Chapter.V:未来ある結婚 Act.1

佐々木と堤のことで雑誌記者が随分と来ていた様子だったけれども、一週間もすればかなり落ち着いた。意識を取り戻した堤が訴えないということを宣言したから、というのも大きいのかもしれない。
あの事件から二日して美華子からは連絡があり、ひたすら謝られた。そしてホテルはもう、通常業務に戻っていて、その中で菜枝も走り回っていた。一之瀬との間に流れていた奇妙な空気もいつの間にか払拭され、佐々木と話した時のモヤモヤ感も今はもう無い。
そんな中、ホテルに現れたのは刈谷だった。
「うわー、お久しぶりです」
「常盤さんも元気そうね。今、少し大丈夫かしら。一応、結婚式の相談なんだけど」
「そういうことでしたら、テーブルの方へどうぞ」
笑顔でテーブルの方へと手を差し出せば、刈谷は少し迷った様子を見せてから、空いている窓際の席へと腰掛けた。今日は雨が降っていることもあって、客足も悪いから菜枝も裏方に回ろうかと迷っているところだった。ファイルを小脇に挟みながらカフェでコーヒー二つを貰ってから、刈谷がいるテーブルに改めて挨拶してから向かい合わせに座った。
「それで、今日はどうなされたんですか?」
「小さいものでいいから結婚式をお願いしたいと思って」
「刈谷様、もしかして」
途端に刈谷は笑い出して違うと手を振ってそれを否定する。
「うちの職場に籍を入れた二人たいるんだけど、その二人の結婚式をね」
「本人たちは」
「サプライズにしたいの。だから、費用は私持ち。前回、結局ここで使う予定だった分、使わなかったからその二人にね」
「え? 宜しいんですか?」
「可愛い子たちなの。私の後輩なんだけど、二人とも一生懸命で。親とも縁が切れてるし、結婚式はしないって言うから。でも、彼女の方は結婚式に夢はあるみたいだったから」
正直、サプライズというものは結構難しい。披露宴だけならまだしも、結婚式ともなればドレスなども合わせないといけないから、それ相応の理由も必要になる。
「うーん、ブライダルフェアも終わったばかりだし……せめてサイズとか写真とかあれば、それに合わせてドレスも選べるんですけど」
「あるわよ、そこはバッチリ」
そう言って刈谷はバッグの中から二枚の写真と一枚のメモを取り出すとテーブルの上を滑らせた。菜枝は差し出されるままに写真を手に取れば、そこには笑顔で映るまだ学生と見間違えそうな二人がいた。
「えっと、幾つなんですか?」
「男の方、宮城って言うんだけどそっちは二十三、彼女、藤本って言うんだけど彼女の方は十九」
十九と二十三って、本当に学生のように見えたっておかしくは無い筈だ。実際に菜枝だって十九の時には学生だったのだから。
「随分早い結婚ですね」
「正直言うと、デキ婚。今五ヶ月だから、出来るだけ早めにお願いしたいの。披露宴は必要無いから本当に式だけで」
「うーん……」
妊婦さんとなると、これまたかなりフォローが必要になる訳で非常に難しい。着ることの出来るドレスも限られてくるに違いない。けれども、写真を見る限り可愛らしい顔立ちをしているから、ふわりとしたドレスも藤本にも似合うに違いない。
菜枝は手元にあるファイルを捲くると、式場の予定表を確認していく。
「仏滅であれば空いてる日もあるんですけど、やっぱり拘りますか?」
「別に仏滅でも大安でも気にしないわよ。今時の子たちだから」
「それなら今月にでも空きはありますよ。ただ、ドレスの方がちょっと相談しないと」
実際、菜枝としては近くに妊婦がいたことが無いから今のサイズを貰ってもどれくらいお腹周りが変化するのか分らない。何よりも普通のドレスをマタニティ用に補正するのに、どれだけの手間が掛かるのか分らないから現時点で多くのコメントも出来ない。
「なら来月にはどうかしら」
「来月半ばならどうにか」
「予約入れるわ。こういう場合、私の名前でいいのかしら」
「大丈夫ですよ。代表者を刈谷様にして新郎新婦の欄には二人のお名前を入れて頂ければ。ただ、大丈夫ですか? まだ見積もりも」
「平気。何だかね、あの二人を見てるとどういう訳だか手助けしたくなっちゃうのよね。おせっかいなのかもしれないけど」
刈谷がここまで肩入れするということは、余程この写真の二人のことを気に入っているのだろう。実際に色々と問題が無い訳では無いけれども、既に一ヶ月ともなれば予約が入ることは殆ど無い。だったら、上手くいくことを考えて予約を入れておいて貰う方がホテル側としては助かる。
「今、見積もり出します。少々お待ち下さい」
頷く刈谷を置いて、菜枝は足早に福永へと近付くと声を掛けた。
「どうかされましたか?」
「あの、サプライズ婚をしたいということで予約を受けたんですけれども」
「サプライズ婚、ですか? それは友人の結婚式を企画するということで宜しいですか」
「はい、それです。それで新婦が妊娠五ヶ月ということなんですけれども」
「それは衣装部と打ち合わせが必要ですね。残念ながらうちにはマタニティドレスは無いので」
「ですよね……衣装部と打ち合わせしてみます。それで、見積もりの確認をお願いしたいんですけれども」
菜枝は手元にある電卓で、セッティング費用、レンタル衣装、ブーケなどのその他小物類を足して福永と確認していく。
「それで来月にでも、ということなので会場費、少しおまけ出来ないですかね」
「来月ですか。それではもう埋まりそうにないですし会場費はこれで」
そう言って菜枝の手元にある電卓を福永が叩き合計金額を出していく。
「凄いですね、これで結婚式が出来るんですから」
合計金額を見て感嘆の声を上げれば、福永は小さく声を立てて笑う。
「やはり式場としては空けておくよりも埋めた方が利口ですからね」
「ですよね。それじゃあ、これで見積書出します」
踵を返しかけた菜枝だったけれども、もう一度福永に名前を呼ばれて足を止める。
「けれども、サプライズ婚というのは問題も起きやすいものです。常盤さんの負担も大きなものになると思いますが、その覚悟はありますか」
「勿論です。誰かが幸せになるためだったら頑張れますから」
そう言って笑う菜枝に、福永もいつものように穏やかな笑みを浮かべてくれる。
「頑張って下さい」
「はい」
元気に返事をするとすぐに見積書を用意するために、ラウンジの片隅にあるパーテーションの中に入ると、パソコンでそれぞれの項目を打ち出していく。最後に金額のチェックをして、項目漏れが無いかもチェックしてからプリントアウトすると、すぐに刈谷の元へ向かった。
「お待たせしました。こちらが見積書になります」
差し出した見積書に刈谷は目を通すと、菜枝を見上げてニッコリと笑う。
「ありがとう。恐らく他に行ったらこれよりも安い金額に上げることは出来ると思うの。でも、私はあなたがいるからここに決めたのよ」
率直とも言える褒め言葉に菜枝は照れながらも笑顔を浮かべた。やっぱり誉められたら素直に嬉しい。
「有難うございます」
頭を下げる菜枝に、刈谷は穏やかに笑うと椅子から立ち上がる。
「お礼を言うのは私の方だわ。本当にこの間はありがとう。あなたのお陰であの人の墓前に立つことが出来て、再出発を切れたの。凄く感謝してるわ。それじゃあ」
軽く手を挙げる刈谷に、菜枝は下げた頭を上げることが出来なかった。
刈谷を見送ってから、菜枝は慌ただしく衣装部へと駆け込みドレスについて相談すると、やはり渋い顔をされた。どうやら普通のドレスを妊婦用に補正するのは大変らしく、何よりもドレスの形が崩れるとのことだった。衣装部の人たちと、あのドレスなら、このドレスなら、と色々と資料を引っくり返している間に、ドレスの納品に来た優とばったり出くわすことになる。
「菜枝がここにいるのは珍しいね」
「ちょっと色々相談があって……そうだ、優、マタニティドレス作れない?」
「マタニティドレスって、マタニティのウエディングドレスってこと?」
「そう、それ! 実はうちで妊婦さんが挙式したいってことなんだけど、衣装部の人が言うにはドレスの形が崩れるからおすすめしないって」
「僕もお勧めしないかな。基本的に妊婦さんと太めの人って、体型が違うから綺麗に修正が利かないんだ」
そう言われても菜枝にはピンと来ないけど、衣装部の人たちは優の意見にうんうんと頷いている。
「挙式はいつ?」
「一応来月」
「それはまた……一応、うちの上の人間と相談してみる。多分、菜枝のところの上の福永さんにも連絡が行くと思うけど」
「分った、伝えておく」
「その変わり、今日は食事に付き合って貰うから」
プロポーズをされてから、優とは会っていない。再びその話しをされるんじゃないかと思うと、菜枝としては気が重い。けれども、はっきりと断らないといけないことは確かだった。
「分かった。じゃあ、あとでメールして。こっちも終わり次第メール入れるから」
時計を見ればかなり長い時間衣装部にいたことに気付いて菜枝は慌てて優に手を振ると、衣装部を後にした。途中、嘉門担当の挙式を手伝い、接客をしている間にも業務時間は終了となった。
「常盤、一緒にご飯食べに行きましょう」
「すみません、今日は先約ありなんです」
「なに、一之瀬と約束してる訳?」
「え? 一之瀬、今日休みですよね? 何で私があいつと」
途端に楠木は呆れたような顔をして肩を竦めて見せる。どうにも、楠木は一之瀬と菜枝を面白おかしく煽ってるところがあって、それを言われると菜枝としては困惑するしかない。実際、一之瀬とはあれ以来、特別これといったことは無い。車の中で言われたことは気になっているけれども、聞き返すのもおかしな気がしてそのまま流れている。
「あそこに暇そうな人がいるじゃないですか」
菜枝はそう言って嘉門を指差せば、その背中がギクリと揺れたのが目に見えて分かった。そしてその背中を見る楠木の視線は予想以上に冷たい。
「必要無し。あれと一緒に食べるくらいなら、食べない方がマシ」
どうにも、菜枝と三人で飲みに行った日から嘉門と楠木の様子がおかしい。恐らく菜枝が帰った後に何かあったらしいことは分かるけど、どうにも深入りして聞ける様子ではなくてこういう状況になると菜枝はひたすら困る。喧嘩、というには少し違う気がするし、仕事となればきちんと打ち合わせしている様子も目にしている。
事務所に人影は少なく、菜枝は声を潜めて楠木に声を掛けた。
「あの……あの日、何かあったんですか?」
途端に楠木にギロリと睨まれて、やぶ蛇だったかと菜枝はすぐさま書類へと向き直る。やっぱり職場では環境良く過ごしたい。だからこそ触らぬ神に祟りなしと心の中で呟きながらボールペンを手に取ったところで、頭の上にポンと手を置かれた。
「お先に」
一言だけ残して楠木は事務所を出て行ってしまい、その後を慌てたように嘉門も出て行ってしまう。菜枝にはさっぱり訳が分からない。
どちらにしても、菜枝としては目の前にある書類を片付けないことには帰れないのだから、再び気合いを入れ直してボールペンを握りしめると書類を片付けていく。
全ての書類を片付けて福永のデスクの上に置くと、菜枝は「お疲れ様でしたー」と事務所内に残る人間に声を掛けてから事務所を後にした。
優が言っていた通り、夕方になると優の会社であるライクスデザインから電話が入り、業務を終えてすぐに福永は直帰と言ってホテルを出て行ってしまった。恐らく菜枝が言ったドレスの話しをしにいったのだと思う。
ウエディングドレスというのは一着作るのにもかなりお金が掛かる。普通のドレスでも大変なのに、マタニティとなれば着る人を選ぶだけに作っても採算が合うのか、そこら辺の打ち合わせに違いない。今の時代、デキ婚なんて珍しく無いだけに、菜枝としては出来ることなら作って欲しいと思っているけれども、さすがに採算ラインを出されると菜枝が口を出せる範囲じゃない。
神頼みな気分で更衣室へ戻るとすぐに携帯を取り出して、優に業務終了のメールを入れた。菜枝が着替え終わって携帯を見た時には既に返信があり、駅前で待ってるとのことだった。少しだけ重い気分になりながらも、菜枝は手早く帰り支度をするとホテルを出ようとしたところで背後から名前を呼ばれて振り返る。
「あれ、今日休みじゃなかったの?」
「親父に呼ばれた。お前、また面白いこと言い出したらしいな」
どこか呆れたような視線を投げてくる一之瀬に菜枝としては思い当たらずに首を傾げる。
「面白いこと?」
「マタニティウエディングの件だ」
「あぁ、面白いことか? でも、実際、衣装部の人に聞いたらマタニティは対応出来ないって」
「それで衣装部からと、デザインの方、それから部長からそれについて意見が上がってきて俺も呼び出された。現場の意見を聞きたいってな」
「で、何て言ったの」
「売りにはなるんじゃないかと言った。実際、マタニティ用があるとなれば間違いなく売りにはなる。今時デキ婚なんて珍しく無いからな」
だとしたら、もしかしたら、本当にマタニティドレスが作られる可能性も出て来た訳で、菜枝としては嬉しく無い筈もない。
「うわー、一之瀬ありがと!」
「そう思うなら飯くらい奢れ。本当にドレスが形になったら金一封くらい出るだろうからな」
「奢る、奢っちゃう! うわー、本当に嬉しい!」
まだ形になった訳では無いけど、オーナーまで話しがいっているのであれば、今頃オーナーも入れて三者協議になっている可能性も高い。挙式の売りになると判断されたのであれば、恐らくそれに袖を通すのは刈谷が連れてくる彼女が一人目になるに違いない。
「帰るなら一緒に夕飯でもどうだ、奢る」
「ごめん、今日は先約あり」
「佐伯と?」
あっさりと名前が出てくるところが一之瀬の恐ろしいところだ。というか、何故分かる。
「あんたはエスパーか!」
「考えれば分かるだろ。楠木さんや嘉門さんなら、この時点で一緒にいる筈だからな」
「私だって他にも一緒に食事取る人間くらいいるさ!」
「でも、佐伯なんだろ?」
「まぁ、そうだけどさ」
何だか一緒に夕飯食べに行く友達がいないと言われているようで面白く無い。けれども、実際に今日一緒に行くのは優だから文句も言えない。
「俺も行く」
唐突とも言える言葉に一瞬時間が止まり、再び動き出した時には菜枝は非常に慌てる。
「え? そ、それは困る!」
「何故」
何故って、そりゃあ色々と困るに決まってる。今日は一応、優のプロポーズをお断りする予定だったし、さすがに第三者を挟んでそんな話しを出来る筈も無い。
「佐伯からもマタニティについての意見が聞きたい」
そう言われてしまうと菜枝としては何も言えなくなってしまう。
「一応、優にも聞いてみる」
渋々ながら携帯を取り出すと優に電話を入れると、すぐに優は電話に出た。
「どうかしたの?」
「あの、一之瀬が優にマタニティドレスについて意見が聞きたいから一緒に行っていいかって」
優からの返事はすぐに無く、微妙に菜枝としてもいたたまれない。何となくだけど、一之瀬と優、お互いにいい感情を持ってないような気がしないでもない。
「いいよ、分かった。とにかく駅前で待ってるから」
「分かった、すぐに行く」
何だかただでさえ気が重かったのに、余計に行きたく無い気分に拍車が掛かった気がする。恐らく一之瀬を見上げた時、微妙な顔をしていたに違いない。
「何を変な顔をしてる」
「うるさい、どうせ変な顔ですよ。とにかく駅前」
それだけで一之瀬には理解出来たのか、菜枝の隣を歩き出す。ホテルから公園を横切り駅前に到着すると、柱の近くで一之瀬と二人で優を待つ。
「あのさ、一之瀬って優のこと嫌いなの?」
何となく出て来た問い掛けだったけれども、それを聞いた一之瀬は呆れを隠そうともせずに溜息をついた。
「さぁな」
「全然答えになってないし。優って人当たり良いし、悪い人じゃないけど」
「菜枝にはそうだろうな」
「それじゃあ、私以外には酷い人みたいじゃん」
「少なくとも悪くは無い。ただ、お前が言うな、聞くな」
「何よ、それ。全然分からないし」
「お前は分からなくていい」
分からなくていいと言われると知りたくなるのが心情だ。
「楽しそうだね」
その声に振り返れば、急いで来たのか優がこちらへと足早に近付いてくるのが視界に入る。
「お待たせ。先日はどうも、佐伯です」
「一之瀬です。今日は急に申し訳ありません」
「いいえ、こちらもドレスについてだったら色々と意見を聞きたいところなので。仕事の話しが入るなら個室の方がいいかな」
「あ、じゃあ、タランに行こう。あそこだったら個室もあるし」
タランは駅近くにある個室のある創作居酒屋だった。居酒屋とはいっても普通にご飯も用意されていて、菜枝が好きな場所でもあった。
「この時間ならまだ空いてるかな。一之瀬さんもそこで宜しいですか?」
「えぇ、構わないです」
二人が視線を合わせて微笑み合う。けれども、何だか居心地の悪さを感じるのが何故だか分からない。ただ、何となく逃げ出したい気分になるのは何故だろう。本当にこのメンバーに食事に行って美味しく食べられるのだろうか。
菜枝の不安は膨らむ一方だったけれども、店へと向かい出した二人について行くしかなかった。

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