Chapter.I:Presto Act.07

何事もしでかした後というのは面倒くさいものだったりする。

到着した警察署では、まず婦警さんに怪我の手当をされた。それから、刑事課の人間に懇々と説教され、続いて不機嫌な顔を隠そうともしない壱哉に静かに説教された。この静かにというのが、かなり地獄のようで、身の縮む思いを久しぶりにさせられた。

それから調書を取られて、淡々とどうしてあの場にいたのか説明した。裏付けを取るために再び澤村に連絡がいったらしいけど、呼び出されるということはなかったらしい。

理不尽に思いつつ、むくれていればやっぱり壱哉に怒られた。

けれども、刑事課を出る時、壱哉が色々な人たちに頭を下げる姿を見れば、さすがに怒っていられる筈もない。真剣に謝罪する壱哉を見ていれば、自分がどれだけのことをしたのか分かる。

とりわけ、壱哉が本気で申し訳なさそうに謝っていたのは日高の上司だ。白髪混じりの係長は苦笑いをしていたけど、壱哉の謝罪する姿から、本来であれば笑い事ではないことも分かる。

説教なんて面倒くさい。正直、そう思っていたし、自分がしたことが間違えていたとは思っていない。でも、自分の行動で迷惑が掛かった人たちが多くいる、ということは分かった。

刑事課から出たところで、隣にいる壱哉が大きく溜息をついた。その顔には疲れが滲んでいて、悠の口から素直な言葉が零れた。

「ごめん」
「……本気で反省しているならそれでいい」

基本的に壱哉は怒る時は怒るけど、一度怒ったらそれ以上引き摺るようなことはしない。けれども、今回はやりすぎたという自覚はある。喧嘩の仲裁とか、そういうものとは全く違う。

「これから気をつける」
「そうしてくれ。それから」

壱哉はスーツのポケットから財布を取り出すと、五千円札を一枚取り出して差し出してきた。

「何これ?」
「その髪をどうにかしてこい」
「あ……」

あの時はとっさだったけど、改めて頭の後ろに手を回してみれば、それなりの長さを保っていた髪はばっさりとなくなっている。

「あの……本当にごめん」

勢いよく頭を下げて謝れば、下げたままの頭を壱哉にポンポンと優しく撫でられた。

「悠の暴走癖はよく分かってる。迷惑掛けるなとは言わない。だが、怪我はするな」

それが叩かれて腫れた頬とか、ナイフでかすった傷のことを言っているのは分かる。そして、言葉数は少なくとも心配していることは分かる。

「今日、俺は夜勤だ。日高が家まで送ってくれる」
「別に一人で帰れるし」
「日高からも話しがあるそうだ」

さすがにそれはイヤだと断れない。少なくとも、あの時日高がいたから助かったところもある。

「……分かった」
「日高にもきちんと怒られてこい。あいつも悠を心配している」
「分かってるって」
「だったら、もっと優しくしてやれ」

日高との付き合いは長い。いつもヘラヘラしているけど、真剣な目で諭されたのは一度や二度じゃない。だから日高がヘラヘラ笑っていなければ、優しくはしたいと思っている。

ただ、あのヘラヘラした笑いを見ると腹が立つというか、殴り飛ばしたくなるというか……。

「善処する」
「そうしてくれ。それじゃあ、俺は仕事に戻る」

そこで壱哉と別れると、すでに見慣れた署内を後にした。建物を出たすぐ近くに、車に凭れ掛かる日高がいた。真剣な顔をして電話をするその日高にいつもの軽い雰囲気はない。

いつもそういう顔をしていたら、もっと話しやすい気がする。でもこんな顔を四六時中されていたら、日高に話し掛けることも無かったに違いない。

しかも、この間のように恐ろしく感情の抜け落ちた声で話し掛けられたら、多分近づくこともしない。

おちゃらけているのは、それが素なのか、それともふりなのか————。

そんなことを考えている間に電話が終わったのか、悠に気付いた日高がこちらを見てヒラリと手を振る。その顔はいつもと変わらないヘラリとした笑み。ある意味、あの笑みで感情の全てが隠されている気がする。

「悠ちゃん、待ってたよ」
「仕事忙しいなら自分で帰る。話しなら今ここで聞くけど」

悠の言葉に日高は少しだけ困ったように笑うと、辺りに視線を向けた。近くにいるのは立ち番の警官、そして慌ただしく出入りする刑事たち。それを見てから小さく肩を竦めた。

「車、乗ってくれると助かるかな」
「……分かった」

正直、これ以上のお説教は勘弁してほしい。けれども、礼を言わなければならない立場だし、日高が周りの目を気にしていることはその視線で分かる。

慣れた動作で助手席の扉を開けて乗り込めば、運転席に日高も座る。

「時間がないから車の中で話すけどいいかな」
「忙しいのは分かってる。なに?」
「単刀直入に聞くけど、悠ちゃんと轟木の繋がりって一体どういうもの?」
「どういうものって……」

別に繋がりもなにもない。ただ、気付けば行く先々にあいつが現れるだけで、別に繋がりなんてものは何もない。

「行く先々に現れるヤクザ、以上」
「でも、キスしてたけど」
「あれは、してたんじゃなくて、されてたんでしょ! しかも無理矢理!!」
「でも、悠ちゃん怒ってなかったよね」
「腹立ったに決まってるでしょ! でも、そんなことよりも」
「取引に応じたのがショックだった?」
「つっ!」

完全に図星だ。他人とのキスは初めてだったにも関わらず、そんなこと全部吹っ飛んだ。正直、キスされたことなんて今の今まで忘れてたくらいだ。

「警察だって綺麗な訳じゃない。刑事だって上からの命令で幾らだって煮え湯を飲まされることもある。それでも、悠ちゃんは警官になるの?」
「……」

あの場で日高なら間違いなく轟木の言葉を突き返すと思っていた。けれども、それを上に確認してあんな取引を飲むとは思ってもいなかった。

「悠ちゃんは警官に向かないよ。刑事なんてもっと向かない」

突き放すような冷たい声に、思わず日高へと視線を向ける。ただ真っすぐに日高は前を向いていた。その顔に感情らしいものはなく、その横顔を睨むようにして見つめる。

ヘラヘラ笑いながら話し掛けてくる時も感情は読めないけど、こうして無表情になるとやっぱり感情が読めない。けれども、日高の言葉からも悠が警官になることを反対していることだけは分かる。

「日高さんは……刑事って仕事が嫌いなの?」
「いや、俺は納得してこの仕事をしてるから嫌いってほどじゃない。でも、納得いかないことは多くある。それは壱哉だって同じだろうね」

理不尽なことがあるのは、生きている以上仕方ないことだと分かってる。それは仕事だって同じに違いない。

「分かってる、それくらい」
「本当に分かってるなら、俺だってこんなことは言わないよ。悠ちゃん、正義の鉄拳制裁ができるのは、ヒーロー番組の中だけのことだよ?」
「そんなの分かってるってば!」
「だったら、無謀なことはしないだろ。分かってないから無謀なことをするんだよ。それに、刑事になりたいという悠ちゃんに壱哉が反対しないのは、壱哉に負い目があるからだ」

淡々と語られる内容は、悠の心の中にぽつりぽつりと毒を落とす。いや、毒ではなく、それは夢を打ち砕く現実というものかもしれない。

壱哉が悠に対して負い目を持っていることは知っている。勿論、壱哉との間でその話しをしたことは一度だってない。

「だったら兄貴は内心反対してるってこと?」
「反対しているかどうかは分からない。ただ、向いてないとは思っているだろうね」
「……何かムカつく」

呟くように言えば、丁度赤信号で車を止めた日高がこちらへと視線を向ける。相変わらず無表情で、悠を見るその目は人形についているガラス玉みたいだ。

実際、壱哉と日高がどれだけ仲がいいのかは知らない。けれども、他人に踏み込まれたく無いことだってある。

「なにか言った?」
「ムカつくって言ったの! 正論言われてるのもムカつくし、誰も触れてないことを他人に触れられるのもムカつくし、目指してるものをボロクソに言われるのもムカつくって言ってるの!」

八つ当たりだという自覚はある。それでも言葉を止めることはできなかった。

怒鳴るように日高に言葉をぶつけると、シートベルトを外し車のロックを外す。けれども、すぐさま外した筈のロックが掛けられる。

腹立たしくて勢いよく振り返り日高を睨みつければ、勢いよく腕を引かれた。予想していなかった行動に身体が日高へと引き寄せられる。余りの勢いで慌てて日高の太腿に手をついてバランスを取る。

「ちょっと、何する……っ!!」

顔を上げて文句を言った途端、塞がれた唇。重なるのは日高のそれで、考えるよりもさきに手が出た。車内に派手な音が鳴り響き、悠は勢いよく日高から離れると再び鍵を開けた。

「ってぇ……」

頬を押さえて呻く日高を横目に扉を開けて外に飛び出すと、振り返って日高を睨みつける。

「グーじゃなかっただけ感謝しなさいよね! 日高のバーカっ!」

あっかんべーまで追加して開いたままの扉を足で勢いよく蹴り飛ばした。

信号が変わりクラクションが派手に鳴り響く。けれども、悠は振り返ることなく怒りを隠すことなく大股で雑踏を歩き出した。

Coming soon……

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