捜査会議が始まり課長の指示のもと各班から報告が始まる。渋谷家周辺の聞き込みを行っていた班から渋谷勇二の妻・美知子と母・房子は余りいい関係ではなかったようだ。
ネチネチとした房子の嫁いびりは近所で有名だったらしい。最近は房子の認知症が進み美知子は介護疲れで酷く痩せていたそうだ。
もし美知子が自殺、もしくは房子を殺したとしても不思議ではないという話しも聞けたらしい。それだけ嫁いびりと介護は大変なものだったのだろう。
そして息子・浩一はいじめが発端で家に引きこもるようになり十年以上家から出たことがなかった。浩一はその後ネットゲームにはまりゲーム内アイテムを現金で売り始めたらしい。それが原因で詐欺を行い、数十名から集団訴訟を受けほぼ全員と和解した。
和解額はわからないものの請求額から考えれば五百万は軽く超えていたと推測された。
しかし二名とは和解せず渋谷浩一が勝訴した。相手側に証拠が足りなかったことが原因だが二人合わせて三十万を超える金額だったと聞いて思わず耳を疑った。
たかがゲーム。だがゲームを通じネット上で沢山の犯罪が渦巻いていることも知っている。それでもゲームだと思えば呆れてしまう。
敗訴したのは荒川宏と澤田孝夫で渋谷に直接の繋がりはない。荒川は既にネットゲームから足を洗っており、五年前の自分を恥ずかしそうに笑ったらしい。
一方澤田は訴訟されたことをグチ混じりに同僚へ漏らし、そこからネットゲームにはまっていることが社内で知られた。それが原因で左遷され失職に至った。
現在澤田は派遣の仕事をしているが渋谷浩一の名前を出しただけで大層嫌な顔をされたらしい。
アリバイを確認したところ荒川は夜勤だったためアリバイが確認され、一人暮らしの澤田のアリバイは確認できなかった。
品川家周辺の聞き込みに行っていた班からは品川真一が不倫していたという近所の人の話が聞けたとの報告があった。それに伴い妻・昌子が不倫に気づいていた様子だったと話す主婦もいた。
付随する形で俺たちと同行していた班から品川真一の不倫相手と予想される渋澤涼子、そして渋澤と過去恋人だった前山浩介のストーカー行為などが報告された。会議が終わり次第渋澤の友人である落合美園から話しを聞くことも報告された。
目黒家周辺の聞き込みに行っていた班からの報告は身の毛もよだつようなものだった。まず自宅周辺への聞き込みでは目黒五郎の妻・花子が離婚を考えているとのこと、三女の非行化などが上がった。
一人暮らしをしていた長女・百合からは憔悴しているため話しが聞けず、次女・奈月、長男・大地、三女・花織の友人から話しを聞いた。奈月、花織の友人から父・五郎の性的虐待があったとのことだった。
また大地の友人からは昔話として幼い頃、同じく五郎からの性的虐待があったことも聞き、さすがに捜査員の顔色が変わる。
特に援助交際をしていた花織に限っては現在進行形で性的虐待があったらしく、将来に絶望し精神的にも不安定でいつ自殺してもおかしくない状況だった。
聞いているだけで胸糞悪くなるような報告だが、会議中だから沈黙を貫くしかない。だがどの捜査員も苦虫を噛みつぶしたような顔をしており似たような気分だったのだろう。
現段階で自殺しそうな被害者が二人、殺害動機のある被害者が二人おり、より事件の幅は広くなった。今後、関係者から話しを聞くと共に引き続き現場検証、並びに証拠品の鑑定作業などが並行で進められていく。
一時間ほどで捜査会議が終了し竹居と共に捜査本部を出れば、先ほど同行していた刑事二人が声を掛けてきた。
「竹さん、これから落合美園と会いますがどうしますか?」
「あぁ、俺たちも同行させてくれ」
その後、落合美園に指定されたカフェの住所を聞くと再び駐車場から車に乗り込んだ。
「それにしても、目黒一家は酷いもんですねぇ。離婚話が出てるって言ってましたけど、あれ虐待がわかって離婚するって言いだしたんですかね」
「どうだろうな。今でも三女に手を出してるなら幼児愛好だけという訳ではないだろうし、根はもっと複雑なものかもしれないな」
子どもが食い物にされる話しっていうのは心底胸糞悪いと思ってしまうのは、自分の過去にも起因するのかもしれない。
たらればを考えても意味はないが、それでも思ってしまう。もし自分たちにとって竹居が現れたようにあの兄弟に誰かが気づいていれば何かが変わった筈だ。
もし今回の事件が自殺だったとしても、自殺じゃなかったとしても、もっと明るい何かがあったに違いない。
正直言えば子どもは苦手だし過去の自分を思い出して苦い思いが込み上げてくるが、それでも何も思わない訳じゃない。
「本当にこういうのやりきれない気分ですよ」
「まぁな。だが余り肩入れするなよ。この事件が終われば翌日には新たな事件に関わることになる」
「わかってますよ」
少し拗ねた子どものような口調になってしまったのは、本当にそんな風に割り切れるかどうか自信がないからだ。今まで所轄でやってきたが、それでも忘れられない事件は幾つもある。この事件も苦い思い出として残る、そんな予感がしていた。
「でも、そうやって幾つも事件扱ってきた竹居さんだって俺のこと覚えてたじゃないですか」
「丁度一ヶ月ほど前に手帳を整理してたんだよ。それで思い出したところだ。まさかそのお前が刑事になって捜一に来るなんて想像もしなかったがな」
「それでも竹居さんだってそうやって抱えてきてるんじゃないですか。手帳を見て思い出せるくらいには」
「俺はもういいんだよ。あと三年もすれば定年だし、捜一にだっていつまでいられるかわからんからな」
「え? 定年?」
確かに会った時に竹居も年を取ったと思った。だが、まさかそんな年だとは考えてもいなかった。
「なんだ、俺は年を取らないとでも思ってたのか?」
ニヤリと笑う竹居は完全にからかう雰囲気だ。勿論、からかわれるだけの子どもでもない。
「俺がじじぃになっても竹居さんは捜一にいそうな気がしますよ」
「ぬかせ」
そんな軽口が叩ける空気が心地良い。でも、それは竹居が譲歩してくれているからこそできる会話だ。腹の内ではどう思っているかまではわからないが、こうして軽口を許してくれるのは度量の大きさなのかもしれない。
「それで、この事件についてお前が思うことは何だ」
少し低くなった声は真剣味を帯びる。それに対して俺は改めて事件を整理していく。
亡くなった十五人の内、自殺しそうだと思われていた渋谷美知子と目黒香織。
恨まれていた渋谷浩一、渋谷房子、品川真一、目黒五郎。
家族を恨んでいたと思われる渋谷美知子、品川昌子、目黒花子、目黒奈月、目黒大地、目黒花織。
亡くなっていたその人たちに対して恨みを持つ前山浩介、澤田孝夫、渋澤涼子。
どう考えても入り組みすぎていてどれもありえるから困る。何よりも困るのが、俺の勘は前山を示しているが、既に三年前のことで今らさら殺人を犯すとは思えないことだ。
もし前山が今になって犯行に及んだのであれば品川真一か渋澤涼子と接触がある筈だ。だがいかにも小心者といった風情の前山が果たして殺人まで犯せるだろうか。
前山が放火事件のピースに合わないのであれば、逆にデータ流出事件を浚ってみるのも手なのかもしれない。
「……遺体」
「あ?」
「今、遺体ってどこにあるんですか?」
「夕方葬儀屋が来てたから今頃監察で検案して死亡診断書作ってる頃だろうな。それがどうした」
今まで試す機会なんてなかったからやったことはない。でも、もし遺体と対面して勘が働くのであれば自殺か他殺かくらいはわかる筈だ。もし遺体相手に勘が働かなければ無駄足かもしれないが、それでも試してみる価値はある。
「鷲見」
「あ、いえ、遺族がすぐに引き取りに来てくれたんだと思って」
「警察からの呼び出しともなれば来るだろ」
「ほら、今は遺族がいない人たちも多いですし」
誤魔化すように言葉を続けたが竹居からの言葉はない。唐突すぎた自覚はあるが思い出したら確認せずにはいられなかった。
丁度、落合美園と落ち合うカフェから監察までの距離は近い。落合と会った後、監察に足を伸ばすことを決めると窓の外に視線を向けた。
訝しがっているだろう竹居に対して声を掛けることはできない。そして竹居から声を掛けてくることもなく落合と待ち合わせたカフェ近くへと到着した。
同行した刑事二人と共にカフェに腰を落ち着けた時には十八時四十分を回ろうとしていた。待ち合わせ時間は十九時で二十分ほど時間が空く。丸いテーブルに四人で座れば、元々新入りの俺が話すことなんてない。何よりも二人の視線がかなり厳しい。
注文し無言降り積もる中で最初に口を開いたのは竹居だ。
「こいつは何もねぇよ」
刑事二人に声を掛ければ、言われた二人は困惑した様子を見せる。
「鷲見、お前警官になって総監賞幾つ貰った」
「は? えっと……交番勤務で一回、刑事になってからは四回ですかね。あ、でも書状貰ったのは一回だけです」
途端に刑事二人の目が大きく見開かれる。
「一体何をして貰ったんだ」
そう問い掛けてきたのは刑事の一人だ。
「あー……あぁ、そうだ。渋谷署にいた時に管内の麻薬密売組織の親玉をたまたま捕まえた時ですね」
「たまたま捕まえられるもんじゃないだろ」
「いや、本当に偶然ですって。休みの日にプラッとしてたら親玉の側近が手下に麻薬手渡して金受け取るのを携帯の動画で撮影できたんですよ。で、その金を親玉に渡すのも動画撮影して一網打尽です。隠し撮りだから揉めましたけど逮捕できたみたいです」
実際は違う。そもそも側近を追いかけていたのはうちの管内で男が妻に暴力を振るっていた、俗に言う家庭内DVがあって駆け込んできたからだ。そのために側近を追いかけていただけで、まさかそんな大物が引っ掛かってくるとは思ってもいなかった。
というのは渋谷署連中への建前で、麻取が出張ってきたから傷害ではなくそっちで挙げてしまえという気持ちもあって、親玉が誰かわかった上で動いた。
麻取からある程度は説明されていたし勘を働かせるには十分だった。親玉を確定し行動範囲を調べてネチネチと張って証拠を掴んだ。
勿論、こんなこと他人に言える筈もない。だからこそ竹居も先ほど運も実力などという言葉を言ったのだろう。むしろ、竹居が総監賞について知っていたことに驚いた。
「っていうか竹居さん、よくそんなこと知ってましたねぇ」
「こっちにも経歴書は回ってくるからな。何度も名前あがれば上の覚えも悪くないだろよ。一応、実力での抜擢だろ。まぁ、上がどんな考えでねじ込んだかまではわからないけどな」
「いや、むしろ俺自身が聞きたいんですけど」
「と、本人もこんな感じだ」
肩を竦めて見せる竹居に刑事二人は困惑している様子だった。実際、俺自身何も知らないのだから突かれてもどうしようもない。
「身内が大物とか?」
伺うように一人の刑事に声を掛けられ否定する意味で片手をヒラヒラと振った。
「ないですよ。うちは両親も祖父母も至って普通のサラリーマン家庭でした。因みに公務員の知人なんっていません。だから本当に不思議なんですよねぇ」
「まぁ、上から好きにさせろって言われてるくらいだし、お試し感覚なのかもしれないがな」
「うわ、じゃあ今回見所なければ所轄に逆戻りとか?」
頬杖着いてため息をつけば、さすがに横に座った竹居から睨まれ慌てて姿勢を正す。
「書類上は既に本部預かりになってるだろし、別係に移動くらいだろ、多分」
「でも前に殺人犯捜査第一係で失敗した奴は共助課に飛ばされてましたよ」
思わずという感じで身を乗り出してきた刑事に俺は大きくため息をつくしかない。
「まぁ、どっちにしてもお前は上のお試しだろうから、今回の事件が終わればどこかへ回されるだろうよ」
「えー、俺それならこのまま火捜一係にいたいんですけど」
「どうなるかは上次第だろ。お前の立場は特殊すぎてわからん。でも普通なら殺捜の方がいいだろ。何で火捜なんだ」
捜査一課といっても係は第七まであって扱う内容も違う。さらにそこから係がわかれ今俺が所属しているのは第七強行犯捜査-火災犯捜査第1係だ。
確かに刑事ドラマに憧れを持って警官始めた奴は殺捜がいいんだろうけど、俺にしてみれば捜査できるならどこでもいい。さらに言えば俺の第六感を働かすことができる場所であればどこでも構わなかった。
そうでなければ何の為に日常において楽しくもない第六感なんてものを持っているのか自分を見失いそうだ。
「別にどこでもいいですよ。俺は犯人捕まえるだけですし」
本心ではあったものの理解できないみたいな目で見るのだけはやめて欲しい。思わず竹居にじっとりと視線を向ければ、竹居は苦笑して視線を逸らした。
「所轄署でも微妙な扱いだったのか?」
今まで黙っていた刑事が遠慮がちに口を開き問い掛けてきたため、それに対し緩く首を横に振った。
「全然普通でしたよ」
「でも先月新宿署で特捜立った時に鷲見はいなかったよな?」
問い掛けられて力なく笑ったのは、一度だって特捜本部に出入りしたことがないからだ。
「あー……正直言うと特捜は興味なくて大抵刑事課で留守番組なんですよ」
「刑事課にいたならほとんどの人間が特捜に行きたがるだろ」
「えぇ、だから興味ない俺が留守番です。大きい事件が気にならないって言えば嘘になりますけど、手持ちの事件の方が気になっちゃって」
捜一の人間にこんなこと言っていいかわからず伺うように言えば、竹居を含め三人共鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「俺不器用だから一つの事件しか追えないタイプなんですよ。だから特捜できて新たな事件を持ち込まれると困るというか……。それに特捜立っても所轄に来る被害者には関係ないですし」
「じゃあ、元々捜一を希望していた訳でもないのか?」
「えぇ、所轄署で十分満足していました」
「それなら異動希望を聞かれた時に何で断らなかったんだ?」
「実は所轄の上の方が盛り上がっちゃって断るに断れない状況っていうか……まぁ、本部なら栄転ですし俺自身が喜ぶと思っていたんだと思います」
余り気分を害した様子もなかったから本音を零せば、刑事二人が苦笑する。
「確かに栄転だと思うよな。俺が異動の時も本人より署長たちが盛り上がってた」
その言葉で思わず視線を向ければ、更に苦笑されてしまう。
「捜一にいる連中だってみんな所轄からの吸い上げなのは知ってるだろ。何でそんな意外そうな顔をするんだ」
「いや、ほらドラマみたいに捜一の人にはエリート意識があって、だから俺睨まれてるのかと思って」
「別にエリート意識なんてないよ。結局、みんな所轄署からきてる訳だしな。ただ鷲見と入れ替わるように飛ばされた奴がいたから、お偉いさんの七光りで入ってきた奴がいたのかと思ったんだよ」
「でもよく考えたら上の七光りならキャリア組だよな」
「だな。まぁ、感じ悪くて悪かったな」
「いや、事情をわかって貰えたならいいですよ」
答えて笑えば、ようやく二人の刑事も笑みを浮かべる。そのことにホッとしていたのも束の間、竹居の低い声が俺たちの間に走った。
「おい、お前ら和解したならそろそろお客さんのお出迎えだ」
その言葉で出入り口に視線を向ければ、事前に聞いていた服装をした女性がカフェに入って来るところだった。