「先日はどうも。怪我、大丈夫でした?」
「えぇ、かすり傷でしたから。もしかして先日の件ですか?」
「あー……、別件です。品川真一さんを知ってますか?」
「……えぇ、ニュースを見ました。お亡くなりになったそうで」
途端に笑みを消し痛々しい表情を見せた渋澤の反応はちょっとした知人という雰囲気ではなかった。そこから会話を引き取ったのは一緒に行動している二人の刑事だ。
不倫していたことを突きつければ、渋澤はそれを否定することはなかった。ただ一ヶ月ほど前に別れを告げられ、それ以上顔を合わせるのが辛く会社を退職したのだと話す。
前山について話しを聞けば、渋澤にも記憶はあったらしく一時期はストーカーのように付きまとわれたのだと話し、リグライジュで聞いた通りそれを救ってくれたのが品川真一だと話した。
恐らく今までの中で一番容疑者に近いのは渋澤だが、俺の勘は働かない。シロだと言いたいところだが、薄幸な微笑を浮かべる渋澤はどこか演技染みていて微妙に引っかかりを覚える。
だがそう思ったのは俺だけじゃないらしく質問している刑事たちも踏み込んだ質問が多くなる。
渋澤は会社を辞めた後、しばらくは自宅に引きこもっていた様子だが事件当日の夜、ようやくふっきり友人と出かけたのだという。その友人には不倫についても相談していたらしい。
その友人の名前を聞くとあっさりと渋澤は答え、あまつさえ連絡先まで教えてくれた。現時点で聞くものは聞いて渋澤の自宅を後にすると、同行していた刑事が竹居に声を掛けてきた。
「竹さん、これから目黒五郎の会社に向かう予定です。そっちはこれからどうします? もし渋澤の友人をあたるんでしたらそちらは任せますけど」
その問い掛けに竹居は俺に視線を向けてきた。
正直言えば渋澤の友人である落合美園も気にはなる。だが今は被害者の知人に数多く会うことが目的ということもあって素直に首を横に振った。
「いえ、やめておきます。どちらかといえば目黒五郎の勤めていた会社の方が今は気になるので」
途端に同行刑事二人は訝しげな顔をしたが、俺はそれ以上何かを言うことはなかった。実際、話しを聞いている限りでは今まで会った中で渋澤は容疑者の一人と言っても過言じゃない。そんな渋澤の友人から話しを聞きたくなるのは普通のことだ。
でも俺の勘は渋澤は今回の件とは無関係だと言っている。だとしたら落合と会うのは後日、もしくは捜査会議後でも問題はない筈だ。
「ということだ。お前らに同行するよ」
訝しげにこちらへ視線を向けてきた刑事二人だったが「わかりました」と短く返事をしてから改めて俺へと視線を向けてきた。
「鷲見、お前と渋澤の関係は?」
「いや、関係もなにもありませんよ。単純に窃盗追ってた時に彼女を巻き込んじゃってちょっと怪我をさせちゃったんです。詳しいことは新宿署に問い合わせて貰えばわかります。彼女とはその時に会っただけで特にこれといって関係なんてないですって」
「……後で確認する」
「そうして下さい」
彼女との出会いは偶然で関係なんてものは本当に何もない。別に痛い腹でもないからあっさり答えたが刑事二人は不審な目を向け、それから車へと乗り込んだ。同じように俺たちも車へ乗り込むと竹居はこちらへと視線を向けてきた。
「本当に渋澤とな何もないのか?」
「竹居さんまで言いますか! 本当に何もないですよ。駅構内で窃盗犯追いかけてたら、窃盗犯に彼女が転ばされて怪我してたから分駐所に連れて行って手当てしたくらいですよ!」
「それはいつだ」
「昨日ですよ」
「何時だ」
「十九時前後ですね。新宿署に窃盗犯の調書が残っているからそれでわかると思います」
「微妙な時間だな。久しぶりに家を出たタイミングで品川が死んだなんてな」
竹居が訝しがるは確かにわかる。実際、俺自身も凄いタイミングだと思うし、奇妙な偶然だと思う。けれども、渋澤は犯人じゃないと俺の勘がいっているから違うのだろう。こればかりは今まで外れたことがない。
「まぁ、確かに。でも彼女が言っていた落合美園から話しを聞けばわかるんじゃないですか。あの時間に新宿駅にいたとすれば移動して十九時半に池袋待ち合わせでもおかしくはないですし」
「やけに渋澤の肩を持つな。……惚れたか?」
竹居の問い掛けに飲みかけていたコーヒーを思わず噴き出すところだった。
「ちょっ、ゲホッ……ないです! ないですから! 確かに少し地味めな美人ですけど俺のタイプじゃないですから!」
力説すれば竹居はハンドルを握ったままニヤニヤとしている。残念なことに恋人はいたことがあるが、俺の立場はいつでもキープ君だ。
刑事としては有効に使える第六感だが、恋人となればこの第六感が邪魔をする。一度でも恋人を疑えば二股掛けられている時など如実に反応を示すのだから付き合っていける筈もない。
勿論、本命の恋人がいたこともあるけど相手が他に気になる相手ができると第六感が反応する。それは恋人を常時疑っていることに他ならないが、問い詰めれば実際勘が外れたことはない。
恐らく一生結婚なんてできないだろうと思っているが、もうそれは諦めている。防衛本能で人付き合いも広く浅くが基本となっている。
裏切られるのは痛いし嫌なんだからこればかりは仕方ない。
「俺、今は仕事が恋人ですよ」
「なんだ、寂しいこと言うなぁ。いい年なんだから恋人くらい作れ。女に嫌われるタイプじゃないだろ」
「でもこの職業だと恋人は難しいですって」
ありきたりでさもありなんという理由を言えば竹居は肩を竦めて見せる。
「はぁ、家庭持ちの余裕ですよねぇ」
ため息混じりに言えば竹居が苦笑した。
「正確に言えば家庭を持っていた、だな」
「え?」
俺が竹居と会った時、竹居には妻がいた。実際、その妻とも何度も顔を合わせたことがあるし、妹の伊緒里と共に食事を一緒にしたことだってある。落ち着いた、和風美人だったことは覚えている。
「お前らと会った二年後に離婚した。まさにあれだ、忙しいあなたと家庭は作れないってやつだ」
「えっと……すみません」
竹居と出会ったのは俺が十四の時でかれこれ十七年前になる。どちらかと言えば寡黙な竹居とほがらかな妻、それなりに仲の良い夫婦だった記憶しかない。
「気にするな。まぁ、結婚したいなら上に頼んで見合いでももうけて貰うんだな」
「その上の覚えが悪い場合はどうなるんでしょうねぇ」
思わず遠い目をしてぼやけば、竹居がクツクツと喉で笑う。実際、どういう経緯で捜査一課に来ることとなったのかわからない俺としてはとても上の覚えがいいとは言えない。少なくとも課長のあの視線からすれば笑い事では済まない。
「そういうことを気にするタイプなのか?」
「いえ、全然。俺が考えてもわからないこと考えたって仕方ないですし」
「そうか? あいつらに気を遣ってるんじゃないのか?」
そう言って竹居が顎をしゃくり前を走る車を示す。そこにある車は同行刑事の車だ。
「いえ、そう訳じゃないです。残念ながら好きにやれって言われたら大手を振ってやりたいようにやるタイプなんで」
「だろうな。昔からふてぶてしいガキだった」
「いやいや、昔の俺は可愛かったと思いますよ。素直だし」
「どこかだ」
苦笑混じりに言われたら俺としても肩を竦めるしかない。実際、竹居から見ればかなりふてぶてしいガキだったに違いない。
「で、何で落合に話しを聞こうとしないんだ」
「いや、いずれ聞きますよ。ただ今は多くの人に会って広範囲で話しを聞きたいので」
「だったら捜査会議での報告を聞けばいいだろ」
「まぁ、そうなんですけど、俺の遣り方じゃないっていうか」
苦しい言い訳だと自分でも思う。実際、竹居は呆れた顔を隠そうともしない。
「捜一で俺の遣り方とか言われてもなぁ」
「まぁ、ほら、好きにしていいって言われてるんですから、今はいいじゃないですか」
「確かにどうせ俺はお前のお守りだしな」
「お守りって……本当に一体、俺どういう立場なんですかねぇ」
「さぁな。てっきり俺はお前が上と何らかの繋がりがあるんだとばかり思ってがな」
「本当にないですよ。それに関しては本当に途方に暮れるというか」
苦く笑えば竹居は再び喉で笑う。信じているんだかいないんだか分からない曖昧な笑みは竹居の心情を伝えてくることはない。
「あと十分くらいで着くぞ。書類に目を通すなら通しておけ」
「そうします」
素直に口を噤んで手元に書類を引き寄せると書類を捲る。目黒五郎は妻、次女、長男、三女と暮らしていた。長女は一人暮らしをしていたために今回無事だったが、遺体に縋りつき心神薄弱状態となっていると報告書にはある。
三女は援助交際での補導歴が二回ありそれなりに家庭で問題があったのかもしれない。高校一年生の三女は中学生二年から援助交際を始め二ヶ月ほど前に補導され停学処分となっている。いずれも援助交際の理由は家に帰りたくなかったというものだった。
近所の評判については現在聞き込み中で情報はない。だがこれも捜査会議で明らかになるだろう。とりあえず保留としておくしかない。
そして目黒五郎はリフォーム会社・リフォーマーに勤めており営業をしていたらしい。勤怠は悪くないらしく、営業成績は中の中というのが会社から出されたものだった。人間関係には触れられておらず、勤怠を見る限り時折休暇を取っているもののそこまでおかしなものではない。報告書から特におかしな面は見受けられず、とにかく話しを聞くしかない。
「家に帰りたくないって理由ってなんですかねぇ。反抗期?」
「色々あるだろ。両親と折り合いが悪いとか、両親の不仲とか。なんだ生活安全課にはいってないのか?」
「残念ながら。地域課から刑事課でそのまま捜査一課ですよ」
「随分トントン拍子だな」
「本当に。単純に犯人捕まえてるだけなんですけどねぇ」
「まぁ、運も実力だろ」
実際には運というにはチートだけど、それを竹居に今説明するつもりはないから苦笑するしかない。けど、親と暮らしていなかった俺にとって子どもの事件は思考が追いつかないのが現実だ。
「でも、こんなことなら生活安全課にもヘルプじゃなくて行っておけば良かったかな、とか思いますよ」
「まぁ、今さらそれを言っても仕方ないだろ。追々覚えていくしかないだろうな。今は少年犯罪も色々あるし」
「ですよねー。今度時間作って調書とか見せて貰います」
「そうだな。今日は恐らく目黒五郎の勤めていた会社に行って捜査会議だ。その後はどうする」
「恐らくあっちの二人も落合美園と連絡取って自宅に行くでしょうから同行する予定です。明日は……現場周辺を張ろうかなと思ってます」
「張る? 聞き込みじゃないのか?」
「えぇ、張るだけです。どうせ近所や身内への聞き込みは他の班がやってるでしょうし、今日の報告にも上がってくるでしょうから」
「それはそうだが……」
竹居が呑み込んだ言葉はわからなくもない。現時点で容疑者がいる訳でもないのに自宅周辺を張るなんて無駄に思えるだろう。
でも俺にとっては大事なことで会話は交わさずともわかることがある。
それ以上の会話はなく目黒五郎の勤めるリフォーマーに到着した。営業部長、営業課長が並んで出迎え会議室へと案内された。上司から聞く話しというのはどこにいっても体面を考えたもので大した話しは聞けない。
しかし同僚からは酒を飲むと感情の起伏が激しくなるということをポツリポツリと聞くことができた。社内で口止めされているのか口は重かったものの、上司らの媚びた印象からするとそれを聞けただけでもマシな方だろう。
その中の一人、目黒とそれなりに付き合いのある同僚から妻から離婚を切り出されていたことは大きな収穫となった。
リフォーマーから出れば既に十六時半を回っており、それ以上何かすることなく捜査本部に戻れば既にほとんどの人間が本部に戻ってきていた。
竹居に促されるままに後部の端に腰を落ち着ければ一分も待たずに捜査会議が始まった。だがその報告は眉根を寄せるような胸糞悪いものだった。