病院前で一応の礼儀として、父親直通の電話に連絡を入れ繭子の頭部が見つかったことを伝えた。だが、自分と同じように父親はこれといった感慨も持っていないようだった。
だが、警察の介入は望んでいないらしく、経緯を説明し依頼された場所に隠されていることを伝えれば、円城寺家の人間を向かわせることを言われた。
恐らく、このまま繭子の件についてはお蔵入りになるのだろう。円城寺の力を使えば、それは簡単なことでもあった。
納得はしていないし気も晴れない。だが、もう既に自分の手を離れてしまった。
「岸谷君の怪我についても、うちが全て支払う」
「あいつの件までお蔵入りさせるつもりですか?」
「下手をすれば繭子の件も明るみになる。犯人も見つかっていないんだ。それでいいだろ」
父が頑に繭子のことを隠そうとするのは、繭子が円城寺の血筋の人間ではないからだ。そういう意味では自分も繭子と同じで円城寺家の血筋の人間ではない。
繭子と自分は、父親とは血が繋がっているが母親とは血縁関係にない。父親が外で作った子どもだった。
ただ、繭子が生まれた時に母親が亡くなり、父が特別養子縁組をしたために戸籍上は自分も繭子も実子となっている。
それは円城寺家のスキャンダルでもあり、外部に漏らせることではない。それくらいのことは自分でも弁えている。だが、今回の被害者はトオルで、しかも証拠はこちらの手にある。
「犯人はわかってます。兄の側近の尾崎です」
トオルが命がけで撮った写真に写っていたのは、兄の側近である尾崎だった。だが、その裏側には間違いなく兄がいる。
「善処する」
それだけ言うと、父との電話は切れた。どういう手を使うのかは知らないが、恐らく正当な手ではないだろう。
少なくとも、忠実な僕である尾崎が兄の命令なく単独で動くとは考えがたい。だが、兄を助けるためだったら尾崎は犯人として快く名乗り出るのだろう。
尾崎は住み込みで働く家政婦の息子だった。だから、物心ついた時には屋敷の離れに住んでいたし、自分も幾度と顔を合わせていた。
兄と尾崎の間に何があるのかは知らない。ただ、尾崎は兄に命を預けているといっても過言じゃない。
忌々しい気分のままに病院に戻れば、トオルの手術はまだ終わっていなかった。手術室前の椅子で一人腰を下ろすと膝に肘を置き、手の甲に額を乗せた。
もしかしたら、兄は尾崎に命令などしていないのかもしれない。ただ、兄は昔から思い通りに人を動かせる人間だった。
遠回しに円城寺系列の会社に入るなと言われ、結局、自分もJOATを立ち上げている。兄が邪魔だとぼやけば、尾崎は単独で動いた可能性もある。
だが、尾崎が単独で動いたとしても、兄はわかっていた筈だ。自分の言動で相手がどういう行動を取るのか分かっている人間なのだから。
恐らく安住が出会ったのも、トオルがパーティーで出会った新という男もどちらも尾崎だ。そして偽名として使った新は「sin=罪」を表してるのだろう。
円城寺の血族ではない自分と繭子を尾崎は酷く冷めた目で見ていた。それは兄の邪魔となるべき存在だったからなのだろう。罪の証である血族外の人間、それに対する当てつけが多分に含まれていたに違いない。
そしてトオルが狙われた理由は、間違いなくあの技術だろう。下手をすればどんな情報でも引き出せるトオルの技術は兄にとって脅威だったに違いない。
そんなトオルが自分の側にいることは、兄にとって面白くなかったのだろう。今回は情報分断の意図もあっただろうが、どちらかといえば自分の側にトオルがいたからトオルは狙われたのだろう。
トオルは自分の知ったことを必要以上には漏らさないが、それを知っているのは側にいた自分くらいのものだ。普通であれば情報が共有化されていると考えるに違いない。
そこまで考えると、やはりトオルを巻き込んでしまったことに気持ちが滅入る。決して、トオルを巻き込みたかった訳ではない。
ただ単にトオルとはウマが合って、意気投合した故のJOATの創設だった。安易に考えてい当時の自分を殴り飛ばしたい衝撃に駆られる。
既にトオルが手術室に入ってから三時間が回ろうとしている。だが、扉が開く様子はない。
不意に廊下に騒がしい足音が響き、二人の女性がやってきた。それがトオルの血縁者だということは、その顔を見ただけでもわかった。
挨拶を交わし現時点でトオルの状況が分からないことを伝えれば、母親は泣き出し、そんな母親を抱えた姉も涙ぐみながら母親を支える。
そこには、家族を大切にしている愛情があった。
大学時代からトオルには家族の影があった。時折掛かってくる電話、トオルの家に届く家族からの荷物。それは大切にしている者の気持ちがこもっていた。
仕事で今回は巻き込んでしまったことを謝罪したが、仕方ないと言われたものの、それは酷く固い声で拒絶含みのものだった。
居心地の悪い空気が漂ったものの、自分もその場を離れることもできない。そこからさらに二時間を経て、ようやく手術室の扉が開いた。
出てきた医師は今晩が峠であること、そして無事意識を取り戻したとしても何らかの障害が残る可能性があることを伝えると足早に立ち去ってしまう。
泣き崩れる母親と姉をただ見ていることしかできなかった。言うべき言葉も見つからないまま立ち尽くしていれば、看護士がやってきて入院の手続きなどのお願いをされる。
勿論、今回は仕事中のことだし、何よりも円城寺としての責任もある。呆然としている二人を残し諸々の手続きを終えると病院を出た。
どちらにしても、完全看護の病院にはいられないし、家族が来ている以上、その場に留まることは出来なかった。
兄に敵うとは思えないし、反旗を翻したこともない。基本的に円城寺において自分は事なかれ主義だ。
だが、自分や周りに害意があるというのは黙っていられない。
今、兄がどこにいるかは知らない。ただ、何かあった時のために手に入れていた直通番号へと電話を掛けた。
「もしもし」
「浩輔です」
「あぁ、この電話に連絡してくるなんて何かあったのか?」
わざとらしいくらいの軽々しい口調に舌打ちしたい気分になる。だが、それをしたところで状況が変わる訳でもない。
「直接会ってお話したいのですが、いつが空いてますか?」
「急ぎなのか?」
「えぇ」
それに対して兄は少し間を置いた。恐らく、兄はいまどういう状況なのか全てわかっているのだろう。その上でどうすれば得策なのか計算しているに違いない。
「わかった。今晩はどうだ」
兄の言葉に了承の意を伝え、都心のホテルで兄と会うことになった。可愛い弟の頼みだなどと言っていたが、全くそんなことを思っていないことはお互いに知っている。
それでも兄がそれを口にしたのは、近くに誰か他人がいるからなのだろう。白々しすぎて笑ってしまいそうになるが、口元を歪めるに留まった。
兄とは十以上の年が離れている。狡猾さではとても敵わない。それでも、会って今回の件を問い詰めるつもりでもあった。
電話を切れば、今度は逆に西垣から電話が掛かってきた。
凄い剣幕だったが、聞けば今回の操作が上の圧力で行われないことになったとの話しだった。恐らく父が早急に動いたのだろう。早急すぎてこちらの立場など何も考えていないらしい。
だが、自分としては西垣に何も言える立場にない。
「言いたくはないがお前さんの家の関係か?」
無言は肯定でもあった。そして電話向こうで西垣は盛大な溜息をついた。
「いいか、円城寺が何を隠そうとしているのかはわからない。ただ、犯罪者を抱え込むような家はいずれ滅びる」
一層のこと滅びてしまえとも思ったが、それを西垣に言っても仕方ない。ただ、西垣の言葉は一つの光明でもあった。
円城寺一族というのは財閥から血筋でもある。その歴史は長く、これから先もずっと続いていくものだとばかり思っていた。いや、思い込まされていたのかもしれない。
いずれ形あるものは滅びる。
ずっと円城寺の影に隠れて生きて行かなければならないと思っていたが、直系である円城寺が滅びれば一族という形は崩れる可能性もある。
そうなれば、何も影で生きて行く必要もない。父の言葉に従わなければならないこともなくなるし、兄に怯える必要もない。
そもそも、自分の周りに害する円城寺というのは、本当に自分にとって必要なものなのか、それを考える転機にはなった。
「お言葉、有難うございます」
「おい」
「失礼します」
西垣がまだ何か言っていたが、それ以上聞くことなく電話を切った。
円城寺家が滅びれば、恐らく経済が傾くだろう。だが、自分の生を脅かされる生活より経済が傾くことなどずっと遠い出来事だ。
全てをなくすかもしれない。だが、それは自分の力で手に入れたものではない。仕方なく与えられたものだ。
人間、犯罪者でなくとも悪どくなれるものだ。達観するのではなく、食らいついて行かなければ意味がない。
円城寺という名前でトオルのように隠し立てされた事は幾つあるのだろう。恐らく一つ、二つという数ではないだろう。
スキャンダルという意味では自分の出生をバラせば、一時的に円城寺の名前を傷つけることはできるだろう。だが、一時的では意味がない。
壊すなら全てを――――。
ただ、そう出来るだけのモノをまだ自分は持っていない。いずれ円城寺が隠し立てしたもの全てを暴くために、そして自分の生を守るために、何をするべきなのか初めて考え始めてた。