初めて会った那奈を会わせた四人で食べた食事は、思っていたよりも気詰まりなことはなかった。一度は佐緒里と健吾も断った夕食だったが、弓弦がしっかり四人分を用意していた。弓弦曰く笹塚の指示だったらしい。
気づまりしなかったのは那奈と佐緒里がブランド好きなことで意気投合してしまったことが大きい。
そこからは皐月の服装のダメさや、マシだと思っていた健吾の服装まで散々なことを言われた。勿論、言われた健吾は面白くなさそうな表情をしていたが、そこで言い返すほど間抜けではなかったらしい。
弓弦の作った料理はどれも美味しく、久しぶりに満足できる食事だった。デザートを食べながらお茶をして、それから健吾と佐緒里の二人は帰っていった。だから、皐月が宛がわれた部屋に戻った時にはすでに十時近くになっていた。
扉の外からノックする音が聞こえ、返事をすればトレーを持った弓弦と那奈が立っている。
「あの、皐月さんと少しお話しがしたいのですが宜しいですか?」
弓弦が持っているトレーにはティーカップが二つ。ふわりと紅茶の香りが漂い、皐月は返事をして二人を招き入れた。弓弦はテーブルにティーセットを用意すると部屋を出て行ってしまう。
「会ったばかりでこんなことをお願いするのは恐縮なのですが……」
少し言いよどむ那奈は、先ほどまでのハキハキした話し方を見ていただけに違和感がある。だからこそ、どんな難題を言われるかと身構しまう。
「皐月さんのデザイン画を見せて頂けますか?」
「デザイン画? 洋服のですか?」
「えぇ」
「それは全然構わないですよ」
すぐに壁際の本棚からクロッキー帳を取り出すと、そのまま那奈に差し出した。むしろ、そんな皐月の行動に驚いた顔をする那奈がいて困惑する。
「那奈さん?」
「いえ、そんなあっさり見せて頂けるものだとは思ってもいなかったので」
確かに笹塚あたりのプロであればデザインを気軽に見せることはしないに違いない。けれども、皐月は所詮学生、しかも服飾デザインについてはまだ駆け出しもいいところだ。出し惜しみするだけの物すら仕上げられていない。
「未熟なんで見たら引くかもしれないですけど」
クロッキー帳を受け取る那奈にそれだけ言うと、皐月はまだ温かいティーカップを手に取った。しばらくの間、ページをめくる音だけが部屋に響く。皐月としては少しだけ落ち着かない。
五分ほどかけてクロッキー帳を見た那奈は、お礼と共に皐月に返してきた。けれどもそれに対してのコメントはない。
「よければ感想とか意見を貰えると助かります」
「辛口意見でも?」
「それは覚悟の上ですから」
「そう。正直、何故お兄様が皐月さんを気に掛けているのかよく分からないわ。服もアレンジみたいなものが多いですし……それからこれは忠告ですけど、色の指定をするならDICを使わないと。DIC、分かります?」
「えぇ、DICは分かります。色指定で使われるものですし」
「基本はDICだし、こうして色の名前を書かれてもすぐに想像しにくいですし、色があればまた印象が違う気がします」
「分かりました。有難うございます」
正直、サクッと心に刺さるものはあったけれども、それは仕方ないことだと理解はしている。何しろ服に興味を持って観察するようになったのは、つい最近のことなのだから。
何よりも素直な気持ちを伝えてくれる人は、恐らく皐月にとって必要なことだと思う。今までさんざん甘やかされてきたのだから、普通の人であればこれくらいで痛いとは思わないに違いない。
だからお礼の言葉は素直に口からするりと出てきた。それに対して、那奈は全く気にした様子もなくティーカップに口をつけてから、改めて皐月に視線を向けてきた。
「別にお礼を言われるようなことは言ってないわ」
「いえ、でも服飾でDICを使うことも知りませんでしたし、そういうことを教えて貰えるのは本当に助かります」
「まぁ、お兄様しか見ないのであれば今はそのままでも大丈夫だとは思うけれども。お兄様なら皐月さんが描いた色は分かってるでしょうし」
「そうなんですか?」
「えぇ、恐らく。お兄様には何も言われていないのでしょ?」
「言われてません」
「それなら大丈夫よ」
皐月も人のことは言えないが、那奈も基本的に無表情だ。だから相手の感情が上手く読み取れない。
自分の周りには表情豊かな人が多かったから、無表情であることがこんなに反応しづらいとは思ってもいなかった。少しは気をつけなければならない。
「今はどんな感じでデザインすることになっているのかしら」
「特にこれとは決まっていないので、正直手当たり次第という感じです」
「そう……少し待っていて下さる?」
皐月が返事をすれば、那奈は持っていたティーカップを戻すと立ち上がる。そして部屋の片隅にある電話に近づくと受話器を持ち上げた。ここから見ていても手元は見えない。けれども那奈がお兄様と言っているところをみると、相手は那智なのだろう。
話しを聞いていることは居心地の悪さもあって、皐月は一旦自分の部屋を後にした。だからといってやることがある訳でもなく、リビングの大きな窓から夜景を眺める。
怒濤のような出来事にどうして自分がここにいるのかよく分からない。けれども、ここへ来ることを選んだのは自分だから後悔はない。
ぼんやりと窓の外を眺めていれば、背後から物音が聞こえて皐月は振り返った。
「弓弦さん」
後で食事中に名前で名字が好きではないから名前で呼ぶように言われ、それからは尾崎のことを名前で呼んでいる。
「那奈さんとご一緒だったんではありませんか?」
「今電話中なので」
「そうですか。何かお飲み物でもご用意しましょうか?」
「大丈夫です。必要でしたら自分でやりますし」
「そうですか。私もまだキッチンにいますので、何かありましたら声を掛けて下さい」
「分かりました。有難うございます」
一礼すると尾崎は立ち去ってしまい、それと入れ替わりに那奈がリビングへと入ってきた。手にはサイズの大きなノートが握られていて、近くまできた那奈は皐月へとノートを差し出してきた。
「お兄様がこれを皐月さんに渡して欲しいと。それから、私からの提案なんですけど、一度皐月さんがデザインした洋服を実際に作ってみたいと思うのですが、どうですか?」
「私のデザインをですか? でも、私のデザインは余り好みじゃないと」
「好みじゃないことは確かなんですけど、皐月さんのデザインには粗があるんです。お兄様からも許可を頂いたので、一度デザインしたものを作るのが一番早いと思うのですがどうでしょう」
それは皐月にとっては願ってもないチャンスではあったが、果たして那奈にそこまでお願いしていいものかとっさに判断ができない。だからこそ返事に詰まってしまえば、那奈が初めて唇の端に小さく笑みを浮かべた。
「その代わり、お願いがあるんです」
那奈の笑みは佐緒里とはまた違う可愛さがあり、とても年上には見えない。ただ、お願いという言葉に、皐月は困惑しつつ那奈の顔を見つめてしまう。
「私が着ているタイプの服、俗に言うゴシックファッション系のデザインをお願いしたいの」
「私が、ですか?」
「これは私の興味本位なんだけど、お兄様がどうして皐月さんのデザインにそこまで気に入っているのかが知りたいのかもしれない。私が知ってる限り、お兄様が弟子を取るようなことは今までしたことが無かったから」
それは島崎からも言われていたから記憶にある。だから那奈が興味を示すのは分かる気がした。ただ、それを言われるだけの実力が伴っていないことが歯痒い。
「それにお兄様から許可は頂いているの。だからお願いというよりかは……絶対命令?」
可愛い顔をしているけど、やっぱり那智の妹ということだけはある。一筋縄ではいかないタイプらしい。
「……分かりました。でも最初に言っておきますけど、那奈さんの気に入る物が出来上がるとは限りませんけど、それでもいいですか?」
「それは分かってるわ。でも色々なジャンルのデザインを見るのも勉強になると思うの。特に皐月さんみたいに服に興味がないタイプの人には」
どうやらまだ少ししか話しをしていないのに、服に興味が無いことはしっかりと知られてしまっているらしい。
デザインは好きだ。でも、自分を着飾ろうという気になれないのは、やっぱりデザインをする上で感覚が欠落しているのだろうか。
そんなことを感じながらも、皐月は曖昧に頷いた。
「正直ゴシック系は詳しくないので、できたら本とか貸して貰えたら助かります」
「幾らでも貸すわ。むしろ私の部屋にその手の本は幾らでもあるから、勝手に借りて構わないわよ。女同士で部屋に入られて困ることなんて無いし」
「有難うございます」
「でも、デザインは後ね。先に皐月さんのデザインした服を作るに当たって、どの服にするのか選んで貰わないと」
「分かりました。明日までには」
「約束ね。それから、そのノート、この家からは持ち出し不可だから」
相変わらず感情の読めない顔でそれだけ言った那奈は、キッチンにいる弓弦を呼ぶと皐月の部屋にあるティーセットの片付けを頼んでいる。慌てて自分で片付けることを伝えたけど、二人に構わないと言われて恐縮しつつお礼を伝えた。
そして、改めて部屋に戻り一人になると、皐月が最初に始めたのは作って貰うためのデザインを選ぶことだった。クロッキー帳を広げて、自分のデザインした服を眺めてみる。
でも、改めてどれか一つを選ぶとなると、どれも似たような雰囲気のような気がしてページをめくる。那奈も言っていたが、何が那智の目についたのか自分のデザインの何がいいのかよく分からない。
最初は十点、そこから半分づつにしていき、ようやく最後の一着を決めた時には既に〇時を回ろうとしていたところだった。
慌てて風呂に入るために部屋を飛び出したけど、今までのワンルームとは違い裸で歩き回る訳にもいかない。再び部屋に戻り、備え付けのクローゼットの中からパジャマや下着を取り出すと、再び抱えて説明された風呂場へと向かう。
どうするか悩んで扉の前でノックしてみたけど、中の反応はない。だから遠慮がちに扉を開ければ、中は暗闇が広がっていた。
落ち着かない気分で扉脇にあるスイッチを入れると、広々とした洗面所に電気が灯る。洗面台は二つあり、しかも洗面所だというのにその蛇口はやたらとゴージャス感溢れるもので、触れるのにも気を遣いそうだ。
元々質素な生活をしていただけに、ここまであちらこちらに高価そうな物が溢れていると何をするにも落ち着かない。ガラス張りの風呂場というのも落ち着かないし、その向こうにある区切られたシャワールームというのも落ち着かないに違いない。
洋服を脱いでやたらと広い洗面台の一角に脱いだ服を置くと、シャワーを浴びる。しばらく切っていなかった髪にお湯をかけると、視界を覆う長さになる。
手近にあるシャンプーを引き寄せたところで、背後で何か音が聞こえた気がして、すだれになった前髪をかきあげる。ガラス越しに扉が閉まるところが見えて、那奈が確認せずに入ってきたのだとばかり思っていた。
けれども、那奈以外にもこの家には存在することに気づき、一気に顔が熱くなってくるのが分かる。
すぐに扉閉まったから見られてないと思う。でも、もし弓弦だったらどうするべきなのだろうか。
考えたところでどうなるものでもない。五秒ほど悩んで、皐月は思考を放棄した。見られて減るものでもないし、今さら隠せるものでもない。何よりも、叫ぶにはタイミングも遅すぎる。
諦めと同時に小さくため息をつくと、皐月は再びシャンプーに手をかけた。
その後はこれといった問題は起きることなく、シャワーを浴び終えると大人三人は余裕で入れるだろう風呂にゆっくりと浸かる。
息を吸い込めば薔薇の甘い香りが身体中に染み込む気がした。少なくとも皐月が今まで愛用していた温泉の元と違うことは、その香りと肌触りで充分に理解できた。一層、ここに薔薇の花びらが浮いていたとしても、違和感は無かったに違いない。
だからこそ、皐月としては本気でここで生活していけるのか、生活の違いで不安にもなる。予想していた以上に何もかもが違いすぎて、身の置き所がない。というのが正しいのかもしれない。
しっかりと温まってから風呂を出ると、パジャマを身につけると歯を磨く。バスタオルで濡れた髪を拭いながら洗面所を出れば、すぐにリビングから弓弦が顔を出した。
「皐月さん。先ほどはすみませんでした」
改まって謝られるとどう答えていいのか分からなくなる。
「あ……いえ、こちらこそ声も掛けずにすみません」
「こちらこそ確認が足りずに申し訳ありませんでした。今後はこのようなことがないように気をつけます。お手数ではございますが、皐月さんも入浴時には鍵を掛けて下さいますようお願い致します」
弓弦の言葉で扉に鍵がついていたことを知る。洗面所に鍵がついているなんてことは、皐月の中で考えたこともなかったので確認すらしなかった。
「分かりました。見たことについては、忘れて貰えたら助かります」
「それは心得ております。本当に申し訳ありませんでした。それから、明日は那奈さんと一緒に行動して下さいと、先ほど那智から連絡がありました。私は本日はここでおいとましますので失礼致します」
「あ、はい、分かりました。お疲れ様でした」
一礼する弓弦に皐月も同じように頭を下げると、弓弦は先ほどとは違いスーツ姿で玄関から出て行った。そして扉に鍵が閉まる音を聞くと、自然と皐月の口からはため息が零れた。
居住空間に他人がいるというのは、思っていた以上に疲れることなんだと初めて自覚した。
濡れた髪を乾かしながら、部屋に戻れば一番最初に机の上に置いたままになっていたノートに目がいく。先ほど那奈に渡されたが、自分のデザインを選ぶこと優先でまだ中身を見ていない。
皐月はノートを手に取り、ベッドに腰掛けると膝の上にのせて無造作にページを捲った。
そこに描かれていたのは、鉛筆で描かれたデザイン画で一番最初のページに描かれていたのは、ファッションショーで見るような奇抜な服だった。けれども、色鉛筆で彩色された服は、カラフルで一度見たら忘れない、そんなインパクトあるものだった。
「派手だなー」
思わず一人部屋の中で呟いた。それと同時に皐月の髪を拭いていた手が止まる。
派手だし、目立つものだけど、それは独特の色彩とデザインで一度目にしたら忘れない。それを人は個性と言うのかもしれない。
丸く大きくとった袖はプラスティックのような球体で、スカートは傘のように広がった膝上丈。蛍光色の含まれた色彩は鮮やかだ。
着たい服かというと、着たいとは思わない。ただ、見ているだけでワクワクするような、見る楽しさがある。
もう皐月の手にタオルはなく、ただしっかりとノートを握り締めていた。一ページ、一ページとめくるたびに、個性的なデザインがあり、どれも目を引きつけられる。
結局、ノートに三度目を通した皐月は、カーテンの隙間から日が差し込む頃眠りについた。
那智と自分の差を考えながら……。