run down Act.02

今日午前二時に起きた火災は静かな住宅街で、鑑識から明らかに放火の形跡があったという報告があった。放火被害にあったのは三棟。
各家の庭にガソリンを撒き、通りまで導火線のようにガソリンを撒いてから一気に火を点けたというのが検察の見方だった。
放火事件としては異例の十五人という死者を出したのは深夜という時間帯が原因だったのだろう。
品川家は祖父、祖母、父、母、長女、長男の六人暮らしで六人が死亡。目黒家は父、母、次女、長男、三女の五人暮らしで五人が死亡、長女は一人暮らしをして実家を出ていたため無事だった。そして渋谷家は祖母、父、母、長男の四人暮らしで四人が死亡し計十五人が亡くなった。
いたずらというには手が込んでいることから怨恨の線が強く、被害者らの知人からあたっていくことになった。勿論、並行して愉快犯の線も捨てきれずそちらも捜査するが、そちらは主に所轄の仕事となった。
捜査本部を取り仕切るのは早瀬管理官だが、俺に向けられるその視線が凍結しそうな程冷たい。少なくとも俺自身にいい感情を持たれていないことがよくわかるものだ。
その管理官は次々と名前を呼び一班、二班、三班と分けていく。いつ自分の名前を呼ばれるのかと思っていたが、結局自分の名前は最後の最後に呼ばれた。
「竹居及び鷲見は好きなように動け。それぞれ十七時に一旦集合し捜査会議を開く。解散」
「え? 好きなようにって……」
つい戸惑いをそのまま口にすれば、さらに冷たい視線が刺さる。
「お前に関しては好きなうようにさせろと言われている。報告さえきちんとすれば構わん」
「はぁ」
何とも間の抜けた返事をすれば、竹居に腕を掴まれ捜査本部を出た。竹居の勢いのままに駐車場まで連れて行かれると促されるまま車に乗り込む。
そして竹居は車に乗り込んだ途端、大業なため息をついた。
「あの……どういうことでしょう?」
「俺に聞くな。そもそも捜一で好きにしろなんて前代未聞だ。お前、本当に何をやらかしたんだ」
「いや、本当に何もしてないですって! っていうか、本当に嫌われて放置されてます?」
「……わからん。どうも俺はお前の世話係ってところだな。お前、何したい」
そんな唐突に言われても困るところだ。一応情報の共有はさせて貰える様子だから取りこぼしはないだろうが幾ら好きに動けと言われてもやっぱり多少の指示は欲しい。
少し悩んだ末に先ほど渡された書類を改めて捲る。三棟だが実際その中にいるのは五家族だ。先ほどの話からすると怨恨の線が強いと捜査本部は見ているらしい。
ペラリと捲った紙には三軒の詳細地図が載っており、三軒の庭には広範囲にガソリンが撒かれていたことがわかる。それだけの量のガソリンを撒けば人目にもつきやすい。それにも関わらず犯人は手間をかけ時間を惜しむことなくガソリンを撒いている。
それを考えれば決して愉快犯などではないことがわかる。
近隣は住宅街ということもあり監視カメラもない。終電の終わった時間、閑静な住宅街では人の出入りは少ないだろう。
「うーん、敷鑑って何班ですか?」
「一班だな」
「それじゃあ、そっちと合流させて貰いたいです」
それだけ言えば竹居は携帯を取り出すと誰かと遣り取りを始める。
敷鑑は主に被害者の人間関係の洗い出しが主な仕事となる。時間から目撃者は少なく、証拠品は燃え尽きていることを考えれば自然と敷鑑と合流するのが妥当だ。
何よりも自分の勘を信じるのであれば、関係者に会うのが一番てっとり早い。
しばらく電話の遣り取りをしていた竹居は電話を切るなりハンドルを握りアクセルを踏んだ。
「一班はこれから渋谷家の渋谷家の関係者洗い出しからするとのことだ。四人の内どこから行く」
竹居の言葉に慌てて書類を捲り家族構成を見る。専業主婦の渋谷美知子と認知症を患う高齢の渋谷房子よりも家主である渋谷勇二とその息子である渋谷浩一の人間関係が知りたい。
だが渋谷浩一が無職という記載があり行き先は決まった。
「渋谷浩一の話が聞きたいです」
「わかった」
竹居の返事を聞きつつも渋谷勇二の詳細が記載された書類を頭に叩き込む。渋谷勇二の働いていた太田商社はそれなりに大きな企業だ。テレビコマーシャルもやっているし少なくとも十人に聞けば半数は名前を知っているに違いない。
「えっと、俺が運転しましょうか?」
「どっちでもいい。まぁ、俺が運転席にいたから俺が運転してる」
竹居の横顔を見たが、そこに不快そうな様子はない。書類もまだ読み込んでいなこともあり、竹居の言葉に素直に甘えてしまう。ついでに甘えをもう一つ。
「あの、タバコ吸っても大丈夫ですかね?」
「身体に毒だからやめとけ」
「いや、そう言わずお願いします!」
言えば竹居はコンソールボックスを開けると携帯灰皿を取り出した。
「竹居さん、最高!」
「いいからお前は書類を読み込め」
「はーい」
少し間延びした返事をしつつポケットから取り出したタバコを咥える。火を点けて深く吸い込んでから改めて書類に視線を落とした。
基本的な捜査手順はある程度踏むものの俺にはこれといった捜査方法はない。とにかく接点のある人間と会って第六感が働けば、そこから動機やアリバイを穴埋めしていく方法しか知らない。というかむしろこれが一番効率がいい。
そういう意味では事件規模が違うだけに今までとは会う人間の数も膨大だ。自分の第六感は信じているものの他人が簡単に信じてくれるものではない。
若手と組んでいる時は口八丁手八丁でごまかしながら捜査を進めることができるが、果たして捜査一筋の竹居相手にそれが通用するだろうか。
ちらりと竹居を見れば、白髪交じりの髪と鋭い眼光は刑事というよりもヤクザ一歩手前だ。それでも見た目よりも優しい性格をしていることは知っている。だが犯罪に対して妥協するタイプじゃない。ついでに言えば勘や霊感みたいな目に見えないものを信じるタイプとも思えない。
少し考えてみたが名案が浮かぶ訳でもない。お世話係だと嘯いていたが、多分本人には知らされていない何かがあるのだろう。どちらかと言えばお世話というよりか監視の方が近いのかもしれない。
第六感について人に話したことはない。周りには事件体質だと言われているが自ら事件に飛び込んでいくことも多く、巻き込まれるばかりではない。
そんな自分を竹居はどうみるか。
考えている内に目的地である会社太田商事へ到着してしまい竹居と共に車を降りる。同じく捜査一課の人間が車から降りてくると竹居に黙礼するのが見えた。だが俺のことは完全無視だ。むしろ空気くらいの勢いで視線を合わせることはない。
鳴り物入りということもあって扱いが最低なのは仕方ないだろう。ここで文句を言うつもりはないし、ここで食って掛かって竹居の立場を悪くするつもりもない。
気を取り直して渋谷勇二の書類に視線を落とすと詳細を読み込む。大手商社に勤める渋谷は課長代理という立場で商品開発を主に取り扱っている。勤怠に問題はなく妻、母、息子と共に暮らし本人には何ら問題はない。
しかし息子が和解しているものの訴訟沙汰になっているのは気になった。
既にアポを取ってあったらしい二人の捜査一課刑事と共に受付を済ませると渋谷勇二の所属している課の人間と対面することができた。
まず最初に対面したのは渋谷勇二の上司である前山浩介だった。だが最初から事件に関わる男だと直感が告げる。
だがこの直感の困ったところはどういう事件に関わっているかわからない所だ。今現在、俺の知っている事件の詳細は現在追っている放火事件と新宿署で聞いていた連続窃盗事件、同僚が追っていたデータ流出事件だ。
そういえばデータ流出事件ではこの会社に飛び火していた記憶がある。データを盗み出した男が一時期この会社にいたことでマスコミに取り上げられていたが、それはデータ流出事件と繋がりがあるのだろうか。
実際、俺の勘は放火事件、データ流出事件、連続窃盗事件のどれに引っ掛かったのか現時点でわからない。それは話しを聞いて徐々に確信を持っていくしかない。
ただ、男は単なる一般人ではなく、俺の中では被疑者というカテゴリーに入る。どちらにしてもクロはクロだ。
不躾な程にジロジロと見ていれば、前山はオドオドした様子を見せる。そんな前山を目を眇めてみれば隣に立つ竹居に咳払い一つで注意される。
確かに俺には確信があっても普通であれば確信が持てるところじゃない。とにかく話しを聞いていくしかない。
正直、俺の立場はない。だから質問する捜査一課の二人の質問に対して答える前山の言葉を聞いてメモを取る。放火のあった時刻のアリバイはなく、一人暮らしの前山は家で寝ていたという。
確かに午前二時といえば大抵の人間は家にいるのが普通だ。それに一人暮らしとなればアリバイを証明する人間がいる筈もない。
死んだ渋谷勇二の印象を聞いてみれば、落ち着いた部下に信頼のある男だという話しが聞けた。同課の人間から次々と話しを聞いていけば、前山と渋谷が数日前に揉めていたこと、そして前山には三年前に付き合っていた恋人がいたことがわかった。
揉めていた内容はわからなかったが、三年前に恋人だった相手の名前は聞けた。というのも付き合っていた恋人が提携会社リグライジュの人間だったからというのが大きかった。
気になるのは前山が付き合っていた恋人がリグライジュの社員に取られたという噂だ。確かに前山が何らかの被疑者であることが自分の中で確定しているからこそ気になる情報なのかもしれない。
そしてその会社は放火事件で死んだ品川家の一人、品川真一が勤めていた会社でもあった。
そのまま捜査一課の二人と共にリグライジュへ向かう時には既に午後二時を回ろうとしていた。途中、コンビニでパンを買い、竹居の運転する車で食べながら再び書類を開く。
品川真一は父、母、妻、長女、長男と暮らす暮らす五人家族だ。父は小さな工務店を営み地域密着型で五十年近く商いをする現役だ。母はその工務店の事務を取り仕切り、妻は専業主婦。幼い二人の子どもがおり、午前中に回った別の班からの報告では仲の良い家族だという報告がきている。
地域密着型で工務店を営む祖父は周りからの評判も良く、助けられたという人もそれなりにいたらしい。だが商いをしているとあずかり知らぬところで恨みを買っている可能性もあるから、父・敬一郎の身辺の人間とも会うべきなのだろう。
それでも今現在、品川家は書類を見る限り特に問題ある人物はいない。幼い二人の子どもが問題を起こすことはなく、妻は幼い子どもに振り回されている状況なのか余り周りから話しを聞くことはできなかったらしい。
午後には別班が子どもの通っていた幼稚園の父兄にあたってみるとのことだったから、それを聞いてからどう動くか考えてもいいのかもしれない。
好きにしろと投げられたのであれば、こちらはこちらで勝手に動くだけだという開き直りに近い気持ちにもなってきた。そもそも、人と会わなければわからないのだから数をこなしていくしかない。
こうして考えてみると所轄でやっていた捜査とはやっぱり規模が違う。被害者人数が増えればそれだけ数をこなさないと勘すら働かないし、所轄でやってきた時に比べて本星へ近い部分に触れることができる。
所轄にいた時は特捜が立ってもやれるべきことはしたが、どちらかと言えば所轄で起きた事件を重視していたから特捜の犯人捜しをしようとは考えもしなかった。
「あいつらは今日、リグライジュを回って終わりだな.明日からどうする」
不意に隣で運転する竹居から声を掛けられて少しだけ考えてみたが、今はどうにもこうにも情報が少なすぎる。
「夕方の捜査会議で報告聞いてそれから考えますよ。正直、亡くなった人が多すぎてどこから手をつけたもんだか、とは思ってます」
「なんだ、てっきり何かしら確信を持ってるのかと思ったんだがな。随分と前山に食いついていただろ」
やっぱり捜査歴うん十年を超えるベテランの目はごまかせるものじゃないらしい。よくよく考えてみれば俺が学生時代から捜査一課にいて、今現在も捜査一課にいるのだからその目は確かなのだろう。
「まぁ、死んだ渋谷と揉めていたってのは気になるところだが確信持てるような何かがあったとは思えない。お前は一体何の情報を掴んだんだ?」
「いや、情報なんて竹居さんより持ってないですよ。事件状況だって朝聞いたくらいなんですから」
そう言ってへらりと笑えば、チラリとこちらを見た竹居はそのまま口を噤んだ。
確信は確かにある。あるがそれを言って俄に信じて貰えるとは思えない。どうにも誤魔化すには難しい相手だと思いつつもいずれ話す時がくるのかもしれないという確信のようなものがあった。
車で二十分ほどの距離にあるリグライジュはファッションブランドを幾つか持つ服飾系の会社だ。先ほどの二人と共に社内に入れば通常とは違う華やかさがあちらこちらに見受けられる。
受付を済まし通された会議室でまず引き合わされたのは品川真一の上司である男だが、特にこれといった情報は持っていなかった。品川は部下の受けもよく、問題を起こすようなタイプではなかったらしい。
だが同僚から話しを聞けば不倫していたという話しが複数名から聞くことができた。その中で名前が上がったのが渋澤涼子の名前だった。その渋澤涼子の名前は既に前に回った太田商事で聞いている。前山と過去に付き合っていたという女の名前だった。
そのため前山の名前を出せばその中でも数人は前山の名前を知っていた。何でも別れた当時は会社前で待ち伏せたりして、それを庇ったのが品川真一だったらしい。そこから不倫が始まったらしいが渋澤涼子から不倫していたと直接聞いた人間はいなかった。
そしてその渋澤涼子は一ヶ月ほど前に退職しているらしく、品川と別れたのではないかというのが周りの見解だった。
思わぬ情報に喜々ととしたまま渋澤涼子宅を訪ねれば、見知った顔で驚くことになった。
「この間新宿でお会いした刑事さんですよね?」
目が合った途端に声を掛け微笑まれると、他三人からの視線が突き刺さった。

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