夕暮れコントラスト Act.13

「少しは嫉妬したりしてくれたのかな?」
「……当たり前です」
「そう、それはよかった」
「全然よくないですよ」
「そう? だって僕ばかり嫉妬してるのは恥ずかしいでしょ」

 確かにヒロはさきまでそう言っていた。透に嫉妬したと。

 でも、ヒロの穏やかなイメージからは、どうしても嫉妬という言葉が結びつかない。

「これでもね、結構嫉妬深い方なんだ。こうなってみると思うけど、どうして二人を見ても大丈夫なんて思えたんだか自分でも理解不能なくらい」
「透は別に腐れ縁で」
「うん、分かってる。でも、余裕ない状況だったからね」
「どういうことですか?」
「内緒」
「何だか納得いきません」

「うん、僕の口から言うのはさすがにマナー違反だからね。これに関しては黙秘させて貰うかな。ねぇ、今から告白は既に遅い?」
「だったら、この腕をとっくに振りほどいています」
「そうだよね。一応確認」
「それ以前に、この場所でこの体勢ってことが恥ずかしいんですけど」

「そう? 可愛いなぁ」
「かわ……もの凄くその言葉に違和感があります」
「僕の目からみて、流果ちゃんは昔から可愛かったよ」
「子供扱いしてません?」
「してません」

 背中に回っていた腕が離れると、顎を掴み顔を上げさせられた。正面で微笑むヒロはいつもと同じで余裕ありげだ。自分ばかりが、酷くうろたえている気がする。

「ヒロさん?」

 ゆっくりと近付いてくるヒロとの距離に、恥ずかしさで目をギュッと瞑れば、微かに笑う気配がした。そして、唇に何かが触れる。

 柔らかい、なにか————。

 一瞬にしてそれが何かを理解して目を開けば、やっぱり至近距離で微笑むヒロがいる。

「子どもにこんなことはしません」
「あ、あの……」

 キスされたんだ。そう理解した途端、顔から火が出そうなほど熱くなる。勿論、目なんか合わせていられず、顔を隠すようにヒロの胸板に顔を埋めた。

「本当に可愛いなぁ」
「け、経験値が色々足りなくてすみません」
「別に謝る必要なんてないよ。教える楽しみが色々あって嬉しいくらいだし」
「あ、の……そろそろ離して貰えると嬉しいです。ライブのお客さんも来るころですし」

 おずおずと伝えた言葉に、透は小さく溜息をつくと、流果を拘束していた腕を解放してくれた。

「本当は引き止めたい気分だけど、今日は制服だし家に帰った方がいいね。ご両親の手前、制服で遅くなるような真似はさせたくないし。あぁ、お茶を飲むくらいの時間はあるかな」

 腕時計を確認するヒロに、流果は慌てて声を掛けた。

「別に両親は」
「ダメ。もし、今後両親にご挨拶でもすることになったら、マイナス印象強すぎるから」
「両親に挨拶? そんな大げさなこと」
「大げさ? 本当に? 流果ちゃんにとって今が楽しければいいだけ?」
「そんなことありません!」

 ヒロさんと付き合えるのであれば、できるだけ長くお付き合いさせて貰いたい。でも、ヒロさんの言葉は流果が考えているよりも先の話しを考えているように思える。

 そう期待しそうになる自分がいる。いや、この場合は期待していいのだろうか。でも、それをどう言って確認すればいいのか分からない。

 何よりもトントン拍子に進んだこの一連の出来事に、自分の頭がついていけない。

「じゃあ、今日は家に帰ること。大丈夫、きちんと電話するから」
「あの、両親に挨拶って……それって」

 ふと動きを止めたヒロは、ゆっくりと視線を流果へと落としてきた。

「うん、勿論今すぐどうこうって話しじゃないよ。これから付き合っていって上手くいくかどうかは分からない。でも、ずっと長くいたかったら、そういう方法も考えない訳じゃないから。それに、流果ちゃんが思っているよりも、独占欲強いから、いずれ法的に独占したくなると思う」
「法的に独占って、結婚ってことですか?」
「そういうこと」

「そう言われてもピンとこないというか、結婚なんてまだ
考えたこともなくて」
「分かってるよ。でも、頭の片隅に置いておいて。それを考えてしまうくらいには、僕が独占したいと思っているって。まぁ、とりあえず、ここから始めようか」

 そう言って穏やかに笑うヒロの手が伸びてくると、流果の手を握りしめる。触れあう手は大きくて、温かくて流果とは全く違う。

 そして、それはまぎれもなく男の人の手で、一瞬にして自分の顔が赤くなるのが分かった。

「竹中くんにお願いしてお茶だけ飲ませてもらおうね」
「あの、このまま行くんですか?」
「うん、一応牽制もしておきたいし」
「牽制? 誰にですか?」
「色々な人に。だって、今日から流果ちゃんは僕のものでしょ? 誰かに奪われるのは納得行かないし、例え竹中くんでも例外じゃないし」

 僕のもの……ヒロのものになった自分、そう考えた途端、身体中が心臓になったみたいに、あちこちドキドキしている。

「た、竹中さんは別に」
「うん、でも誰がそういう気持ちになるか分からないから、一応ね」
「絶対ないと思うんですけど」
「世の中に絶対はないよ。だからできる限りの予防線は引いておくんだよ」

 絶対はない。それは果穂の口癖でもあった。それが少し面白くないと思った自分は心が狭いかもしれない。

 そんな自分の心狭さを反省しながらも、ヒロと手を繋いだままライブハウスの扉をくぐった。


 * * *

 唐突なヒロの告白で付き合うことになったものの、流果にとって現実味はない。家へ帰る足取りも、思考もふわふわとしていた。

 それでも家に帰れば、果穂が九時くらいにやってきて家族揃って食事を取った。その後は果穂に引き摺られるようにして自室に引き上げると、すぐに果穂から詰め寄られた。

「ヒロと付き合うことになったって?」
「そう、みたい」
「何よ、その惚けた顔」
「何か夢みたいで。だって、ヒロさんが私を好きになる要素が見つからないっていうか、まだ信じられないっていうか」

「信じられないも何も、最初からヒロは流果が気に入っていたんだから、私としてはやっぱりね、っていう感じだけど」
「私はってきり果穂ちゃんと付き合ってたと思ってたから」
「私がヒロと? やめてよ。顔からして好みじゃないし、ヒロみたいに思考の先回りするタイプはイライラするの。付き合うには一番不向きな人種だわ。友人としては最高なんだけどね」

 本気で嫌そうな顔をする果穂に、流果の心境は複雑だ。ホッとしているのも確かだけど、好きな人のことをそこまで言われるのも面白く無い。

 自然と複雑な顔をしていたのか、目が合った果穂は苦笑いを浮かべると、流果の肩を軽く叩いた。

「まぁ、それにしても長い片思いだったわよね」

 長い片思い、そう言われても余りピンとこない。実際、ヒロの声を聞いてから半年くらいの間だったけれども、長い片思いといえば、数年単位という感じがする。

「長いのかなぁ」
「長いでしょ。流果が中学の時からだから、もう何年に」
「待って、私の話じゃないの?」

 思わず果穂の言葉を遮るように言葉を被せれば、果穂は少しだけ驚いた顔をする。そして次の瞬間には大笑いして、息も絶え絶えという感じでヌード系の口紅で彩られた唇を開いた。

「違うわよ。ヒロから聞いてないの?」
「え? まだそういう話しは……中学の時って、まさか」
「あれよ、例の試合見に行って流果に一目惚れだって。まぁ、実際に一目惚れだったのかは分からないけど、俄然興味持ったのはあれからよね」
「そんなに前から? ……果穂ちゃん嘘ついてない?」
「何でそう思うのよ」

「だって……告白してもヒロさん、全然動じないし」
「この年になってうろたえるはずないでしょ。違う意味でヒロに感心するわよ。高校生相手に幾ら本気とはいえ、付き合うんだから」
「何か高校生だとダメって言われてるみたい」
「ダメっていうか、根本的にノーって感じ。何かあったら親が飛んでくるし、世間体もあるし、面倒いっぱい。それが未成年ってもんでしょ」

 そこまで言われて、透も似たようなことを言っていたことを思い出す。

 大人からみれば、高校生なんてまだ子どもで面倒なのかもしれない。確かに何かあれば親も黙っていないに違いない。

 分かってるつもりで、全然分かっていなかったのかもしれない。

「まぁ、それだけヒロも本気だった、ってことかもしれないけど」
「……そうだといいな」
「なによ、その後ろ向き。そもそも、友人の妹って立場を考えても、本気じゃなければこんな面倒な物件お断りものだと思うけど」
「うっ……」
「まぁ、告白さんざん流されて自信がないのも分かるけど」
「……何でそれを果穂ちゃんが知ってるの?」
「あ……」

 途端に視線を泳がせた果穂は、そのまま引き攣った笑いでごまかしに入る。勿論、それを見逃せる筈もない。

 じっとりとした視線を流果が投げれば、果穂はすぐに笑いを納めると小さく溜息をついた。

「今日、ヒロから電話があって聞いた。お付き合いしますという報告と一緒に」
「面倒とか思われてる?」
「逆かな。ちょっとホッとしているようにも聞こえた。流果が押したから、ヒロも世間体と本気を秤にかけたんだと思う」
「押さなかったら?」
「ヒロは指銜えて諦めたんでしょ。元々諦めはいいほうだし。親に言われてあれだけ好きな音楽も諦めたくらいだし」

 ライブで歌っている姿を見ると、本当に歌が好きだということが分かる。弾いていたアコースティックギターも手に馴染んでいた。

 好きなことを諦める。その感覚を流果はまだ知らないし、知りたいと思わない。

 実際、ヒロを諦めようと思ったあの時、本当に苦しかった。あんな気持ち何度も味わいたくない。

「だから、ヒロにそこまで決心させた流果は、ある意味凄いと思うけど」
「そうかな、よく分からない」
「まぁ、えてして本人には分からないものよ。でも、さきも言ったけど、未成年と付き合うってことは、それだけリスクが大人側にあるの。だから、ヒロに無茶言って困らせないこと」

「別に困らせたりしないし」
「清い交際をしなさいって言ってるの。淫行でヒロが捕まる姿は見たくないでしょ?」
「なっ、そ、そんなこと」
「興味ないとは言わせないわよ。でも、普通とは違うんだと理解はしておきなさい。お姉様からの本気の忠告」

 口調はどこかからかう響きあるものだったけど、その顔は真面目で流果は素直に頷いた。

 そして、家族揃ってお茶の時間を終えると、果穂は自宅へと帰って行った。いつものように自室へ引き上げて来た流果は、ベッドに寝転がりながら、携帯のメール画面を開いて書いては消してを繰り返す。

 いざ付き合うとなると、どういうメールを送ればいいのか分からなくなる。いつもはどんなメールを送っていたのかと送信ボックスを確認してみたけど、本当に他愛のない遣り取りばかりで、携帯片手に途方に暮れてしまう。

 ライブ行けなくて残念です、なんて書いたらヒロさん気を遣いそうだし。今日あったこと……。

 今日のことを思い返している内に、ヒロとのキスまで思い出してしまい、勢いよく枕に顔をダイブさせた。

 ヒロとキスした。思い出すだけでも恥ずかしくて顔から火が出そうだ。今ならこの熱でお湯だって沸かせるかもしれない。

 そんな馬鹿なことを考えていれば、手の中にある携帯がいきなり鳴り出す。考えていたことが考えていたことだっただけに、思わず飛び上がらんばかりに驚いた。

 そして携帯を見れば、ヒロからのメールでさらに顔が赤くなってくる。

 嬉しいけど、恥ずかしい。でも、やっぱり嬉しい————。

 複雑な心境のまま、酷くドキドキした気分で携帯を開く。携帯のボタンを押す指が、緊張で微かに震える。

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