Chapter.I:Presto Act.05

電車に乗り二駅さきの駅に降り立つ。高級住宅街として知られている浦垣は、駅前通りからしておしゃれなカフェなどが立ち並ぶ。

レンガ造りの歩道を踏みしめながら、自分がこの住宅街では浮いていることを自覚する。けれども、今はそんなことを気にしている暇はない。

何度か行ったことのある桜の家近くまでくると、そのまま桜の家を通り過ぎる。少し歩くと高い塀がみえてきて、塀沿いに歩くペースを落とした。

仰々しいくらいに高い塀、その塀の上には時折監視カメラが置かれているのが分かる。轟木の話しから金持ちだということは想像がついたけど、実際、こうやって見るとただの金持ちというレベルではない。

恐らく親は何かしら要職につく人物に違いない。そして警察にも顔がきくとなれば、大企業の社長や会長とか、議員、警察官上層部、そういうことなのかもしれない。

桜の家も驚くくらい豪邸だったけど、澤村の家はそれを上回る広さだ。塀沿いに歩いていたけど、ずっと監視カメラに映り続ける訳にもいかない。

一度、門を通り過ぎてから横道に逸れると、カメラの死角になるところで足を止めた。そこから改めて門を観察すれば、門の両側にもしっかりカメラが設置されていることが分かる。

顔を見られるのは得策じゃない。そう思うけど、不法侵入はもっとマズい。だったらどうするか。

色々考えている間に、門の前に黒塗りの車がつけられる。身を隠しながら車を見ていれば、出てきたのはあろうことに日高だ。

思わず口の中で小さく「うわぁ」と呟きつつ、視線は車から外さない。続いて降りて来たのは澤村だ。澤村の後に出てきたのはスーツをビシッと着た男が一人。

日高が何か澤村に声を掛けたけど、澤村が口を開くことはない。変わりにスーツの男が遮るようにして澤村の前に立つと、日高に一言、二言声を掛けると開いた門の内側に消えていった。

そして、閉ざされた門を感情のない目で見据える日高が残る。らしくない、と言えるほど悠は日高のことを知らない。ただ、いつでもへらへら笑っている日高の表情は酷く印象的だった。

しばらくすると、日高は門から視線を外し車へと乗り込もうとする。その直前、ふいにこちらへと顔を向けてきて、慌てて物陰に身を隠す。

視線というのは、思っていたよりも相手に気づかれやすいものだ。少なくとも、見られていれば悠でも気づく。日高のようなプロが気づかない訳がない。

確認に来ることも考えて移動するべきか。悩むこと数秒、結論が出るよりも先に車の走り去る音が聞こた。再び門の前を確認すれば、そこには車も人影もない。

緊張を解きほぐすように小さく溜息をつくと、呼吸を整えてから通りに出た。その足で澤村家の門の前に立つと、呼び鈴を押した。

不法侵入不可であれば、選択するのは正面から突撃するしかない。

「はい、どちら様でしょうか」
「和久井、和久井悠と申します。澤村くんご在宅でしょうか」
「少々お待ち下さい」

インターホンが一旦切れると、しばらくの間反応はない。ジリジリとした気分で三分ほど待っていれば、正面にある門が開いたことに驚いた。悠としてはインターホン越しに会話ができれば上々だと思っていた。それが招き入れられるとは思ってもみなかった。

「お入り下さい」

一言だけ伝えて切れたインターホンを睨みつける。首の後ろがチリチリして、危険があるのではないかと警戒する自分がいる。

迷ったのは一瞬。すぐに開かれた門の中へ入れば、石畳となった小道が続き、両側には秘本庭園が広がっている。こうして見ていても、既に悠には別世界だ。

玄関口まで歩いていけば、扉の前に澤村が嘲るような笑みを浮かべ立っていた。

「何をしにきた。わざわざ家まで」
「聞きたいことがあったから」
「俺が素直に答えると思ってる訳?」
「思ってない。でも、言いたいこともあったから。何で麻薬の売買なんてしてた訳? 見た所お金に困ってる訳でもないみたいだし」
「俺の金じゃないけどな」
「親にお金出して貰って警察から保釈されたのに、随分偉そうなこと言うわね」

途端に澤村の顔から笑みが消えると、一気に間合いを詰めてきて胸ぐらを掴まれた。鋭くなった澤村の視線に、悠は挑発するようにニヤリいった類いの笑みを浮かべる。

「図星? 親におんぶに抱っこ状態で、よくそんな偉そうなこと言えたものだわ。もう呆れを通り越して、同情しちゃう」

振り上がった澤村の手を確認してから、叩かれるよりも先に澤村のお腹に膝蹴りを入れると、捕まれていた胸ぐらは解放された。痛みに呻いて蹲る澤村を呆れたまま見下ろす。

「別に俺は捕まったって構わなかったんだ! 自分の責任くらい自分で取るつもりで」
「でも、実際親に助けられてるじゃない! 自分の責任? 本当にどれだけのことをしたのか、自分で分かってる訳?」
「うるさい! 親に監視される生活を送る辛さがお前に分かるか!」

鋭く睨みつけてくる澤村の表情は、悔しさと焦燥が滲んでいた。途端に、澤村の心情が理解できた気がした。

澤村にとって、これは大きすぎる親への反抗だったのかもしれない。そう思った途端、大きな溜息が零れた。

「分かる訳ないでしょ。あたしはあんたじゃないんだから。そもそも、あたしには親がいないし。……ねぇ、あんたは親に反抗したいの? それとも、自分を守ってくれる親の愛情を計りたいの?」
「愛情なんてあるもんか! あいつらにあるのは、自分たちの見栄以外何もない」
「あっそ。自分で責任取れるって言うなら自首しなよ。自首したなら、親はそれ以上の口出しはできない。それにその方が安全だと思う」

「安全?」
「ヤクザがあんたのこと追ってる。ヤクザにとって、自分のシマを荒らされることは黙っていられるようなことじゃないってこと」
「何でお前がそんなこと」
「高らかに宣言してたけど。地獄の底まで追ってやるって」

実際、轟木はそんなことを言っていない。けれども、見る見る内に澤村の顔色は青く変化していく。

「一生親の庇護下で家に籠って生活したいなら、これ以上あたしは何も言えない。ただ、抜け出したいなら今だと思うけど。危険も迫ってる訳だし」

澤村からの返答はない。ただ地面についた手を強く握りしめているのが目に見える。

「ただ、一つ教えて欲しいの。どうやって薬は手に入れたの? まさか自宅栽培って訳じゃないでしょ? 警察には言ったの?」

緩く頭を振った澤村は、地に膝をついたままぼそぼそと話しだす。

「……譲って貰った」
「誰に」
「それは————」

呟くように言った言葉に、悠は勢いよく踵を返した。そこまで話しを聞けば、既にここに用はない。

恐らくあのまま放っておいても、澤村は警察に自首するに違いない。日高は他に余罪があると言っていたから、自首する理由は麻薬売買以外にもあるに違いない。

本当なら一発ぐらいぶん殴っておきたかったけど、憑き物が落ちたような表情をする澤村を殴る気にはなれなかった。

再び駅に戻り電車に乗り、戻った場所は澤村が通う学校だ。既に授業が始まった学校近くに学生の姿はない。

しばらく迷った末に携帯電話を取り出すと、学校の電話番号を調べそのまま学校に電話を入れた。少し咳払いをして声音を低めに変えてから、電話先の相手に応対する。

「お忙しいところ申し訳御座いません。そちらで教師をしております伊丹の身内ですが、至急連絡したいことがありますので……えぇ、授業中なのは分かっております。折り返し電話を頂けるように伝言頂けますでしょうか」

澤村から聞いた伊丹という教師の名前。名前だけで実際、どんな奴か、何の先生か分からない。これで折り返し連絡がくる可能性は低い。それでも携帯番号を伝えると、電話を切って小さく溜息をついた。

悠が通う学校よりも歴史あるこの学校は、重厚な作りになっている。ゆっくりと確認するように学校の周りをぐるりと回る。レンガが積み上げられた塀は、幾数年の月日が経ち、より粛然とした空気を醸し出している。

正門にはガードマンが立ち、とても中に入れる状況ではない。それに、教員は正門から出入りしないに違いない。だからこそ教員専用の出入り口を探していた。
折り返し電話がこないようであれば、放課後まで教員専用で入り口で待ち伏せするつもりだった。

しばらく歩くと、裏口が見えてきた。けれども、そこにもしっかりガードマンが立ち、迂闊に近寄れる雰囲気ではない。

どうしようか悩んでいれば、校舎の方から駐車場に駆けてくる人影がある。年は三十半ばくらいだろうか。酷く青ざめた顔で車に乗り込むと、勢いよく車を発進させた。裏門近くにいる警備員も驚いた顔をしている。

けれども、悠にはあれが伊丹だと思えた。知っている訳じゃない。ただの勘でしかない。だからこそ、勢いよく裏門から出てきた車の前に飛び出した。

勢いよくといっても細い道だからそこまでのスピードではない。それでも急ブレーキをの音が辺りに低く響く。

青ざめた男が窓を開けて声を掛けてきた。

「危ないだろ。そこをどきなさい」
「伊丹先生、ですよね? 澤村のことで話があります」
「君は……電話を掛けてきたのは君か?」

問い掛けに頷きで返せば、少し思案する様子を見せた伊丹は「乗りなさい」と声を掛けてきた。危険だと頭の中で警報は鳴り続けている。それでも、悠の中には乗らないという選択肢はなかった。

素早く助手席に乗り込むと、途端に乱暴なほど勢いよく伊丹はアクセルを踏んだ。

「君はなんだ」
「澤村から話しを聞きました。自首して下さい」
「何のことかさっぱり分からない」
「だったら、何故あたしを車に乗せたんですか?」

途端に黙り込んだ伊丹の額から汗が流れ落ちる。顔色も青を通り越して土気色になっている。間違いなく、伊丹は澤村の麻薬密売に関わっているに違いない。

しかも相当焦っているらしく、言動の矛盾を正せずにいる。不用意な言葉を掛ければ、この先どうなるのか分からない。言葉は選ぶべきだと思う。そんなことは分かっているけど、何をどう言えばいいのか分からない。

「警察に行って自首して下さい」

結局、言えた言葉はほぼストレートともいえる言葉だ。ハンドルを握る伊丹の腕がピクリと動く。

「証拠は何もない」
「なら、何故こんな時間に慌てて学校から飛び出してきたんですか?」
「それは……」

伊丹の声にかぶるように激しい音が背後から聞こえて、勢いよく後ろを振り返る。普通であればある筈のリアウインドウがなくなり、風がありえないくらい抜けている。

風で広がる髪を押さえながら目を凝らせば、背後の車からは身を乗り出す男の影が見えた。

次の瞬間、頬に熱が走る。それと同時に派手な音がしてフロントウインドウに蜘蛛の巣状のヒビが入る。

「うっ……うわぁーっっ!」

続いた叫び声に運転席に座る伊丹に視線を向ければ、さらに顔色をなくした伊丹は震える手でハンドルを握りさらにアクセルを踏んだ。

前に向き直ると、悠は勢いよく握りしめた手でガラスを叩き割る。さすがにこの男と心中するような真似だけはごめんだ。

「ちょっと、こんなスピードあげないでよ!」
「殺される……捕まったら殺される」

既に恐慌状態に陥ってる伊丹は、悠の声すら聞いていないらしい。このスピードで走っていれば、いずれにしても事故が起きる。高級車といわれるこの車であれば、安全基準はばっちり越えているに違いない。

そう祈りながら悠は伊丹が握るハンドルを掴むと少しだけ回した。途端に車の挙動が変化し、目の前には電柱が迫ってくる。

衝撃と破壊音。一瞬にして覆われた視界は白一色。遅れて襲ってきた痛みに息が止まる。膨らんだエアバッグをすぐさま腕ではらいのけると、運転席にいる伊丹へと身を乗りだしながら問い掛けた。

「怪我は?」

けれども伊丹からの反応はなく、衝撃で気を失ったらしい。背後から追い掛けてきていた車が止まる。一台かと思っていた車は二台いて、取り囲むように四人の男が車から降りて来た。

素人相手四人ならまだしも、屈強な男四人はさすがに骨が折れる。何よりも気を失った伊丹を庇って、というのはかなり厳しい。周りに助けを求めようにも、伊丹がやみくもに運転したせいで、住宅街を通り抜け倉庫街へと差し掛かった人気のない場所だ。

車から飛び出すか、このまま待つか。悩んでいる間もなく、男たちの手に銃が握られているのを見て小さく溜息をついた。

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