Chapter.I:立ち止まる Act.04

「ここ……だよな」
「うん、住所だとここだけど……」
言葉を濁した秋生と二人で見上げたアパートは、既に人が住んでいるのか定かじゃない。壁には蔦が這い、一階の扉は一部破損して部屋が丸見えのところもある。
もう一度通りに出てアパートの名前を確認してみると、やっぱり名前は正しいらしい。
「ここに家族と住んでるのか?」
「どうだろう、扉の感覚からしてもそんなに大きな部屋には見えないし……とにかく行ってみようか」
メールで送られてきた通り二階への階段を上る。手すりはさび付き、鉄製の階段は所々に穴が空いている。少なくとも修平はここが廃墟と言われても信じたに違いない。
コンクリ打ちの廊下を歩いて一番奥にある扉の前に立つ。確かに表札は朝霞となっていて、ここに住んでいるらしいことは分かった。
秋生と目を合わせて呼び鈴を押せば、中から返事があって扉が開いた。そこにはヘアバンドで髪を上げた朝霞がいた。
「いらっしゃい。ってよくここまで迷わなかったじゃない。電話くらい掛けてくるかと思ってた」
「いや、アパートの前で小一時間悩んだ。ゴーストハウスじゃないかと思って」
「シュウ、言い過ぎ」
窘められて自分の発言の迂闊さに気づいたけど、そんなことは朝霞が笑い飛ばしてしまう。
「まぁ、そう言われても仕方ないアパートだと思ってるから、今さら気にしないけど」
「お客さん、来たの?」
不意に朝霞の後ろから男の子が現れて、これこそ度肝を抜かれた。
「お、お前! 俺に猿だ何だって言ってる癖に自分は同棲するような男がいるのかよ!」
怒鳴りつければ、呆れた顔で朝霞が見上げてくる。
「あんた、本当に猿ね。これ弟。ほら、挨拶」
背後から引っ張り出された弟は、おどおどしていて朝霞とは似ても似つかない。それどころか、朝霞よりも女の子みたいな顔をしていて、マジマジと見れば恥ずかしそうに俯いてしまう。
「朝霞光です……あの、今回はご一緒させて貰うことになって嬉しいです」
ぼそぼそと小さな声で話す様子は、本気で朝霞とは正反対だ。
……ん、ご一緒?
「え、まさかライトって……」
「そう光がライト。今中学三年。まぁ、年も年だから表には出てないの」
「中学生……」
ぼそりと呟いたのは隣に立っていた秋生で、その顔も呆然としたものだ。確かに俄に信じがたいものがあって、はい、そうですかと納得できるものでもない。
しかも中学生があれだけの曲を作る。その才能が素直に凄いと思う。
「まぁ、積もる話しは後にして上がってよ」
大きく扉を開けて中に促される。部屋に入れば二畳ほどのキッチンと六畳の和室。奥に四畳半の和室があって、そこで寝ていることを説明される。
六畳の和室にはラグが敷かれ、窓際には机が二台ありその上にはパソコンが置いてある。片方の机にはペンタブが置かれ、それが朝霞のものだと分かる。もう片方の机にはサイドラックが置かれ、その上にキーボードが乗せられていてライトである光のものだと理解した。
でも、理解したのと納得するのは別物で、勧められるままにラグに座る。そして正面に座る光をマジマジと見つめてしまう。
「シュウ、見すぎ」
「いや、でもあの曲を作った本人と思うとやっぱり興味が」
そのまま光を見つめていれば、目が合った途端に光は俯いてしまう。姉とは違い、余程臆病なのか人慣れしていないように見える。
「アキは知ってるわね。名前は坂戸秋生。もう一人はクラスメイトの川越修平」
「川越さんって、姉さんがエロ猿って言ってた」
「馬鹿、そういうことは言わなくていいの」
「ご、ごめん」
その会話だけで、自分がこの家でどういう扱いを受けているのかが垣間見える。しかも、完全に朝霞の尻に敷かれている光の様子も窺える。でも、姉と弟というものはこんなものかもしれない。実際、修平自身も年の離れた姉には頭が上がらない。
だが、エロ猿発言はさすがに聞き流せない。
「お前なぁ、普通弟にまで言うか?」
「あんたが面白おかしい学生生活を送ってるからでしょ。それに嘘は言ってないわよ、嘘は」
「だからって言い方あるだろ。中学生に対して……そもそも俺の株が落ちる」
「大丈夫。もう地底奥深くまで落ちてるから」
淡々と会話を交わしている間に、秋生は秋生で光に話し掛けていて色々と聞き出している。それを聞く限り、曲を作り始めたのは朝霞に勧められたからだと分かる。
「僕……色々あって学校に行ってないから、何かできることを探しなさいって姉さんに言われて、それで曲作り始めたんです」
「学校行ってないって?」
「色々と遣る気がなくて、どうして学校行くのか意味が分からなくなっちゃって」
「親は何も言わないの?」
「いないから言わないわよ。そもそも、両親が二年前に死んでから登校拒否。今は登校拒否した子が通うスクールと、ピアノ教室だけ通ってる」
いきなり朝霞の口から語られたダーク気味な会話に、思わず自分も秋生も口を噤んでしまう。それでも気を取り直したのか、立ち直りが早かったのか秋生の方が先に口を開いた。
「アパートって高校生じゃ借りられないよね」
「ここは伯母の持ち物なの。元々伯母の家で一緒に暮らしてたんだけど環境最悪でね。光が登校拒否になった段階で追い出された。自分の子どもに影響あると困るとか何とか言って。それでここに押し込められてる訳」
「それって児童相談所に駆け込んでもいいんじゃないの?」
「別に行くほどのことでもないわよ。住むところはあるし、生活費だって僅かながら仕送りしてくれる訳だし。それに高校卒業したらこんな場所出てくわよ。そんな訳で私にはお金が必要なの。だから今回のゲームはまさに命がけな訳。川越、あんたは死ぬ気でやってきた何かを見せてくれるんでしょうね」
不意に話しを振られて、慌てて鞄から一枚のDVDを取り出した。
「おう、男に二言はないからな。まずこれを見ろ」
「何よ、これ」
「見れば分かる。まずはこれが第一弾」
朝霞に取り出したDVDを渡せば、すぐにラグから立ち上がるとパソコンにDVDを入れた。オートプレイでDVDが読み込まれ、画面にそれぞれの名前がローマ字で映し出されて砂嵐に消えて行く。
そして始まったのは、改めて修平が作り直したアニメーション、オープニング画面だった。
朝霞から貰ったイラストを分割して、立ち絵だったアニメーションは瞬きをさせたり、手を動かしたりさせた。勿論、背景やらエフェクトにも凝り、光の音楽も入れた。修平としてはここまで気合いを入れたとは初めてだった。
「凄いなぁ、これシュウが一人で?」
「当たり前だろ。誰に手伝って貰うんだよ」
「うん、本当に凄い。これは意外な才能だわ」
「よし、もっと褒めろ」
「姉さんの絵がアニメになるとこうなるんだ……それにこれ僕の曲と凄く合ってる」
それぞれの感想をもの凄い満足した気分で聞いていれば、三分ほどのアニメーションが終わりに近づく。
『少年の選択が……そして、少女の選択が未来を変える。……ぽろりもあるよ』
その文字の後に大画面で少女と少年の裸体が現れて、三者三様に固まる。
「あれ? 受けなかった?」
「ちょっと、何であの画像があんたの所にあるのよ!」
「朝霞が間違えて送ってきたんだろ。おかしいなぁ、笑いを取る予定だったのに」
「取れるかー!」
叫ぶ朝霞とは違い、我に返った秋生と光は笑いが止まらないのか、腹を抱えて笑っている。
「いや、俺はあれを送られてきた時、一体どんな暗号があるのかと思ったぞ」
「単に間違えたに決まってるでしょ! それに体格とかきちんと描いておかないと、後々困るから必ずキャラの裸体絵は描くようにしてるの! もう、人に見せるようなものじゃないでしょ!」
「や、このメンバーだしいいんじゃねぇの。ほら、しっかり笑いは取れてるし」
「もう、笑ってないで何か言ってよ!」
助けを求めるように秋生に言い募る朝霞だったが、余りにも二人が爆笑していることもあり小さくため息をついた。
「……まぁ、あんたの本気は一応見せて貰った」
「馬鹿いうな。こんなもんじゃないって、ほれ、第二弾」
もう一枚DVDを取り出すと、驚いた顔をする朝霞に突き出す。朝霞はアニメーションの終わったDVDを抜き取ると、渡したばかりのDVDを中へ入れた。しばらく読み込みに時間が掛かり、それからいきなり画面が現れる。
「え、これ」
「ある程度までは動く。まだ細かい打ち合わせしてないから当てた絵と曲は適当だけど、一応アキのシナリオ通りに入れてある」
朝霞がマウスを操作すると、その方向にキャラが動き近くの村へと入った。廃墟のような村の中で、二人の子どもが立っている。勿論、そんなイラストをまだ貰っていないから、色の入っていない子どもキャラが立っているだけだ。
朝霞の指が子どものキャラをクリックすれば、子どもたちが話しだす。会話は画面下にある枠の中に現れて、クリックするごとに文字は改ページされていく。
「本当にこれ川越が作ったの?」
訝しげに聞いてくる朝霞の反応はさすがに修平としても面白く無い。
「お前なぁ、もう少し持ち上げてくれてもいいだろ」
「ごめん、言い方が悪かったかも。ツール使えるのは聞いていたけど、これ、ツールだけじゃないでしょ」
「ツール使ってるよ。ただ、ツール作成者に相談しながらツールのプログラム変更はしてるけど」
「連絡してまで作ったっていうの?」
「勿論、俺だってやる時はやる男だしな。まぁ、あのまま馬鹿にされてるのが面白くなかったし、それに朝霞もアキも本気なんだろ? だったら、俺がグズグズしてたら本気でダメな奴だろ。そこまで最低な奴になりたくないしさ」
途端に手を伸ばしてきた朝霞は、自分の額に掌を当てる。
「熱は無いみたいね」
「お前、本気で失礼な奴だな」
「白昼夢でも見てる気分だけど……分かった。とりあえずアキは嘘を言ってた訳じゃないことは証明されたわ」
「ちょっと待て、俺の努力を褒めろっての」
「うん、一応遠回しに褒めてるから」
「全然褒めてねぇだろ、それ」
呆れながらため息をつけば、手を離した朝霞が楽しそうに笑う。そうした笑顔を向けられたのは初めてのことかもしれない。
「大丈夫、認めたわよ。これからも川越と一緒にゲームを作っていくんだって」
「そりゃあ良かった。本当はアドベンチャーの方も作ってたんだけどそっちは間に合わなかった。まぁ、容量的にDVDに入れるのは厳しいんだよなぁ。ノートパソコンでもあればいいんだけど」
「持ってないの?」
「残念ながら」
両手を挙げて降参のポーズを取れば、朝霞は少し考えた様子を見せる。続く言葉を待っていれば、椅子に座ったままの朝霞は軽く膝を打った。
「よし、ノートパソコン二台買うわ。川越の分と光の分」
「……は? お前、何を言ってるんだよ」
「だって、ノートパソコン持ってると打ち合わせの時に楽じゃない。それに賞金貰ったらそこからきっちり払って貰うわよ」
「待て……もし取れなかったらどうするつもりだよ」
「その時はイベントで売ればいいわよ。私のイラストにライトの曲とくれば、元が取れるくらいには売れるわよ」
そういうものなんだろうか。いや、確かに昨日の様子を見ればそれなりの売れ行きは期待できるに違いない。だが、今回の為だけに安くもないノートパソコンを買うのは気が引ける。
「……その金、朝霞が出すんだよな」
「出すわよ。だってこれから打ち合わせの度に必要になってくるし。それに多少の出費は最初から仕方ないと思っていたから」
「でも、お前金必要なんだろ?」
「当たり前でしょ。お金はどんな時でも生きていくには必要。でも、必要経費にお金を掛けなければ時間の無駄でしょ。例えば、こうして見せて貰っても、ここの部分は差し替えお願いとかその場で決まった時、ノートパソコンあればすぐに直しが利くじゃない」
「それなら俺が自分でバイトでもして」
「いい? アキのシナリオはあれでまだ十分の一にもなってないの。これからは時間との勝負だし、悪いけど無駄な時間はないの」
時間が無いことは本当だと思う。そして、朝霞の気迫に飲まれた部分もある。
「……分かった。でも、今回作り終わったらバイトしてでもきちんと金は払うから」
「川越って思ってたよりも律儀ね。ちょっとびっくりだわ」
先ほどとは違い、気迫をなくした朝霞はそれだけ言うとわざとらしく肩を竦めて見せる。
「お前なぁ、俺がどんだけ図々しいと思ってるんだよ」
「生活態度を見て、かな」
「今日だけでお前がどんな目で俺を見てたのかよく分かった」
「あら、それはおめでとう。さてと、光、あんたも作った曲聞かせて意見聞かないと」
慌てたように光が立ち上がり、自分のパソコンに向かうと幾つかのソフトを立ち上げていく。スピーカーからヘッドホンジャックを抜くと、ゆっくりと曲が流れ出す。
それは昨日買ったCDとはまた別の曲で、すでにゲーム用の曲を作っていることに驚いた。
「これがオープニングの曲にする予定です。川越さんと時間とか打ち合わせしないといけないんですけど……一応三分くらいの予定でいます」
やはり光が話す声は小さい。そして酷く自信なさげに見えるのが納得いかない。
曲を聴き終えたところで、修平は立ち上がると椅子に座る光の肩に手を置いた。
「俺さ、少し前まで光くんの作った曲聞いたことなかったんだよね。でも、アキからCD借りてヘビロテしてる。凄い曲作ってると思う。だから自信持っていいぞ。それに昨日発売されたCDも買ったけど、あれももの凄く良かったし、今の曲も凄くいいと思う」
「あ、あの……買ったんですか?」
「イベントで買ったよ。俺もアキも。だって光くんが作る曲格好いいと思ったし」
「言って貰えたら……差し上げたのに」
「すぐに欲しかったんだよ。それくらい気に入ってる。オープニング三分って言ったな。いいよ、今聞いた曲に合わせてアニメーション作る。朝霞……って、光も朝霞か」
「ケイでいいわよ。あんたに名前呼ばれる度に光が怯えるし」
「怯えるって、えっ、俺怖い?」
慌てて光に顔を向ければ、まさに怯えた様子で首を勢いよく横に振る。まるでそれは壊れたおもちゃのようで、必死さだけが伺える。
「あー……別にとって食いはしないし、怒鳴ったりしないから」
「す、すみません……」
「謝る必要もなし。幾つか曲作ったなら聞かせてよ、他のも」
「はい」
消えそうなほど小さな声で返事をした光は、次々と曲を披露してくれる。その合間にやはり小さな声で戦闘シーンとか、街中とか説明をしてくれる。そのどれもが修平にとって新鮮なもので、感嘆を隠しきれない。
そのまま他に必要になる曲は何かと話し合いながら出し合っていく。続いて秋生のシナリオで気になっていた部分などを話し合い、七時を過ぎたところで一旦休憩を入れた。
夕飯を食べていけばという朝霞の言葉に甘えることになり、朝霞は一人キッチンで料理を作る。その間、秋生と二人光から色々な話しを聞き出す。
曲を作るのは昔から好きだったけど、誕生日に音楽機材を朝霞が買ってきて驚いたこと。それを触って作るのが楽しいこと。今回、誘われて迷った時に、朝霞が背中を押してくれたこと。そのことを本当に嬉しそうに光が話す。
確かに気が弱そうな部分はあるけど、それでも普通の中学生と何ら代わり映えしない。そして、やりたいことがあるという光が少しだけ眩しく感じた。
でも、こうして聞くと光が本気で今回のゲームに向き合っていることは伝わってきて、修平自身のテンションも上がってくる。
「やばい、何か楽しい気がする」
「え? いまさら?」
「いまさらで悪かったな。でも、こうして集まって話すのが楽しいと思ったことって少ないからさ」
「それって、僕だと話し相手にならなかったって聞こえるんだけど」
「そういう揚げ足取るなって。そういうのじゃなくてさ、一つの物事にこう誰かと一緒に突き進んでいく感じって早々ないだろ。少なくとも文化祭とかじゃ味わえないものがあると思うね、俺は」
途端に秋生はおかしそうに笑い、同じように目の前に座る光も笑っている。
「それは違うだろうね。だって、文化祭は少なくとも色々と規制も多いし、自分が好きなこととは違うから。川越は本気になれそう?」
「なってるよ。半端したら俺、本当にしょうもない奴だぞ。このメンバーだと」
「やれることをやれば誰も文句は言わないよ。ただ、時間がないのは確かだからシュウの場合、来週から始まる試験で赤点とかは勘弁してね」
「うわぁ、嫌なこと思い出させるなよ」
「え? もしかして川越って赤ギリギリな訳?」
会話に入ってきたのは、両手に皿を持った朝霞で、修平は素直に突き出されたその皿を受け取るとテーブルに置いた。
「……悪かったな」
「ふてくされてる場合じゃないでしょ。来週は一週間、一旦開発止めて試験勉強期間ね。赤点取って夏休みを補習で潰されたら困るし。アキ、ちょっとこれの勉強見てやってよ」
「そういうお前はどうなんだよ」
途端に黙った朝霞は何も答えることなくキッチンへと再び姿を消してしまう。思わず消えてしまった朝霞ではなく光に向き直る。
「お前の姉ちゃん、成績どうなんだよ」
「中の下くらいだと思います。赤点とかは聞いたことありませんけど、良いとも聞いたことありません」
「何だよ、人のこと言えねぇじゃんか」
「はぁ……そんなので張り合ってどうするの。勉強まとめて二人とも見るよ。光くんはどうする? もしだったら一緒に勉強教えるけど」
しばらく視線をさまよわせた光は、しっかりと秋生に視線を合わせると頭を下げた。
「あの……お願いします。できたら、来年高校受験したいですし」
「分かった、勉強は見てあげる。でもね、受験したいならきちんと中学は行くべきだよ。苛められたとかじゃないんでしょ?」
「それはないですけど……」
「余り厳しいことは言いたくないけど、好きなことだけやって生きていける訳じゃないよ。もし、光くんが大人になった時、中学も通ってないとなると相手にされないこともある。それに、中学は中学で、高校は高校で学べることはある筈だから」
「……はい」
余程秋生の言葉が堪えたのか、すっかりしょげた光に修平は何と言っていいのか分からない。今日聞いた話しだけでも、朝霞の家は複雑な感じがする。だから俗に言う一般家庭に育った修平としては、言うべき言葉が見つからない。
「アキ、余りうちの弟苛めないでよ。まぁ、アキの言葉は正論だから否定はしないけど」
今度はトレーで白飯と味噌汁を運んできた朝霞を手伝いながら、朝霞の言葉を意外に思った。てっきり光を甘やかしてばかりなのかと思ったけど、そうではないらしい。確かに中学に行ってないとなれば、後々問題になるに違いない。
そういえば、電話で朝霞が言っていた『本気になれない病』というのは光のことだったのかもしれない。
「余り俺が言えた義理じゃないけどさ、好きなことを続けたいと思ったら、それなりに違う部分で努力もしないといけないんじゃないか? 例えば俺たちの試験もそうだし、光が学校行くのもそうだと思う。少なくとも高校行きたいなら、それに対する努力もしないといけないんじゃない。まぁ、俺も最近まで考えたことなかったけど」
少なくとも、他人に説教できるほどしっかり先を見据えたことはない。ただ、今はこうしてゲームを作り上げるという目標ができて、それが楽しいと思う。でも本気で作り上げたいなら時間を無駄にはできないから、そのために試験勉強をする。
それは遠回りに見えるかもしれないけど、実際には近道なんだと今なら分かる。
「まぁ、行ってみれば友達できたりして楽しいかもしれないしな。俺とアキなんて中学からの友達だし」
「そうなんですか?」
「同じ中学だったからね。僕は今からでも遅くないと思うよ。喧嘩したり、馬鹿をしたりって、やっぱり友達いてこそだと思うから。うん、でもシュウみたいになると困るけど」
「だからどうしてそこで混ぜっ返す。俺、もの凄く格好よく決めたところなのに」
「それはあんたの行動が伴ってないからでしょ。ほら、箸回して」
確かにそれを言われたら修平としても言い返せない。素直に朝霞から箸を受け取ると、自分の分を取って隣の秋生に回す。
次々と料理は運ばれていて、狭いテーブルに四人分の料理が並べば満員御礼状態だ。ご飯に味噌汁、大皿に盛られた肉野菜炒めと、肉じゃが、そしてサラダ。それぞれに小皿が配られ、いただきますという挨拶と共に食事は始まった。
下らないことを話して笑いながら、秋生や朝霞から鋭い突っ込みを受ける。時折、聞き役に徹してる光にも話しを振り、そこから話題を膨らましたりして三十分ほどの食事を終えると、再びゲームの打ち合わせに入り、細かいことを決めていく。
かなり揉めたけど、最初はロープレの方から作り込んでいくことに話しが決まり、その時点で九時を回っていたこともあり解散することになった。
買い物があるという朝霞と共に三人で家を出ると、通りに出たところで朝霞が声を掛けてきた。
「色々ありがとね。光のこと」
「別に何もしてないだろ」
「本当はもっと色々しないといけないのは分かるけど、私にできることも少なくてさ。ああして他人から色々言って貰えると違うから感謝してる」
「そう言って貰えると嬉しいけど……ケイは大丈夫?」
秋生の言葉でようやく朝霞の負担を考えることに思い至る。確かによく考えてみれば、両親はいない、弟は登校拒否、そして自分の稼ぎのために漫画を描く。しかも、それだって恐らく生活のためなんだということは今日だけで充分に理解できた。
「私は平気。基本好きなことをしてるから。まぁ、光が学校行くようになると、心労は減るけどね」
「余り無理しないで何かあれば言いなよ」
「うん、大丈夫」
そう言って笑う朝霞の顔はクラスの誰よりも大人びて見えて、何故か胸が痛んだ。どうしてかは分からない。ただ、同情したのは確かだった。
少なくとも自分が朝霞の立場であれば、とっくにぶち切れているに違いない。
「これからも遠慮なく言ってやって。馬鹿じゃないから考えるくらいは光だってする筈だし。じゃあ、私はここで」
コンビニ前で朝霞と別れると、秋生と二人並んで駅へと向かう。
「何か予想以上にハードな世界を覗いた気がするぞ、俺は」
「まぁね。正直、僕も驚いてる」
「でもいいんかねぇ、あれ。俺は好きなことやってるから色々切り捨ててるんだと思ったけど、結局、金のためなんだよな。確かに朝霞が言うように金は必要なものだけど、学校生活切り捨ててまで大事にすることなのか?」
「多分だけど、伯母さんからの支援っていうのもほとんどゼロに近いんじゃないかな。だから朝霞があそこまで必死になってるんだと思う。朝霞自身も切り捨てることが良いとは思っていないと思うよ。夕食の会話からすると……」
学校に行けば友達ができて楽しいと朝霞は言っていた。でも、実際に朝霞自身は学校内で友達らしき人間は一人もいない。
どういう気持ちでそれを言ったのか考えると、胸のあたりがモヤモヤとして嫌な感じだった。
「歯痒いとは思うけど、僕たちにできることは本当にないんだよね」
ため息混じりの秋生に、殊更明るい声で修平は答える。
「あるじゃん。ゲーム、まじでトップ狙えるように作ろう。そこで名前が売れたら違うんだろ?」
「賞金も大きいし?」
「そうそう」
それが正解が不正解かは分からない。ただ自分が流されるままに生活している間、必死になって生きている人間がいたことが衝撃だった。そして、その人が身近になった時、少しだけ今までの自分を恥じた。
改めて、本気で頑張りたいと思えて、掌を握り締める。全てをやり遂げた時、何かが変わることを信じて……。

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