JOAT Chapter.VII:探すべきもの Act.04

約束の二十二時になり指定されたホテルに向かえば、既にラウンジで兄はコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
「お待たせしました」
「いや、待ってないよ」
そう言ってにっこり笑う顔は営業向きの顔で、それが素の顔でないことは知っている。
「父から聞いたよ。岸谷君の状態はどうだい?」
一体、兄がどういうつもりで問いかけてきたのかは読めない。だが、こちらの不快感を知らせるつもりもない。
兄に会うまでの間どうすれば円城寺を覆せるのか考えたが、現時点ではこちらの手駒が少なすぎてどうにもならなかった。
だから、今はどれだけ不愉快でも兄の出方を待つしかない。
「今晩が峠だそうです」
「そう……そうだ、繭子の遺体が見つかったそうだね。良かったよ」
全然良かったなどと思っていないだろう笑顔で言われたが、これに関しては自分も正直どうでも良かった。
全く感慨がないと言えば嘘になるが、既に自分の中では頭部が見つかった時点で全てが終わっていた。
勿論、罪悪感の全てが消え去ったのかどうかは、眠ってみなければわからない。
「そうですね」
「それで、僕に何の話しがあるんだい浩輔は」
どうやら出方を伺っていたのは自分だけではなかったらしい。
「岸谷の事件についてです」
「うん、それが僕にどう関係があるんだい?」
「尾崎さんから何も聞いてませんか?」
「さぁ、どうだったかな」
相変わらず笑顔で、その感情は読ませない。そういう意味では、トオルもヘラヘラしてるタイプだが不快感を覚えたことはない。感情が見えないところに不快感を覚えるのかもしれない。
自分も感情が表に出るタイプではないので、兄も同じくらいの不快感を覚えているに違いない。
「父から聞いてませんか? 証拠があるんです」
「そう……それなら今晩にでも尾崎は自首するだろうね」
兄と尾崎の付き合いは長い。少なくとも自分が知っている限り、物心ついた時には既に兄の側に尾崎はいた。
それなのに、いつでも切り捨てる様子を見せる兄の様子は話していても気分は悪い。
自分自身も罪悪に関して希薄だと思う。だが、兄はさらに希薄で果たして罪悪感など持ったことがあるのか疑うレベルだ。
「僕は円城寺系列の仕事に入るつもりはありません」
「昔から浩輔はそう言ってるよね。でも、人間はいつ考えが変わるかわからないだろ?」
「そうですね。でも、僕は円城寺系列に入るくらいなら出家した方がマシです」
一瞬、兄は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたが、すぐに笑い出す。その笑い方がまた態とらしくて気に障る。
「出家ねぇ。円城寺の人間が出家なんてしたら色々問題があるだろうね」
「そうでしょうね」
しれっと答えてみせれば、初めて兄は眉根を軽く寄せた。
普段であれば、そんなことしませんとか否定したに違いない。だが、これ以上兄に媚を売るつもりはない。
そういう姿勢を見せることは向かい風になることはわかっていても、自分の姿勢を見せることは必要だった。
「それくらい、自分にとって円城寺系列の会社というのは遠いものなんです」
「そう……」
恐らく、兄としては自分の考えを図っていることだろう。だが、全てを見せるつもりはない。
「今の仕事が楽しいので」
にっこりと笑顔で言い放てば、先程までの笑顔は兄の顔にない。
「……円城寺に逆らうつもりかい?」
「別にそんなつもりはありませんよ。ただ、僕は円城寺系列に興味がない。それだけのことです」
いずれ謀反を犯すかもしれない。ただ、それは今ではない。勿論、いずれトオルの敵も打つつもりだ。
この会話で、兄がトオルにちょっかいをかけたことはわかった。このタイミングだったのは警告ではなく、ただ単に兄の気紛れだったのだろう。
だが、その気紛れは自分の方向性を位置づけた。
「僕は円城寺とは関係ないところでやっていくつもりです。問題を起こすつもりもありませんし、放っておいて貰えると嬉しいですね」
「そう。まぁ、僕としては浩輔が元気でやっていてくれるなら何をしようと反対はしないよ」
手を出すなという警告はわかったらしい。にこやかな笑顔の裏で何を思っているのかは知らないが、しばらくは手を出してくることはないだろう。
だから、その間に自分は力をつけなければならない。恐らくリミットは祖父が亡くなるまでの間だ。
祖父が亡くなれば、円城寺は再び系列会社の再編を行うだろう。その時、自分の立ち位置は大きく変わる筈だ。
末っ子が何もしないというのは許されない。父は間違いなく円城寺としての立ち位置を強化するため、自分を否応なく呼び戻す筈だ。
系列会社に入れば、父が引退する時のことを兄は考えるだろう。その時までに必要な情報を手に入れていなければ兄に潰されるだけだ。
「それを聞いて安心しました」
お互いに笑顔だ。だが本人たちだけがその空々しさに気づいている。
「さてと、僕はそろそろ行くよ。明日も早いからね」
「えぇ、僕も失礼します」
お互いに席を立つと僕はホテルの出入口に、兄は地下駐車場に向かうためにその場で別れた。

* * *

目が覚めた時、そこにいたのは遠距離に住んでいる母親だった。
一体、自分がどこにいるのかわからずぼんやりしていれば、そんな俺に気づいた母親は涙ぐみながらナースコールのボタンを押した。
すぐに医師が飛んできて意識レベルの確認をされた後、再び眠りに落ちた。次に目が覚めた時には口元を覆う呼吸器は外され、姉が付き添っていた。
「姉さん、何でここに?」
「あんたが死にそうだったからに決まってるでしょ」
腹立たしげな口調だったが、その表情が口調を裏切る。心配だったのだと表情に出されてしまえば謝るしかない。
「ごめん……」
「もう、本当に辞めて。こんなのは二度とごめんよ」
「うん、本当にごめん。母さんが居た気がするんだけど」
「いるわよ。今はホテルに戻って貰ってる」
「そう……あのさ、円城寺、呼んでくれる?」
その問い掛けに姉は渋面を作ると、一拍置いてから口を開いた。
「ねぇ、一体何があったの?」
正直言うと、何があったのかはよく分からない。そもそも、あれからどれだけの日数が経ったのかも分からない。
「……仕事の内容は話せないよ。ごめん、今日、何月何日?」
「知らないわよ。徹が病院に運ばれてから八日目」
「そっか……」
それだけの日数が経っているのであれば、恐らくコウは一人で動いているだろう。もしかしたら、既に依頼を誘発した男の正体を突き止めているかもしれない。
「母さんねぇ、本当にあんたのこと心配してたのよ。いい年して親に心配かけない」
「うん、本当にごめん。母さんにもきちんと謝るよ」
「そうして。いまお医者さん呼ぶから」
そう言って姉が部屋を出て行ってから、コウへの連絡を忘れられたことに気づく。
早くコウと連絡を取りどうなったのかその後を聞きたかったが、すぐに医者が現れ検査に次ぐ検査に追われコウと連絡取ることができない。
夕方になりようやく検査が終わると、姉に変わり母がやってきて医師の説明を聞くことになった。だが、繰り返す検査の時点で問題が起きていることは俺自身もわかっていた。
だから医師から脳のダメージからくる右手の握力が酷く弱っていること、右手指先が上手く動かせないこと、右足のしびれが後遺症の麻痺であることを説明された。
どうやらぼんやりとしていたツケは思っていた以上に大きなものだった。
リハビリすれば治る可能性も示唆されたが、時間が掛かり長い期間リハビリが必要だと説明され、挙げ句の果てに治らない公算が高いと言われてさすがに頭が真っ白になった。
呆然としたまま病室に戻り自分の右手を見つめる。ゆっくりと右手を握りしめてみる。だが、どれだけ力を入れても手は開かなかったし握りしめることもできなかった。
「マジかよ……」
ぽつりと呟いた俺の声に母親の嗚咽が聞こえる。結果を聞いた母から連絡があったのか、姉も再び病室に戻って来ていた。
「一週間後に退院できるみたいだけど、今までのように一人暮らしは無理よ」
「分かってるよ!」
分かりきっていることを言葉にされて、苛立たしさに怒鳴りつけてしまってからそれが八つ当たりだと気づく。
「……ごめん」
「いいわよ、別に。それよりも、徹はこれからのことを考えなくちゃいけない。それは分かるわよね」
「あぁ、分かってる。……なぁ、円城寺を呼んでくれ」
途端に嗚咽を漏らすばかりだった母が豹変した。
「何言ってるの! 原因はあの子なんでしょ! 連絡取るなんて必要ないじゃない!」
母親が怒る姿は何度も見てきた。けれども、今まで見てきた怒りなど比ではないくらいの激昂ぶりに度肝を抜かれた。
思わず助けを求めて姉に視線を向ければ、苦々しげな顔をした姉にも視線を反らされた。そこで、ようやく意図して円城寺に連絡を入れてくれなかったことがわかる。
「あのさぁ、ヘマしたのは俺自身のせいでコウのせいじゃないからな。むしろ、俺がここにいるってことはコウが頑張ってくれたお陰で」
「そういうことを言ってるんじゃないの! そもそも、あの子と一緒に会社なんて初めてなければ、こんなことにならなかったのかもしれないじゃない!」
「いやいや、一緒にやるって決めたのは俺だよ? 何でコウが悪いことになるんだよ」
「でも、一緒残るかもしれない後遺症を負ったのかもしれないのよ?」
「それは俺がぼんやりしてたせいで」
「殺されそうになったのに、何で警察すら取り合ってくれないのよ! 全部あの子のせいに決まってるじゃない」
円城寺の名前は有名だ。手広く商売をしているし、地方でも円城寺の名前を知らない人間は少ない筈だ。
それだけ大きな円城寺の息子であるコウが警察に手を回したと考えているのだろう。でも、俺の知っているコウは、円城寺の力を借りるとは思えない。
恐らく何らかの形で円城寺から横やりが入ったのだろう。だが、それを母親に説明してもこれだけ取り乱していては聞き入れて貰えるとは思えない。
「姉さん」
「徹の部屋は一週間以内に契約解除を申し出る。勿論、円城寺さんにも退職願を提出しておくから」
「勝手なことするなよ!」
「だったら、そんな状態であんたに何が出来るのよ!」
怒鳴り返されて、今の状態を思いだす。確かにこの状態でJOATに戻ったところで足手まといになるばかりだ。
「……ごめん」
現状を突きつけた姉はすぐに謝罪してきたが、いま気にするべきところはそこじゃない。
俺はどうして病院に運ばれることになったのか、そしてコウは円城寺家とどうなったのか本人から話しを聞きたい。いや、俺には聞く権利があるだろう。
「でも、仕事は仕事だ。きちんと報告は必要だし、俺自身も聞く必要がある。姉さんなら分かるだろ?」
母は学校を出てすぐに父と結婚したため仕事の経験がない。だが、結婚前まで仕事をしている姉ならわかってくれる筈だ。
だが、姉は号泣する母を連れて、それ以上は何も言わずに病室を出て行った。恐らく、姉もこれ以上気が高ぶって暴言を吐きたくなかったに違いない。
病室に一人取り残された俺としては、もう溜息をつくしかない。姉も母もあの状態ではコウに繋ぎをつけることは難しい。
だとすれば頼みの綱は父だが、ここにいない以上、父に頼むこともできない。
八方塞がりの状態で、尚かつ自分の身体のことを考えれば気が滅入る。身体が動かない以上、何もできない。
鬱蒼とした気分でいれば、三十分程して病室にノックの音が響く。返事をすれば入ってきたのはコウだった。どうやら姉はきちんとコウに連絡をしてくれたらしい。
やけに神妙な顔をしたコウに対して、俺は殊更笑みを浮かべた。
「お! 久しぶりだな」
軽い挨拶に少しだけ驚いた顔をしたコウは、次の瞬間、珍しくホッとした顔を見せた。
「話せるのか」
「あぁ、別に口は動かない訳じゃないからな。色々聞きたいこともあるんだ」
「すまないが、時間がないから完結に説明する」
ちらりと時計に視線をやったコウは本当に時間がないのだろう。淡々と俺が見つかった状況、コウの兄が絡んできたこと、そしてコウが探していた妹の遺体が見つかったことを教えてくれた。
「俺が襲われた件で警察が手を引いたって聞いたけど」
「正確に言えば、兄の側近が逮捕された。だが、円城寺が圧力を掛けて、実行犯の側近を差し出すことで捜査を打ち切り、発表しないことで手打ちにしたらしい」
「円城寺様々だな」
「本当にふざけたことしてると思う」
どうやら、俺が思っている以上にコウは腹を立てていらしい。まぁ、円城寺に関わる人間が逮捕されたのであれば、表に出ることはないだろう。そんなことは俺にでもわかった。それくらい円城寺家というのは強大だ。
「……すまない」
「別にコウが謝る必要はないからな」
「……裏で手を引いていたのは兄なんだ。血の繋がらない」
一瞬、聞き間違えたのかと思った。だが、コウの表情を見ればそれが嘘だとは思えない。
「えっと……?」
「俺の母親は円城寺一族じゃない。知らなかったのか?」
「いや、言われてないし」
「トオルのことだから、それくらいのことは調べているのかと思った」
その言葉にさすがにムッとして口端を下げる。
「俺は必要以上のことを調べたりしないよ」
「違う、すまない。そういうことじゃなくて……いや、そういうことなのか。てっきり、トオルは僕のことまで調べてJOATの立ち上げに協力したのかと思っていた」
「別に面白そうだから乗っただけだよ。別にコウがどういう生まれとか興味ないし」
「そうだな……トオルはそういう奴だったことを思いだした」
口元を緩めるコウに俺の口元も緩む。お互いに必要以上のことは干渉しない。それがお互いの間にあるルールだ。
「ちぇっ、俺って信用ないなぁ」
「信用してる。あぁ、そろそろ時間だ」
「次の仕事か?」
「いや、お前の姉君と約束していたんだ。お前の母親と鉢合わせすると、今は何をしでかすか分からないから十四時には出て行って欲しいと言われている」
確かにあの状態の母と会えば、コウに向かってどんな暴言を吐くかわからない。
「気遣わせて悪い。あぁ、そうだ、姉から聞いたか? 俺の状況」
「……あぁ」
「しばらくはリハビリに明け暮れることになるだろうし、実家に戻ることになる」
「本当にすまない」
「だから、別に謝罪されたい訳じゃないから。そうじゃなくてさ、コウは一人になってもJOATを続けるのか?」
「当たり前だ。もう依頼も受けてる」
基本的にコウは一人でもやっていける。それは知っていた。でも、こうして口にされると寂しいものがある。少なくとも、俺がいなくてもJOATは成り立つ。
「そっか……頑張れよ」
「……あぁ」
その言葉を最後に俺たちは別れた。辞めるとは言わなかった。けれども、コウに伝わっていることを知っている。それくらいの付き合いの長さはあった。
コウが出て行った後、一人病室の中で俺は振り上げた右手をサイドボードに叩き付けた。けれども、その右手から痛みが伝わってくることはなかった。

Post navigation