食事を終えてゴミの始末まできっちりしてしまうと、菜枝としてはもうここにいる用は無い、多分。
「さてと、ごちそうさまでした」
きちんと頭を下げてお礼を言えば、訝しげに菜枝を見上げる一之瀬の視線と重なる。
「じゃあ、また明日!」
ソファから立ち上がった菜枝は軽く手を挙げて玄関に向かうとした所で、がっしりと腕を掴まれた。何となくそうは問屋が下ろさない的な空気だけは菜枝にも感じる。ダラダラ背筋を流れる汗は多分気のせいじゃない。
「な、何かな~」
「寿司、食べたよな」
「はい?」
「俺はまだお礼されてない」
予想はついてた。一之瀬のことだからここで、はい、さよーならーとはなるなんて思ってもいなかった。だからと言ってこれ以上付き合えばどんなことになるのか、昨日の今日で想像がつかない訳でもない。
「いやいやいや、家までお付き合いして食事も一緒に取ったし」
「命の恩人に?」
「……あんたは私に何を差し出せと?」
「身体」
人生二十二年生きてきて、ここまでストレートに求められたのは初めてのことかもしれない。いや、それ以前にここまでストレートにバカなことを言ってきた人間というのが初めてのことかもしれない。
「あのさ、私が心配するようなことじゃないとは思うけど、あんたには情緒とかロマンとかそういうのは無い訳?」
「お前相手には通じないだろ、そういうのは」
「まぁ、確かに……」
もし一之瀬から甘い言葉なんてものが出て来たら、鳥肌立つに違いない。それに言われたから、はい、と頷けるものでもない。
「いや、やっぱり無理」
「その年で経験が無いことについては?」
「……嫌なところ攻めてくるし」
「成功率の高いところから攻めていくのはセオリーだからな」
確かに菜枝としてもいまだ経験無いことを気にしてないかというと嘘になる。周りではバタバタと経験済みになり、興味が無い訳じゃない。ただ、全うな出会いが無かっただけで……いや、出会いはあったのか。ちょっと男の人といい感じになった時期はある訳だし、ただ、そういう雰囲気にならなかったというか、させなかったというか。
「うん、やっぱり無理」
「だが礼は貰うつもりだが」
「何か他に形あるもので」
「菜枝がいい」
何なんだ、この駄々っ子は! お坊ちゃんの特権なのか! それともバカなのか!?
もう色々な言葉が菜枝の頭をぐるぐると巡るばかりで、唖然と一之瀬を見上げていれば、引き寄せられたかと思った瞬間に唇に唇が触れた。
「踏み台と思っておけばいい」
「どっちかっていうと、私の方が踏み台にされてる気がするんだけど」
「……お前のその壊滅的な色気の無さが経験出来ない理由だな」
呆れたような顔でそう言われてしまうと、菜枝としても顔が引き攣る。いや、確かに自覚はあるが、言葉にされると腹立たしさ倍増だ。
「あんた相手に色気出せってのは無茶な注文だと私は思うんですけどね」
「引き出す自信が失せそうだ」
「そのまま失せてていいから」
抱きしめられて心臓がギュッとなったのが分かる。
不味い、何か、色々と不味い。
それだけは分かる。
「菜枝が欲しい」耳も元で落とされたいつもより少し甘い声に菜枝は首を竦めた。
一緒にご飯食べて、少しだけほだされてる自分がいる。でも、三千円のご飯と助けられたことで身体を差し出すのは、やっぱり無理な話しであって……。
「無理、やっぱり無理!」
「そう言うと予想はしてた」
先程までの甘い声とはうって変わって、いつもの声に戻った一之瀬は僅かに屈み込むと一瞬にして菜枝を横抱きにした。
「ちょっ、一之瀬!」
「暴れたら落ちるぞ」
「だったら離してよ!」
「お前のそうやって怒った顔、結構見物だな」
「あんた、どんだけサド男よ。ちょっと、このままどこ行く気!?」
「勿論、ベッドに。今、このまま経験値稼いでもいいかなと思っただろ」
確かに菜枝としては、心惹かれる所が無い訳ではない。結局、経験が無いというだけで周りからは笑われて、そういう話しには加わらせて貰えないことも多くあっただけに過去を考えると気持ちが揺れる。
見上げた一之瀬は足を止めて菜枝を見下ろしていて、その顔立ちは正直好みだと思う。それに悔しいことに、最初の出会いで心ときめいたのは菜枝の方だった。
難点を言えばこいつの場合は性格が……いや、うん、悪い奴では無いと思う。ただ、性格が悪いというか、俺様というか……。
何だか究極の選択を迫られている気分にすらなるのは、菜枝の気持ちがすでに揺らいでる証拠かもしれない。
「別にしたからといって何が変わる訳でも無いだろ」
「まぁ、変わっても困るし」
「だったら安心しろ。綺麗さっぱりやり捨てて忘れてやるから」
「あんたって……」
もう少し言葉を選べとか、色々言いたいことはあるけど、菜枝としては少しだけ気持ちが軽くなるのが分かる。確かに初めてが大事という訳でも無いけど、経験として知ってるのと知らないのでは大きく違う。菜枝だって、興味が無い訳じゃない。
出来ることならしたいとは思うけど……ただ、ねぇ。
見上げた一之瀬が視線だけで問い掛けてくる。昨日に比べたら全然無理強いなんてことは無くて、一応こうして足を止めてくれる分、随分マシな扱いだとも言える。
……絆されてるよね、絶対。でも、いいかなと思ってる自分もいて……これで顔が、顔さえ好みじゃなければ絶対に迷ったりしないのに。悔しい思いで一之瀬を見上げていれば、その口端が楽しげに上がる。
「決まりだな」
「……痛くしないでよね」
「努力はしよう」
「痛かったら一生恨んでやる」
「お前はどこのガキだ」
呆れた溜息を零しながらも再び昨日入った寝室へと一之瀬の足が向かい出す。
本当にこれでいいのか? いや、でも経験したいのは確かだし……でも、本当にこれが相手でいいのか?
そんなことを考えてぐるぐるしている間に、昨日とは違いやたら丁重にベッドに下ろされてそれだけで顔が赤くなってくる。正直、こんなに丁重に扱われたことなんて、生まれてこの方一度たりとも無い。
「か、かなり恥ずかしいものがあるんだけど」
「そんなもん捨てとけ」
「普通、捨てられないって」
やけに早口になってる自分に気付きつつも、何か話してないと早鐘打つ心臓が爆発しそうだ。だからこそ、無駄に話しをしようと口を開きかけたところで一之瀬の人差し指が唇にあてられた。
「お前、もう黙っておけ」
そう言われても、黙ったら今度はどうすればいいのか分からなくなってくる。一之瀬と二人、暗いベッドの上で何をするのか想像すれば、どちらかというと発狂したい気分になる。腹は決めたから嫌だとかそういう気持ちじゃなくて、ただ恥ずかしさにだ。
軽く肩を押されてバランスを崩せば、背中にベッドの柔らかい感触があたる。薄暗い中でカチャリと微かな音がして、扉の隙間から入ってくる明かりの筋で一之瀬がヘッドボードへ眼鏡を置いたのだけが見えた。
「ほ、本気でする気?」
「元々俺はする気だったが?」
「いや、でも、その……」
何かを言いかけた所で一之瀬が多い被さってきて思わず目をギュッと瞑った。一之瀬の掌が頬に触れて、身体が大げさなくらいビクッと震えたのが自分でも分かる。でも、一之瀬は気にした様子も無く、ゆっくりと頬を撫でる。その掌が優しいと感じるのは、優しいと思いたいからなのか、実際に優しいのか、菜枝にもよく分からない。
そんな分からない相手に、本当にいいのだろうか。
頬に触れていた手が前髪を掻き上げると柔らかなものが額に触れる。薄く目を開ければ、薄やみの中で一之瀬と目が合ってしまい、再び目を閉じる。それから目元に、そして頬にキスされ、最後に唇に触れるだけのキスをされる。
だめだ、もうどうしていいのか自分でも分からない。こんな居たたまれない気持ちになるなんて想像してなかった。
確かに恥ずかしさは感じるだろうとは思ってたけど、まさか、ここまで落ち着かない気分になるなんて思ってもいなかったから菜枝としては今更慌てる。
「い、一之瀬、あのやっぱり」
話している間にも一之瀬の指が唇をなぞり、ざわりと肌が粟立つ。
「いいから黙ってろ」
唇を撫でていた指先がするりと口内へと入ると、舌先に触れる。
「っっ!」
思わず引っ込めた舌を追い掛けてくることは無く、ゆっくりと上顎をくすぐられてザワザワする落ち着かない気持ちが増幅される。もう目なんて開けられなくて、ただひたすらギュッと目を瞑ることしか出来ない。
口内を弄っていた指が抜かれてすぐに唇が重ねられて舌先が今度は口内を優しくまさぐる。舌先が触れて逃げ出したい気分になるのに、すぐに絡めとられてまるで今の菜枝のようだと思った。重ね合う唇の間から吐息が漏れて、その吐息すらやらしく感じてもう菜枝としては手元にある布地を握りしめるしかない。
「も……やぁ……」
耳につく自分の声は甘ったるいもので、耳だって塞ぎたいくらいなのに指先は握りしめた布地から離れることが無い。余裕なんて全然無くて、どうしていのか分からない。ただ、時折吐息と口内から時折零れ落ちる水音だけがやけにやらしくて、聴覚からも感覚を犯されていって徐々に朦朧となってくるのが分かる。
重ねていた唇が離れたかと思うと、今度は首筋にその唇が触れて思わず息を飲む。ゆっくりと唇が首筋から鎖骨まで降りてくると、微かに痛みが走る。
「いち、の……せ……?」
「痛かったか」
たった一言だったけど、突き放すような普段の話し方とは違い、その声はどこか甘い。菜枝はどうにか首をゆるく左右に振れば、鎖骨の当たりで一之瀬が笑ったのか吐息があたり、その刺激にすら身体が震える。
こんな感覚は知らない。だから怖いのに、けれども止まらない何かがあって、それが掴みきれない。
唇が徐々に胸元まできたとき、初めて菜枝はすっかりボタンが全て外されていることに気付く。
「手、早すぎ」
「こういうことはスマートにやるべきだろ」
「そう、かもしれないけど」
「いいから黙ってろ」
再び唇を塞がれて、舌をからめられると意識が持って行かれるのが分かる。その間にも一之瀬の手が背中へ周り、後ろにあるホックが外されたのが分かった。一之瀬の指が脇腹に触れると、何とも言い難い感触に身体が強張る。ゆっくりと肌を辿る指先が徐々に上がってきて、ブラジャーの下へと潜り込む。掌全体で胸を包まれると、恥ずかしさはピークに達した。
「も……むりぃ……」
キスの合間にそれだけ訴えたけど、一之瀬のキスも手も留まることをしらず、更に口内をまさぐられ胸を包んだ手は緩やかに滑りだす。寒気にも似たゾクゾクとした感覚に翻弄されつつ、逃げ場がなくて掌を握りしめるしかない。
キスしていた唇が一旦離れると「菜枝」と名前を呼ばれる。全然違うその甘い声に恐る恐る目を開ければ、途端にボロボロと涙が零れて、もう本当にどうしていいか分からない。
「大丈夫だ」
先まで胸に触れていた手が、ゆっくりと髪を撫で梳く。その指先が気持ち良い。
「優しくする」
「でも、恥ずかしくて、死にそう」
指の腹で零れた涙を拭われて、暗闇に慣れた目が一之瀬が微かに笑う顔だけが映る。それは初めて見る一之瀬の嫌味ない笑顔だった。
「開き直れ、得意だろ」
「こんなの開き直れない」
「ったく……」
仕方ないという口調なのに、見た事もないくらい優しい顔をしていて初めて見せる一之瀬の顔に菜枝は戸惑う。でも、そんな表情にも身体中の熱が上がってくる気がする。自分でも、もう何が刺激になるのか全然分からない。
「恥ずかしいとか色々考えるな」
再び唇が塞がれて目を閉じた。途端に唇が離れて、胸元に触れたかと思うと先端を口に含まれて背筋がゾクリとして身体が震える。
「やっ、あ……」
零れた甘い高い声に慌てて口を塞ごうと手を口元にあてた途端に引き剥がされてベッドに縫い付けられた。
「やだぁ……も……」
「いい声だ、そそる」
「そそる、とか、言うな……ん、ばかぁ……」
言いたいことは沢山あるのに、言葉にしたららしくもない声が漏れそうで、どうにかそれだけ言うと唇を噛み締める。けれども、すぐに唇を指先で撫でられて強引に指が入り込んで、その隙間から声は漏れ出してしまう。甘い自分の声に酔いそうになりながら、胸をまさぐる指先と舌先から与えられる刺激に溺れていく。
あそこにも熱が集まっていて、思わず足を軽く擦り合わせたところで一之瀬に微かに笑われて、更に羞恥心を煽られる恥ずかしさで逃げ出したいと思うのに、もう、ベッドから起き上がる気力も無い。口内に入っていた指がようやく抜け出したかと思うと、その指は首筋から胸元、そしてお腹を経由して下着の中へと潜り込んだ瞬間、菜枝は思わず一之瀬の手を握りしめた。
「や、だ」
「菜枝」
甘い声で名前を呼ばれるだけで、思考がかき乱される。それでもどうにか首を左右に振れば、今度はもう一度耳を甘噛みしながら名前を呼ばれた。
その刺激に身体を震わせた瞬間に、一之瀬の指はそこに触れた。強い刺激に身体を竦めたけれども、その指は止まることなくそこを何度もなぞる。
「や……も……あっ……」
「菜枝」
何度もも何度も名前を呼ばれて、耳朶を甘噛みされる。あちらこちらからの刺激に声も止まらない。更に指先がある場所に触れた途端、出てくる声は嬌声に変化したのが分かる。もう、あとは何も考えられないまま追い上げられて、身体中が悲鳴を上げて自分がいかされたことが分かった。
ふわふわした感覚だったけれども、衣擦れの音でそちらへと視線を向ければ、一度ベッドから降りた一之瀬が服を脱ぎ捨てている最中だった。こちらに向けた背中は菜枝なんかよりもずっと広いもので、作り自体が違うことが分かる。
不意に振り返った一之瀬と視線が合ってしまい、慌てて目を背けたけど笑う空気だけは伝わってくる。
「笑うな」
「菜枝が可愛いから仕方ない」
「か、可愛い!?」
言われ慣れない言葉に舌を噛みそうになりながらどうにか言葉にすれば、再びベッドに乗り上げてきた一之瀬の体重で微かに沈む。
「あぁ、黙ってれば」
「ムカつく」
「お前のそういう情緒の足りないところが、こういうことから縁遠くなる原因だ」
それを言われると菜枝としては自覚が無い訳ではないから何も言えなくなる。会話を交わしながらも一之瀬は器用に菜枝の腕から袖を抜くと、首の後ろに腕を回して軽く身体を上げると着ていたシャツをベッドの下に落とす。
「色気が無い訳では無いな。ただ、情緒が無いだけで」
「あんたに言われたく無い」
「だろうな……くくっ」
そう言って笑いながらも、菜枝の足下からスカートと下着を脱がせてしまうと菜枝は再びいたたまれない気持ちで身体ごと横を向くとその身を丸めた。
「恥ずかしい?」
「当たり前でしょ」
「でもな、その体勢ってかなり無防備なんだよ」
途端に背筋にぬめる感触がしてゾクリと再び肌が粟立つ。そして背後からあそこに触れられて息を飲む。くちゅりという水音に、菜枝はさらに身体を震わせたけど、一之瀬の指は容赦なくまだいったばかりの菜枝のそこを何度も撫でる。
「や、やだ……も、むり、んんっ…はっ……」
「もっと気持ちよくしてやる」
不意に腕が腰に回ったと思った途端身体が浮き上がり、一瞬何が起きたのか分からない。けれども、そのまま膝立ちさせられると軽く足を開かさせられる。
「やっ、何?」
菜枝のとまどいに一之瀬は答えてくれず、先程まで水音を立てていた部分に柔らかな感触が触れる。
「あっ……んんっ……な、に……」
どうにか振り返った菜枝が見たのは、背後からその部分に顔を埋めている一之瀬で、途端に触れているものが舌だと分かると再び身体中の熱が上がる。
「やだ! そんな、場所」
「凄い、濡れてる」
そこで一之瀬が喋ると吐息が掛かり、それだけで刺激になる。その感覚を否定するように首を横にふるけど、感覚は消えてなくならない。それどころか徐々に菜枝を追いつめ始めて、追い上げられいくのが分かる。そんな中で何かが入り込む感触に、菜枝は微かに息を詰めた。
「今、指が一本入った」
「そんなの言わなくていい」
もう本気で今なら恥ずかしさで死ねるに違いない。逃げ出そうとする腰を一之瀬は抑え、ゆっくりと中にある指を動かし出す。一之瀬の長い指が自分の中にあるのだと思うと、それだけで羞恥心は煽られて菜枝は顔をベッドに埋めることしか出来ない。上がるくちゅくちゅという水音と、自分の吐息だけで聴覚から酔わされる。
「もう一本指いれるぞ」
「だから」
「痛かったら言え」
文句を言おうとした言葉を遮るように言われて、それがようやく一之瀬なりの気遣いなのだと知る。でも、今はそんなこと知りたく無い。ゆっくりと二本になった指が入り込み、少しだけ圧迫感が増える。けれども、痛みはなくゆっくりと指が動き出す。
出しては抜くという単純だった動きが中をまさぐりだすと、もう声を抑えることが出来ない。ベッドに吸い込まれた声はそれでも、一之瀬に届いていると思ったら更に身体の熱は上がっていく。気持ちよさに徐々に思考はかき乱されて、恥ずかしいのか、何なのか分らなくなってきたころ反対の手が前の一番感じた場所に触れてきて、中にある指を締め付たのが分かる。
「もう…あっ……んんっ、いっちゃう……やだぁ……」
感じすぎていて身体中の震えが止まらないくらいなのに、まだ追いつめるように一之瀬の指は動いていて菜枝は手元のシーツを握りしめた。もういく、そう思った瞬間、指が引き抜かれて強引に身体をひっくり返されたところで、一之瀬の身体が足の間へと入り込む。覆い被さった一之瀬と近い位置で視線が合う。その視線がいつもよりも熱っぽく感じるのは、こんなことをしているせいなのかもしれない。
「腕を首の後ろに回して」
言われるままに手を伸ばして、首の後ろに回すとご褒美といわんばかりにキスが一つ落ちてきた。再び指が一番感じる場所を刺激してきて、先よりも大きな嬌声が上がる。そして、熱があそこにあたったと思うと、ゆっくりと入り込んでくる。
「あっ、あっ、んんんっーっ!」
身体中のどこよりも熱いものが身体に入ってくる。けれどもそれと同時に指先は刺激を止めず、中にいる一之瀬の形が分りそうなくらい締め付けてしまう。
「も、だめ、いっちゃうよ」
「もう少し我慢してろ」
そう言われても限界がチラチラと見えている状況で、どうしていのか分らない。もう耐えるのだって限界なのに、そう思っていたところで一之瀬の指の刺激が無くなると、一気に奥まで一之瀬が入り込んでくる。
「んあぁーっっ!」
痛くはないけれども、違和感がそこにある。そして中で脈打つそれを感じながら、菜枝はようやくそこで息を吐き出した。
「はい……た?」
「あぁ」
返事をしながらも首の後ろに回した菜枝の手を掴んだ一之瀬は、一旦その手を首の後ろから解くと菜枝の指先にキスを落とす。時折指先を甘噛みされながらも、指先に感じる刺激と中にある刺激にクラクラする。名前を呼ぶ一之瀬の声がまた甘くて、さらに頭の中がトロトロと解けていく。
「動くぞ」
指先を遊んでいた一之瀬が両手に指を絡ませると、そのままシーツへと縫い止める。それから一之瀬がゆっくりと動き出すと、自然と声は零れた。時折キスされながら身体を重ねる。限界だった身体は中からの緩い刺激だけでも十分で、追い上げられて最後に菜枝は高い声を上げてそのまま気を失った。
* * *
瞼の裏に映る薄明かりにたゆたう意識のまま目を開ければ、ベッドサイドにある小さなランプが明かりを灯していた。当たりを見回したけど一之瀬の姿は無く、掛けられた布団に顔を埋める。
……やってしまった。
それは何とも言えない奇妙な感覚だった。後悔とは違う気がするし、何だかもやもやする。決めたのは自分だから後悔はしたくない。したくないとは思っているけど、やっぱり、しまった、と思ってるのだと思う。果たしてこれは利用したのか、されたのか。
小さく唸った所で扉の開く音がして、布団から少しだけ顔を出せば、一之瀬がスポーツドリンク片手にバスローブ姿で入って来た所だった。
「気付いたのか」
「バスローブ……日本で着てる人がいると思わなかった」
「風呂上がりはこれが一番楽なんだ。ほら」
よく見ればいつもなら立ち上がってる髪も今はすっかり落ち着いていて、何だか変な気分だった。別人とまでは思わないけど、見慣れないこともあって違和感がある。それでも差し出されたスポーツドリンクを受け取ろうとしたけど、裸のままで起き上がるだけの気合いが菜枝には無い。
菜枝の着ていたシャツは一之瀬の足下にあり、手を伸ばすにも微妙な距離でどうしたものかと悩む。けれども、そんな菜枝の迷いに気付いたのか、小さく溜息をついた一之瀬は屈み込んで菜枝のブラウスを先に取って差し出してくる。それをもそもそと布団の中で着込んでから起き上がろうとしたところで、身体のいたるところが痛みを訴える。
「痛い……」
「そんなこと言われたのは初めてだな」
えぇ、えぇ、確かに痛いのは運動不足の腕やら足やら、声上げすぎた喉であってあそこが痛む訳じゃない。だからといって、その言い草にカチンとこない訳でも無い。
「あんたのそういう自信過剰なところ嫌い」
「自信過剰ね、事実だからな」
「絶対にあんた結婚出来ないタイプだわ」
「別に必要無いから構わないな」
どうしてこいつはああいえばこういう並に言葉を返してくるのか、菜枝としては腹立たしい。それでも差し出されたペットボトルを受け取れば、蓋の開けられたそこにはストローが差し込まれていて不思議に思う。思わず一之瀬を見上げれば、微妙に気まずそうな顔をした一之瀬が顔を背けた。
「起き上がれない可能性も考えたからな」
どうやら一応はそれなりの気遣いは見せてくれているつもりらしい。いや、多分、それなりどころかいつもの一之瀬からすれば、かなり特上の気遣いに違いない。
「シャワー使うか? もし風呂は入りたいなら沸かすが」
「帰るからいい」
「泊まってけ」
「着替えないといけないし、あんたと一緒になんか寝られないわよ」
正確に言うなら恥ずかしくて一緒になんて寝てられないというのが正解。けれども、そこまで説明する義務は無い筈だと菜枝は一之瀬が持って来てくれたスポーツドリンクに口をつける。喉の乾きを覚えていた菜枝にとって、それは確かに助かるものではあった。
「先は寝てただろ」
「あ、あれは、気を失ってたっていうんだ、バカ!」
「ふーん」
意味ありげに笑う一之瀬に、菜枝の顔は思わず引きつる。一体、今度はどんな言葉が飛び出すのか、その表情からも想像するのが恐ろしい。
「それだけ気持ちよかったということか」
言われた言葉を反芻した途端、菜枝は一瞬にして自分の顔が赤くなるのが分かって立てていた膝に顔を埋めた。
「本気でヤだ、こいつ……」
呟きは一之瀬に届いたのか、どこか楽しげな笑いが響き菜枝としては顔が上げられない。結局、押し問答の挙げ句、菜枝は一之瀬の車で家まで送って貰い、筋肉痛に半泣きになりながらもシャワーを浴びて一人、家で就寝することになった。
翌日になってあそこに多少の違和感は感じたけれども、筋肉痛も大分マシになっていることにホッとしつつも菜枝はいつものようにホテルへと向かった。更衣室前で一之瀬と会ったけれども、どうにも視線を会わせることが出来ない。それでもどうにか挨拶だけして更衣室の扉に手を掛ける。
「菜枝」
何か言いたげな一之瀬の様子は分ったけど、今は何か言われても困る。それこそ、昨日のことに対して何か言われたら菜枝としては今日一日の業務にさしさわる。
「ごめん、落ち着いたら話し聞くから今日は無理」
多分、そう言ってる今も顔は赤い。けれども、一之瀬に名前を呼ばれると昨日のことが思い出されてしまってどうにも居たたまれない。正直、別に一度寝たくらいでどうなると思ってもいなかった。だからまさか、自分がこんなにうろたえることになるとは想像すらしていなかった。
「明日までにはどうにかするから、今日はごめん」
それだけ言うと、一之瀬から逃げ出すように更衣室へと入った。着替えているところで楠木も入ってきて、挨拶を交わした後に楠木が楽しげに笑う。
「随分、激しいじゃない」
そう言って鎖骨のあたりを指先で突つかれて、一瞬、意味が分からない。首を傾げる菜枝に楠木は呆れた顔で菜枝のロッカーを開けると、鏡の前に立たせる。一体何事だと思えば、鏡の中に映る自分の鎖骨には赤い花が咲いていてヒィーッと口の中で小さく悲鳴を上げる。
「あんた、気付いてなかったの?」
「き、気付いてなかったというか、知らなかったというか」
「まぁ、いいけど。皆が来る前に早く着替えておきなさい。ついでにここも一応絆創膏貼っておいた方がいいわよ」
そう言って楠木に首筋を突つかれて、そこは一昨日つけられた痕があることに気付いてもう赤くなる顔を止められない。
あのバカ……。
確かに言ってなかった菜枝も悪かったかもしれないけど、さすがにこれは無いだろ。腹は立つけど、殴り込みに行くだけの気力は無く、菜枝は怒りを飲み込むしか無かった。制服に着替えてから、結局笑いながらも楠木が絆創膏を貼ってくれて、二人で事務所に入ればまだ数人しか事務所にはいなかった。
一応、それでも隣に座る一之瀬は気遣ってくれたのか、話し掛けてくることは無かった。非常に助かる思いで手元の書類を纏めていれば、外線電話が回されてきて菜枝は受話器を取った。
「ブライダルの常盤と申します」
「あ、菜枝!」
「何だ、美華子。どうしたの?」
「昨日、菜枝に言われて凄い反省してさ、彼に言ったの」
受話器から聞こえる美華子の明るい声からもどうなったのかと想像はつく。訝しげだった菜枝の顔も、美華子の声を聞いた途端に口元が緩む。
「本当に? それで?」
「……知ってたって。でも、私が言うの待っててくれたみたい。何か愛されてるなーとか思って泣いちゃった」
「良かったじゃん」
菜枝としてもどこかホッとした気分で美華子に声を掛ける。昨日の反応からしても、もしかしたら田所は知っているんじゃないかと思っていたけれども、やっぱり一之瀬の言う通り、調べていたのかもしれない。菜枝としては事前調査なんて全く持ってごめんだけど、そういう世界に身を置く人もいるんだということを知るには良い機会だったのかもしれない。
「じゃあ、結婚式は」
「勿論、そのままお世話になります。田所さんも宜しくお願いしますって伝えておいてって」
「そっかー、うわー、じゃあ、本当におめでとうだね」
「うん、これで憂い無し!」
「じゃあ、こっちも準備始めるから。また近い内に打ち合わせに来てよ」
「うん、二人で行くから宜しくね」
そんな会話をして電話を切ると、菜枝は安堵の溜息を零した。正直、一之瀬から調べるということを聞いて、菜枝としては美華子に今晩でも電話しようと思っていた。けれども、そんな心配はもう必要無い。だとすれば、友人である美華子がここで式を上げるということを素直にようやく喜べる。
「何かいいことあったのか?」
ニマニマと笑う菜枝が見えたのか、背後から嘉門が声を掛けてくる。くるりと椅子を回した菜枝は、嘉門に向けてピースサインを突きつけた。
「千人規模の結婚式ゲットです!」
「マジでか?」
「はい、マジです」
「うわー、お前凄いよ! マジで凄い!」
「もっと誉めてー」
「よし、こうしてやる」
そういっていつものように嘉門が手を伸ばしてきた所で、不意にそれを遮るように嘉門の手を誰かが掴む。その手を辿れば一之瀬と視線が合い、当の一之瀬は酷く驚いた顔をしている。
「どうした、一之瀬?」
問い掛けたのは嘉門で、らしくもなく慌てた様子で一之瀬はその手を離した。
「……すみません、何でもありません」
それだけ言うと一之瀬はそのまま事務所を出て行ってしまう。一体、何がなんだか訳が分からない。
「えっと……?」
思わず助けを求めるように嘉門を見上げたけど、当の嘉門は非常に複雑そうな顔で一之瀬の消えた扉を見つめている。そして菜枝の視線に気付いたのか、菜枝を見た途端に長い溜息を零した。
「お兄さんは、お前が心配だよ」
「はい?」
「まぁ、色々と頑張れ」
「はぁ、まぁ、頑張りますよ? それしか取り柄ないんで」
「いや、そうじゃなくてな……いや、うん、まぁ、頑張れ」
何とも言葉を濁すような嘉門に首を傾げたけれども、それ以上は何かを言うつもりは無いらしく、嘉門は自席へと戻ってしまう。取り残された感が残る菜枝としては微妙な気持ちではあったものの、取り合えず、美華子の結婚式に向けてプランを練るべく机に向かった。