしてもパソコンのセッティングが終わってネットに繋げるようになるのは明後日の話しだ。
一層グレーとしての活動は辞めてべきだと思うけれども、どうしてもうさぎ確認したかった。メンバーのこと、ルナスペースのこと、そして、自分のパソコンにハッキングをしかけてきた者の正体。
分からないことを分からないままにしているのは気持ち悪い。だからこそ、玄関の鍵が開く音がしたと同時にうさぎは自分の部屋を飛び出していた。父親にパソコンをねだるために……。
* * *
翌日、うさぎは午後の授業をサボり、父親から貰ったお金を持って秋葉原へと来ていた。制服姿でウロウロするには早すぎる時間ではあったけれども、駅のトイレで手早く着替えると畳んで鞄に入れてあった大きめのトートバッグに全てをしまう。
バッグや洋服には興味無いうさぎが持っている、唯一の流行りものの柄でもあった。勿論、自分でこれを買う余裕があるのならパソコンのパーツに使いたいうさぎを見かねて、母親が買ってくれたものだった。
鏡の中に映る自分を見て、少し悩んだ末に眼鏡と三つ編みはそのままにして、トートバッグを肩に掛けてからトイレを出た。化粧っけのないこの格好であれば、今や全国各地にかなりの人数いる登校拒否児童として問題なく見てくれるに違いない。デニムに黒のカットソーといシンプルな格好のうさぎは、まず最近贔屓にしているパソコンショップへと駆け込んだ。
けれども、ノートパソコンを組み立てるためのパーツは幾つも必要で、一つの店で全てを揃えられるものでもない。上限金額が決まっているだけに、同じパーツであれば出来るだけ安い物を揃えたいし、けれども、持ち運びが楽な小さな物で、尚且つ性能がいい物を求めると、全てのパーツが揃った時には既に十七時になろうとしていた。
秋葉原という場所には幾つものホットスポットが存在する。それこそ死角になる場所は数多くあり、今日はここでログインするつもりでうさぎは大荷物を抱えた状態でネットカフェへと入った。
部屋に入るなり、うさぎはひたすらダンボールやらぷちぷちに包まれたパーツを取り出すと、バッグから取り出したドライバーでどんどんと組み立てていく。配線を見るにはネットカフェという場所は暗かったけれども、うさぎの指は手馴れたものでパーツをつけながらも配線もつなげていく。三十分ほどでA4サイズのパソコンを組み立てたうさぎは、バッグの中からOSソフトを取り出すとインストールを始める。
ここにきて、ようやく一息ついたうさぎは、ダンボールを一纏めにすると、ネットカフェ内にあるドリンクバーでりんごジュースをカップに入れる。これからソフトを何本かインストールしている間に、りんごジュースを片手にネットカフェのパソコンでネットへと潜り込む。とにかくグレーとしてネットに繋ぐためには、今の状況では情報収集は必須だった。
ハッカーにはなりきれない、けれども、ハッカーに憧れる人間が多く存在する掲示板のアドレスを打ち込むと、画面は文字で埋め尽くされる。うさぎが今知りたいのは、昨日、メンバーたちがどうしたか、ということだった。そして、その情報は予想していたよりも早く手に入った。
というよりも、メンバーがシステムセキュリティーにハッキングしたのを実況している人間がいた。どうやら、予定通り、ディンブラとうさぎ以外の人間は、結局システムセキュリティーのハッキングに参加したらしい。けれども、最初にサンダーがネット落ちし、続けてメンバー全員がネット落ちしたらしく、メンバーがどういう状況だったのかはよく分からなかった。ただ、ログを見る限り、どうやらメンバーはシステムセキュリティーのハッキングに失敗したらしい。
けれども、うさぎが気になったのは、ここで実況している人間だ。別に裏技なんてものを使わなくても、ある程度までならここからでも書き込みした人間を追うことは出来る。掲示板から実況書き込みしていた人間が割り振られたIPアドレスを抜き出し、どこから繋げているのかを確かめる。けれども、幾つかの海外サーバを経由した後にその線はプツリと切れてしまった。これ以上深入りして探し出すのであれば、やはりグレーのIDでログインするしか方法は無い。
うさぎは大きく溜息をつくと、次にアドレスを打ち込んだのはメンバーに反感を持つ人間が集う掲示板だった。そこにはシステムセキュリティーへのハッキングが失敗したことの祝い場となっていて、メンバーの一員としては余り面白いものじゃない。けれども、その中に一つだけ、おかしな書き込みを見つけた。
『サンダー:NG』
たった一行しかない書き込みだったけれども、うさぎには引っ掛かる。確かにサンダーが最初にネット落ちしたと実況していた奴は書いていた。けれども、NGというのはどういうことだろう。確かにネット落ち=NGという解釈も出来なくはない。けれども、それは何か違う意味を持っているような気がする。うさぎは眉間に皺を寄せながらも、ずり落ちてくる眼鏡を人差し指で上げると、書き込み時間を確認する。
実況していた人間の最終書き込みは21時36分、そしてNGと書いた奴の書き込みは22時59分。同一人物が書くには、やけに時間が空きすぎている気がしないでもない。
狭い部屋とも呼べない空間の中で、ノートパソコンが電子音を立てて再起動を始める。うさぎは開いていたページを閉じ、履歴を抹消するとノートパソコンが立ち上がるのをジリジリとした気分で待つ。立ち上がったのを確認すると、ソフトが動くことをすべて確認してから、ネットには繋ぐことなく電源を落とした。
急いでバッグにパソコンを入れると、先ほど出たパーツ類のゴミを片手にネットカフェを後にした。手にしていたゴミは、買った店で引き取って貰い、うさぎはその足で数多くある中で条件に合ったホットスポットのある喫茶店に腰を落ち着けた。
カフェというよりも喫茶店という古めかしい店構えは、うさぎ一人が入るには場違いな雰囲気ではあったけれども、周りにいる人間はうさぎに構うことは無い。うさぎを含めて所詮オタク、そういう人間御用達の喫茶店でもあった。
すぐに壁際の空いてる席に腰を落ち着けると、オーダーを取りに来た老紳士にサンドウィッチとコーヒーを頼む。既に時間は十九時を回っていて、うさぎとしては昼ご飯も食べていなかったので食事を先に済ませることに決めた。パソコンを取り出し、ある程度パソコンを設定しながら、うさぎは片手でサンドウィッチを頬張るとコーヒーで流し込む。酷く落ち着かない気分になりながらも、うさぎは全てを食べ終えてからソフトを立ち上げ、グレーのIDでネットへと繋ぐ。
まず、最初に確認したのはメンバーに教えてあるグレーのウェブメールだった。メールは全部で四通。それは、グレーとしては随分多いメールでもあった。
一通はプリンセスから、そして一通はラストから、そして二通はディンブラからだった。まず、昨日、22時04分にきていたプリンセスからのメールを開く。
『Title:サンダーがいなくなった。
昨日、システムセキュリティーにハッキングしている最中、いきなりサンダーがネット落ちした。
奴とは知り合いだったこともあって、家に行けば泥棒でも入ったかのような状態でサンダーがいなくなった。
何かわかったら連絡欲しい
xxxx@xx.xx.xx』
どうやら、うさぎは知らなかったが、サンダーとプリンセスはリアルでの知り合いだったらしい。そして、このメールからプリンセスというのは女性ではなく、男性だ、ということまでは分かった。最後に書かれているメールアドレスはフリーメールと言われるものだ。どうやら、うさぎが思っているよりもずっと事態は深刻なのかもしれない。
ネットでの遊びで、リアルに人間がいなくなる。それは、うさぎにとっても怖いことでもあった。
続いてラストからのメールを開けば、予想もしていなかったことが書かれていた。
『Title:ルナスペースのデータ
ルナスペースで手に入れたファイルを譲って欲しい。
その為に、メンバーは追い詰められている。
ファイルを譲って貰えるなら、俺が話しをつける。
xxxxxx@xxxx.xx.xx』
やっぱりラストのメールにも最後にはフリーメールが書かれていて、うさぎは困惑するしかない。一体、これは何が起きているのか。ハッキング中にいなくなったサンダー、ファイルを欲しがるラスト。もしかして、自分があのファイルを手に入れたがために、サンダーは間違われて現実に捕まったのだろうか。
だとしたら、サンダーは今、どうしているのか。ふと、うさぎの頭を過ぎったのは、先ほどのサンダーNGという文字だった。もしかして、あれは、サンダーはファイルを持っていないということなんだろうか。だとすれば、次に狙われるのは……自分の可能性が高い。
慌てて次に22時23分に来ているディンブラからのメールを開けば、そこには簡潔に一行のみだった。
『今どこにいる、無事か?』
続いてもう一通のメールを開けば、やはり一行。
『XXX-XXXX-XXXX』
そこに記されてるのは電話番号だった。この異常事態にディンブラはグレーに連絡が欲しい、ということなんだろう。けれども、どのメールに対してもうさぎは困惑していてアクションが返せずにいた。
ただ、呆然と画面を見詰めていれば、昨日と同じように画面の端で、ハッキング防御ソフトが動き出しうさぎは我に返った。
「冗談じゃない」
うさぎはすぐさま、昨日できたばかりの防御プログラムを流し込むと、進入速度は随分と遅くなった。けれども、どうやら昨日のハッカーとは別の人間らしい。すぐさまプログラム作成画面を開くと、その場で勢いのままにプログラムを一つ組み終えると、再び制御プログラムを流し込む。そこで追跡者、ハッカーからの侵入は阻止された。昨日の奴とは違うことはうさぎにも明白だった。
けれども、これで分かったことが一つ。自分を追いかけている人間は一人では無い、ということ。
一瞬、身震いすると画面上にメールが来たことを知らせる音が小さく鳴った。慌ててウェブメールへと切り替えれば、それはラストからのメールだった。
『Title:急げ
お前の持ってるファイルを早くこっちに渡せ。
じゃないとお前が危ない』
危ないことは十分に理解はしている。けれども、今のうさぎには誰が信じるべき人間なのか分からず一つ深呼吸をして頭の中で情報を整理してみる。まず、ルナスペースのデータ、そしてシステムセキュリティーへのハッキング、この二つが問題だった。とにかく、自分のパソコンへハッキングしてきたのは、現時点でルナスペースのデータ問題、と見るのが妥当なんだろう。少なくとも、自分はシステムセキュリティーのハッキングには参加していない。
それ以外に、グレーに興味を持つ人間がハッキングを行った可能性もあるが、今日の奴はともかく昨日のは絶対に違うという確信がうさぎにはあった。それから、システムセキュリティーへのハッキングはラスト・サンダー・プリンセス、この三人で行ったらしい。
サンダーは行方不明、プリンセスはサンダーを心配している。だとしたら、ラストはどうしてサンダーのことに触れないのだろう。そして、何故今になってルナスペースのデータをこんなに必死になって欲しがるのか。
もう一つ、ディンブラは何故直接会おうとするのか。
考えながらも、うさぎは携帯にプリンセスとラストのメルアド、そしてディンブラの携帯番号を念のために登録する。
自分にとって、今一番危険が少ないもの――――それはプリンセスと連絡を取ることに思えた。手早くうさぎはウェブメールの新規作成ボタンを押したが、そこで指は止まる。
果たして、本当にこのメールはハッキングされていないんだろか。恐らく、プリンセスにしろラストにしろ、フリーメールを指定してきた、ということはしばらくの間、ラスト、プリンセスとしてはログインしない、ということなのだろう。けれども、この記されたアドレスにグレーとしてうさぎがメールを送ってしまえば、こうしてハッキングしてきている人間がいるのだから、二人が身バレする可能性も高い。だからといって、グレー以外のIDで繋ぐとすれば、よりうさぎ自身の身バレに繋がる可能性が高い。
サンダーはハッキング中にネット落ちして行方不明になったとプリンセスは言っている。だとしたら、恐らくサンダーはハッキングされて身バレし、攫われた可能性が高い。
しばらく悩んでから、結局、うさぎはグレーのIDのまま指定されたフリーメールではなく、プリンセスとしてのメルアドにメールを送る。
『Title:メール読んだ
サンダーとプリンセスは知り合いだったんだ。
あれからサンダーの行方は分かった?
システムセキュリティーへのハッキングは何で途中で辞めた?
もしよければ教えて欲しい』
もしかしたら返事は無いかもしれない。
送信とほぼ同時に再び、画面端が明滅を始め、パソコンにハッキングしようとする人間がいることが分かる。そして、新しく作ったばかりの制御プログラムを越えてくる様子を見て、その速さでうさぎには昨日の奴だと分かった。けれども、新しく作ったばかりの制御プログラムは、昨日に比べて優秀だった。慌てることなくうさぎはネットの回線を切ると、すぐにパソコンの電源を落とした。それでも百メートル走をした後のように、うさぎの心臓がドキドキいっていた。
昨日のように完全に踏み込まれた訳じゃない。けれども、これ以上グレーとしてネットを繋ぐことは出来ず、カップに残っていたコーヒーを飲み干すとパソコンを鞄にしまうと席を立つ。伝票を持って会計を済ませてから、うさぎは地下にある喫茶店から地上へと戻って来た。
既に辺りは暗くなっていて、店も軒並み閉店準備に追われている。腕時計を見れば既に二十時を回っていて、秋葉原という街にいるには限界ギリギリの時間になっていた。遅くとも家には二十一時までに戻っていないと、うさぎ的には不味い。だからこそ、足早に駅へ向かって歩きだした。
うさぎが丁度駅の改札を擦り抜ける頃、例の喫茶店へ駆け込んだ男がいたことをうさぎは知らない――――。