Chapter.I:Presto Act.06

「降りろ」

端的な声に緊張した面持ちのまま悠はゆっくりと車のドアを開けた。腕を掴まれると、力づくで車へと押さえつけられた。

「そっちはどうだ」
「意識失ってるな。どうする?」
「そりゃあ、連れて来いって言われてるんだから連れて行くしかないだろ。それよりも、こっちをどうする」
「女子高生ブランドあるからな。一応、連れて行け」

その一声で、近くにいた男が悠の腕をきつく掴む。その強さに少しだけ顔を歪めてから、相手の腕を掴む男を睨みつけた。

「痛いんだけど」
「大人しくついてくれば、優しくしてあげるよ~」

からかい含みの声に、一緒に男たちがゲラゲラと品なく笑う。その中でただ一人、笑わない男は先程指示した奴だ。あれがこの中のリーダー格であるに違いない。

素手ならこいつらなぎ倒して逃げることもできる。けれども拳銃を持っていること、そして伊丹を置いていくこともできない。

腕を掴む男に促されるまま、男たちが乗ってきた車へと乗り込んだ。伊丹はもう一台の車へ乗せられていたが、扉が閉まるまで意識を失ったままだった。

隣に座るのはリーダー格の男。そして降りてこなかったけど、運転席に一人と助手席に一人。

この人数であれば、間違いなくやれる。そう思うけど、伊丹を放置することはできない。現時点で悠にできることもなく、諦めて小さく溜息をつくと背凭れに身体を預けた。

「随分、余裕あるな。お前、伊丹のこれか?」

そう言って隣に座る男は無表情で小指を立てる。その指先を嫌そうな顔を隠すことなく眺めてから大きく溜息をついた。

「こういう状況だし、もし伊丹の女だったとしても認めると思えないけど?」

男は楽しげに喉で笑うと、懐からナイフを取り出した。鋭い目から感情の全てが消える。

「別にお前は連れてこいと言われてない。生意気なこと言ってると殺しても構わない」

頬にヒタリとナイフをあてられる。その冷たさと、男の驕りのない目に背筋がヒヤリとする。

「……黙ってます」
「そうしてろ。無駄に殺しはしたくない。死体の始末は色々と面倒だ」

それだけ言うと、男は手慣れた様子でナイフをスーツの内側へとしまった。恐らく、内ポケットにナイフの鞘があるのだろう。

驕りのないその目は、殺しなど全く厭わない、そういう眼だ。下手に動けば自分が危ない。それくらいの危機察知能力は悠にだってある。

窓の外に視線を向けたけど、見慣れない風景が流れていくだけで、目印になるようなものもない。土地勘がないことも手痛い。

正直、こんな流れになるとは考えてもいなかった。自分でも、さすがにこれはマズいということは分かっている。一層のこと、轟木自身が出てきてくれたら、文句の一つや二つや三つ、並べ立ててやりたい。

そこで悠は眉根を軽く寄せた。

それ以前に、果たしてこの男たちは轟木組の者なのか。それは不意に浮かんだ疑問だ。確かに澤村を追い掛けていたのは轟木だった。悠でも分かるくらいだから、より情報網の広い轟木であれば伊丹に辿り着くのは難しくない。

ヤクザだし、鉄砲玉と呼ばれる人たちがいるのだから、子飼いの殺し屋くらいいても不思議じゃない。でも、轟木という人物像とここにいる男たちがどうにも悠の中では結びつかない。

ゲームセンターで澤村と出会った時、轟木はあっさりと引いてみせた。まさに引き際を心得ている、という感じだ。

だが、今日のこいつらはあっさりと拳銃を向けてみせた。誰かの眼に映るのもおかまいなしという感じだ。

果たして、あの轟木がそんな迂闊な真似をさせるだろうか。日高から聞いた話しからも、かなり狡猾な男なのは分かる。

だったら、ここにいるこいつらは一体何だ。轟木組の他に、別組織が動いている、ということなのかもしれない。

せめて日高に連絡を取りたいところだけど、迂闊に動くには隣に座る男の視線が鋭すぎる。携帯なんか取り出した日には、あっさりと殺される、そんな恐怖感はヒシヒシと感じる。

無謀という自覚あっても、死にたい訳じゃない。だからこそ、ジリジリとした気分で座っていることしかできない。

こんなことになるなら、せめて日高には澤村のところへ行くことを伝えておくべきだった。でも、そんなことはいまさらだ。

しばらく車内に沈黙が落ち、三十分ほどして車が停車する。先程とはまた違う倉庫街で停まった車から腕を掴まれ降ろされる。強い海風と共に潮の香りがする。

少しすると、もう一台車が止まり同じく腕を掴まれた伊丹が降りてきた。足元はフラフラしているけど意識は取り戻したらしい。

それだけ確認すると、悠は目の前に停まる黒塗りの車へと視線を向けた。明らかに悠や伊丹が乗せられていた車とは格が違う車を、悠は身じろぎせず見据えた。

そんな悠の目の前で黒塗りの車から一人の男が降りてきた。年の頃は四十後半。少なくとも、轟木や壱哉、そして日高よりも一回りは上に見えた。

途端に周りにいた男たちが頭を一斉に下げる。一層のこと、このタイミングで暴れてやろうかと思ったりもしたが、両腕を痛いくらいに掴まれていては身動きも取れない。

「このガキは何だ」
「伊丹と一緒にいました」
「伊丹の女か?」

唇の端を上げてニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる男に、悠は不快感を隠すことなく睨みつけた。

「薬回して歩くような男なんてご冗談。そんな男はこっちから願い下げ」

途端ににやけた顔から笑みが消えた。振り上げた手がそのまま勢いよく振り下ろされる。頬を張られる痛みに顔を顰めるけど、少しだけぶれた視界で男から視線を外すことなく睨みつける。

衝撃もあった、痛みもある。でも、こんなものは大したことじゃない。

鋭い視線は轟木と同じもので、上に立つ人間の傲慢さが滲み出ている。そして、独特の空気からしてヤクザに違いない。嫌いなものは、どうやったって嫌いだ。

「女子どもに手を挙げるなんて、肝っ玉小さい男ね」
「そうだな、彼女の言う通りだ」

背後から聞き慣れた声がして、振り返れば日高が立っていた。その日高はいつも以上に真面目な顔をして胸元から取り出した物を全員に見えるように開く。それが警察手帳であることは一目瞭然だ。

「略取、傷害罪、他に余罪はありますか?」
「こいつら銃持ってる」
「銃刀法違反も加わりビンゴ成立になりますが、どうしますか? 鳳さん」
「日高……貴様……」

どうやらお互いに知った顔、ということらしい。ピンと張りつめた空気から、どうみても仲良しという訳じゃないことは分かる。

「彼女を離して下さい」
「私だけじゃダメ! あいつ、伊丹も!」
「悠ちゃん?」
「澤村に薬横流ししてたの、あいつ!」

勿論、腕を拘束されている悠が指をさせる筈もない。けれども、視線の先にいる伊丹に日高も気づいたらしい。

「それじゃあ、彼も離して下さい」

へらりと笑み崩れた日高に、相対する男の顔が引き攣る。

「……そう言って離すと思うのか? 相手はお前一人だというのに」

その声と同時に、一斉に日高へと銃口が向けられる。けれども、日高はいつものへらりとした顔をするだけだ。

「日高さん!」

慌てて呼びかけた悠に日高は、やっぱり笑みを消す事はない。ただ、大丈夫だと言わんばかりにヒラヒラと手を振っている。

「本当に俺がここへ手ぶらで来ると思います?」
「だがお仲間がいれば、ここへ一人で飛び込んでくる筈もない。他が来る前にお前を始末して、ここを立ち去ればいいだけの話しだ」

へらりとした笑みを浮かべたままではあったけど、日高の立場が悪いだろうことは悠にでも分かる。銃を構えているせいか、悠の腕を掴む男たちの力は先程よりも弱い。

短く一瞬で息を吸い込むと、腕を振り払うように身体を捻り屈み込むと、片足を軸にして足払いをかけた。予想しない攻撃だったのか、両サイドに立っていた男たちが地面へ這いつくばる。

倒れただけなので、しっかりと手刀を首の後ろに叩き込んでから次に銃を持つ男へと向かう。視界の端では日高が男三人相手に見事な立ち回りを見せている。

そんな日高との視界を遮るように、悠の横を黒い影が走り抜けた。一瞬、それが何か判断できずに足を止めれば、悠が叩き潰してやると思っていた男の一人が吹っ飛ばされるのが見えた。

そしてもう一人の男も蹴りを入れられて蹲っているところを、組んだ両手を勢いよく振り下ろされて地面に張りついた。

それは予想もしていなかった人物で、思わず悠は唖然としてしまう。

でも、こいつがここにいる、ということは。

勢いよく背後を振り返れば、そこには予想と違わず悠然と煙草を銜えた轟木が立っていた。

伊丹は既に力無く座り込んでいて、動く気配はない。一瞬の内に形勢逆転した状況に、鳳という男は呆然とした様子を見せる。いや、視線は轟木に釘付けで、ここに轟木がいることにこそ、呆然としているのかもしれない。

「さてと」

そんな呟きと共に銜えていた煙草を地面に落とした轟木は、しっかりと磨かれた靴底で火を揉み消す。それから、ゆっくりと鳳と視線を向けた。唇の端に笑みを浮かべた轟木には、鋭さのある凶悪な顔をしている。

笑っているけど、笑っていない。人を食ったようなその笑みに、自然と悠は息を飲み込んだ。ヤクザだと知っていた。けれども、悠が今まで見ていた轟木という男は、いつもニヤニヤと笑う変な男で、こうした鋭さを見たことは一度もない。

「いくら上納金を納めてるとは言っても、薬の取り扱いを許可した記憶はない。鳳、どういうことだ?」
「……さぁ、俺には何のことだか分からないが?」
「ほぉ、ここまできてしらばっくれるか。まぁ、それもいいだろう」

ザリッという音と共に轟木が一歩、また一歩と鳳に近づく。視線は二人に釘付けになっている中、唐突に空気が動いた。

構えるよりも早く首に腕が周りきつく締められる。

「くっ……」
「悠ちゃん!」

背の高い相手に首を締め上げられると、僅かに踵が浮く。自分の体重でさらに首が絞まり、薄い呼吸を繰り返すしかない。苦しさで滲む涙で視界が歪む。

「とりあえず、日高。お前はここで退場して貰おうか。じゃなければ、今すぐこのお嬢ちゃんの首をかっさばいてもいいが」
「それは無理な話しってもんでしょ。俺がいようといなかろうと、彼女の身の安全が保証された訳じゃない。それなのに、ここで退場できる筈もない」
「鳳、こっちの話しが終わっていないんだが?」

日高と鳳の会話に口を挟んだのは轟木だ。鋭い視線を向ける轟木に、日高は引き攣りつつも笑みを浮かべた。無理矢理浮かべた笑みは、それだけで余裕がないことが分かる。

「伊丹をあんたに渡す。元々、あの男が持ちかけてきたことだ」
「それだけで済むと? 確かにばらまいていたのはお前じゃないが、それをわざと見逃していたのは分かっている。どうおとしまえをつける?」
「それは……」

腕を回す男の視線は、完全に日高と鳳に向けられている。腕の力が揺るんだ訳じゃない。けれども、このまま日高の弱味になっている訳にもいかない。

引いた肘をそれよりも倍の早さで背後の立つ男に打ちつけた。小さく呻いて腕の緩んだ隙に、屈み込んで腕の中から抜け出すと、ナイフを持った手首を両手で掴み、膝蹴りする。

同時に髪を掴まれ勢いよく引かれた。痛みに顔を顰めながらも、手元から落ちかけたナイフを掴むと、勢いよく振り上げた。

途端に髪を引かれる痛みが消え、男との距離を僅かに開けると間髪入れずにバランスを失った男の鳩尾に蹴りを入れる。派手に転んだ男は頭を打ったのか、意識はない。

肩につくくらいあった髪はばっさり切れてしまったけど、後悔は全くない。細く息を吐き出し手にしていたナイフを地面に置くと、車の下へ潜り込ませるように蹴り込んだ。乾いた音を立ててコンクリの上を滑ったナイフは、悠の予想通り車の下で停まった。

それから、改めて意識を失った男との距離を取る。別に計った訳じゃないけど、隣には日高がいて小さく安堵の溜息が聞こえた。

それに重なるようにヒューという口笛が聞こえ、その主である轟木を睨みつける。けれども、睨まれた轟木は全く気にした様子もなく、ニヤけた笑いを浮かべている。それがたまらなく腹立たしい。

ふいと視線を外したと轟木は、続いて車の近くで腰を抜かして動けない伊丹へと視線を向けた。途端に伊丹は引き攣った顔を見せ、幾分離れた距離であっても震えているのが分かる。

数歩近付いた轟木は足元に落ちていた拳銃を拾い上げる。途端に辺りの空気が緊張に包まれる。手元でリボルバー拳銃の弾倉を確認してセットすると、安全装置を外した轟木は、迷うことなくその銃口を伊丹に向けた。

何かを考えた訳じゃない。ただ、思考よりも早く身体が動き出した。背後から日高が呼ぶ声が聞こえたけど、それを振り切るように駆け出すと、座り込んだ伊丹の前で庇うように身をさらす。

「悠ちゃん!」
「動くな。そのまま撃つぞ」

その言葉で駆け寄ろうとしていた日高の足が止まる。静かな緊迫した空気の中で最初に口を開いたのは轟木だ。

「……どういうつもりだ?」
「ここまできて冗談じゃない。あんたなんかに殺させない。伊丹は逮捕されて罪を償うべき」
「罪を償う、な。そして数年すれば、シャバに出てくる。そしてまた薬を売るかもしれない」
「そしたらまた捕まえればいい」
「捕まえる間にもヤクの被害が広がるとしてもか?」
「つっ……」

それを言われると、悠としては言い返す術がない。実際、伊丹がバラまいた薬のせいで苦しんでいる人がいるはずだ。それに拡散していたのは澤村ということを考えると、悠たちと同じ学生も多くいるに違いない。

勿論、手を出した人間が悪い。けれども、自分が子どもだから分かる。馬鹿だから、暴走することだってある。庇う気にはなれないけど、ただ興味本位で手を出すその心境が分からない訳じゃない。

だからこそ、そんな思考が暴走する子ども相手に、薬をさばくような大人は許せない。許せないけど、それよりもさらに許せないことがある。

向けられた銃口と、轟木の笑みを消した鋭い視線。その二つだけで背筋に冷たい汗が伝う。

「……それでも、人殺しを甘受できない」

お互いに睨み合うようにして長い時間が経つ。その中で誰もが動かない。フッと轟木の口元に笑みが浮かぶ。あいかわらず、ニヤリとした類いのもので、悠は眉根を寄せた。

「あいかわらず、お前はおかしな奴だな」
「別に普通のつもりだけど」

小さく溜息をつた轟木は手にしていた拳銃の安全装置を戻すと、それをスーツの内側へと納めた。それから悠に近付いてくると、膝をついた屈み込んで視線を合わせてくる。

「……なによ」

轟木の手が伸びてくる。その先にある予想すらしていない轟木の行為に悠は眼を見張る。

少しひんやりとした指先が悠の顎を掴む。そして重ねられた唇。歯列を割って入ってくる舌先の感触と、煙草独特の苦味に悠はギュッと眼を瞑った。

「んっ! んんんーっっ!!」

指なんかよりもずっと柔らかな感触に、悠は轟木と距離を取ろうと腕を突っ張ろうとする。けれども、思いのほか強い力で引き剥がすこともできない。

暴れた拍子に犬歯があたったのか、触れた時と同じくらいの勢いで轟木が距離を取る。唇に血が滲んでいて、轟木はそれを手の甲で拭った。

「女に噛み付かれたのは初めてだな」
「あ、当たり前でしょ! 普通しないし!」
「大抵の女は喜ぶんだがな」
「あんたの周りにいる女と一緒しないでよ!」
「何だ……俺の特別になりたいのか?」
「そんなことある訳ないでしょ! 頭腐ってるんじゃないの!?」

ヤクザ、よりによって超絶嫌いなヤクザにキスされるなんてありえない。現実として認めたくない。そして、目の前でニヤけた顔を見せる轟木を殴り飛ばしたいくらいには腹立たしい。

「若」

鳳の背後に立つ柿崎が控えめながら声を掛け、轟木は悠から視線を反らすとゆっくりと立ち上がった。そして、少し離れた場所にいる日高へと視線を向けた。

「随分、ご立腹のようだな」
「……当たり前だ」
「人でも殺しそうな顔をしている」

相変わらず人を食ったような笑みを浮かべる轟木に対し、日高の視線は鋭い。少なくとも、悠は一度だってそんな日高を見たことがない。轟木がいう、人を殺しそうな視線というのは、あながち間違えていない気がする。

「取引をしよう」
「残念ながら日本には司法取引は存在しませんが?」
「伊丹はこの威勢のいい女に免じてお前らにくれてやる。だが、鳳はこっちのものだ。悪い取引じゃないと思うが?」

口の端に笑みを浮かべた轟木と、刺し殺しそうな眼をした日高が見つめ合う。張りつめた空気を壊したのは日高の大きな溜息だ。

「少し待ってて下さい。上に確認取ります」
「日高さん!?」

携帯を取り出した日高は、悠に視線を向けることなくどこかへ電話を掛けて始めた。相手はすぐに出たらしく、小声で何か話している。残念ながら悠のところまで、その声が聞こえてくることはない。

けれども、取引に応じる姿勢を見せる日高に悠は愕然とした。日高は司法取引はないといった。だから突っぱねるものだと思っていたのに、そうしなかったことがショックだった。

そんな悠の顔を見て轟木が笑みを深くする。

「なんだ、警察が正義の味方じゃなくてショックか?」

答えない悠に、轟木はクツクツと喉で笑うと、再び悠の前に膝をついた。

「知ってるか? 白黒はっきりした奴ほど、白か黒にしかなれない。お前は数年後の未来、果たしてどちらに立っているんだろうな」

そういって悠の頬を撫でる。その手を叩き落として睨みつければ、轟木は再びクツクツと笑うと立ち上がった。タイミングよく電話が終わったらしい日高へ轟木は視線を向ける。

「どうだ?」
「了解が出ました」
「それなら、俺たちは鳳を貰って引き上げる。柿崎」

名前を呼ばれた柿崎は、鳳を後ろでに拘束すると、近くにいる部下たちに指示を出し、気を失っている鳳の部下たちを車に連れて行く。指示した柿崎自身も少し離れた場所にある車へ向かって歩き出す。

拘束された鳳の顔色は蒼白といってもいいくらいだったが、悠は同情する気にはなれない。

「またお前に会いにくる」
「もう二度と会いたくないから!」

素早く拒否したにも関わらず、轟木は気を悪くした様子もなく背を向ける。そして日高の横を通り過ぎる直前、日高は轟木の前に手を出した。

「なんだ」
「スーツにしまったものを返して下さい」
「めざといな」

別段、構えた様子もなく轟木はスーツの内側から拳銃を取り出すと、日高の手の上に置いた。

「この銃口を俺に向けるか? あれの前で」
「……」

問いかけに答えない日高に対して、轟木は再び喉で笑う。そして日高の耳元で何かを囁くと、そのまま通り過ぎる。勢いよく振り返った日高が、鋭い眼で轟木の背中を睨んでいる。

その間に遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。けれども、パトカーが到着するよりも早く、轟木が車へ乗り込んだ途端、黒塗りの車はその場から姿を消した。

最後まで日高は車が消えた方向を睨みつけていたが、一つ溜息をつくと悠へと顔を向けた。その顔にはいつものヘラリとした笑みが浮かんでいる。

「悠ちゃん、怪我は?」
「……別にない」
「でも、壱哉に怒られる覚悟はしておいた方がいいよ」

そう言って悠の前に立った日高は、悠の首筋に触れる。

「締められた痕が残ってる。悠ちゃんにも事情を聞かないとならないから、警察に同行して貰うけど」
「……分かってる」

これ以上関わるなと日高にはうるさいくらいに言われていた。だから悠としては酷くばつが悪い。

「俺は言ったよね。これ以上事件に首を突っ込むなって」
「……ごめん」
「過ぎたことだから仕方ないと思っている?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ、どういうつもり?」

続きそうな説教にすっかり肩を落とす。けれども、日高の背後で覆面パトカーが何台か停まったところで、日高はそれ以上声を掛けてくることなく、他の刑事たちと話し始めてしまった。

他の刑事が話し掛けてきて、悠もゆっくりと立ち上がる。背後にいる伊丹は顔面蒼白で、抱えられるようにしてパトカーに乗せられた。勿論、悠もパトカーへ促されて歩き出す。

けれども日高はそれ以上、悠に視線を向けようとすることはない。日高の怒りがいかほどか、それを想像するだけでげんなりした気分になる。恐らく家に帰れば、壱哉と日高の二人で間違いなくダブル説教に違いない。

そう考えることで、悠は轟木の言った「警察は正義の味方じゃない」、「白か黒にしかなれない」という言葉を無理矢理思考の端に追いやった。

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