夕暮れコントラスト Act.10

「……何ですか」
「いや、透はイイ奴だと思ってな。流果ちゃんに惚れてるくせに、ヒロとの仲を心配するんだと思ってさ」
「別に心配してる訳じゃなくて、ただ未成年だからっていう理由で切り捨てられたら、流果が余りにも報われないと思ったから」
「馬鹿だねぇ。恋心なんて必ず報われるもんでもないだろ」
「そうかもしれませんけど、でも、未成年だからって理由は納得行かないって言うか」

「まぁ、人それぞれだからなぁ。だからヒロがどう考えてるか分からないよ。俺もヒロに突っ込んで聞いたことないし。そもそも、あいつの場合、聞いてもスルーだしな。ただ、透が思っている以上に大人と未成年の壁ってのは厚いもんだよ。年が離れると離れた分だけな」
「なら流果が二十歳になれば分からない?」
「かもしれないし、それ以前の問題かもしれない。俺はヒロじゃないから、そこまでは分かる訳ないだろ。ただ、大人からすれば、未成年と付き合うってのは、それなりのリスクがあるってことだ」
「リスク……」

 そんなこと、考えたことすらなかった。ただ、好き嫌いの話しであって、もっと単純なことかと思っていた。

 今でもヒロと流果が付き合うなんてことは、考えたくもない。ただ、未成年という理由だけで好きという気持ちを否定されるのはきついものがある。

「まぁ、俺はガキはガキ同士の方が上手くいくと思うけどな。だからって、透を応援する訳じゃないが」

 てっきり、透の後押しをしてくれているかと思えば、そういうことではないらしい。

「普通、そこまで言ったら応援してくれるもんじゃないですか?」
「するかよ、馬鹿。他人の色恋沙汰に付き合えるかっての。自分の色恋すら上手くいかないのに」
「え? 相手いるんですか!」
「そりゃあ、俺だって好きな人くらいはいるよ。何だよ、問題あるのか?」
「いえ、ちょっと意外というか……」
「お前の知ってる奴だぞ」
「まさか流果?」
「だから、お前の耳は節穴か。ガキは問題外だっての」
「え? だったらヒロさん……」
「気色悪いこと言うな! お前見ろ、鳥肌立っただろうが! 俺は生まれてこのかた女一筋だ!」

 袖を捲って立派な鳥肌を披露した竹中は、カウンターテーブルの上にできたてのホットサンドをのせた。パンの焦げた香りが食欲を刺激する。

「こっちからポテトサラダ、サーモングラタン、ミートソース。残さず食え」
「分かってますよ。いただきます」

 一声掛けてスツールに腰掛けると竹中の作ったホットサンドを手に取る。

 そのタイミングでカウンター奥にあるライトが小さく明滅する。誰かが店に入ってきた、ということだ。開店時間にはまだ早く、竹中と思わず目を合わせてしまう。

 カツカツという靴音がして階段を降りてきたのは、先ほどまで話題になっていたヒロだった。

「美味しそうなもの食べてるね。僕の分もお願いできる?」
「何だよ、随分早いじゃんか」
「出先直帰だから、そのままこっちに来たんだよ」

 そのままヒロはカウンターに近づいてくると、透の横に腰掛けた。

「先に食べますか?」

 一応、店の従業員ということもあり、客であるヒロに気遣ってみせれば、あっさりとカウンター奥にいる竹中にダメ出しされた。

「こいつに気遣う必要ねぇぞ。いざとなれば、勝手に冷蔵庫だって漁る奴なんだから」
「最近は一応遠慮してるじゃないですか」
「そういえば、透が来てからはしてないな」

 そう言って竹中は意味深に笑う。そして、隣に座るヒロも何故か苦笑いだ。

「えっと、俺、お邪魔ですか?」
「そんなことはないよ。一応ダメな大人は返上しようと思ってね」
「馬鹿言うな。こいつの場合、ただ格好つけてるだけだよ。透の前だからな」

 竹中が笑いながら言うけど、その意味がよく分からない。困惑が顔に表れていたのか、隣に座るヒロは笑いながら「気にする必要はないよ」と言ってくれた。

 けど、何となくモヤモヤとした気持ちになるのは、二人の会話に置いていかれた気がするからだ。

「竹中さんが余計なこと言うから、透くんが困ってるじゃないですか」
「余計なことか? だって、本当のことだろ。流果ちゃんのお友達である透に、余り下手なところ見せたくないだけだろ」
「別にそういう訳じゃないですよ」

 からかう気満々の竹中に対して、ヒロは何でもないことのように笑う。もし、竹中が言うことが事実だとすれば、透としては少し面白く無い。

「俺、別に流果に言ったりしませんよ」
「いや、だから、別にそういう意味じゃないですよ」
「じゃあ、どういう意味だ?」
「だから、竹中さんも混ぜっ返さないで下さい。困ったなぁ」

 困ったという割りには、穏やかに笑いながらヒロは髪を掻き上げた。その仕草がまた余裕綽々という感じで、透としては面白くない。いや、ヒロがすることは何に対しても面白くないのはいつものことだ。

 このまま三人で会話する気分にもなれず、透は用意されたホットサンドを腹に収めると、早々にモップを手にした。そして改めてヒロに向き直ると、シャツのポケットに入れた封筒を取り出した。

「これ、流果からです。今日は来られないから渡して欲しいって」
「そうか、残念だな」

 差し出した封筒を受け取ったヒロは、しばらく封筒に視線を落としてから透に視線を合わせてきた。

「これ中身見た?」

 穏やかな笑みだと思う。でも、問い掛けてくる目が真剣で、言葉と相まって透の感情を一気に逆撫でした。

「俺がそういうことするタイプに見えるんですか?」
「いや、そういう訳じゃなくて……ごめん。今のは僕の発言が悪かった。疑ってる訳じゃなくて……うん、ごめん」

 正直、言われてすぐ腹が立った。でも、目の前にいるヒロは本当に悪いと思っているらしく、透は感情の高ぶりを小さくため息をつくことで吐き出した。

「……とにかく、渡しましたから」
「うん、ありがとう。本当にごめんね」
「いえ、いいです。オーナー、俺、店外掃除に行ってきます」
「おう、頼んだぞ」

 殊更軽い声で答えるオーナーの声を聞きながら、手にしていたモップを掃除用具入れに突っ込むと、箒とちりとりを手に階段を上がった。

 外に出ると、既に日は暮れてすっかり辺りは暗くなっていた。それでも少し前の寒さに比べたら随分温かい気がする。

 手にした箒でライブハウス前の掃除を始めながらも、先ほどのヒロを思い出す。

 真剣な目で問い掛けられた時、手紙を盗み見たと疑われたのだと真っ先に思った。だからつい、怒りのままに問い詰めてしまったけれども、ヒロの謝り方や表情を見ても、そういう意味では無かったらしい。

 だったら、どういう意味だったのか。正直、透にはよく分からない。ただ、今となって分かるのは、問い掛けてきた時のヒロは真剣というよりも、困惑だった気がする。

 確かに流果から聞いている限りでは、ヒロとはメールの遣り取りをしていると言っていた。その流果が手紙などというアナログ手段を使ったのだから、それは困惑するのも分かる。

 ただ、それくらいのことで、あそこまで動揺するものなんだろうか。

 考えてみるものの、透にはヒロの気持ちは全く分からなかった。


 * * *

 夕方五時。どこからともなく聞こえる夕焼け小焼けの音楽を聞きながら、流果は一人公園のベンチに座っていた。

 足下から伸びる長い影は、流果の身長の五倍ぐらいの長さになっている。

 それをぼんやり眺めていた流果は、小さくため息をついてから顔を上げた。正面のオレンジに目を細めつつ、空のグラデーションをぼんやりと眺める。

 オレンジ、水色、白、紫、藍色、紺————。

 グラデーションされたさまざまな色は、まるで流果の心の中のように色とりどりのものだ。

 やっぱり止めようかな。

 今になってそう思ってしまうのは、まだ流果の中で気持ちが二転三転している証拠でもあった。

 ヒロが勤めている店から一番近くにある公園は、何度か二人で足を運んだ場所でもあった。繁華街から少し離れた住宅街にある公園は、夕暮れ時という時間もあって、遊んでいた子どもたちが帰るところでもあった。

 そして、そんな子どもたちを見ている流果自身も、今すぐここから帰りたい気分だった。

 でも逆に帰りたくもなくて、白黒はっきりさせたい、そういう気持ちもある。

 帰りたい、帰りたくない。知りたい、知りたくない。ずっとそんな気持ちがグルグルしていて、一秒ごとに気持ちが切り替わっていく。

 不安と期待が入り交じり、自分でもどうしたらいいのかよく分からない。このままでもいいと望む自分もいるのに、白黒はっきりさせたい自分もいる。

「ごめん、お待たせ」

 そんな言葉に勢いよく振り返れば、背後にある噴水で待ち合わせしていたらしい男の子同士だ。

 いつもヒロの声ならすぐに分かるのに、言葉に反応したのはそれだけ緊張している証拠かもしれない。

 再び地面に落ちる影を眺めていれば、流果の影に近づく影がある。視界の中に靴先が目に入る。茶色の手入れされた革靴は、流果が履くようなローファーとは違う。

 ゆっくりと視線を上げた先に立っていたのは、スーツ姿のヒロだった。

「ごめん、少し遅れたね」
「そんなに待ってませんよ」
「でも、日が落ちるとすぐに冷えるから。温かいものでも飲みに行こうか」

 誘われるままにいつもであれば、二つ返事で後をついて行った。でも、今日は首を横に振ってそれを否定した。

 気持ちが揺れていたにも関わらず、やっぱりヒロと会えば白黒つけたい気持ちが強くなる。

 怖くない、なんて嘘だ。もの凄く怖い。二人でいる時間は楽しかったけど、今は苦しくて仕方ない。ヒロが優しければ、優しいほど辛く思う。

 だったら、ここでしっかりと振って欲しい。はっきり自分たちの関係をさせたい。少なくとも、流果としては友人の妹、という立場はもう辛い。

 だから、あれだけ悩んでいたのが嘘みたいに、言葉はするりと口から飛び出した。

「ヒロさん、私、ヒロさんのことが好きです」
「うん、ありがとう」

 それはいつもの決まり文句のような返し。でも、今日はもうここで引かない。

「私は男の人としてヒロさんのことが好きです。できたら恋人になりたい。そう思っています。ヒロさんの気持ちを聞かせて欲しいです」

 流果の言葉にヒロは動揺を見せることは無かった。だから、ヒロは既に流果の気持ちを知っていたのかもしれない。知っていて、それでも聞き流していたに違いない。

「別に振られても果穂ちゃんに言ったりしません」
「そういう心配はしていないよ。別に言っても構わないと思っているし」
「それなら、きっぱり振って下さい」
「振って下さいって迫られたのは初めてかな」
「茶化さないで下さい!」

 少し強く言えば、ヒロは視線を逸らすと小さくため息をついた。その顔には本当に困った、というものでそれを見ているだけでも胸が痛い。

 こんなことは針のムシロだ。拒絶されるためだけにいる自分が惨めだし、ヒロを困らせていることも辛い。

「答えを聞いたら、これで会うのを止めます」
「え?」
「果穂ちゃんの妹だから気遣ってくれたのは分かってますし、これ以上ヒロさんに迷惑掛ける訳にもいかないですから」

 覚悟を決めてそれだけ言うと、ヒロの顔を見ていられずに俯いた。けれども、続くヒロの言葉はない。

 でも、これも正直想像の範囲内のことだった。優しいヒロのことだから、突き放すような真似はできないだろうと思っていた。自分がすっきりしたいために、ヒロに言葉を求めるのはある意味、我が儘だったに違いない。

 一分も過ぎれば、流果の中に諦めが落ちる。好きだけじゃ、どうにもならないことがある。そんなことは分かっていた。

「ごめんなさい。我が儘言いました。これからも頑張って下さい」

 それだけ言うと、ヒロの横をすり抜けて歩き出した。最初こそ歩いていたけど、公園から出る頃には小走りになり、涙で視界が滲んだ。

 本当にヒロが好きだった。でも、これ以上は一緒にいられない。あの声を独り占めできる時間は至福だったけど、それと同じくらい辛くもあった。

 もしかしたら、まだ果穂が好きだからこそ優しくしてくれたのかもしれないのに、自分が図々しかったのだと突きつけられた気がした。

 甘えすぎた自覚は多分にあったし、資格もないのに優越感に浸っていた自分もいた。嫌な奴だと自分でも思う。

 ヒロには大勢のファンがいて、自分だけが特別だと思い込んでいた。でも特別なのは果穂であって、流果ではない。最初はきちんと分かっていたのに、それを見ないふりをしていたのは自分だ。

「果穂!」

 通り向こうから名前を呼ばれて、そちらへと振り向けばそこにいたのは、シンプルな服装をした沙和だった。目が合った途端、沙和は走り出し、タイミングよく変わった信号で横断歩道を渡って駆け寄ってきた。

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