青空の下で囁いて Act.3

ビルの駐車場に岡嶋が車を停めたところで、うさぎは携帯から梁瀬に掛ける。二コールの間に梁瀬は電話に出たけれども、電話向こうからもざわめきが聞こえてきて、慌ただしさが分かる。

「うさぎちゃん? もう、マジ救世主! 今、迎えを一人やるから駐車場で待ってて。白木! お前駐車場に行って先言ってた客人迎えに行ってこい! バカ、そんなのは後でいい! 今すぐ!」

少し受話器から離してはいるらしいけれども、梁瀬の怒鳴り声が聞こえてきて戦場と化してることだけは窺えた。

「とにかく、今一人行ったからそいつと一緒に上に上がってきてくれるかな。それから」

不意に背後に聞こえていた筈のざわめきが聞こえなくなり、梁瀬は声の音量を落とした。

「今回、みんなの前だからハッキングは無しの方向で。っていうか、その話題はタブーということで」
「分かりました。すぐにそっちに行きます」
「もう、本当に恩にきる! 今度、何かごちそうするから!」

それだけ言うと、梁瀬は電話を切ってしまい、それだけで梁瀬がかなり焦っていることが分かる。不意に目の前にあるエレベーターの扉が開き、うさぎと変わらない年代の男性が顔を覗かせた。

「岡嶋さんと桜庭さん……ですか?」

酷く困惑した様子で声を掛けてくる男性にうさぎよりも早く岡嶋が返事をすれば、我に返ったようにエレベーターの扉を押さえると声を掛けてきた。

「乗って下さい」

言われるままに二人でエレベーターに乗り込むと、エレベーターの扉は閉まった。恐らく、先ほど梁瀬が呼んでいた白木というのがこの男性かもしれない。一応遠慮しているらしくチラチラ白木ははうさぎと岡嶋を見ているけれども、視線が気になりそちらへと顔を向ければばっちり目が合ってしまう。

「あの」
「す、すみません! あの、社長が信頼してる助っ人が来ると部長から聞いて、その、どちらが助っ人なのかと思って」
「あぁ、それで。助っ人は彼女、俺は送り迎え」

途端に驚いた顔で見つめられて、うさぎとしては落ち着かない気分になってくる。その間にエレベーターが到着し、彼を先頭にうさぎと岡嶋は歩いて行く。何度かシステムセキュリティーには来たことがあるけれども、このフロアに降りるのは初めてのことかもしれない。
いくつかの扉を通り過ぎ、突き当たりの部屋で白木が扉を開けるとそこには二十名程の人間がいた。その中にいた人間の視線が集中する中で声を掛けてきたのは梁瀬だった。

「うさぎちゃん! 休みの日にごめん!」
「大丈夫です。それよりも、状況を教えて貰えますか」

すぐに梁瀬はうさぎと岡嶋に椅子を勧めると、現在の状況を教えてくれる。ウイルスは数を増やしながら余分なファイルを作って容量を圧迫していくタイプのもので、ウイルス対応の出来ていない場所は手動で増えたファイルを消しているらしい。けれども、既にそれも限界に近い状況で容量を確実に食いつぶしているらしい。

ウイルスは増える時にセキュリティーに穴を開けるらしく、そこから時折ハッキングがしかけられる状況らしくそちらは梁瀬が対応に当たっているという。

「取りあえず、ウイルス発生時のログと、それからパソコンを一台」
「そのパソコン使って構わない。社長の物だしうさぎちゃんが使うなら文句言わない筈だから。白木、ログ!」

梁瀬が怒鳴れば、慌てたようにプリントアウトしたらしきログを持って先ほどエレベーターで一緒だった白木が差し出してくる。うさぎはそれを机に置くと、ウイルスの発生時期からのログを読み込んでいく。

ウイルスはどうやら三段階に分けて送り込まれたらしく、どれも上手くセキュリティーの穴をつかれている。白木はログと同時にシステムに関する書類も纏めておいてくれたらしく、そちらにも素早く目を通す。

「梁瀬さん、今、外部に提供してるサーバはどれですか?」

問い掛ければキーを叩いていた梁瀬はちらりとこちらを見たけれども、すぐにモニターに視線を移すと十から百二十と答えてくれる。今現在あるサーバは二百、百十は客先のものだからここへの進入は避けたいところに違いない。

「一番ウイルス被害の大きなサーバは、どれくらい持ちこたえられそうですか?」
「十分……いや、この容量だと八分強。被害の大きいのは二番、五番」
「取りあえず、新規ファイル削除プログラムを作ります。それからウイルス削除プログラムを」
「お願い」

うさぎは小さく深呼吸すると梶のパソコンに向かう。基本的に梶の使っていると言われるパソコンは、どれも同じものを入れてあるらしく、うさぎは慣れた手つきですぐにプログラムを組み始める。音も立てずにキーに指を走らせて集中してしまえば、すぐに周りの音は聞こえなくなる。

五分ほどでプログラムを組み上げると梁瀬に声を掛けて、共有されているファイルを教えて貰いプログラムを全てのサーバに入れるように指示して貰う。その間に、うさぎは更にウイルス除去用のプログラムを組み始める。

ネットワークからウイルスを探し出し、解析しながらも削除プログラムを組み上げていくけれども、まだ確実では無い。ただ、感染していないサーバはこのプログラムでウイルス感染を防ぐことが出来る。

「部長! ファイル、自動で削除されてます」
「手分けして全部に入れろ! 感染してないサーバには入れるなよ。ウイルス防御プログラムが入れられなくなるから!」

あちらこちらから梁瀬の声に対して返事が返ってくるけど、梁瀬もハッキングとの攻防で視線を上げる余裕は無いらしい。

一分一秒を争うプログラミングをうさぎはここ最近したことが無い。けれども、どこか高揚する自分がいて、更にキーボードに触れる指が早くなる。

本来であればウイルス除去プログラムを作ればいいのだけれども、防御プログラムよりも除去プログラムの方が作るのに時間が掛かる。とにかく守りたいのは客先のサーバであって、全てのサーバでは無い。だからこそ、うさぎは除去プログラムでは無く、防御プログラムを手早く組んでいく。

時折、感染サーバの方向が大声で報告されているけど、徐々にダミーサーバはウイルス感染をしているらしく、そのスピードも上がっている。うさぎは最後にチェックしてプログラムを組み終えると梁瀬に声を掛けた。

「梁瀬さん、今、共有フォルダにウイルス感染プログラムをアップしました。これは、客先のサーバに」

それだけ言えば、梁瀬は再び声を張り上げてそれぞれに指示を出していく。取りあえず、これで客先のサーバは停電でも起きない限り今現在止まることはない。そのことに小さく安堵の溜息を落としてから、再び梁瀬へ声を掛ける。

「除去プログラムを作るのと、ハッキング、どちらがいいですか?」
「俺? 俺、もうこっちでいいよ。うさぎちゃんがプログラム作る方が早い。ついでに、ウイルスがあけたセキュリティーホールも塞いでくれると助かる」
「分かりました。セキュリティーシステムの仕様はありますか?」

再び梁瀬は白木を呼び、セキュリティーシステムの仕様書を持ってこいと命令しているけど、さすがにその言葉には驚いたらしく白木は梁瀬に聞き返していた。確かにセキュリティー会社のセキュリティーシステムの仕様書を外部の人間に見せるとなれば躊躇するのも分からなくは無い。

「でも、部長」
「いいから持ってこい!」
「は、はいっ!」

慌てて掛けだした白木の後ろ姿を視界の端に納めていれば、同じく視界の端にいる梁瀬が大きく溜息をついた。

「ったく、いつまでも新人気分でいやがって」
「でも、仕方ないですよ。ここにいる人たちから見れば、私は外部の人間ですし」

声を掛けながらもうさぎはウイルス除去プログラムを組む指を停めることは無い。それは梁瀬も同じらしく、キーを叩きながら視線はモニターに釘付けだ。けれども、うさぎと同じように視界の端にうさぎの姿は見えているのだろう。

「笑い事じゃないって。もう、一層のこと社員に見えるように何度か足を運べば良かったんだ。それを社長が社員には会わせたくないとかダダ捏ねるから」
「駄々って、子どもみたいじゃないですか」

思わず笑ってしまえば、背後で聞いていた岡嶋も笑っている。

「正直、結構前にうさぎちゃんのこと非常勤という形で紹介しておいた方がいいって社長に言ったんだよ。そしたら、あの人、何て言ったと思う?」
「……分かった」

背後にいる岡嶋は溜息含みでそれに答えたけど、聞いているうさぎにはさっぱり分からない。

「プログラム組みながら謎かけはさすがにちょっと」
「あ、ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけどさ。誰にも見せたくない、とさ」
「……えっと、梶さんが、ですよね?」
「言いそうだよねぇ、あの人、心狭そうだし」
「だろー、もうさ、本気でどつこうかと思ったよ」

一体、これは誰の話しをしているのだろうかと、うさぎは困惑するしかない。嫉妬するとは言われたことはあっても、それを他人に見せるようなタイプだとは思っていなかっただけにうさぎとしては驚きだ。けれども、梁瀬にしろ岡嶋にしろ納得しているらしく、会話はどんどん続いていく。

「あはは、どつけば良かったじゃない」
「一応、相手社長だし拳振るわせて耐えたよ。俺、偉くね?」
「うん、分かるなぁ。俺も時々、あの人殴り飛ばしたくなるし」
「だよなー。うさぎちゃん可愛いのは分かるけど、そこまで過保護になるもんかねぇ」

あちらこちらから聞こえていた筈の声は徐々に小さくなり、既に部屋の中では全員が梁瀬と岡嶋の話しを聞き耳立てて聞いている状況にうさぎは声を掛けた。

「あの……」

二人の視線を受けながらも、うさぎは辺りを見回せばようやく二人も静まりかえってる室内に気付いたらしい。

「あー……まぁ、いっか。聞いた通り、彼女に手を出すなよー。心狭いから社長に首切られるかもしれないからな」

既にウイルスの動きがある程度止められたこともあって、梁瀬はどこか余裕があるらしい。うさぎはそれ以上口を挟むことも出来ず、酷く居心地悪い思いをしながらもモニターに視線を向けるしかない。

けれども、梶がまさかそんなことを梁瀬に言っているなんてことはうさぎは知らなかった。いつも以上に動悸がして落ち着かない。梶はいつでもうさぎの前では落ち着いた大人で、そんな独占欲を見せることをするような人じゃない。

確かに何度か岡嶋に対して嫉妬するようなことを言われたけれども、それだってサラリとしたものでうさぎは軽口程度に捉えていた。だから、梁瀬と岡嶋の話しが俄に信じがたい。けれども、あそこまで言われたら、うさぎの感覚の方が間違えているのかもしれない。だからといって幻滅する筈も無く、どちらかと言えば嬉しいし照れくさくて自分でも頬が熱くなってくるのが分かる。

だからそれを誤魔化すように隣に座る梁瀬へと声を掛けた。

「あの、いつも梶さんがいない時は梁瀬さんが対応してるんですか?」
「そう、結構客先に出ていない時もあるし。でも、対応が後手に回るなんて初めてだよ。休日なのに本当にごめんな」
「いえ、それは構わないんですけど」

確かにうさぎはこうして呼ばれたことは一度だって無い。だとすれば、今回のことは異例ということなのだろう。こうして見ているとハッキングについては梁瀬でも十分に対応出来るくらいの余裕ある相手らしい。だとすれば、今回痛手だったのはあのウイルスに原因があるのかもしれない。

「一つお願いがあるんですけど、あのウイルス空きサーバに一つ残しておいてもいいですか?」
「ネットワーク遮断してからなら構わないけど。解析するつもり?」
「少し興味が」

途端に梁瀬はこちらに顔を向けると苦笑している。単純に興味があるのだから、もう何を言われても仕方ないとうさぎは諦めるしかない。けれども、梁瀬はからかうようなことを言うことも無く肩を竦めてて見せた。

「大したお礼も出来ないし好きにしていいよ。サーバ八番なら好きに使って構わない。あそこはダミーサーバだし」
「有難うございます」

その声と共に最後となるエンターキーを軽く押すと、ウイルス除去プログラムは完成した。まず一度椅子から立ち上がると梁瀬から八番サーバがある場所を聞いて、その場所へ移動すると背後に回り込んでネットワークケーブルを外すと八番サーバをネットワークから遮断する。

それから改めてパソコン前に戻り、完成した除去プログラムを共有フォルダに入れて梁瀬に声を掛ける。梁瀬が部屋にいる社員に声を掛けている間にうさぎは鞄から自分のノートパソコンを取り出すと、片隅に放置されているケーブルを一本借りて八番サーバと自分のノートパソコンを繋げてからウイルスの解析を行う。

時折、近くにいる社員の視線を感じてはいたけど、ウイルスのプログラムソースを開いたところで思わず床に座り込んでいたうさぎは勢いよく立ち上がった。

「梁瀬さん!」
「うさぎちゃん?」
「これ……っ」

思わず大きな声を上げてしまったこともあり、慌てて口を噤むとノートパソコンを繋げた状態で放置して梁瀬へと近づく。全員の視線がうさぎに集まっていて痛いくらい感じてはいたけど、うさぎにとってはそれ所ではない。

「どうかした?」
「あのプログラム、ラストが組んだものに似てます」

全員の視線を感じながらも潜めた声でそれだけ言えば、梁瀬と岡嶋の顔からも笑みが消えた。

「……あいつ、捕まってるだろ」
「誰かにラストがウイルスを提供していた可能性も考えられます」
「……分かった、後で梶さんとも相談してみる。詳しい解析状況が分かったら色々と教えて貰える」
「分かりました」

潜めた声で話していることもあり社員たちは誰もが気にしている様子だったけれども、立場を考えればラストの名前を言える筈も無いし、誰がラストを知っているかも分からない。だからこそ、梁瀬もうさぎも岡嶋も、誰も余計なことは言わずに再び自分の作業に戻る。

社員の誰かが除去完了しました、という声を先頭に次々と報告が上がってくる。うさぎが座っていた場所で、報告を纏めていた岡嶋は全てのウイルス除去が完了したことを伝えると、梁瀬は近くにある電話を手に取った。時折聞こえてくる内容からも、セキュリティーポリス相手の電話だと分かる。

そして、うさぎは全てのプログラムソースの抜き出しに成功すると、改めて解析に掛かる。巧妙に作られたウイルスはかなりの早さで分離していくタイプらしく、サーバに入ればひたすらファイルを吐き出していくように設定されていた。ソースの組み方は人それぞれ特徴が意外と出るもので、昔うさぎが見たラストの癖がそこには幾つかあった。

梁瀬の声で解散した社員たちは、梁瀬や岡嶋、そしてうさぎにも声を掛けてから退室していった。それぞれスーツじゃなかったところを見ると、うさぎと同じように休日に呼び出された人間が大半だったらしく、部屋に残ったのはうさぎたちを除けば三人程だった。

しばらくの間、梁瀬は電話、うさぎは解析をしていたけれども、三十分程するとようやく梁瀬の電話が終わり、そこから更に十五分もすれば梁瀬も椅子から立ち上がった。

「うさぎちゃん、解析、他の場所でも出来る?」
「それは可能です。少し待っていて下さい」

取れるデータは取れたので、最後となるウイルスを除去するために八番サーバに除去プログラムを流し込んでから、うさぎは一旦ノートパソコンを閉じた。

上に行こう、という梁瀬の言葉で、サーバ管理室を後にした。三人でいるにも関わらず、そこに会話は無く、うさぎ自身も先ほどまで解析していたプログラムのことを考えていた。

確かにプログラムの組み方はラストと似通っている部分もある。ただ、ラストは現在、実刑判決を受けて刑務所にいる筈だ。

そういえば、実際、何年の実刑となったのかうさぎは知らない。ハッキングが犯罪ということは知っていたけど、果たしてどんな刑罰があるのかも調べたことは無かった。殺人などで十年、二十年と聞くけど、だとしたらハッキングの刑罰はどれくらいの物になるのだろう。

「梁瀬さん、ラストは本当に」
「オレも同じことを考えてた。少し調べて貰う」

それだけ言うと、梁瀬は携帯を取り出すと、どこかに電話をかけはじめた。梁瀬の声からも馴染みある相手らしく、軽口を叩いていたけれでも、ラストが出所したか調べて欲しいと伝えると電話を切った。

フロアを一つ上がり、梁瀬がセキュリティーカードをボックスの前に翳すとボックスの蓋が開く。ガラス板に人差し指を置くと鍵の外れた音が聞こえる。梁瀬と同じように、うさぎと岡嶋も指紋認証をすると社長室となっている部屋へと足を踏み入れた。

数年前、うさぎがバイトに来ていた時と中の様子は全く変わらず、機能性最優先なのがよく分かる。ただ、もしかしたら、貴美さんの姿をここに見ているのかもしれない、という気持ちも浮かんで、うさぎとしては少しだけホッとするような気持ちにもなる。辛い事故ではあったけれども、忘れていい存在では無いし、大切な人だったこそ無かったことにして欲しくないという気持ちもある。

「適当に座ってて」

梁瀬はそれだけ言うと内線電話を手に取ると、白木、コーヒー三つと頼んでいる。てっきり新入社員なのかと思っていたけど、どうやら秘書的立場にあるのかもしれない。

テーブルの上に先程のログを広げながら、モニター上で話していると五分もしない内に白木が入ってきてテーブルの上にコーヒーを三つ置いてくれる。

「有難うございます」
「い、いえ……あの」
「白木ー」

どこかからかう響きで梁瀬が声を掛ければ、慌てたように白木は背を向ける。思わずその背にうさぎは声を掛けた。

「あの、聞きたいことがあるなら」
「うさぎちゃん……俺、梶さんから言われてることがあるんだよね。出来るだけ社員と接触持たせるなって」
「でも、梁瀬さんの迷惑じゃないなら一つくらい話しを聞いても」
「俺は迷惑じゃないけどさ。まぁ、話す機会はこれからもあるだろ。今回はこっちが先決」

そう言って梁瀬さんが指さしたのは先ほどまで議論していたノートパソコンに表示されているログで、うさぎは少し迷ってから素直に頷いた。確かに優先順位を考えれば、話すのは後からだって出来ることだ。何よりも考えなければならないのはウイルス及びハッキングをした人についてだった。

「失礼します」

微妙な空気を感じたのか、白木は改めてこちらを向いて頭を下げた後に部屋を出て行ってしまう。そして、梁瀬はあからさまに大きな溜息をついた。そんな所が梶に似てきていると言ったら、梁瀬は一体どんな顔をするのか、そんな事を考えてうさぎは一人で微かに笑う。

「うさぎちゃん、人見知りしなくなったのはいいけど、適度にしないと危険だよ」

どうやら梁瀬と同じ考えのあるらしい岡嶋に言われると、さすがにうさぎとしては笑いも引っ込む。何故、どうして岡嶋までそんなことを言い出したのか分からない。それとも男の人は梶のように拘束したがるものなのだろうかとか、そんなことまで考えてしまって慌ててそれを打ち消した。

梶に拘束されるのは、独占欲の表れでうさぎとしては気分が悪いものではない。どちらかと言えば、時折見せるそんな言動が嬉しく思うことだってあるくらいだ。けれども、今回のことは些か遣り過ぎな気がしないでもない。

「まぁ、梶さんの独占欲も多少あるけど、ここの人間と接触を避けるのはうさぎちゃんの過去に触れる可能性もあるからだよ」

別に忘れていた訳じゃない。ただ、過去の犯罪が決して消えることの無いことだということを理解して、うさぎは息を飲む。あの頃は今考えても無謀だし、馬鹿だったんだと思う。だから危険に巻き込まれて、大変な目にもあった。

けれども、それを後悔しているかというと後悔は無く、ただ、あの時に会えた人たちに感謝している。でも、誰もがうさぎと同じ目線で語れる人ばかりでは無いことは分かる。

「色々考えが甘くて恥ずかしいです」
「うん、そうだね」

あっさりと岡嶋に肯定されてしまうとうさぎとしては、羞恥心で逃げ出したくなる。けれども、こうしてきちんと言ってくれる人だからこそ信用もしているし、逆に甘えすぎないように気をつけなければいけないという気持ちにもなる。

成長していたと思っていても、成長幅はうさぎが考えているよりもずっと幅のあるもので、まだまだだと痛感してしまう。それでも、こうして時折苦言を呈して傍にいてくれる岡嶋や梁瀬には頭が上がらない。

「いつも感謝しています」
「別に感謝はいらないかな。そんなうさぎちゃんを見て、俺も我が振り直してるところもあるし」
「何か、それは酷くないですか?」
「だから、注意はしてるでしょ?」

笑顔で言われてしまえば、うさぎとしては言葉に詰まる。元々、岡嶋に口で勝てたことなど一度だって無い。そういう意味では梁瀬にも、梶にも勝てたことが無いのだから、まだまだうさぎは未熟と自覚するしかない。

「梶さん、オレから見ても最近はうさぎちゃんに対して頑張ってると思うよ。まぁ、梶さん的にはうさぎちゃんの信頼度を上げるのに必死なんだと思うけどさ」
「信頼してますよ?」
「うん、でも、友達の信頼と恋人の信頼って、少しスケールが違うんだよなーとか、結婚してるオレは思う訳だ」

梁瀬の言うことはある意味分かり易いものでもあった。ただ、うさぎとしては恋人としても梶を信用はしてると思っているだけに、梁瀬の発言には少しばかり納得がいかない。

「さてと、とにかくこの解析結果、もう少し聞こうかな。梶さん来た時にはある程度ケリつけておきたいし」
「ハッカーはいいんですか?」
「あっちは警察に任せる。うちで調べてもいいけど、向こうに任せて恩を売っておくのも仕事の一つだからね」
「そういう問題なんですか?」
「そういうもんなんです」

笑顔で答える梁瀬に、うさぎは少し考えた末に思考を放棄した。会社としての方針もあるだろうし、セキュリティー会社として警察との繋がりはある程度あるのかもしれない。部外者であるうさぎがそれを口にするのもためらわれたからウイルスの活動ログや解析結果を梁瀬に説明していく。

時折、雑談を挟みながらもシステムセキュリティーの現状を耳にする。基本的に梶は仕事の話しをうさぎに振ることはしないので、初めて聞く話しも多く、色々と驚かされることもあった。特に、近年はハッカーたちがシステムセキュリティーのセキュリティーシステムを破ろうとしていると言う話しは驚きもあったけれども、それと同時に苦いものでもあった。

梶は長年やっているからともかく、梁瀬は破る方から守る方になっただけに心境は複雑らしく、話す時は少しだけ微妙に面白くなさそうな顔をしていた。けれども、そんな素直とも言える梁瀬の表情はうさぎの安心出来るものの一つでもあった。

不意に扉の外からざわめきが聞こえてうさぎが扉に視線を向けると同時に、鍵の開く音と共に扉が開いた。そこにいたのは梶ともう一人。

「婚約者にまで秘密にするんですか?」

唐突に飛び込んできた言葉に、うさぎは思わず固まってしまう。そして何よりも驚いたのは梶に絡みついた女性の腕だった。梶はその腕を振り解くことなく女性に視線を向けていることもあり、まだ中にいるうさぎたちに気付いていない様子だった。それでも、うさぎにとってはかなりの衝撃で、何かを言うことは出来ない。

「婚約した覚えは全くありません。失礼します」
「ちょっと待ちなさいよ! 私との婚約を断るつもり!」
「何度もお断りしていますが。これ以上付きまとうつもりでしたら警備員を呼びます」
「帰るわよ! 帰ればいいんでしょ!」

騒ぐ彼女の目の前で扉を閉めた梶は大きく溜息をつき、こちらを振り返ったところで驚いたように目を見開いた。

「ここにいたのか」
「報告兼ねて色々と」
「終わったのか?」
「久住さんに連絡入れておきましたよ。オレとしては業務連絡よりも先に説明が必要だと思うんですけど」

梁瀬の手がうさぎに向けられて、うさぎは慌てて首を横に振った。

「いえ、いいです。大体説明も終わりましたし、午後から予定もあるのでここで失礼します」

本当はきちんと話しを聞いた方がいいと思うけれども、うさぎは鞄を掴むと慌てて部屋を飛び出した。廊下に出ればそこに先ほどの彼女の姿は無くホッとしてしまう。一人廊下を歩いていると、日差しは温かいのに酷く指先が冷たくなっているのが分かる。

確かに梶が仕事上、お見合いなどをしていることは知ってたし、今更それをどうこう言うつもりは無い。ただ、分かってるつもりで目にするまでそれがどういうことなのかうさぎは分かっていなかったのかもしれない。先の人も随分綺麗な人だった。梶は全く気にした様子も無かったけれども、うさぎとしては面白いものでは無かった。

これが嫉妬だというものなんだとうさぎは自覚しながらも、バイト中に出入りしていた裏口からビルを後にした。電話が鳴っていて鞄から取り出すと、画面に表示されているのは梶の名前だった。けれども、今は自分の醜い感情を初めて目にしたばかりで、うさぎは梶と話せる気分ではなく、通話ボタンを押すこともなく鞄に再び携帯をしまう。

ビルの裏道から表通りに出ると、刺さるような強い日差しに目を細める。結婚をする気も無い自分が梶の傍にいていいのか、本格的な疑問として心の中に芽生えた気持ちに、うさぎは答えを見つけることが出来ずにいた。

そして頭の中に繰り返す言葉は、友情の信頼と恋愛の信頼は違うという梁瀬の言葉で、うさぎは強い日差しの中歩きながら小さく溜息をついた。

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