「それで、何があった」
「んー……振られた」
「ヒロさんに?」
「それ以外、誰に振られるのよ。まだ傷口癒えてないから抉るような真似は勘弁してね」
「そんなことしたくないけど……返事、貰えたのか?」
透には告白しても返事が貰えないと愚痴を零していた。だからこそ、嘘もつけず、だからといって口にするにも苦すぎて、ただ首を横に振ることで答えた。
途端に靴を履き替えた透に勢いよく手首を掴まれ、引き摺られるようにして校舎を後にする。
「透、いきなりなに?」
「きちんと聞けよ。ヒロさんの気持ち」
「答えて貰えなかったのが答えなの」
「そうとは限らないだろ」
「なんで透がそこでムキになるのよ!」
「見てるこっちが気持ち悪いんだよ! 流果は流果でいつもみたいに強く押さないし、ヒロさんはヒロさんで流果に遠慮してるし!」
遠慮されてる……そう感じたことは一度や二度じゃない。ヒロの大人としての気遣いは、自分が子どもだと言われているようで気恥ずかしいのと、悔しいのと、寂しさで、いつも色々な感情が入り交じる。
透にまでそう思われているのだとしたら、それはやっぱりヒロにその気は全くない、ということのようにも思える。
「遠慮があるってことは、気がないってことじゃん。もう、いいよ」
「よくない。数年後に後悔したいのか?」
「後悔?」
「聞かなければ分からないことはあるだろ。振られたっていうのも流果の思い込みかもしれない」
「そんなことない」
「絶対に?」
ヒロの気持ちを絶対と流果が言い切れる筈もない。だからこそ黙り込んでしまう。
その間にも駅の自動改札を抜け、ホームへと上がる。強い風で、持っていた防具類が風に煽られる。それを強く握り締めたけど、反対の手は相変わらず透に強く握られたままだ。
「ねぇ、離して」
「それはできない。きちんと話した方がいい」
「どうしてそこまで透がムキになるの? 本当に訳が分からない」
ため息混じりにそれだけ言えば、ホームを歩いていた透が足を止める。振り返った透は真剣な顔だ。
唇が言葉を紡ぐ。
けれども、すぐ傍を走り抜ける特急列車の音で、言葉の音が耳に届かない。
僅か十秒足らずの空白時間。
通り抜けた特急列車の後を追い掛けるように、つむじ風が辺りを舞う。
「ごめん、何言ったのか聞こえない」
「……別に何も言ってない」
「嘘、絶対に何か言った」
「だからイライラするって言っただろ!」
「……イライラさせて悪かった。でも、透には関係ないでしょ」
「近くでウダウダしてるからイライラするんだろ」
確かに愚痴を言ったのは流果だ。透を巻き込んだのも確かに自分で、反論の余地もない。
「ごめん……」
素直に謝れば、仕方ないとばかりに透に溜息をつかれてしまう。
「……腐れ縁だから、心配くらいするんだよ」
「うん、ごめん……でも、これ以上は会いたくない。決定的な何かを言われるのが怖い」
「なら、あの人が年の差を気にして一歩引いているだけだとしたら?」
「何でそんなこと言う訳? そんなの透に分からないでしょ?」
「マスターが……あのライブハウスの竹中店長が言ってたから。未成年と付き合うのはリスクがあるから、好きだとしても無理だって。ヒロさんがマスターと同じとは限らないけど、俺たちが思う以上に大人は考えているみたいだ。本当にそんなことで、気持ち否定されてもいいのか?」
年齢差について考えたことはあった。でも、それが障害になるとは全く考えたこともなかった。
「正直、俺はそんなことぐらいって思った。でも、大人としては違うらしい。確かに未成年だけど、それくらいのことで弾かれたら悔しいだろ」
そう言った透の方が悔しそうで、そんな場面でもないのに少しだけ笑ってしまう。
「お前、人が真剣に話してるのに」
「ごめん、違うの。何か透がそこまで本気で考えてくれたことが嬉しいっていうか……ありがと」
「真顔で礼なんて言うな。明日槍が降る」
「あのねぇ、それは余りにも失礼でしょ」
「しおらしいのは似合わないって言ってるだけだ」
その言葉と共に再び強引に手を引かれ、到着したばかりの電車に乗せられた。
「私、まだ行くなんて言ってないんだけど」
「でも、確かめたくなっただろ?」
そんな透の言葉で唇を尖らせてみたけど、透は気にした様子もない。
実際、確かめてみたい気持ちと、怖くて近付きたくない気持ちが半々で、どうしてもモヤモヤとした気持ちが渦巻いている。
透の気遣いで若干気持ちは浮上したけど、向き合う程は強くなれない。
「やっぱりやめとく。これ以上会えば迷惑掛かる気がするし。それに、ヒロさん、まだ果穂ちゃんのこと好きだと思うし」
「……は? 何だよそれ」
「ヒロさんと果穂ちゃん、前に付き合ってたみたい」
「……それ、本当か?」
「多分……」
「だったら、きちんと聞けばいいだろ。確かに好きな相手に臆病になる気持ちは分からなくもない。でも、幾らなんでもらしくなさすぎだろ」
「自分でもそう思う……って、透でも臆病になるもん?」
「それはなるだろ。普通は嫌われたくないからな」
「そっか……」
誰でも臆病になるもの。それを分かった上で透はらしくないという。
猪突猛進。それが自分だと思っていたけど、さすがに躱され続けた恋は臆病にだってなる。しかも、一度だって色好い返事は貰えていない。
それでも透はぶつかれという。確かに近くで見ているとイライラする気持ちも分からなくもない。でも、連絡がこない、それが全ての答えのような気がする。
電車が駅に到着し、人ごみの押されるようにして電車を降りたけど、ホームに立ち尽くしたまま動けなくなる。
「いいから行くぞ」
会わないほうがいい。そう思うのに透に引きずられるようにして歩き出す。それでも歩いてしまうのは、やっぱり未練があるからだ。
それでもライブハウスが見えてくると、やっぱり気持ちがくじけた。
「……やっぱりいいよ。帰る」
「何言ってるんだよ。ここまで来て」
「だめ、やっぱり自信ない」
「自信云々の問題じゃないだろ」
「いいから離して!」
手首を掴む透の手を引き剥がそうとするけど、その手は痛いくらい力が入っていて離すことができない。
「離して!」
「ダメだ」
どれだけの間、透と押し問答を続けていたのかは分からない。長い影がいくつも通り過ぎる中で、一つの影が二人の間で止まる。そして、その影の持ち主が透と流果の間で引き剥がした。
「透くん、女の子に対して強引なのは余りお勧めしないけど」
「……ヒロさん」
思わぬ人の登場に、思わずお互いの間にある空気が固まる。そんな雰囲気に気づかないのか、ヒロは強い視線で透を見据える。
「そんな視線向けるなら、きちんと流果に自分の気持ち伝えて下さい。じゃないと、俺もさきに進めない」
透はそれだけ言うと、ヒロに掴まれていた手を振り払うと、そのままライブハウスに向かってしまう。その場に流果とヒロの二人だけが取り残され、酷く気まずい空気が流れる。
そんな中で小さく溜息をついたのはヒロだった。
途端に流果の気持ちが竦む。
「すみません。あの……帰ります」
それだけ言うと、逃げるように踵を返した。けれども、ヒロに掴まれたままの手に阻まれる。
身動きが取れなくなった流果は、ヒロの手を振りほどくこともできない。ただ、その場から動けないままヒロの顔を見ることもできず俯いてしまう。
「……ごめんね」
その言葉で開放されるのかと思っていれば、やはりヒロの手が離れることはない。
恐る恐る振り返れば、そこには苦く笑うヒロがいて途端に胸が苦しくなる。
「……いいです。だから、手を離して下さい」
「そういう意味のごめんじゃなくてね」
掴まれていた手を強く引かれ、バランスを崩す。そんな流果をヒロの腕が支えてくれた。ヒロの胸元に抱きこまれて、流果はパニックに陥っていた。
「あ……の……」
「会わなければ大丈夫だと思ってた。でも、流果ちゃんが透くんと一緒にいるのを見て、やっぱり無理だって分かった」
無理なことは分かってる。だから改めて言葉にされなくたって理解はしている。でも、何でヒロの腕に抱きしめられているのか理解ができない。
「ごめんね。流果ちゃんのこと、諦めてあげられそうにない」
ヒロが一体何を言い出したのか、パニックに陥っている頭では理解できない。
「と……とにかく、離して下さい」
「ダメ」
「ダメって……」
指先が触れただけでも心臓が口から飛び出しそうな程ドキドキするのに、抱きしめられたら息苦しさで目眩がする。
「想像はしていたんだけど、想像と現実はやっぱり全然違うね。とっさに声を掛けるくらいには嫉妬したし、誰にも渡せないと思った」
夢か幻か、そんなことを思ってしまうのは、自分の都合いいようにヒロの言葉を受け取っているからだ。
期待だけが膨らんで、心臓が早鐘を打つ。
「好きなんだ。本当は透くんみたいな同年代と一緒になった方がいいと思っているのに、透くんと一緒にいるのを見たら何でもないふりなんてできない。特に透くんは流果ちゃんにとって特別みたいだし」
「別に特別ってことじゃ……夢?」
流果が小さく呟くと、ヒロは小さく噴き出したかと思うと、抱きしめる腕が、頬に当たる胸板が微かに震えている。
「夢ってことにしたい?」
「そういうことじゃなくて……信じられません。だって、全然そんな気はなさそうでしたし」
「……ずっと好きだったよ」
「嘘です」
「酷いなぁ。そんな断言しないでよ」
そう言って笑うヒロは、少しだけ困った顔をしていて、その顔も整った大人の顔だ。そんな人が自分を好きだと言われても、俄に信じられない。
「だって……」
「うん、ごめんね。流果ちゃんの気持ちを考えたら、本当に酷いことしてきたと思ってる」
どうしよう、泣きそうだ————。
滲む視界と共に鼻の奥がツンと痛む。
最初はただのファンだった。果穂に紹介して貰って、身近な人になった。そこからはどんどん好きになっていって、体当たりのように好きだと何度も繰り返していた。
もう諦めよう、諦めなきゃ、そう思っていたのに、こんな幸運が転がってくるなんて思ってもいなかった。
嬉しいけど、全然現実感なんてものはない。それでも、抱きしめてくる腕とか、頬にあたる胸板とか、耳元に響く声が現実感をかろうじて伝えてくる。
耳元から伝わってくる現実から、ヒロの溜息が聞こえてきて一瞬にして不安になった。
「……あの、気を遣ってるとかなら」
「ここまできて、嘘ついたりごまかしたりしないよ。ただ、果穂に謝らないといけないな」
「なんで果穂ちゃんに」
「妹に手を出すなって、もう何年も前から言われてたから」
「何年も前?」
「言ったでしょ。ずっと好きだったって。本当はね、僕の方がずっと流果ちゃんに惹かれていたんだよ」
「……そんなこと」
「最初は果穂から話しを聞いていただけだったけど、つい興味が先立って剣道の試合を見に行った。あの時から流果ちゃんは特別」
「だって、ヒロさん、果穂ちゃんと付き合ってたんですよね?」
「果穂と? あはは、どうしてそういう話しになってるのか分からないけど、一度だって果穂と付き合ったことはないよ」
「だって、前に果穂ちゃんと食事に行った時、それらしいこと言ってましたし」
「ん? あぁ、あれは僕じゃないよ。果穂が付き合ってたのは竹中くん。仲介をしたのが僕。期待外れでごめんね」
「いえ、ホッとしたというか……」
一番は安心した。次にきたのは、つまらない嫉妬心を燃やしてしまった自分に対する恥ずかしさだった。
勝手に色々想像して落ち込んでいたあの時が、酷く恥ずかしく思える。