Chapter.V:未来ある結婚 Act.3

翌日からは予約客に追われ、その波が落ち着けば一之瀬の方に大型の結婚式が入っていて、結局一之瀬に恩返しは出来ていない。そして、優の方もマタニティ用ウエディングドレスの制作に入ったらしく、メールからも深夜残業が続いていることは知っている。
あれから結局日常を送っていたけれども、ドレス制作は進みが悪いらしく、福永からはマタニティ用のドレスを貸し出している所を探しておいた方がいいとも言われた。少なくとも衣装部で借りても、やはり綺麗なラインは望めないから、という理由でもあった。ホテルの利益として考えれば、ドレスラインなんて考えずにレンタル貸し出ししてしまった方がいい筈なのに、それでもお客さんのために外部のレンタル会社に声を掛けろというこのホテルが菜枝は本当に好きだと思えた。
菜枝としても、どうせなら一生残る想い出となるのであれば、綺麗な衣装を着てもらいたい。だから、マタニティ専門でやってるレンタル会社を何件かあたった。けれども、あちらも商売に必死で提携を結びたがるのには辟易させられた。外部のレンタル会社になると金銭的にも掛かるので、それについては刈谷とも相談したが、やはり刈谷はそういうことであれば外部の方がいいのでその金額も払うと言ってくれたのには菜枝としてはホッとした。正直、いざとなればレンタル費用は自分が被ってしまおうかとも考えていたけれども、福永には厳重に注意されていた。
月が変わり宮城と藤本の結婚式の十日前、事務所で朝のミーティングが終わったところで菜枝は福永に呼び止められる。
「私、何かしましたか?」
思い当たる節は無いものの、恐る恐る問い掛ければ福永に苦笑されてしまう。
「いえ、違いますよ。衣装部の方にマタニティドレスが届いたそうです」
「え? 出来たんですか?」
「えぇ、昨日の深夜に。今日は予約も入っていないようなので、一緒に見に行ってみませんか?」
「ぜひとも!」
思わず勢い込んでしまい福永に笑われてしまう。二人揃って衣装部に入れば、そこはちょっとした発表会のような様相になっていた。
「これは?」
衣装部の部長に福永が問い掛ければ、満面の笑みを浮かべた部長が口を開く。
「デザインの方が妊娠してるお嫁さんを連れてきてくれて、今試着してるところなんですよ。実際に着ているのを見た方が早いからって」
「それは後でお礼を言わないといけませんね。妊婦さんでしたら移動も大変でしたでしょうし」
「えぇ、それに何度もデザインでも何度も着付けをお願いして意見を吸い上げて作ったみたい。プロにも見て貰ったっていうから、デザインでも随分と気合入れて作ったみたいよ」
「そうですか」
福永たちの話しを聞きながらも、そわそわしている衣装部の人間に混じりながら、菜枝も今か今かと登場を待つ。そんな中で、奥から顔を出したのは優だった。
「お待たせしました。着替えが出来ましたので。彼女は今妊娠八ヶ月になりますが、ご覧の通りです」
そして奥から出て来たのは白いドレスを着た菜枝よりも少し年上の女性が出て来た。ウエストの辺りにブーケを持っていることもあって、正面から見る限りでは普通の妊婦さんと余り変わりは無い。
けれども、女性がブーケを優に渡すと気になっていたウエストラインが出て来た。ウエストから少ししたからチュールが広がり、その下からはオーガンジーが広がり殆どお腹が目立った無いことに菜枝は驚いた。
「うわー、凄い! これ、本当に凄いですよ!」
思わず隣に立つ福永の袖を掴みながら見上げれば、福永は少し驚いた顔をしてから、穏やかに笑う。
「えぇ、うちのデザインはさすがですね」
「本当に凄いです! 今はマタニティは基本的にお腹が目立たない方向に進んでいるみたいですし、これなら喜ばれるかも」
「まだ試作段階ですが、これからは色々と検討していくそうです。中にはお腹が目立つ方が良いという方もいるらしいので」
「そうなんですか、ちょっと意外ですね」
「お腹の子供と三人一緒の結婚式、という考え方もあるんでしょうね」
言われてみれば、そういう考え方もありだと思う。つい結婚式は二人のものと考えてしまいがちだけど、結局は二人だけというよりもやっぱり子供がいて家族がいるのであれば結婚式は家族のものなのかもしれない。
「藤本様にはこちらを着て頂くことになると思います」
「これならお勧めしがいがあります!」
「頑張って下さい」
柔らかな笑顔を向ける福永に同じように笑みを浮かべると、衣装部にドレスの説明をしていた優がこちらへと向かってくる。
「いつもお世話になっています」
そう言って優が頭を下げたのは福永に対してだ。
「いえいえ、こちらこそいつもお世話になっています。随分忙しかったのでは?」
「ここ数日は泊まりこみでした。けれども、こうして形になると嬉しさも格別です。部長も今回は意見を押して下さったということで、有難うございました」
「いいえ、どちらかというとこちらが無理を言ったことなので、お礼を言われるとお恥ずかしい限りです」
「うちの社長は凄く乗り気でしたよ。オーナーにもすぐ掛け合ったくらいですから」
「それなら今回の立役者は彼女ですね」
福永に軽く背中を押されて、菜枝としては気恥ずかしいものがある。実際に自分がアイデアを出したのであれば評価も嬉しいけれども、あくまでお客さんの要望に答えただけに過ぎない。
「部長、私は違いますから。この評価はお客様を連れて来た刈谷様にあるかと」
「ですが、実際に私のところまで話しを通したのは常盤さんですよ。普通なら、無理ですとお断りしてしまう人の方が多いですから」
「いいじゃない、素直に誉められておきなよ」
二人して穏やかな笑顔で言うから、菜枝としては余計に居心地が悪い。
「私、刈谷様に連絡してきます」
「当日、微調整するから藤本様には早めに来るように伝えて貰えるかな」
「分かった」
優の言葉にそれだけ短く返すと菜枝は衣装室を出て、大きく溜息をついた。それから掌を握りしめると、嬉しさの余りガッツポーズまで作ってしまう。
実際に作ったのは菜枝じゃないし、菜枝が何かをした訳では無い。けれども、まだ写真でしか見た事のない藤本が出来たばかりのウエディングドレスに袖を通すことを考えると嬉しくて仕方ない。それにあのドレスのデザインが、まさにお腹を包み込むようなチュールが腰回りぐるりと囲んでいて、優しさを感じた。
浮き足立ったままブライダルラウンジへ戻ると、すぐに電話を手に取って刈谷の携帯へと電話をした。結婚式まで後十日、菜枝はテンションが上がるのが自分でも分かった。

* * *

朝一番、刈谷に連れられてきた藤本と宮城は、どこかオドオドとした様子でブライダルラウンジに顔を出した。初めて二人を見たら、本当に若い。
「初めまして、常盤です。今日は式の終わりまでご一緒させて貰いますので、どうぞ宜しくお願いします」
正直、菜枝だけでは不安もあったので、ホテルの看護士にも一人ついて貰うことになっている。何かあった時、菜枝一人では対応出来ないし、今回のことで色々妊婦さんについて調べたけど所詮付け焼き刃の知識でしかない。最初は渋っていた看護士さんに、土下座する勢いで頼み込んだ菜枝を見て、一之瀬や先輩たちは苦笑いという感じだったけれども、でも、折角の式だから万全をし期たい。
「あの、宜しくお願いします」
二人揃って頭を下げる様子は何だか微笑ましい。そして繋がれた手に初々しさを感じてつい頬が緩みそうになる。
いいなー、こんな二人だったら確かに応援したくなる。
時折目を合わせてはお互いに、どこかくすぐったそうに微笑み合うその姿は菜枝の理想に被るものがあって、ちょっと羨ましい気すらする。
「宮城様にはお時間待たせてしまうことになるかもしれませんが、控え室もありますので藤本様が綺麗になる時間、お待ち下さいね」
「綺麗ですか? 何だか想像出来ないな」
「もう、そういう時は楽しみですくらい言ってよ」
「あー、悪い、悪い」
そんな会話も何だか可愛らしくて、一緒にいるだけで嬉しい気分になってくる。
「常盤さん、二人をお任せしていいかしら。私、ちょっとだけ出てくるから」
「はい、大丈夫ですが、これからですか?」
「大丈夫、式の時間までには戻ってくるから」
それだけ言うと、刈谷は颯爽と立ち去ってしまい、残された二人は不安そうな顔になる。だから殊更明るい顔で菜枝は二人に声を掛けた。
「それでは下準備に参りましょうか」
二人は顔を合わせると揃って頷きで返してくる。やっぱり何だか可愛らしい。
宮城は男性更衣室へ、そして藤本を衣装室へと招くとすぐに椅子に座り化粧が始まる。余り藤本は化粧をしないのか、殆どすっぴんに近くメイク担当の人間がやたらと肌が綺麗と誉めていた。その言葉で頬を染める藤本がまた可愛らしい。
余りお腹に負担を掛けないためなのか、いつもよりかゆるやかに調整された椅子に座りながらも時折、藤本の視線が鏡越しに菜枝とぶつかる。不安そうなその顔に菜枝はにっこりと笑みを浮かべると、少しだけ藤本の緊張が緩むのが分かる。
刈谷がどのように言って二人を連れて来たのかは分からないが、突然のことであればさすがに緊張するに違いない。少なくとも、菜枝が藤本の年の頃にこんなサプライズをされたらギャーギャーわめいていたことは安易に想像できた。
三十分もすればメイクは出来上がり、肩先まで伸びた髪は団子にして毛先を遊ばせていて、藤本の年齢にはとても似合う可愛らしいものだった。今日は式が立て込んでいる関係と契約内容で、披露宴の無い藤本たちに介添はつかない。けれども、藤本が妊婦ということもあり菜枝は最後まで二人につく予定でいた。メイクが終わり、ふわりとしたウエディングドレスに着替えた藤本は本当に可愛らしかった。
「凄い、可愛い!」
思わず素になってしまった菜枝に、背後から現れた部長にファイルで軽く叩かれて首を竦める。そんな遣り取りに固い表情をしていた藤本が笑い、菜枝もそんな藤本の様子に笑みが浮かぶ。
式の時間までは控え室で待機することになっているので、藤本と少し話しをしながら控え室へと向かう。開いた扉から中へ入れば、菜枝が思っていたよりも人数が増えていて驚きを隠せない。
「お父さん、お母さん! どうしてここに」
「私が呼んだの。きちんと祝ってくれるならって条件で来て貰ったの。そして、こちらが宮城君のご両親よ」
そう言って刈谷が手を差し伸べた先には、夫婦が一組いて藤本のことを眩しそうな目で見ている。
「猛が全く連絡をくれなかったから、結婚したことも、孫がいることも知らなかった。本当に申し訳ない。こんな親だが、結婚式に出席させて貰ってもいいだろうか」
それはとても丁重なお願いでもあった。
親と絶縁と聞いていたが細かいことは菜枝も知らない。立場的にそこまで立ち入るべきでは無いという気持ちもある。けれども、宮城の両親の言葉は結婚式に出席させて欲しいという痛切な気持ちが伝わってくる。それは藤本にも届いたのだろう。
「はい……こちらこそ、お願いします」
そう言って深々を頭を下げた瞬間、透明な雫が床に零れ落ちる。どんないきさつがあったのか菜枝には分からないのにも関わらず、菜枝ももらい泣きしそうになってしまう。そんな藤本の横に両親が立つと、一緒に頭を下げた。
「まだ子供ですが、どうぞ宜しくお願いします」
「こちらこそ、馬鹿な息子ですが宜しくお願いします」
お互いの両親が頭を下げ合っていて、宮城の目尻にも光るものがある。三人だけの結婚式だと思われていたけれども、きちんと両親が揃い、そして子供のいる二人の夫婦がいる。それはとても幸せな風景でもあった。
それでも、菜枝はいつまでもそれに浸っている訳にもいかず、ポケットからハンカチを取り出すと藤本へと近付いた。
「ほら、余り泣くとメイクが崩れてしまいますよ」
「でも嬉しくて……絶対に、こんなこと無理だと思ってたから」
余程嬉しかったのか涙は止まらない様子で、菜枝は藤本の目元を何度も押さえる。それでも、宮城と視線を合わせて微笑むその顔はとても綺麗なものだった。
藤本の涙が止まった頃に宮城たち家族、そして藤本の母親が式場へ向かい、菜枝は藤本の父親にヴァージンロードの歩き方を説明していく。酷く照れくさそうな顔をしていたが、娘を見る目は優しげなもので、そこに含みは何も無いように見える。藤本の年齢を考えれば、親としては複雑に違いない。扉の前に立ち、二人に視線を向けると菜枝はゆっくりと口を開く。
「行きますよ」
親子二人の声が重なり返事をしてくれる。菜枝は扉に手を掛けると、大きな重い扉を係の人間と一緒に大きく開いた。逆光になった扉のずっと奥に、こちらへ振り向く宮城の姿ある。
その表情こそ見えなかったけれども、菜枝は笑顔であればいいと願った。

* * *

藤本と宮城の挙式が終わった帰り道、菜枝は優に電話を入れた。
「もしもし」
電話口に出た声はいつもよりも籠ったもので、もしかしたら寝ていたのかもしれない。
「ごめん、寝てた?」
「ん、昨日まであのドレスの修正入って徹夜だったんだ」
「凄く良い式になったよ。ありがとう」
「どういたしまして。努力した甲斐があるよ、そう言って貰えると」
そう言ってクスクスと笑う優はとても嬉しそうだ。だからこそ、言うべき言葉を探してしまう。
でも、今日二人の結婚式を見ていて、菜枝はやっぱり優との結婚は違うんだと思った。どちらか一方が好きなだけで結婚はするべきじゃないと思う。確かに結婚はしたいけど、やっぱりするのであれば好きな人と幸せになるためにしたい。
「優、あのね」
「折角楽しい気分になった所だから、今は余り深刻な話しをしたくないかな」
「あの」
「明日、仕事が終わったら一緒に食事しよう。その時にきちんと話し聞くから」
そう言われてしまうと菜枝としては意固地になることも出来ない。決心しただけに逃げられたような気分にはなったけれども、それで優を攻めるのはお門違いだ。確かに優だって疲れてるに違いない。
「分かった。じゃあ、明日連絡待ってる」
「うん、今日はもう寝るよ」
「おやすみ」
優からもおやすみという言葉が返ってきて、電話は珍しく短い会話で終わった。
大抵、優と電話する時は下らない話しをしたりするけど、プロポーズされてからというもの、メールにしろ電話にしろどうにもぎこちない。恐らくそれは優だって分かってるだろうし、菜枝としても分かっているけど気付かないふりをするしか出来ない。本当に前のように元通りになるものなのか、付き合いが長いだけにそれを考えると菜枝は気が重かった。

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