Chapter.VII:理想の結婚 Act.4

もう三度目、でも、ドキドキはしてる。でも、きちんとお互いの気持ちはここにあるから大丈夫。散々バカとか言われてきたけど、それでもいいって言ってくれたから、後は開き直るだけで……って開き直れるか!
一人ぐるぐるしている間に、一之瀬はキスをしながらもボタンを一つ、また一つと外していく。けれども、途中で手を止めたかと思うと菜枝の額を軽く小突いてくる。
「なによ」
「余計なこと考えるな」
「よ、余計なことじゃないもん! 色々考えて自分で服は脱いだ方がいいのかとか考えてたんだから!」
途端に一瞬言葉を止めた一之瀬は菜枝の胸に頭を乗せる。けれども、重さを感じさせないように体重は掛けないようにしてくれているのが分かる。
「クッ……ククク」
「な、何で笑う訳!」
「お前の発想は色々と飛び抜けて馬鹿だと思ってな」
笑いながら言われても菜枝としてはもの凄く面白くない。これでも、色々菜枝的には考えてるつもりなのに、バカ呼ばわりはもの凄く納得いかない。一層のこと、この手の本を少しでも読んでおくべきだったと後悔しても今更だ。
「バカバカ言うな!」
文句を言えば顔を上げた一之瀬が近すぎてギリギリぼやけないくらいの位置で視線を合わせると意地悪く笑う。
「俺は脱がせるのも楽しいから何もするな。ボタン一つ外すにも緊張してる菜枝を見てるのは楽しい」
「もの凄く意地悪い」
「知ってただろ」
でも、菜枝としてはムカつくことはあっても、心底意地が悪いと本気で思ったことは一度だって無い。だからゆるく首を横に振って否定する。
「本当に意地悪かったら好きになったりしないし」
「こういう場面で無意識に俺を喜ばせたりするから抱く度に泣かせる羽目になると、そろそろ気付いたらどうだ?」
「嬉しい訳?」
「当たり前だ」
途端に噛みつくように再びキスされる。先ほどのように触れるだけのキスではなく、深いそのキスに菜枝は目を閉じた。頭を抱え込まれて貪るように与えられるキスは、頭の芯を痺れさせる。余計な思考が一つ二つと抜け落ちいく。与えられるキス激しいキスに答えるのが精一杯で菜枝もゆっくりと一之瀬の背に腕を回す。
与えられるだけでなく、菜枝からも一之瀬へと舌を差し出せば、痺れるくらいに吸われて軽く噛まれると吐息が跳ねた。
「んっ……」
時折、唇の隙間から漏れる自分の吐息で身体が熱くなってくるのが分かる。着ていたブラウスのボタンが一つ外されたところで我に返った菜枝は、慌てて一之瀬の背中を叩いた。途端にもの凄く不服そうな顔をした一之瀬と視線が合う。今まで重ねていた唇は扉からの明かりで濡れていて、思わず菜枝は視線を逸らした。
「あの、風呂! 今日、色々あって汗かいたからシャワー浴びてからしたい!」
「……お前、本気で空気読めないな」
「だって、一之瀬全部触るし!」
溜息をついた一之瀬だったけれども、それでも「行ってこい」と菜枝の上から身体を避けてくれて、菜枝としては多少なりとも驚いた。正直、却下されるとばかり思っていたけど、許可を貰ったのであればシャワーくらいは浴びたい。
正直、一之瀬の親と会うということで緊張もしてたし、部屋が暖かかったこともあって汗ばんでいたのも事実だった。だからこそ、一之瀬の気が変わらない内に慌てて寝室から風呂場へと駆け込んだ。
着替えとか確かに気にはなったけど、いざとなれば一之瀬の服を借りればいい、そんな気持ちで服を脱ぐと下着だけ持ち込んで風呂場に足を踏み入れた。
この間はヨレヨレになりながらどうにか風呂に入ったという状況だったから余りよく見てなかったけど、無駄に広い浴室だと思う。しかも、浴槽は足まで伸ばして入れるジャグジーつきとなれば、菜枝としては正直羨ましい。毎日こんな風呂に入れるなら菜枝なら浮かれ気分で家に帰るに違いない。
最初に手早く下着を洗ってしまうと、髪と身体を洗い風呂に浸かれば長い溜息が浴室に響いて落ちる。のんびり足を伸ばせばかなり気持ちよくて顔の締まりが無くなる。
いずれお金が貯まったらきちんと足の伸ばせる浴槽がある所に引っ越しをしよう。そんなことを考えていたけど、そこでふと結婚するかもしれない事実に気付く。そうなれば、一之瀬と一緒に住むことになる訳で、考えると知らずに顔が赤くなってくる。
二人で生活するってどんな感じだろう。今でもハウスキーパーが入ってくるくらいだし、家では一之瀬は何もしなそう。いや、でも今回はコーヒーを淹れてくれたりした訳で、少しくらいは家のことをしたりするんだろうか。
何だか一之瀬と二人だけの生活というのは菜枝には想像がつかない。実際、結婚するといってもまだ婚約段階だから先の話しであって、今すぐ一緒に住むという訳じゃない。お互いの生活を知らないんだから想像だってつかないし、それは徐々に知っていけばいいのだと菜枝は自分を納得させていると、風呂の扉がいきなり開き飛び上がらんばかりに驚いた。
「い、い、一之瀬?」
「俺も入る」
「い、いやいやいや、私もう少ししたら出るし」
「別に今更気にすることでもないだろ」
「私が気にするっての!」
「なら出ればいい」
そうは言われても菜枝が持ち込んだタオルはまだ下着類と一緒にシャワーの所に置いてあって、タオルを手にするには浴槽から上がらないとならない。ということは一之瀬の前にしっかりと裸を晒すことになる訳で、菜枝は唇を尖らせながらも湯船に沈んだ。
しっかりと口元まで湯に浸かってから、どうしてそうなる! と叫んでみるけど、こうなると後の祭りだ。しかも、腹立たしいのは一之瀬はしっかりと腰にタオルが巻いてある辺りがやらしい。
でも、こうして明かりのある場所で眼鏡をしていない一之瀬を見るのは新鮮だった。立ったままシャワーを浴びると、一之瀬は髪を洗う。いつもツンツンと立っている髪がすっかり落ちてしまうと、それはもう親しい間柄の人間しか見ることの出来ない一之瀬の姿になる。
それでも身体を洗う段階になりタオルを外されると、菜枝も一之瀬を見ている訳にもいかず視線を逸らす。
しまった、ここは髪を洗っている間に出てしまえば良かったんだと気付いたけど、もう今更どうすることも出来ない。でも、このまま一之瀬が出るまで入ってたらのぼせそうだし、やっぱり女は度胸か?
そんなことを思っていれば名前を呼ばれて振り返る。何となく壁際を向いていた菜枝は振り返れば、一之瀬の手元に視線を注ぐと勢いよく立ち上がった。
「触らないでよ!」
「色気が無い下着だな」
「うるさい! 下着にお金掛けられるほど余裕ある訳じゃないから仕方ないでしょ!」
「その発言は女としてどうなんだ」
「そんなの人それぞれでしょ!」
一之瀬の手にした下着を奪おうと湯船から身を乗り出せば、一之瀬は伸ばした手を躱すと改めて菜枝のことを上から下まで見下ろしてくる。そこでハタと我に返ると、慌てて両手で身体を隠しながら湯船に屈み込んだ。
「ぎゃーっ! 見るな-!」
「勝手に立ち上がったんだろ。取り敢えず、この下着は却下」
「勝手に決めるな!」
「なら気に入ってるのか?」
「いや、まぁ、そういう訳じゃないけど、私の貴重な下着様だい!」
「それくら買ってやる。誕生日プレゼントとしてな」
ニヤリと笑うその顔に菜枝は背筋が寒くなる。自業自得とはいえ裸は見られるは、下着は見られるは、散々すぎて泣けてくる。
「イエ、遠慮シマス」
一之瀬に背を向けて壁に向かって声を掛ければ、水音がして振り返れば一之瀬が浴槽に足を突っ込んでいた。
「私出る!」
「別におかしくないだろ。恋人同士で一緒の風呂に入るくらい普通だろ」
普通? 普通なのか? これは普通のことなのか?
経験値の低い菜枝に普通か普通じゃないかの判断なんて分かる筈も無い。考えている間に一之瀬はしっかりと肩まで浸かってしまい、菜枝は端へよけるけど、一之瀬の腕が伸びてきて菜枝のウエストに絡みつく。
「ぎゃー! 今度は何だ! 何なんだ!」
「何でそんなに縮こまってる」
「だって、こんな恥ずかしくて無理!」
「だったらこうならいいか」
そう言って菜枝の身体を背中から一之瀬が抱き込んでくる。確かにこれなら顔も見えないし、気分的にはまだマシかもしれない。それでも、一之瀬が動く度にお湯が揺れて、それだけで菜枝の心臓は破裂寸前だ。何よりもこの明るい下というのがいけない。
ウエストに絡みついていた腕が、わずかに動いて指先が脇腹を撫でる。
「一之瀬、くすぐったいから動かさないでよ」
振り返った途端に唇を塞がれて、すぐに口内へと舌が入り込んでくる。その間に一之瀬の手は脇腹や腰を撫でる。それだけでゾクリとして身体が震える。
「や……んんっ……」
抵抗したいけど身体のあちらこちらをまさぐる掌は止まることなく刺激を与えてくる。しかも、もう片方の腕で塞がれた唇を離すことも出来ずに両手で身体をまさぐる手を捕まえるけど、酷く敏感になった身体に力が上手く入れられない。
既に刺激されることを覚えた身体は、少しの刺激でも快楽を拾い上げる。身体をまさぐっていた手が胸に触れると揉みしだかれて菜枝の身体から力が抜けていく。いたずらなんて可愛いレベルのものではなく、一之瀬の手は完全に意志を持っていて胸の先端を指の間に挟んだりして甘く身体を痺れさせる。
「や……ここ……じゃ……」
キスの合間にどうにかそれだけ伝えたけど、唇を離した一之瀬は不敵に笑う。
「無理、限界だ」
全然限界なんて感じに見えないのにそれだけ言うと、腰を押し当ててきた。途端に熱いものがお尻にあたり、それが一之瀬自身だと気付くと途端に顔が熱くなる。
片方の手は菜枝の胸をいたずらに刺激し、もう片方の手は太ももを撫でさする。その手つきはいかにも欲を感じさせるもので、ゆるりと逃げだそうとすれば、胸の先端を刺激されて身体を震わせている間に引き寄せられる。
ここだといやだと確かに思っているにも関わらず、唇から零れる吐息は既に感じてる時のそれで、そんな自分の反応すらさらなる刺激になって降りかかってくる。しかも、浴室内で自分のかすかな声さえも反響して、恥ずかしさも増す。
「……っちのせ……やめっ……ああっ!」
ゆるゆると太ももを撫でていた指がするりと内股に入り込むと、そのまま一之瀬の指が菜枝の中心に触れる。その刺激に背を仰け反らせると、後頭部に一之瀬の肩があたった。もう既にぬるりとした感触で一之瀬の指が滑るのを感じて、菜枝はゆるく首を横に振る。感じてるところを知られたくないと思うのに、一之瀬の指は止まることは無い。
感じる部分を刺激され、菜枝の唇は閉じることも出来ずに喘ぎだけが零れ落ち、浴槽内に響く。刺激される度に身体はピクリと反応を返してしまうけど、一之瀬は気にした様子もない。時折、背後から首筋や肩口にチクリとした痛みを残すだけで、何も言わない。
ゆっくりと指が入り込んでくると、そこが一之瀬の指を締め付けるのが分かる。一之瀬の家に泊まったのはたった二度。それなのに、一之瀬に身体を作り替えられるくらいに一之瀬の存在を身体に刻みつけられている。だから、続く刺激に菜枝は感じることしか出来ない。
「やっ……も……熱、い……」
言葉と同時に腰に腕を回して一之瀬と共に湯船から立たされると、浴槽のへりに座らさせられた。背中に当たるタイルの感触が冷たくて気持ちいい。小さく息をついたところで菜枝の膝に手をあてた一之瀬が大きく足を割り開く。屈み込む一之瀬の頭を菜枝は引きはがそうとするけど、一之瀬はチラリと菜枝を見上げると舌を伸ばして臍を舐めてくる。それは十分にその先を予感させるもので、菜枝は慌てた。
「やだ、そんなの!」
「この間もしただろ」
途端にこの間の気持ちよさを思い出してしまい、顔が熱くなると同時にお腹の辺りでじわりと熱が籠もり、じわりと熱が中心から溢れ出す。それが更に羞恥心を煽り、菜枝は膝に力を込めて閉じようとするも、既に一之瀬の身体が入り込んだ足をそれ以上閉ざすことは出来ない。
「だって、恥ずかしいでしょ!」
「……我慢してろ」
それだけ言うと一気に中心へと顔を寄せた一之瀬は、膝を押さえていた掌を内股を滑らせる。その感触ですら、菜枝の刺激になって一之瀬の髪を握りしめる。
指先が殊更ゆっくりと菜枝の狭間を二本の指で広げると、柔らかい舌が菜枝の感じる突起を舐め上げる。それだけで身体全体がわずかに震える。
「あっ! んんっ……ふっ……」
反響する声がまるで自分のものとは思えないくらいに甘い。菜枝はその声からも一之瀬が舌を使う度に聞こえる水音からも逃げ出したいのに、耳をふさぐことも出来ず、一之瀬の髪を掴むことしか出来ない。腰を引こうにも既に背中に当たるタイルで逃げ場は無い。
舌先で敏感な場所に触れられるたびに、それだけで内股の震えが止まらない。それなのに、一之瀬は時折歯を当てたりするから菜枝の唇からは意味を持たない喘ぎが漏れるだけになってしまう。
ゆっくりと秘唇を撫でていた指が、ゆっくりと中へ入ってくると菜枝は知らずにその指を締め付ける。
「気持ちよさそうだな」
「ちがっ……んんっ!」
「違わないだろ。ここが喜んで指を誘い込んでる」
途端に肌が粟立つ感覚と共に、じわりと中からまた溢れ出すのが分かり菜枝はゆるゆると顔を横に振った。
「そんな、の……聞きたくない……んっ」
「溢れてきたのに?」
その言葉と同時に一本だった指が二本に増やされ、指の付け根まで奥を抉られて身体が跳ねる。もう片方の指が菜枝の敏感な場所を刺激されると、中にいる二本の指を締め付けてその形をしっかりと菜枝にも伝えてくる。
何度も出し入れされて、その度に水音と菜枝の声が浴室に響く。時折、中を広げるようにしたり、指を軽く曲げて中の粘膜を刺激してくると、菜枝の身体は新たなその刺激にも震えた。
ただ気持ち良くて、何をどう文句を言えばいいのかすら頭の中でまとまらない。全ては一之瀬から与えられる刺激に意識がいってしまい、文句も徐々に抜け落ちていく。一之瀬の唇が菜枝の胸の先端を痛いくらい吸い上げてゆっくり舐められると、もうそこは触れられなくてもジンジンを熱を伝えてくる。
「もっ……やっ……むりぃ……ああっ……」
吐息の合間にそれだけ伝えると、更に一之瀬は刺激した後に全ての刺激を止めると指を引き抜いた。後少しというところで刺激を止められた胸や秘唇は痺れるような感触を残していて熱い。一旦、一之瀬の手を借りて立ち上がると疑問を口にするよりも先に壁についてるタオル掛けを掴まされると、腰を強く引かれる。
「な、に……?」
意味が分からずに振り返ろうとしたところで、くちゅりという音と共に熱が宛がわれるとゆっくりと中へ一之瀬自身が入り込んでくる。圧迫感と共に内壁へのこすれる刺激で菜枝の背が震える。
「ああぁ……んんっ…………!」
ゆっくりとしたものだけど、確実まで奥まで入り込んでから一之瀬は一旦そこで動きを止めた。もう少しというところで止められたこともあって、入れられただけでいきそうな菜枝の内壁はキュウキュウと一之瀬を締め付ける。
「もう、いくか?」
入れただけで動こうともしない一之瀬は、普段と変わらぬ声で問い掛けてくる。けれども、菜枝がその質問に対して素直に答えられる筈もない。
「聞かない、でよ」
「そうか」
それだけ言うと、一之瀬は菜枝の腰を改めて掴み直すと、ゆっくりと菜枝の中を行き来する。その度に内壁を擦られて声が上がる。時折角度を変えながら、一之瀬はゆっくりと動いていたけれども、ある場所を擦られた瞬間に一段と高い声が上がる。
「……ここか」
「な、なに?」
強い刺激に何が起きたのか一瞬分からず、菜枝が困惑している間にも一度動きを止めた一之瀬が動き出す。強く感じた場所を二度、三度と刺激されると菜枝は身体中を震わせながら意識を白く染めた。
荒い息をつきながらも、極めたばかりの身体はヒクリと震えながら何度も一之瀬を締め付ける。膝が震えて今にもへたりこみそうなのにも関わらず、腰を掴んだ一之瀬の手は離れることはない。
「一之瀬……離して……もう」
「自分だけいってお終いか?」
そんな問い掛けと共に再び一之瀬が動き出す。先ほどのように緩やかなものではなく激しい動きに、菜枝は悲鳴を上げた。気持ちだけじゃなくて、いったばかりの身体も悲鳴を上げていて、さらなる刺激は強すぎる快感になる。先ほどよりも高い声を上げながらも一之瀬に訴えかける。
「や……待って、あっ!」
「もっと……欲しい」
その声は掠れて、余裕なんてものは感じさせないものだった。求められているその言葉に、菜枝の身体はさらに中にいる一之瀬を締め付ける。
欲しいのは菜枝だって一緒だった。一之瀬とするのは気持ちいい。それに何よりも求められているのを感じられる。好きだからこそ、ここまで気持ちいいことをもう知ってる。
「やっ……また……」
「俺、も……」
余裕無い声と共に一之瀬の動きは更に速くなり、お互いに身体のぶつかる音が浴室に響く。激しい突き上げに菜枝が高い声をあえて最後を迎えると、覆い被さるようにして一之瀬が小さく呻いてから同じく最後を迎えた。
ずるりと中からようやく抜かれて、菜枝は立っていられずに浴槽へ座り込むと、目の前に立つ一之瀬がゆっくりとコンドームを外すところだった。
「……最初からそのつもりで」
「余裕が無かったからな」
「ありえない……」
「お預け食らわせた菜枝が悪い」
「あたしか! あたしだけが悪いのか!」
「俺は別に風呂に入っていようといまいと構わなかったからな」
本気でこうなると一之瀬には口で敵わない。それが悔しくて睨み付けていれば、浴槽を出た一之瀬はそのまま浴室の扉を開ける。途端にひやりとした空気が流れ込んできたけど、今の菜枝にはそのひんやりした空気すら気持ち良かった。一歩外に出るとティッシュを取り出す音が聞こえる。恐らくコンドームの始末をしているに違いない。
けれども、すぐに浴室に戻ってきた一之瀬は湯に浸かっている菜枝の腕を掴むと、幾分強引に立ち上がらせる。立ち上がったついでとばかりに、菜枝も熱いお湯の入った浴槽から菜枝も出る。
「のぼせる前に自分で出ろ」
「だったらするな! こんな場所で!」
確かに気持ちは良かったけど、文句だけは言いたい。どうしてもここだけは譲れない。
「聞かない」
「何よそれ」
「聞くなって言ってただろ」
一瞬何を言われたのか分からずにいれば、それが先ほどしている最中に菜枝が言ったことに対してだとようやく気付く。
「ばっ……あれは!」
文句を続けようとしたけれども、腕を引かれ浴槽を出ると濡れた身体を拭くこともなく歩き出す。
「ちょっと一之瀬! 濡れてる!」
「放っておけば乾く」
そんな会話を交わしながらも連れてこられたのは寝室で、すぐに菜枝はベッドの上へと押し倒される。一之瀬の濡れた髪から雫がぽたりと菜枝の頬にあたる。
「い……一之瀬?」
「……足りない」
ぽつりと呟かれた言葉の意味を考える間もなく、一之瀬は屈み込んで菜枝の鎖骨へと口付ける。
「ちょ、ちょっと! 今したばかりでしょ!」
「あんなので足りるか」
「冗談じゃないわよ! あんなに無茶したのに!」
「菜枝の言葉は聞かない」
「聞けーっ!」
叫ぶ菜枝を無視した状態で、一之瀬は鎖骨の辺りに幾つものキスマークを散らす。けれども、菜枝としてはそれどころじゃない。確かに明日は休みとはいえども、やりたいことは色々とある。
「今日はもうしない!」
「聞こえない」
「オニ! アクマ! 人でなし!」
不意に動きを止めた一之瀬が真っ直ぐに菜枝を見据えてくる。唐突とも言えるその視線に菜枝はさすがに怯んだ。
「な、なによ」
「そういえば、色々と言い聞かせないといけないことがあったな……明日も休みだ。手加減する必要も無いようだな」
「む、むり! 絶対に無理!」
涙目になりながらも菜枝は一之瀬に訴えたけれども、その後菜枝は一之瀬の思うままに貪られ、それから数時間後、服を借りるという言葉も言えないまま疲れ切った状態で眠りに落ちた。
* * *
菜枝が目が覚めた時、部屋に人の気配は無くベッドから起き上がれば一応とばかりにシャツだけ着せられていた。散々グシャグシャにした筈のシーツはサラリとしたものに替えられていて、とてもあんなことがあった後とは思えない。
相変わらず遣り過ぎだ、あのバカ! 少しは人の身体のことを考えろっていうのに!
そう思いつつだるい身体でベッドを降りてリビングへと足を運べば、テーブルの上にはコンビニのサンドウィッチとおにぎり、そしてペットボトルのお茶とメモ帳が置かれていた。壁に掛かる時計は昼を過ぎた時間で、途端にお腹の音が盛大に鳴り出して菜枝は腹立ち紛れにソファへ勢いよく座り込んだ。
テーブルに置かれたメモ帳を手にすれば「話しがある。帰るまでここにいろ」と短いものだった。それでも菜枝としてはここ数日で溜まった家事を片付けてしまいたいから、このメモ書きに従うつもりはない。むしろ用事があるなら携帯の番号だって調べればすぐに分かることなのだから電話してくればいい。
だから帰ると決めてから用意されていたサンドウィッチもおにぎりもしっかりお腹に納めて、お茶ですっきりした所で洗面所を借りて顔を洗う。少し考えた後にシャワーも借りてしまおうとシャツを脱げば、脱衣所にあるやたら大きな鏡に菜枝の裸体が映る。
「……んだこれはー!!」
鏡に映る自分の身体にはあちらこちらに朱が散らされていて、昨日、一之瀬につけられたものだと分かる。胸元のキスマークにいたっては、菜枝から見ても一歩間違えたら病気か何かに見えるくらいつけられていて頭痛を覚える。
ありえない……色々とありえないよ、あいつ。
思わず結婚を早まったかとすら思ったけど、今更覆せるものでもないし、覆す気もないからどうしようもない。まさに不本意ですという顔をしたまま風呂でシャワーを軽く浴びると脱衣所にあるバスタオルで身体を拭く。
そういえば、まだ菜枝自身の洋服を見ていなかった気がする。すぐ近くに置いてある洗濯機へ目を向ければ、菜枝には頑張っても手が届きそうにない乾燥機つき洗濯機で再び唇を尖らすと蓋を開けた。その中には何も入っていなくて菜枝は扉を閉めようとしたところで、少し悩んでからタオルとバスタオルを中に入れてから蓋を閉めると近くにある洗剤を手にとってみたものの、その洗剤をどこに入れていいのか分からず、菜枝はしばらく悩んでから匙を投げた。
そもそも、こんな高級な洗濯機使ったことないから分からないに決まってるって。一之瀬に言ったらバカにされそうだけどさ。
そんなことを考えながらも、渋々先ほどまで着ていたシャツに袖を通すと、再びリビングへと戻る。洋服も確かに無いと困るけど、何よりも下着が無いという自体が一番困る。風呂場に置いてあった筈のブラジャーまで無いとなればベランダに干してあるのかと思って窓を開けてベランダを見てみたけど、無駄に広いベランダには洗濯物どころか物干し竿やハンガーなども無い。
洗濯物も全てハウスキーパー任せってことか! それとも洗濯物は別業者ってことか! 洗濯くらい自分でしろっての! つか、帰ろうにも帰れないじゃない!
怒り任せにソファへ再び腰掛けると、飲みかけだったペットボトルのお茶を一気に飲み干す。すると少しだけ落ち着いてきて、もしかしたら、菜枝が逃げられないようにするために服なども隠してしまったということなだろうか。普通ならありえないけど、一之瀬ならありえる。
だったら、一体、そこまでして何の話しをしたいというのだろう。今更結婚の話しは無しで、というかいう話しであれば一発殴らないと気は済まない。でも、それだったら、菜枝の性格が分かっていれば余計に顔を合わせて話そうという気にはならないと思う。だったら、一体何だ?
もやもやするのも嫌で、菜枝は「あー、もう!」と一人叫ぶと、キッチンに向かう。遠慮無く冷蔵庫を開ければ、そこには多少しなびてはいるけど野菜があり、冷凍庫には肉もある。一人悶々と考えてるくらいならと、菜枝は棚から鍋を取り出すと、料理を作り始めた。
途中、昼寝を挟んで料理が出来上がると、既に夜の八時を回っていて菜枝は料理を作ることに満足して再びソファの上に腰掛けた。そのタイミングで玄関の扉が開く音がして、菜枝は慌てて玄関に向かえば一之瀬は仕事を終えて戻ってきた、という割にはやけに多い荷物を手に部屋へと入ってきた。
「お帰り」
「……ただいま」
意外そうな顔で言う一之瀬に菜枝は納得行かずに口を尖らせる。
「何よ、私が挨拶したらおかしい訳?」
「いや、数年そんな挨拶をしたことが無かったから、どう答えるべきか一瞬迷った」
無表情に淡々と言うからへー、そうなんだ、と流しそうになったけど、よく聞けばおかしな話しだ。確かに一之瀬の家族関係は複雑だし興味が無いと言えば嘘になる。どんな生活をしていたのか、何を考えていたのか、どう思っていたのか聞きたい。けれども、淡々と話すからといってそこに傷が無いとは限らないから菜枝はあえてそこに触れることはせずに、一番の疑問を投げかける。
「私の服は?」
「あぁ、今クリーニングから取ってきた」
そう言って一つの大きな紙袋を手渡されて中を覗き込めば、確かに昨日菜枝が着ていたたった二着しかないスーツの一着が入っていた。更に、一之瀬はもう一つの小さな紙袋も差し出してくる。
「何よ、これは」
「お前の下着」
「は? 私がつけてた元々の下着は?」
「捨てた」
「……殺意芽生えた」
「だから代わりに三セット買ってきた」
押し付けるようにして差し出されて、菜枝は渋々紙袋を受け取り中を覗き込むと、そこには綺麗にラッピングされた物が入っている。
「開けていい訳?」
「菜枝のだから勝手にしろ。下着無しでいいというならそれでも構わないが?」
意地の悪い笑みを浮かべられて、菜枝は慌てて寝室へと駆け込みラッピングの包みを開ければ、そこには淡い色の下着が一之瀬の言う通り三セット分入っていた。どう見ても菜枝がつけていた下着よりも高級なもので肌触りも悪くない。タグを見ればフランス製らしく、値段は考えたくもなかった。
下着を前に悩んではみたものの、実際に捨てたというのであれば身につけない訳にもいかず、着ていたシャツを脱いで淡い水色の下着を身につけてみる。これがまた悔しい程、菜枝にはぴったりとサイズが合っていて本気でムカつく。それからクリーニングに出したというスーツを身につけてから寝室を出れば、一之瀬はキッチンで鍋の蓋を開けていた。
「お前……何してるんだ」
「することないからご飯作った。何か文句ある?」
胸を張って答えれば、一之瀬は小さく溜息をつくと流し台の上にある棚から幾つかの箱を取り出し始めた。つい興味が出てキッチンへと向かえば、取り出した箱を開けていく。中から出てくるのは白い皿ばかりで、大きいのから小さいのまで様々だった。
「食器、あったの?」
「今まで使ったことは無いが。これだけあるなら出てる皿じゃ足りないだろ」
「まぁ、足りないわね。洗うけどいいの?」
「洗わないと使えないだろ」
そんな軽い会話を交わしながらも手早く皿を洗うと、作ったものを次々とよそりながら焼くべきものは焼き、温めるものは温めてテーブルに並べた時に、菜枝は満足げに笑みを浮かべた。
「材料があるって素晴らしいことね」
「俺はお前がここまで作れることに驚きだ」
テーブルに並べられた料理はさながらコース料理のようにも見える。深皿に用意されたサラダ、ビシソワーズの上にはしっかりパセリ、そして平皿によそったライスとメインである牛肉のワイン煮込みに添えたのはじゃがいもやニンジン、なすやかぼちゃなどを軽く揚げたものにさっぱり酢の入ったソースをかける。
しかも盛られたのが白い皿ということもあり、彩りも鮮やかで菜枝としては大満足だった。本当ならきちんとクロスだって用意したいところだったけど、まぁ、一之瀬の家にそれを期待するのは無謀というものだ。
二人で席についてご飯を食べる。勿論、一之瀬から感想などある筈も無く、そもそも期待していない。菜枝としては美味しく食べられた、という事実だけで満足でもあった。
一応、勝手に食材を使ったことに関しては謝りはしたものの、一之瀬は全く気にしている様子は無かった。腹立ち紛れに冷凍庫にあった高そうな牛肉を使ったことも、一応暴露したのだけどやっぱりそれに対しても無関心で菜枝としては呆れるしかない。
食事を終えれば、礼だと言いながら今回は一之瀬がお茶の用意をしてくれ、尚かつ食器洗いも買って出たことには驚いた。がしかし、気付かなかったけれども流しの下にはしっかりと食洗機が用意されていて、一之瀬は軽く流しながらそこへ皿を入れていくだけだった。確かに楽はしてるけど、それでも一之瀬がそうして手伝うことに驚いた。
うーん、絶対にこいつなら俺様大爆発だと思っていたけど、実はそうじゃない……とか? いや、でも普通というには尊大だし、やっぱり俺様だよねー。うーん、一之瀬を見てると普通の基準が分からなくなってきそう……。
そんなことを考えている間にも手早く終わらせた一之瀬は、急須に再びお湯を注ぐと菜枝の湯飲みにもお茶を注いでくれる。
「で、話しって何?」
「結婚式のことだが……色々、夢があるらしいから聞くだけは聞いておこうかと思ってな」
「あー……結婚式ね」
いや、確かにプロポーズしたら次は結婚式というのは確かに手順としては間違えていない。ただ、問題なのは相変わらず一之瀬と結婚するという実感が湧かない菜枝にある。
「何か問題でもあるのか」
「いや、まぁ、何もないかな。仕事が忙しくない時期ならいつでも」
「結婚式でやりたいこととか無いのか? いつも暑苦しいくらいに夢を語ってるが」
「暑苦しい言うな! まぁ、それなりに夢が無い訳じゃないけど……ただ、まだ色々と実感が湧かなくてね」
「別に実感はいらないだろ。何も変わらない」
果たして本当に変わらないものだろうか。まず、名前が変わる。一緒に暮らす。それから……何があるんだろう?
「少なくとも一緒に暮らすことは変化だと思うけど」
「別にそれも仕事場にいる時が延長するだけと思えば変わらないだろ」
「いやいや、だって、よーく考えてよ。一緒に暮らすってことは食事の用意とか、洗濯とか、家事に関しては二倍になる訳だし」
「半分にすれば変わらないだろ。少なくとも料理は作れないが、掃除洗濯くらいは俺がやる」
「ハウスキーパー雇って?」
「いや、菜枝が一緒に住むなら雇わない。元々他人に出入りされるのは面倒だと思っていたからな」
「はい? だったら何でハウスキーパーなんて雇ってるのよ」
まさに訳が分からない。てっきり便利だから雇ってるんだとばかり思っていたけど、何かしら理由があるのだろうか。
「父親が雇ってる。ハウスキーパーから父親に報告が行くようになっている。断るのも面倒だったから放っておいたが、結婚するとなれば必要ないだろ」
「……色々大変ね」
「……俺はお前のコメントに困る」
「いや、私も困ってるし」
お互いにそれ以上何かを言うことなく黙り込むと、同じタイミングでお茶を口にする。
けれども、菜枝としてはこうして色々一之瀬のことを聞くのは嫌いじゃない。当たり前だけど、好きな人のことであれば知りたいとは思ってる。ただ、菜枝の想像を超えた世界すぎてコメントに困るのが一番困るところでもある。
「それで、結婚式だが」
「任せる」
「は? 夢あるんじゃないのか?」
「まぁ、無い訳じゃないけどさ、一之瀬の場合、お付き合いとか色々ある訳でしょ? だったら、一之瀬が決めた方が早いと思うよ。そりゃあドレスくらいは自分で決めるけど、他のことは全部任せる」
「だが」
言いたい気持ちは分からなくない。結婚式は女のための物だという風潮だってあるから、菜枝の意見を聞こうとする一之瀬は一般的だと思う。実際、仕事場でも大抵の男性は女性の意見に結婚式ばかりは譲れるところは譲ることが多い。だから聞かれるのは当たり前のことでもあった。
確かに菜枝には結婚式というのは特別なもので、夢だった色々とある。でも、実際に結婚式となれば一之瀬相手であれば菜枝の夢どころの話しじゃない。勿論、ここで我を通せば一生に一度のことだし一之瀬のことだから通してくれるに違いない。でも、出来ることなら菜枝の夢云々よりも一之瀬の対面の方を気にして欲しかった。ただ、そんな内心を一之瀬に悟られてしまえば意味は無い。
「いいよ。一之瀬の作る式なら失敗は無いだろうから任せる。それにどんな式にしてくれるのか楽しみだし。敵情視察?」
そう言って菜枝が笑えば、一之瀬は小さく溜息をついた。嘘をつくのは得意じゃないけど、別に嘘は一つも無い。だからこそ菜枝は笑って言うことが出来た。
「一生に一度なのに馬鹿だな」
「何だとー! 敵を知るにはこういう時ほどよく見れるじゃない。打倒一之瀬だし」
「簡単に譲るつもりはないが」
「だから敵情視察」
「一生に一度を不意にしても?」
「ふふーん、一之瀬に勝てるなら」
更に溜息をついた一之瀬は一度立ち上がると小さなメモ帳を手に戻って来るとページを捲る。
「結婚式に呼びたい人間はどれくらいいる」
「うーん、三人、いや、二人……かな」
「それだけでいいのか?」
「ほら、うちは身内が数多くいる訳じゃないしさ」
「そうか……和式、洋式、人前式、どれがいい」
「そこも任せる」
何だか本気で一之瀬が用意するだろう結婚式が楽しみになってきた。もしかしたら、一之瀬の得意とするありきたりな式になるかもしれない。でも、ありきたりとは言っても、最近は色々と小技を利かせていることも知っている。だから、一体何が飛び出してくるのか、開けるまで分からないびっくり箱のような楽しみがある。
「本当にいいのか?」
「いいよ。一之瀬が色々用意して、私は当日楽しみに式を挙げるの。あ、式前日のエステだけは予約しておいてね」
「分かった」
それだけ言うと一之瀬は色々とメモ帳に書き付けると、メモ紙一枚を破り取ると鞄の中へと仕舞い込んだ。
それからは家に帰るという菜枝に対して一之瀬は何か言うこともなく、車で自宅まで送り届けてくれて家に入ることもなく帰っていった。慌ただしい三日という休日だったけれども、菜枝にとって有意義な休日でもあった。
果たしていつ、どんな式を挙げることになるのか。自分のことだけに菜枝はその日が楽しみでもあった。

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