匣から溢れ出る殺意 Act.08

深夜に少女がいる病室に戻ってきた芝浦は、少女と手を繋ぐ松永と交代して椅子に座った。声を潜めて捜査状況を伝え、それから少し雑談をした。だが、気づけば寝ていたらしく、目を開けた時には少女が心配そうに自分を見ていた。
「あぁ、すまない、寝てたな」
それに対して少女は勢いよく首を横に振ると、握っていた手をより強く握り締めた。辺りを見回せば松永の姿はなく、そんな松永に内心舌打ちする。けれども、寝ていた自分にも否はあるので文句を言える立場でもない。だが、後で小言の一つくらいは言っておかないと気は済みそうにない。
そんな芝浦の気持ちに気づいたのか、少女は慌てて声を掛けてきた。
「あの、松永さんは私の食事を取りに行っています。それに松永さんが、シバさんは全然寝てないから、少し寝かせておいた方がいいって言ってました。……ごめんなさい、もっと私がきちんと話せたら、芝浦さんも眠れるのに」
それはまるで真実は隠していると言っているようなものだったが、少女は自分の言葉に気づいていないらしい。
「そうだな、話せるなら話して貰えたら嬉しいなぁ。君は人を殺したりしてないだろ。そうじゃなければ、こんな出会ったばかりの俺を気にするとは思えん。君にとって神田はどういう人だった?」
話すとは思えなかったけれども、それでもやけにすっきりとした顔をしていたから何となく芝浦は少女に話しを振ってみた。これで黙ってしまうなら、それはそれで仕方ない、という気持ちもあった。ここまで頑なになった少女と知り合ってたかが一日、だから最初から余り期待はしていなかった。それにも関わらず、少女はぽつり、ぽつりと語り出した。
「最初は嫌いだった。……でも、その内に神田くんだけが話し掛けてくるようになって……ブスとかブタとか、そういう言葉だったけど、でも、他の人はまるで私のこと見えないみたいな感じだったから…………嫌いじゃなかった」
「階段から突き落とされたんだろ?」
「でも、助けてくれようとしたの。それにきちんと謝ってくれたし……翌日にはいじめたりしなかった。でも、私にはそれが悲しかった」
「悲しかった?」
いじめられなくなって喜ぶならまだ分かる。けれども、悲しかったという言葉が芝浦にはピンとこない。それ以前になぜ少女が多くを語り始めたのか、その理由もよく分からない。
「だって、クラスで声を掛けてくれるのは神田くんだけだったから……神田くんから声を掛けられなかったら、私はそこにいないのと一緒だから……」
普通であればいじめられることで孤独になるのに、いじめられることで認識されて存在を確認する。そんな孤独があることなど想像したことも無かった。ただ、思っていた通り、少女は神田に憎しみはないことがこれで分かる。
「どうして話す気になった?」
「松永さんが……シバさんは、どんなことになっても私を見捨てるようなことはしないって……だから、信じてみようと思って。あと、こうして手を繋いでいてくれたことが嬉しかった。それに……いざとなれば家に来ればいいって言ってくれたのが凄く嬉しかったから」
そう言って芝浦を見ている少女は微かに笑みを浮かべた。実際、引受先が見つかるまで家に置いても構わないと思っていたし、既に定年間近ということもあり、その言葉に嘘はない。けれども、まさかその言葉にそこまで少女が重きを置いているとは思ってもいなかった。
お互い見つめ合ったままの空間にノックの音が響き、扉が開いて顔を出したのは松永と黒澤だった。
「おはよう、真利亜ちゃん」
「あれー、シバさん、もう起きたんですか? もう少し寝てても良かったのに」
トレーを持った松永が近づいてきたこともあり、一旦、少女の手を離してからベッドに備え付けのテーブルを組み立てると、松永がその上にトレーを置いた。視線が合えば松永は、きちんと寝かせておいたんですから感謝して下さいよ、と言わんばかりの笑みを浮かべている。一層のこと、ここで怒鳴りつけてしまうことも考えたが、どうにかそれを踏み止まったのはすぐ傍に少女がいたからだ。
一応、これでも容疑者である少女を一人にした松永に文句の三つや四つは言いたいところだったけれども、少女の手前、それを口にすることもできない。
「あら、今日は随分顔色が良いじゃない。何かいいことでもあったの?」
近づいてきた黒澤は軽く少女の前髪を掻き上げると、その手を額にあてる。熱もないらしく、笑顔を見せる黒澤に少女は小さく頷いて見せる。
「何があったの?」
「芝浦さんが手を握ってくれて勇気が出たから、全部……全部話そうと思うんです」
少女の言葉にそれぞれの動きが止まり、芝浦も思わず少女を見つめてしまう。確かに、松永たちが来なければ、全てを話してくれそうな雰囲気ではあった。けれども、頑なになっていた少女がどうして話す気になったのか分からない。勇気が出たと言っているけど、何がどう勇気になったのか、そして手を繋いでいたことで何が助け船になったのは分からない。
けれども、何もかも話してくれるというのであれば、芝浦としては正直助かる。事件は容疑者を一人ずつ消していかないことには始まらない。もし、少女が違うと否定してくれるのであれば、それに越したことはない。少なくとも、先ほどの話を考えれば、恐らく少女は神田を殺してはいないのだろう。
思わず詰め寄りそうになった芝浦を止めたのは黒澤の言葉だった。
「それなら、まずは食事。朝食を取って、それからゆっくり話しをしましょう。多分、長い話しになるでしょうしね」
確かに折角温かい朝食があるのだから、それは美味しい内に食べて欲しいという気持ちは分かる。
「先生、少しここをお願いできますか? シバさん、ちょっと話しが」
そう言って廊下へと連れ出されたけれども、松永が何かを言う前に芝浦は拳を松永の頭に落とした。
「シ、シバさん?」
「マツ、お前寝てる俺をここに置いて何の意味がある!」
睨み付ければようやく己の失態に気づいたのか、松永は小さく「あ」と呟いてから情けない顔に変化する。恐らく、少女と一緒にいたことによって、少女が容疑者の一人だという事実が抜け落ちていたに違いない。
「すみません」
「寝てた俺も悪いが、こういう時は起こせ」
「今後気をつけます」
謝った松永だったが、それよりも報告したことがあるらしく、その謝罪はおざなりなものだった。
「本部から三十分ほど前に連絡があって、同じクラスの渋谷という少年が自首してきたそうです」
「はぁ? また容疑者増えたのか?」
「えぇ、ただその少年は農薬を入れて神田を殺したと言ったらしく、今、本部では懇々と説教しているらしいです」
「自首してきた理由は?」
「それは後で報告がくると思います。それから科捜研からの報告があって、神田の体内から見つかったものと同じ物だと断定されたようです」
「本当か?」
詰め寄るように問い掛ければ、松永は幾度となく頷いてみせる。どうやら冗談を言っている雰囲気ではない。けれども、これでは少女の容疑は物的証拠から決定的なものになるに違いない。とにかく少女から話しを早く聞くしかない。
「えぇ……それで、本部長が午後にはこちらに来て彼女から事情を聞くと」
「残された時間は午前中、残り三時間ということか」
「一応、本部長はシバさんの顔を立ててくれたんだと思います」
きっぱりと言う松永に視線を向ければ、言葉と同じように真剣な顔をした松永がそこにいる。
「最後の事件、それに真利亜ちゃんはシバさんに懐いている。その全てを酌んでくれた結果だと思います。時間は少ないですけど、全てを話すと言っている真利亜ちゃんから話しを聞きましょう!」
「あぁ、それで事件が解決する訳じゃないが、足がかりにはなるだろ。だが、焦るなよ」
松永に言いながらも、自分にも言い聞かせる。頷く松永の背中を軽く叩いて再び病室に戻れば、少女は食事を初めていたが、その手を止めてこちらへと視線を向ける。そんな少女の視線に気づいて黒澤は笑う。
「ほら、戻ってきたでしょ。大丈夫、シバさんは必ずここに来るから安心しなさい。それで、続きだけどもう少し聞かせて貰ってもいいかしら」
「……はい」
それまでにも幾つか黒澤は質問していたのか、疲れやすいとか、口内炎があるかとか、幾つかの質問をしている。どうやら質問から精神的な状況もチェックしている様子が伺える。恐らく、この質問の結果、悪くなければ少女に話しをさせるつもりなのだろう。
芝浦たちが戻ってきてから二十近くの質問を終えた黒澤はようやく少女を解放すると、芝浦の方へやってきて小さく頷いた。今現在、少女の精神は安定状態にある、ということなのだろう。
「さてと、私はちょっと樋口先生と話しがあるから出るわね。何かあったらナースコール」
「あぁ、分かった」
返事をすれば黒澤は小さく笑みを浮かべる。まるでその笑みが頑張れと背中を押すようなもので、それに対して芝浦も微かに笑みを浮かべた。多くの会話を交わすことはせず、黒澤はそのまま病室を出て行ってしまい、部屋には三人が残る。
「シバさん、これ」
松永がテーブルの上に置いてあったビニール袋を引き寄せると、それを芝浦に手渡してくる。それを受け取れば、中には菓子パンや料理パンが幾つか入っていて、これが自分たちの朝食であり、松永が買い出しに行っていたことも分かる。
「お前なぁ」
「それは反省してます。とにかく、今は朝飯一緒に食べましょうよー」
余り食の進まない少女を考えてのことだと分かれば、芝浦としてもここで文句をつける訳にもいかない。袋の中からサンドウィッチとやきそばパンを取り出すと、少女の横にある椅子に腰掛けた。同じように松永も隣にある椅子に腰掛けるとビニール袋からあんぱんとジャムパンを取り出し、その選択肢に芝浦としては眉根が寄る。
「お前、そんな甘いもんばっかり食うのか?」
「えぇ、俺、甘いの大好きなんですよ。特にメロンパンが好きなんですけど、売店にメロンパンなくて超ショックです。あ、真利亜ちゃんは好きな菓子パンとかある?」
「え……私はチョココロネとか好きです」
「あぁ、あれも美味しいよね。でも、いつもどっちから食べるか迷うんだよねぇ」
「分かります。私はしっぽをちぎってチョコつけて食べてます」
何だかよく分からないが、どうやら芝浦が眠っている間に、少女と松永は意気投合とまではいかないものの、それなりの交流時間を持っていたらしい。相変わらず少女は遠慮がちな声ではあったものの、その表情は明らかに昨日までの鬱々としたものでは無い。恐らく、少女の中で何かが吹っ切れたのかもしれない。そう思いながら、芝浦は時折二人の会話に口を挟みながらも、二つの調理パンを平らげると昨日買ったままになっていた紅茶で流し込んだ。
昨日よりかは若干食べていたが、少女は全てを食べきれずに朝食を残してしまう。それを見て、具合が悪いのか問い掛けたが、いつも朝食を取らないから入らないと言われてしまう。だが、昨日も余り食事に手をつけていなかったから、多少、引っかかりを覚える。けれども、無理に詰め込む訳にもいかないから松永にトレーを手渡し、それを松永が片付けに行っている間にテーブルを片付けてしまう。
「あの……全部話します。でも、その間、手を握っていてもいいですか? ……怖くて」
「あぁ、それくらい構わんさ」
芝浦が手を差し出せば、少女は遠慮がちに芝浦の手に触れた。けれども、その手は震えながらも必死に芝浦の手を握り締めてくる。一体、何を言おうとしているのか分からない。今さら嘘をつくとは思えなかったけれども、芝浦にも伝えなければならないことがある。
「同じクラスの立川という少年を知ってるか?」
「……はい」
「彼が神田を殺したと自首してきた」
「まさか……何で立川くんが……」
「理由はよく分からん。自首してきたが、すっかり黙り込んでいるんでな」
渋谷についても話そうと思ったが、詳細が分からない以上、今は何も伝えない。もう少し分かれば少女に伝えても良かったが、面白半分だとしたら少女に伝える必要もない。
「神田と立川は仲が良かったんだよな」
「はい……でも、立川くんはいつも神田くんがいじめるのを止めようとしてくれていて……でも、殺すなんてそんなこと……」
「君にとって立川はそういうことをするタイプじゃない?」
「はい。だって、本当に優しくて、もし辛いなら神田くんにも文句言うからって……でも、殺すとかそういうことするタイプじゃないんです。本当に!」
「そうか。ならきちんと調べていかないとな。そのためには君の発言が大切なものになる。きちんと話してくれるか?」
芝浦の声に少女は頷き、そこへ松永が戻ってきたこともあり、改めて少女に発言を促した。まず、神田が死んだ時の状況を話して貰ったけれども、新たな情報はなく、そこに少女が神田を殺したという発言は無い。
「君が持っていたあの小瓶の毒。あれはどこから手に入れた?」
途端に少女は黙り込んでしまい、そのまま黙秘してしまうのかと思った。けれども、芝浦の手を強く握り締めると、芝浦の目を見つめてくる。その目は真剣で、けれども、縋るような助けを求めるようなものだった。
「言ったら、私、あの人たちに殺されるかもしれない! だから、助けて下さい!」
まさに必死な様子で訴えてくる少女に、芝浦はすぐに頷くことはしなかった。
「あの人たちっていうのは誰だ」
「……パパやママ。言ったら、もう二度と物置から出して貰えなくなる!」
「二度と? そんな長い間閉じ込められたことがあるのか? 脅しじゃなくて」
「長い時は三日閉じ込められました。まだ三年の時だったけど、寒くて死ぬかと思った。この間は二日、このままだと殺されると思ったし、もしかしたら私が殺すかもしれない。そう思ったら、もうあの家に怖くていられなくなって……家出したんです」
殺すかもしれない、そして殺されるかもしれない。そんな相反した恐怖は普通に味わえるようなものではない。けれども、そんな親相手でも殺したくない、そう思えるこの少女はやはり神田を殺していないのだろう。そう思うと、少しだけ安堵する気持ちが芝浦の中に広がる気がした。
「この間閉じ込められたっていうのは、神田が殺害される前に学校を休んでいた二日間のことだな。それは何が理由で閉じ込められたんだ?」
「……仕事をしなかったから。私が家にいる犬や猫の面倒を見なかったから……」
「それだけのことで?」
「……生まれた子猫や子犬を処分しなかったから。あの薬、家にあって生まれてきた子に障害があった場合、あの薬を飲ませて殺すんです」
「まさか、それを君が……」
芝浦の問い掛けに涙を浮かべた少女が頷く。その勢いで溜まっていた涙が布団の上に落ちた。
「パパやママは生まれた子猫や子犬を売ってお金を貰っていたみたいです。でも、障害がある子は殺して庭に埋める、それ以外にいる子には水と餌をあげるのが私の仕事でした。本当はそんなのしたくなかった! でも、しないと物置に閉じ込められるから怖くて! 何度もイヤだと思ったのに、パパもママも怖くて言えなかった!」
それは悲痛な叫びだった。親からの虐待と単純に考えていたけれども、想像もよらない虐待方法に芝浦は唖然とするしかない。勿論、すぐ傍にいる松永など口を開けたまま固まっていて、その顔色は血の気を失っている。
それでも少女がきつく握り締める手を、逆に握り締めるとその頭をゆっくりと撫でる。
「よく言った。頑張ったな」
途端に堰を切ったように泣き出した少女を、それ以上言葉にすることなく、ひたすら頭を撫でる。確かに子どものいない芝浦には親の気持ちなど到底分からない。けれども、そんなことを子どもにやらせる親の神経はどうあっても理解できるものではない。いや、理解すらしたくない。そして、少女の泣く姿から、どれだけそれがやりたくないことだったのか、そして、後悔しているのか分かる。
不意に松永はベッドの傍らに近づくと、少女に声を掛けた。
「もしかして、五十匹って家の中で飼ってるの? それともどこか別のところで?」
「家の中です……一匹ずつケージに入れて、その中に……ごめんなさい、私、犬は毎日散歩させなきゃいけないって知らなかった。ずっとケージに入ったままだから歩けない子とかもいて……お願いです、あの子たちも助けて下さい!」
必死に訴える少女に、どんな言葉を掛けていいのか分からない。大人なら割り切れることも子どもであれば割り切れないことも多いだろうし、上手い言葉を探しきれない。
「パピーミルか……」
顔を顰めた松永だったけれども、口にした横文字は芝浦には聞き慣れない言葉だった。
「何だ、それは」
「最近、血統書付きの犬や猫を格安でネットを使って売ったりする人たちがいるんですよ。勿論、業者の場合もありますが、数多くの個人がそうやってペットを売買しているんです。飼う人たちは格安で血統書付きの犬や猫を飼えるから喜ぶし、売る方は大量生産して安くで譲る。勿論、きちんと育てている人たちも多いんですけど、中には生き物とは思えない扱いをして子犬や子猫を産ませて売る人たちもいるんです」
「うちも多分そうです。散歩なんて一度もさせたことないし、ケージから出したことだってない。死んでしまった子たちはみんな庭に埋めて、それで終わり……生きてるのに、あの子たちだって生きてるのに」
「シバさん、そういう犬猫がいるなら俺も助けたいと思いますよ! 何か方法無いんですか?」
「あるな。しかも、今日中に行ける理由があるだろ」
「何ですか?」
「君はいつも毒で殺したと言った。それは通常、どこに置いてある」
「家の中……犬や猫がいる部屋に置いてあります」
それを聞いた芝浦はすぐに携帯を取り出すと本部に連絡を入れると、関根に変わって貰う。そして、少女の現状、それから毒のあった場所、それらを伝え、家宅捜索の令状を取ることができるか確認すれば、関根はとにかくすぐに掛け合うという返事を貰い電話を切った。
「マツ、お前、そのパピーミルについて、何か色々知ってる人間はいないのか。下手したら今日中に動物の引受先を探さないとならない」
「NPOが存在してます。連絡取ってみます」
すぐに松永が電話を取り出すのを横目で確認しながら、まだ涙が止まらない少女と顔を合わせると、その頭を撫でてやる。
「怖いけどそれでも話した結果はこうしてきちんと出る。改めて事情も聞くが、今日これから俺とマツは君の家に行って現状を確認してくる。今は毒の置いてある場所だけ教えて欲しい」
「棚に……茶色の瓶に入ってます。あの子たちのいる部屋に棚があって、その中に茶色の瓶があります」
「分かった。代わりの人間が来ると思うけど、俺の仲間だ。怖く無いから安心しろ。それに黒澤先生もここに呼んでおくから」
頷く少女にもう一度頭を撫でてやると、芝浦は電話で黒澤に病室へ戻るように伝えると、電話の終わったらしい松永に声を掛けた。
「マツ、本部に一旦戻るぞ! お前も来い」
「ここはいいんですか?」
「すぐに先生が来る」
手を離す前にもう一度握っていた手に力を加えると、少女が驚いたように顔をあげる。その顔に僅かに笑みを向けてから芝浦は少女の手を離した。
「またあとで戻る」
その言葉に少女が頷くのを確認してから松永と共に病室を出た。丁度、廊下向こうから足早に黒澤が戻ってくる姿が見える。
「俺たちは本部に戻る」
「話し、聞き出せたのね」
「あぁ、でも、色々聞き出して不安定になってるかもしれん。ついていてやっててくれ」
「分かったわ」
それだけ言うと黒澤はノックしてすぐに病室へと入ってしまい、それを確認してから芝浦たちも駐車場に向かって歩き出す。二人で車に乗り込み、芝浦が助手席でシートベルトをつけたところで、こちらを見ている松永の視線に気づく。
「なんだ」
「今から偉そうなこと言います」
「そんな前置きはいらねぇよ。とっとと言え」
「シバさん……少し、あの子に肩入れしすぎな気がします。確かに子ども相手だし、気持ちは分かるんですけど……ただ、まだあの子は容疑者の一人であって、完全に容疑から外れた訳じゃありません。それに、もしかしたらということもあります」
松永に言われて、芝浦としては苦笑するしかない。確かに松永の言う通り、自分は随分とあの少女に肩入れてしている気がする。普段であればこんなことにならないのは、子ども相手だからなのか、それとも残り僅かという刑事という仕事に甘えが出ているのか分からない。だが、松永に指摘されるまで肩入れしている事実に気づかなかったし、否定することもできない。
「いや、お前の言う通りだな。これからは気をつける」
「すみません、生意気言って」
「言われて良かったさ。そうでなければ、最後まで気づかなかったかもしれんしな」
隣であからさまにホッした顔をする松永に内心苦笑しながら正面に建つ病院を見上げる。とにかく、今は全てを白日の下に暴き出し、事件を解決するのが先決だった。そして、少女のことについてはそれから考えても遅くはない。
定年間近とはいえども、芝浦は刑事だ。気を引き締め直すと芝浦は建物から視線を逸らした。

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