JOAT Chapter.I:蝶の羽はもがれる Act.01

お決まりの場所でディナー、そのままホテルか自宅。毎度同じ行動しか取れないことに内心イラつきながらも、そんな感情は微塵も感じさせない笑みを浮かべた。
「今日のご飯は余り美味しくなかった?」
そう言って問い掛けてくる男は頭髪も薄く体格もいい。勿論、その体格の良さは筋肉という訳でもない。ただ、お金だけは持っているから笑顔くらい余裕で浮かべられる。
「美味しかったけど……ごめんなさい」
僅かに俯いて申し訳なさそうな顔を作ってみせる。そして、この顔にこの男、敷島が弱いことを知っている。
「そんな顔をさせたい訳じゃないんだ。ただ、余り食べていないみたいだったから心配になって」
当たり前だ。あんなカロリーの高いものを毎回食べていたら身体の線を維持できなくなる。あの店のコースはカロリーが半端なく高い。
敷島はもう少し太らせたいとおもっているらしいが、この体型を維持するのにどれだけ苦労しているのかわかっていない。
今が一番男の目に映える体型だとわかっているだけに、これ以上太りたくもないし痩せたくもない。本当に馬鹿な男だ。
「色々考えることがあって、少し体調が悪いだけなの。病院には行ってるから大丈夫」
「そう、良かった」
あくまでこの「良かった」が、不興を買った訳じゃないという意味だとわかっている。
金持ちの二世だが、全てにおいて臆病で自信がない。でも、私はそういう男が一番好きだ。
「でも、体調が悪いなら難しいかな。できたら来週のパーティーに一緒に出て欲しかったんだけど」
この男の内輪向けパーティーなら何度か顔を出している。だから今回も同じようなものだと思っていたが、男が鞄から取り出した仰々しい招待状に内心眉をひそめた。
「うちの客先でやるパーティーなんだけど、女性がいないとちょっと格好がつかなくてね」
差し出された封筒を受け取れば、封筒には加工がされていてレースを浮き上がらせている。模様が指先に伝わってきて、それが安易なものではないとわかる。
封筒を開ければそこには結婚式さながらも招待状が入っていて、パーティーへの出席を促す文言が並ぶ。
場所が都内の一等地にある高級ホテルということは、やはり想像した通りそれなりの規模のパーティーだとわかる。
「できたら入る時だけでも一緒にいて貰えると嬉しいんだけど無理かな?」
気分よく持ち上げてくれて、周りから邪魔も入らないこの男との関係は良好だし面倒がなくて楽だ。でも、既に二千万近い金をこの男から引き出していることを考えるとそろそろ潮時だ。
この金額で引けば敷島は快く送り出してくれるタイプだ。でもこれ以上になれば、敷島自身が何も言わなくとも身内親族が黙っていないだろう。
それに下手に大きなパーティーに顔を出せば知った顔に会う可能性も高い。そこで過去の話題になれば面倒なことになる。
計算は瞬時に的確に。だからこそ、次の瞬間には幾通りか会話の予想をして言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい……」
しおらしく、悲しそうに見える顔を作って僅かに俯いた。
「いいんだよ! ごめん、僕が無茶を言ったから。体調が悪いなら仕方ないよ」
慌てる敷島に対して心の内でほくそ笑みながら更に申し訳なさそうな顔で見上げる。この顔で上目遣いは武器になると知っている。
途端に敷島が頬を染める。正直、気持ち悪いが奥手の男らしい反応に笑ってしまいそうになる。
「違うの……私、敷島さんに誘って貰えるような女じゃないの……」
縋るような演技は得意だ。子どもの時からほとんどの人間がこの顔に騙される。それこそ小気味が良いくらいに騙されてくれる。
物心がついた時、これが自分の武器になるんだと知った。
「そんなことはないよ。僕の方が小鳩ちゃんとは釣り合わないくらいで……」
「敷島さんは本当に良い人よ。でも……」
口を開き掛けて逡巡する動作を見せて僅かに俯く。その一連の動作はお約束だ。
男の庇護欲を煽れるだけ煽る。勿論、こんなこと通用する相手にしかしない。誰にでも通用する訳じゃない。
「はっきり言ってくれていいよ」
優しい男だと思う。でも、それだけの男でしかない。むしろ、金を引き出すATMでしかない。
「……気になる人ができたの」
小さく声を震わせながら伝えれば、肩に置いた敷島の手が微かに震えた。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい。敷島さんには本当によくして貰って、私、何も恩返しできてないのに……」
涙を滲ませて敷島を見上げれば、苦いモノを呑み込んだような顔をした敷島と視線が合う。けれども、敷島はすぐにその顔を取り繕うように笑う。
穏やかで優しい笑みだと人は言うが、私の心に響くものは何もない。そもそも、草食系の男は私の好みじゃない。
「いいんだよ、わかっていたことだから。小鳩は綺麗だから僕で満足できるとは思っていなかった。分かってたんだ……」
それは自分に言い聞かせるような響きがあって、本当に楽な男だと思う。自信のない自己完結型は面倒になることもあるけど、それなりの地位があると縋るのにもプライドが邪魔する。
下らないと思うけど、楽をさせて貰っているから文句はない。
「本当にごめんなさい……」
「いいんだよ。彼とはいつ知り合ったんだい?」
「大学のOB会で……でも、まだそんなに話したこともなくて」
「でも、好きなんだね」
敷島の言葉に自信がなく、申し訳なく、そんな感情を込めた表情でおずおずと頷いた。勿論、涙を流すことも忘れない。
「もしかして、体調不良の原因はそのせいかな?」
「そんなこと……」
「小鳩は繊細だからね。いいよ、僕は小鳩が幸せになれるならそれでいいよ。でも一つだけお願いがあるんだ」
基本的に敷島がお願いすることは数少ない。言葉で持ち上げ、金を貢ぎ、物を貢ぐ、それで繋ぎ止めることに満足する男だ。だから、改めて口にされるのは非常に珍しい。
「その彼をこのパーティーに連れてくることはできるかい?」
「それは……」
「でも、僕も多忙でこの日しか時間が空けられそうにない。小鳩が選んだ相手がどんな相手か知りたいんだ。小鳩を本当に大切にしてくれる相手なのか、それだけ見たいんだ。僕はそれで諦めるよ。勿論、小鳩の邪魔になるようなことはしない」
ここで断ることも可能だ。ただ、可哀相な男の最後の願いだと思えば少しくらい譲歩してもいい気分になった。
敷島はATMとしては充分役立つ男だったし、間違いなくこれまでのパターンから考えれば追いすがるタイプでもない。
何より恋人だけど十離れた敷島は過保護でもあり、時折親のような態度で接することがあることを知っている。恐らく、今回の申し出もそんな過保護からくるものだろう。
「……誘えるかどうかわからないけど、それでもよかったら」
途端にホッとした顔を見せ、それから敷島の手が私の肩を撫でる。そこに性的なものは何もない。恐らく敷島の保護欲のスイッチが入ったのだろう。
本当に馬鹿だと思う。セックスもしない女に二千万も払える男の気持ちは到底理解できない。でも、こういう適度に保護欲を持った男ほど楽でいい。
勿論、保護欲がありすぎる男は束縛するので面倒だからごめんだ。
「いいよ。もし誘えるなら連れておいで。でも、余り酷い男だったら文句の一つくらい言わせて貰うかもしれない」
恐らく気の小さい敷島が他の男に文句をつけられるとは思えないが、その言葉に小さく頷いた。
「心配かけてしまってごめんなさい……本当にありがとう……」
声を震わせながらお礼を言えば、敷島が買ってくれたブランドワンピースに涙が落ちる。そして頬を流れる涙を敷島が指先で拭う。
ある程度涙が収まったところで、敷島は車の鍵を取り出した。
「送っていくよ」
「ごめんなさい……」
「いいんだよ。僕は小鳩が幸せになれるならそれでいいんだ。本当に……」
キスの一つもせずに敷島の家を出ると、敷島は車で家の近くまで送ってくれた。勿論、敷島が車から降りてくることはない。
「小鳩、幸せになれるといいね」
「……本当にごめんなさい」
「いいんだよ。そんな顔をされたら僕は心配でいつまでも帰れないよ」
ハンカチで口元を抑えグズグズと鼻を鳴らす私に敷島は優しい声をかけてくる。
害のない男だし、金はあるからすぐに次の女を見つけられるに違いない。むしろ虎視眈々と狙っている女は沢山いるに違いない。
だが、私はこの男と結婚なんてまっぴらごめんだ。
「……ありがとう」
お礼と共に微かに笑って見せれば、敷島が安心したように笑みを浮かべた。そして、次の瞬間、慌てたようにポケットから封筒を取り出した。
「これがあれば二人で入れる筈だから」
「もし、誘えなかったら……」
「できたらいずれ会わせて貰えたらいいな、と思ってる」
敷島は男を紹介したところで何もできない。でも、会わないとふんぎりがつかない、というのもあるのだろう。だからこそ約束はする。
「えぇ、それは必ず」
パーティーの当日までに敷島が納得するような見栄えのいい男を見つけて、少し金を渡してエスコートをさせるだけだ。
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい。送ってくれてありがとう」
「うん」
僅かに見つめ合った後、名残惜しそうな顔で敷島は車を走らせ、私はその車が見えなくなるまで見送った。
そして疲労度の高いため息を零すと、敷島と歩いている時とは違うスピードで歩き出す。目指すのは大通りだ。
一応、ここにも安アパートを借りてあるが、それは仮の姿でしかない。大通りでタクシーを拾うと、再び数千円掛けて都心に戻ると自宅マンションの前でタクシーを止めた。
セキュリティーの完備されたマンションは私の城だ。駅から徒歩三分、月九十万の家賃は伊達ではなく、二段階のセキュリティーを経て部屋のキーを開ける。
疲れ切った私を迎えてくれたのは猫のアトムだ。毛足の長いアトムはふわふわの尻尾を揺らしながら私の足にまとわりつく。
「こら、アトム。ちょっと待って」
甘えるアトムの姿に自然と笑みが零れ、スーツに毛がつくのも気にせず抱き上げた。
「まったく甘えん坊なんだから」
アトムといると自然と笑顔になれる。モノトーンで整えられた部屋の中で、唯一アトムと私だけが例外だ。
廊下からリビングに入ると黒いソファにアトムを降ろし、鞄の中からアトム用のお菓子を取り出す。喉を鳴らして甘えてくるアトムに与えると、頭を撫でてから洗面所に向かった。
肌の手入れをしてワンピースから部屋着に着替えると、おやつを食べて満足しているアトムの頭を撫でる。そして先ほどテーブルの上に放った招待状を手に取った。
敷島という男は基本的に自分に自信がない。何よりも自信がないのは自分の容姿だ。
だとすれば、敷島が引くタイプはそれなりに容姿の整った男ということになる。勿論、知り合いにそれなりに容姿の整った男はいるが、それなりのパーティーに連れて行くには気品が足りない。
「やっぱり、街で見つけるしかないか……面倒ね」
一人ぼやきながらため息をついた。
少なくともあのパーティーに見合うだけの上品で容姿の整った男となると、それなりに金を払わなければ見つけられないだろう。
面倒ではあるが、ここで手を抜けばさらに面倒なことになるのは目に見えている。
パーティーはスルーして敷島と会う時間を改めて作ることも考えたが、それだと話す時間が多くなってお互いにボロを出す可能性が高くなる。
正直、パーティーに顔を出すのは気が進まないが、短時間で引けてしまえば問題にはならないだろう。
少し悩んだ末に、ソファ脇のラックからノートパソコンを取り出すと電源を入れた。

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