Chapter.I:Presto Act.03

歩く最中にも二人は話し掛けてきて正直うざったい。適当な返事をしながら学校前から国道に出ると、そのまま三人並んで広い歩道を歩いて行く。

色々二人は話しているけど、その内容に興味はない。今度遊びに行こうなど声を掛けてくるのは、別に悠の容姿云々が優れているからじゃない。悠が通っている学校が学校だからだと知っている。

他校では悠の通う学校がそれなりのお坊ちゃんお嬢ちゃんという認定らしい。実際、そんなことは全くない。そんな噂になったのも、卒業生の一人が他校生に数百万という金を貢いだという過去があるからだ。

悠からすれば、他人に貢ぐなんて馬鹿らしいと思うけど、好きになれば何とやら、というやつだったらしい。かなりの騒動だったらしいが、悠が入学前の話しだから実際はどういう状況なのかは知らない。

ただ面倒なことに噂だけが一人歩きしてしまい、金持ち学校みたいな認識が近隣の高校にあるのは確かだ。

あからさまに面倒な顔をする訳にもいかず、ごまかすように車道に視線を向けた瞬間、すれ違ったのは一台の車。けれども、車の助手席に乗っていた人間と確実に目が合った。

……ヤバい。今、確実に目が合った。

だからと言って今さらどうこうできるものでもない。恐らく向こうだって仕事中だから、追いかけてくることはない筈だと思う。

そう思っていたのに制服のポケットに入れてあった携帯が鳴り出し、思わず足を止めた。携帯を確認すれば、そこには日高と表示されていて小さく舌打ちした。

出れば長々と色々言われるに違いない。勿論、ここで電話に出なければ後で色々と言われるのは分かっていた。そしてどちらを取るかといえば……何も言わずに振動する携帯の電源を落とした。

「いいの? 電話きてたんじゃないの?」
「それよりもまだ歩くの?」
「いや、もうそこだけどさぁ」

二人が大通りから横道に入っていき、その後を悠もついていく。横道といっても小さな商店街だが、悠はここへは来たことはない。

いくつかの店が並ぶ中、わずらわしいほどギラギラとネオンを点けたゲームセンターがある。そこだけいかにも商店街内では異端で、二人はそこへ入っていった。

いざとなれば殴ってでも逃げればいい。そういう安易な気持ちでゲームセンターに足を踏み入れる。途端に全ての視線が悠に集まった気がする。

「澤村、客」

連れてきてくれた二人が声を掛ければ、一番奥にいた学ランの男が振り返る。その顔は先日見た顔で間違えない。

視線が合った途端、慌てた様子で澤村が立ち上がる。

「お前……あの時の」
「覚えていてくれて光栄だけど、名前も名乗らず逃走はいくら何でも酷いんじゃない?」
「……何しにきた」
「勿論、話しがあるから来たに決まってるじゃない」

途端に訝しげにこちらを見る澤村は、人差し指で黒縁眼鏡を軽く上げるとすぐ近くにいる男を軽く小突いた。

視線だけで会話する様子は悠から見ても楽しいものじゃない。警戒されていることは充分に分かってる。

「麻薬、売買してるんだって? あんた馬鹿じゃないの?」
「……誰に聞いた」
「あのヤクザに。あのさぁ、警察駆け込んだ方がいいんじゃないの? あのヤクザ、全然諦める様子なかったけど」
「別にそんなのどうでもいい。いざとなれば親父がどうにかするし。一応、こういうのもついてるし」

小突かれた男が奥の扉を開ければ、そこから出てきたのはいかにも体躯のいいチンピラ風情の男三人だ。ニヤニヤとした笑いと、なめ回すような視線が非常に不愉快だと思える。

けれども持っていた鞄を小脇に抱えると小さくため息をついた。

「あんたがどこのお坊ちゃんだか知らないけど、ヤクザにとって親は全然関係ないと思うけど。むしろ、あんたがしたことで親を恐喝するくらいのことはすると思うけど」
「別に親がどうなろうと俺には関係ない」
「あっそ。でも、ここで麻薬裁いたりしてお金稼げてるのは親のお陰もあるんじゃないの? 親がいなくてもこういうことをしていられると本気で思ってる訳?」
「親がいなくても、これだけで充分食べていける」
「本当に馬鹿」

呆れと共に肩を竦めて見せれば、こちらを警戒していた澤村の顔が急激に変化する。睨み付けてくるその目は、怒りに燃えているようにも見えた。

「っ……なんだと!」
「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いのよ。だって人間一人生きていくってどれだけ大変なのか全然分かってないし。そもそも、生きていく以前の問題。ヤクザに捕まって東京湾に沈むのが先だろうし。ヤクザって縄張り意識強いみたいだし」

途端に背後から拍手の音が聞こえて、背後を振り返ればそこには先日会ったばかりの轟木が薄い笑みを浮かべてこちらを見ていた。勿論、その背後には何人も目つきが鋭いお兄さんからおじさんまで揃っている。

「お嬢ちゃん、よく分かってるじゃないか」
「お、お前! ヤクザとつるんでたな!」
「馬鹿言わないでよ! 何でこのあたしがヤクザとつるまないといけないのよ!」
「残念ながら偶然だ。こんな小娘とつるんでも俺に旨みがなさすぎる」
「あんたも小娘言うな! っていうか、何しに来たのよ」
「決まってるだろ……お仕置きだな。うちのシマで薬なんて裁いてくれたんだ。それなりにお痛した子どもには大人がお仕置きしないといけないからな」
「っっ!」

口元に笑みは浮かぶものの、轟木の周りを包む空気が一瞬にして鋭いものに変化したのが分かる。

「いけ」

それは短い言葉だったけど、平坦だけど静かな空間で低く響いた。途端に轟木の後ろで控えていた男達がゲームセンターの中へと雪崩れ込んできて、悠は慌てて軽く膝を落として足で地面を掴む。

そして片足を軸に勢いよく雪崩れ込んできた第一陣にミドルキックを打ち込んだ。不意打ちだったこともあり、先頭で突っ込んできた男二人がしっかり悠の餌食となり、そのまま背後に押し返される。

「澤村、逃げな! 早く!」

声を掛ければ、背後ではバタバタと逃げ出す音が聞こえてくる。けれども、それを確認するだけの余裕は今の悠にない。

正面には足を止めた男達と、スーツを着こなした轟木がいる。そしてその轟木の視線は酷く冷ややかなものだ。

「……お前は、あれを逃がして何をしたい」
「一般人をヤクザに売り渡すようなことはしたくないだけ」
「だが、あれを始末しないと街中に薬はばらまかれ続ける。犯罪は嫌いじゃないのか?」
「大嫌い。でも、あんたに引き渡すつもりもない」
「それならどうすると?」
「自首させる」

憎たらしいくらい背の高い轟木を睨み付けていれば、その口元に楽しげな笑みが浮かぶ。けれども、それは小馬鹿にしたような笑みでもあった。

「あれが自首するとでも?」
「させる」
「する筈ないだろ。柿崎、この娘はお前が相手しろ。他の者は澤村の後を追え」
「ちょっと!」

動き出した男達に再び攻撃をしかけようと構えたけれども、すぐ脇から膝蹴りが飛んできて辛うじて鞄で受け止めた。けれども、予想以上にその膝蹴りは重く、腰を落としていたにも関わらずズルリと足下が滑る。

腕にも痺れがあり、改めて距離を取ってから蹴りを入れてきた男に視線を向けた。

まるで轟木を庇うようにして前に立つ男は、体格からして全く違う。黒いスーツに身を包んでいるが、轟木よりも身長も高いし、肩幅や胸板の厚さからして違う。

「普通、か弱い女子高生にこんな重戦機あてがう?」
「誰がか弱い女子高生だ。か弱い女子高生は柿崎の蹴りを受け止めるか」
「条件反射だから仕方ないでしょ」
「……組長、お知り合いですか?」

僅かながら困惑した様子の柿崎の問い掛けだったが、その顔が背後にいる轟木に振り返ることはない。どんな表情をしているのかはサングラスをしているから見ることは叶わない。ただ、柿崎の背後にいる轟木の楽しげな表情は悠からも見える。

「知り合いか?」
「全然知り合いじゃない」
「だそうだ。潰して連れて帰れ」
「……は?」

その言葉は悠と柿崎のもので、言い放った轟木は極悪な笑みを浮かべている。

「聞こえなかったか? 骨の一本や二本折れてても構わん。屋敷に連れて帰れと言ってる」
「ちょっと待った! 何であたしがあんたに連れて帰られないといけないのよ!」
「俺が気に入ったから」
「ご冗談! そういう冗談は受け付けないんだけど」
「それは気が合うな。俺も冗談は受け付けないタイプだ」

柿崎を挟んで、相変わらず笑みを浮かべた轟木と睨み合う。いや、悠が一方的に睨んでいるだけで、轟木は余裕綽々といった様子だ。

「柿崎、やれ」
「ですが……」
「やれ」

正面に対する柿崎が困惑しているのが分かる。けれども、組社会では命令は絶対なのだろう。小さくため息をついた柿崎は、悠の前で改めて構え直す。

ウエイト的にまともにやり合える相手じゃない。お互いに出方を待っている。けれども、緊張感が全くない訳じゃない。少なくとも、稽古とは全く違う緊張感がそこには存在する。

さきに動いたのは悠が先だ。当たり前だ。ウエイトの違う柿崎から一発でも貰えば、シャレにならない。

悠の蹴りは難なく片腕で受け止められ、逆サイドから拳が飛んでくる。それを屈んでよけると片足を軸に勢いをつけて膝後ろを蹴りつける。けれども柿崎の身体が揺らぐことはない。それでも小さく呻く声だけは聞こえて、すぐさまその場で距離を取った。

けれども、逆に距離を詰められその距離を離すことができない。わずかに引いた柿崎の拳が腹に入る直前、置いたままになっていた鞄を引き寄せ辛うじて防ぐ。けれども全てが防ぎきれた訳でもなく、重い拳は充分に悠の身体に負担を強いた。

その結果、鞄越しの衝撃に一瞬足が止まる。小さく咳き込む間に距離を詰めた柿崎に腕を掴まれ、そのまま捻り上げられ顔をしかめた。

「そこまでだ!」

その声に痛む腕に顔を顰めつつ出入り口をみれば、誰かが立っている。それと同時に、悠の腕を掴んでいた柿崎の手が離れた。勿論、その隙に柿崎との距離を取ることは忘れない。

轟木や柿崎の脇を抜けて悠に駆け寄ってきたのは、予想外にも日高だった。まだ咳き込む悠の背中に手を回すと、落ち着くようにさすってくれる。

「悠ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫……何でここに?」
「昨日、あんな話し聞いたから気になって聞き込みに回っていたんだ。悠ちゃんが言っては澤村だね。さき同僚に保護された」

その言葉を聞いて、思わず日高から轟木に視線を移せば、轟木はさほど困った様子もなく肩を竦めた。

「柿崎、行くぞ」
「はい」

背を向けた二人を呼び止めたのは日高だ。まるで庇うようにして前に立つ日高がどんな顔をしているのかは分からない。ただ轟木を呼んだその声が、さきまでの表情とは違うことを伺わせる。

「彼女に手を出すならこちらも容赦しないが?」
「まさかあんたの知り合いだとは思いもしなかったな」
「冗談だろ。あんたは彼女が和久井の妹で、その和久井と俺が繋がっていたことは気づいた筈だ」
「さぁ、何のことだか。ただ単に俺がそのじゃじゃ馬を気に入っただけだ。例え幾つだろうと、それみたいにプライドが高くて強い女は好きだからな。何せ組み伏せる楽しみがある」

「轟木」
「まぁ、今日のところは退散するさ。どちらにしても澤村はお前らの手に余るだろうし、いずれ身柄は頂くことになるだろうしな」
「ふざけるな!」
「俺らの世界と公僕じゃ、世界が違うんだよ。あんたもとっとと戻って上の指示を仰ぐんだな」

まるであざ笑うかのような笑みを残して轟木はゲームセンターを出て行ってしまった。そして店内には日高と悠の二人だけが残される。

目の前に立つ日高の背から、ピリピリとした空気だけは伝わってくる。だからこそ、悠は音を立てないようにそっと日高から離れる。けれども、二歩下がった段階でゆっくりと日高が振り返った。

その顔には確かにいつもと変わらないふざけた笑みが浮かんでいる。でも、その目が笑っていないだけに悠としては笑えない。

「悠ちゃん、俺言ったよね。轟木には近づくなって」
「別に轟木に近づいた訳じゃないし」
「でも澤村に近づけば事件に巻き込まれることくらい分かったでしょ」

それを言われると悠に返す言葉はない。普段であれば日高相手であれば幾らでも強気に出られるけど、こういう時の日高には逆らえない。日高の気迫そのものに気圧されているというのもあるが、何よりもこの件を兄貴に言われるのが一番怖い。

「……ごめん」
「口先だけで謝ってるのがよく分かる謝罪だよね」

ため息混じりに言われて一瞬言葉に詰まる。でも、申し訳ないと言う気持ちが欠片もない訳じゃない。

「これでも本気で謝ってる。確かに兄貴に言われるのは困るとか色々あるけど……多分、日高さんの仕事の邪魔した気がするし」
「そうだね。もし轟木と悠ちゃんに繋がりがあるなんて知れたら、壱哉の立場はどうなる?」
「ごめん」
「悠ちゃんの猪突猛進なところは嫌いじゃないけど、そういうのは時と場合によるから。特に壱哉が刑事という職にいるんだからきちんと考えないと」
「……分かってる」

つい拗ねたような口調になってしまうのは、こんな説教を何度も日高からされているせいだと思う。

悪いのは悠だと思う。でも、こうして他人である日高に言われるのはやはり面白く無い。だからといって、兄貴から怒られるならいいのかというとそれもよくない。

こうして日高から怒られると、いつもモヤモヤとして落ち着かない気分になる。

「怪我は?」
「別に大丈夫」
「もう無茶は勘弁してよね」

そう言って頭を撫でるから、やっぱり面白く無い。少なくとも日高に頭を撫でて欲しい訳じゃない。だからこそ、頭を撫でるその手を払いのけると、日高をビシッと指さした。

「無茶しない。だから兄貴には言わないで」
「はいはい」

まるで仕方ないと言わんばかりのへらりとした顔で二つ返事する日高がやっぱり面白く無い。自分でも我が儘だと分かりながらも、口をへの字にしたまま背を向けようとしたおとろで肩を掴まれた。

「でも、次はないからね」

屈み込んだ日高が耳元で一言零す。低くドスの利いた声は、悠が知っている日高とは全く違うものだ。思わず勢いよく振り返れば、既に距離を空けた日高はへらりと笑う。それはいつもと変わらぬ日高で、少しだけ不安になる。

もしかして、自分は酷く日高という人物を見誤っているのかもしれない。そう思ったのは初めてのことだった。

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