オークションの手続きは簡単なものだったし、デザインもある程度売れている人の物を参考にして数点作り上げた。
今時のナチュラル小物がよく分からないこともあって、皐月が作ったものは人気があるらしいトートバッグやグラニーバッグだった。色合いは最初は夏らしい淡い水色系も考えていたけれども、どうせなら年間通して使える方がいいかと考えてブルーグレーの生地をメインに色合いを考えた。
五点商品が出来上がった段階で、写真を撮るために部屋を見渡す。けれども、集中して作り込んでいたせいか、床には布や型紙、それだけでなく端布や型紙を切った屑紙などがこれでもか、と広げられている。
時計を見れば既に日をまたいで昼間になっている。よく考えてみれば一昨日の夜から集中しすぎて何も食べていないことに気づいて、慌てて買い置きとして冷蔵庫に入っている凍った食パンと凍ったままのミートソースを取り出す。凍ったミートソースを無造作にパンの上へのせると、スライスチーズの乗せて電子レンジの中へ入れてボタンを押した。
どうしても、集中してしまうと全てのことが頭から抜け落ちてしまい、他にやるべきことを忘れてしまう。思わず着ていたTシャツの裾を掴み上げて匂いを嗅いでみてしまうのは、もう風呂に入らず三日目になることもあった。
とにかく食べたら最初に風呂に入って、それから部屋の一角を程度片付けてから商品の写真を撮ることに決めると、いいタイミングで電子レンジが終了の音を奏でた。
八畳ワンルームの部屋は、ありとあらゆる所に物が散らばっていて、皐月は小さく溜息をつくとシンクに凭れ、皿を片手にできたばかりのパンに齧り付いた。兄が作るミートソースは程よい甘みと酸味があってかなり美味しい。何よりもゴロゴロとトマトが沢山入っていることがお気に入りだった。四枚切りのパンをあっさりとお腹の中に収めると、皐月はシンクに皿を置いてその足で部屋のカーテンを一気に閉めた。
ワンルームのマンションに脱衣所なんてしゃれたものはついていない。だから、その場で全てを脱ぎ去ると、キッチン横のゴミ箱と並んで置いてあるランドリーボックスの中に投げ入れ、ユニットバスになっている風呂場に足を踏み入れた。シャワーカーテンを閉めて手早く髪や身体を洗い終えると、トイレの上部にある棚からバスタオルを一枚取り出し軽く身体を拭いて再び部屋に戻った。
クーラーのひんやりした空気が気持ち良くて、身体に薄くついた水滴が徐々に乾燥していくのが分かる。カーテンを閉めていることもあって、全裸のままクローゼットを開けると下着とハーフパンツ、そしてTシャツを順番に身につけてから冷蔵庫で冷えている麦茶で喉を潤す。
そこまでして一服つくと、酷くすっきりした気分になってきて、あちらこちらに散らかしてあった布を、手早く部屋の片隅に山積みすると再びカーテンを開けた。
薄暗かった部屋が一瞬にして昼の光に照らされる。直接日差しは入ってこないけど、写真を撮るには充分な明かりになっていることは間違いない。高校の入学祝いに両親から貰ったデジタルカメラを机から取り出すと、組み立て式の小さなテーブルを取り出し窓際にセットする。
下敷きの布に無地で白の帆布を敷くと、その上に商品となるバッグを置いた。白い帆布は真っ白という訳ではなく、淡いベージュ掛かった色で、バッグそのものを引き立てる。尚かつ、帆布は夏向きの素材に思えて、皐月的には満足だった。
本来であれば観葉植物などを置けばナチュラル度もアップするけれども、自分すら面倒が見られない皐月が植物など育てている訳がない。白い壁をバッグに何枚か写真を撮ると、他のバッグも同じ角度で写真に撮ってから、今度は別角度からも何枚かの写真を撮っていく。全ての商品が撮り終えると、それをすぐさまパソコンに取り込む。
右側に寄った写真を選ぶと、それぞれの商品について左側の少し空いた部分にナチュラルに映えるフォントを選び、鞄のサイズや自分の名前を入れてポスターのように仕上げていく。
本来であれば画質の調整もしたいところだったけど、光量は充分だし、下手に弄って現物と違うと言われても困るのでそのままにした。
一つの商品に対して三枚の写真を用意すると、それをオークションサイトにアップしてオークションを開始した。
一応、今から一週間後という設定をすると、何だかホッとして急激に眠気に襲われる。フラフラとそのままベッドに倒れ込むと、皐月は部屋の惨状はそのままに眠りへと落ちた。
* * *
目が覚めたのは耳障りなチャイムの音だった。眠い目を擦りながら身体を起こせば、夕方の日差しが窓から差し込んでいる。時計を見れば既に六時を回るところで、すぐ隣にある日付は、皐月が覚えているよりも一日進んでいた。
丸一日以上眠っていたことに気づいて苦笑しながらもベッドから身体を起こす。何度もなる呼び鈴に渋々立ち上がると、チェーンをつけた状態で玄関の扉を開けた。
そこに立っていたのは兄で、一度扉を閉めてチェーンを外してから改めて大きく扉を開いた。
「春兄ぃ、来るなら前もって連絡入れてっていつも言ってるでしょ」
「昨日の夜メール入れたけど読んでなかったのか?」
「け、携帯の充電忘れてたかも……それで、今日はどうした訳?」
もし、一日中寝てたなどと言えば兄が必要以上に心配することが分かっていたから、苦しい言い訳をしつつもこちらから質問を投げる。
苦しい言い訳にも関わらず納得する兄の背後で動く影があり、兄と同じくらい長身の男が皐月の視界に入る。サングラスを掛けた男は皐月よりもさらに背後、どうやら部屋の中を見ていることに気づく。
部屋の惨状を思い出して、皐月は慌ててサンダルを履くと、兄を追い出すようにして玄関先に出ると、廊下に出たところで背後の扉を閉めた。さすがに兄相手に散らかしまくった部屋を見られるのは構わないが、他人に見られて恥ずかしく思わない訳ではない。
「皐月、どうかしたのか?」
「ど、どうして他人を連れてくる訳? もう色々ありえない!」
「え? あぁ、彼は俺の学生時代からの友人で笹塚那智」
閉ざされた筈の扉を見つめていた男は、ゆっくりと皐月に顔を向けてくると顔にしたままになっていたサングラスを外した。印象的な茶色の目が皐月を見据える。その視線の強さに皐月は思わず半歩退いてしまう。けれども、次の瞬間に男は人好きするような笑顔を浮かべた。
「初めまして、笹塚です」
どこか人形のような目が細められると、それだけで顔に表情が現れその二面性に少しだけ驚いた。
「初めまして、新見……皐月です」
普段であれば名字だけで構わないけれども、兄の友人ともなれば同じ名字を名乗っている以上、名字だけという訳にもいかない。くったくなく笑う笹塚は、誰もが認める好青年のようにも見える。よく見れば顔立ちだって整っているし、背も兄と同じくらいだから百八十はあるに違いない。かなり格好いい部類に入る男に、あんなに散らかし放題の部屋を見られたのかと思うと、皐月としてはがっくりと肩を落とすしかない。
別に恋愛ごとに興味があるかと聞かれたら、全くないときっぱり言える。それでも、他人に、しかも格好いい異性に見られたともなれば話しは別だ。
「春兄ぃ……」
思わず責めるように兄を睨んだけれども、兄は兄でそんな皐月の気持ちを読み取ることはできないらしく、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべている。
「近くまで来たから一緒に食事でもしようと思って。それに、那智なんだ、皐月の予備校に紹介状を書いてくれたの」
「え……?」
その言葉で改めて笹塚を見上げれば、笹塚は目が合った途端に笑みを浮かべた。確かにこの笑顔を見て苦手意識を持つ人間はいないに違いない。少なくとも、人見知りをする皐月ですら、イヤな印象は全くない。勿論、それは間に兄がいるから、ということも大きいに違いない。
「皐月」
兄に促されて、慌てて皐月は頭を下げた。
「あの時は本当に有難うございました。後からあの予備校、本当に通うのが大変なことを聞いて……有難うございます」
「別に俺は大したことしてないから」
爽やかな顔立ちと相まって、、生真面目な兄の友人というのも何だか納得できる。兄と一緒で、かなりのお人好しなのかもしれない。
でも、そんな人に汚部屋を見られたことはかなりショックが大きい。隠したところで汚部屋なことには変わりないのだから、取り繕っても仕方ないことだと思う。でも、兄相手の時みたいに開き直ることはできそうにない。
「皐月、それでこれから一緒に食事でもどうかと思うんだけど」
「ごめん、今日はちょっと」
とにかく恥ずかしかった。あの汚い部屋を見られたことが恥ずかしかったし、それを見られた上で一緒に食事なんて落ち着いていられる筈もない。
「何で? 何か用事でもあるの?」
「部屋が凄い状態だから掃除しようと思って」
「それなら後で俺が手伝うから」
「ぎゃーっ! 春兄ぃ!!」
慌てて兄の言葉を遮るように声を掛けると、強引に腕を掴んだ皐月はそのまま笹塚と少し距離を取ってから声を掛けた。
「お願いだから、他人がいるところで部屋が汚いことを吹聴するようなことはやめてよ!」
「他人って別に那智だし……もしかして、皐月、那智に」
「違うから、断じて違うから。でも、私だってこれでも年頃の娘なんだから、普通に考えて汚い部屋に住んでるとは誰相手にでも思われたくないの!」
「でも、事実は事実だから」
「確かに事実かもしれないけど、そこは普通、他人に言わないところでしょ!」
「お兄ちゃんは掃除が苦手な皐月も好きだから心配ないよ」
いや、もうそういう問題ではなくて……そう思うのに兄を説得する手段を無くした皐月はがっくりと肩を落とした。やっぱり、兄はある意味変だ。そりゃあ、皐月だって兄のことが好きではあるが、そんなこと口に出して言える訳もない。普通にそれを口にする兄の方が変なことは間違いない。
「とにかく、他人の前で掃除ができないなんて言わないでよ!」
「分かったよ。もう言わないように気をつけるよ」
どこまで気をつけてくれるのか兄のことだから全く読めない。でも、今はそれを信じるしかない。こちらを凝視している笹塚をいつまでも放っておく訳にも行かず、笹塚の元に二人して戻ると、皐月は改めてお断りの言葉を口にした。そこで諦めてくれると思っていたのに、意外なことに口を挟んできたのは笹塚だった。
「皐月ちゃん……今はスケッチとか描いてる?」
「スケッチ、ですか? 授業とか課題で描いてますけど」
「いや、そうじゃなくて、服とか小物とかの類の」
「え? ……そういう物はもうしばらく描いてませんけど」
「でも、俺が春樹から見せて貰ったのは」
「あぁ、あのスケッチは皐月が中学生の頃に描いたスケッチだよ」
「中学生……」
驚いた顔をする笹塚とは逆に、皐月としては聞き流してはならないことを聞いた気がする。
「はぁ!? 春兄ぃ、どういうこと? 中学生の頃に描いたスケッチって何?」
「ほら、昔はよくこういう服が着たいとか、色々描いてたじゃないか」
「それは分かってる。それを何で春兄ぃが笹塚さんに見せてるのか、ってことよ!」
「えぇ、だって、推薦状書くなら少しスケッチを見せて欲しいって言うから」
「だからって普通中学時代のスケッチなんて渡さないでしょ!」
勢いのままに言い募れば、途端に兄は肩を落として情けない顔を向けてくる。
「だって、折角色々描いてあったし、それに最近の絵は皐月、全然見せてくれないじゃないか」
「それは……」
結局は恥ずかしい、それに尽きる。実際、見せるのが本気でイヤなのかというとそういう訳でもない。ただ、描き綴ってきたスケッチブックは、皐月の感情がだだ漏れしている気がして、どうにも他人に見せるのは恥ずかしい。こういう気持ちは、同じように絵を描く人間でないと中々分かって貰えない。
「完成した絵は見せてるじゃん」
「俺はスケッチの方が好きだな。皐月が描きたいと思ったものをきちんと描いてる気がするから」
笑顔でそう言われてしまうと、皐月としてはもう言える言葉もない。そのまま黙り込んでしまえば、傍観者に徹していた笹塚が声を掛けてきた。
「最近は洋服とかデザインしないの?」
「洋服に対する熱はもう中学生の頃だけで、今は全く……あ、でも、小物であればこの数日デザインしたものがあります」
「それ、見せて貰えないかな」
正直、恥ずかしさはある。でも、中学時代のスケッチを見て推薦状を書いてくれた笹塚はもっといたたまれない気持ちかもしれない。そう思うと、皐月は玄関の扉に手を掛けてから振り返る。
「お願いだから部屋の中は見ないで下さい」
それだけ言うと皐月は細く開けた扉の隙間から部屋に戻ると、慌てて先日オークション用に描いたばかりのデザイン画をクロッキー帳から破り取ると、それを手に再び玄関の外に出た。外に出れば、肩を震わせて笑う笹塚と、困惑した様子の兄がいて、それを目にした皐月も困惑する。
「あ、ごめん、見せて貰っても?」
笑いをどうにか呑み込んだ笹塚に問い掛けられて、皐月は無言のまま手にしていたデザイン画を笹塚に渡した。ゆっくりと一枚ずつ見ていた笹塚だったが、一枚見るごとに笹塚の顔から穏やかさが消えていく。
「あの、何か問題ありますか?」
「皐月ちゃんは、今後、こっちの方向に進む予定?」
「いえ、一応卒業後は広告代理店の就職希望です」
「それなら、これは趣味なんだろうし別にこのままでも構わないと思うよ」
そう言って笹塚は笑顔でデザイン画を返してくれたけど、微妙に納得が行かない。それは表情に出ていたのか、微かに苦笑した笹塚は持っていた鞄から名刺入れを取り出すと、その中から一枚取り出し皐月に差し出してきた。
「もし、本気で何言われても泣かない覚悟があるなら連絡してくればいいよ。でも、俺、基本的に容赦ないタイプだからボッコボコにされる前提と覚悟で連絡してね」
素直に差し出された名刺を受け取ったものの、皐月としては爽やかに笑う笹塚に容赦ないと言われても違和感ありまくりだった。実際、こうして目の前で見ても、笹塚は優しげだし、見せる笑顔は爽やかで、あの整った顔で容赦ないと言われてもにわかに信じられない。いや、顔が全てという訳でもないが、兄と同じように物腰やわらかなタイプで、他人にきつく言えるタイプには余り見えない。
それとも少しのミスも許されないように見えるらしい兄と同じで、笹塚にも二面性があるのだろうか。そんなことを考えながらも皐月は笹塚の言葉に頷きを返した。
笹塚にとって、一体何がダメだったのか、何が気になったのか、それが気にならないと言えば嘘になる。でも、そんな前置きを貰ったら皐月としては連絡しづらい。手元にある名刺に視線を落とせば、社名などはなく、肩書きは服飾デザイナーになっていた。それを見て、何故笹塚が洋服や小物類のデザイン画に拘ったのか分かった気がした。
「皐月、とりあえず一緒に夕飯でも」
「ダメ、とにかく部屋を今日は片付けるから」
「でも、折角だし」
「いいから行ってきて! 食事ならまた今度付き合うから!」
「もしかして……これから誰か来るとか? 例えば健吾くんとか」
「だーかーら! これから部屋片付けないといけないくらい汚い部屋に何で人呼ばないといけないのよ! 呼ぶ訳ないでしょ!」
兄妹で視線を合わせたまま黙り込めば、しばらくすると微かに笑い声が聞こえてきて兄と共にそちらへと視線を向ける。そこでは口元を抑えて肩を震わせ、限りなくこちらをみないように背を向けた笹塚がいた。
「那智、何笑ってるんだ?」
「いや、春樹のシスコンっぷりに笑いが止まらなくなった」
「那智にも可愛い妹いるじゃないか。気持ち分かるだろ」
「あれは非常に中身が可愛くないから、春樹の気持ちは理解できそうにないよ。春樹、今からそんなんじゃ、もし皐月ちゃんが恋人連れてきたらどうするんだよ」
途端に兄の顔がフリーズしたように見えた。さすがにその凍りように笹塚の顔から笑いが消える。
「春樹? いや、その……冗談だから。だから気にすることないよ」
一生懸命笹塚が兄を慰めているが、皐月としてはいまだ固まったままの兄に大きく溜息をつく。降ろしていた手を軽く握ると兄の肩先を軽く小突いた。
「春兄ぃ、今の春兄ぃ見て決めた。私、絶対に紹介とかしないで結婚するから」
「皐月ぃー」
「それじゃあ、ゆっくり夕飯でも食べてきて。私は片付けするから。それじゃあ」
まだ騒ぐ兄を放置して、それでも扉を閉める際に目の合った笹塚にだけは軽く会釈をしてから扉を閉めた。扉の外でまだ兄が騒いでいる声は聞こえたけど、皐月は手にしたままのデザイン画に視線を落とす。
改めて見たデザイン画は色鉛筆で色合いまで指定したものだったが、笹塚のあの言い方だと全然ダメだと言われたような気がした。でも、一体、何がダメだったのか皐月には分からない。分からないということが既にダメなのかもしれない。
そんなことを考えながら部屋に戻りベッドに転がる。色合いは夏を意識したものになっているし、ナチュラル系ということで奇抜さはそぎ落とした。確かにナチュラル系という物が余り好きではないけど、それなりにまとまっているような気がする。自分で描いたデザイン画を何度見ても、やはり現時点でダメ出しされる理由を見つけることはできなかった。