夕暮れコントラスト Act.09

 昼休みの剣道部部室には自分たち以外誰もいない。むしろ部室棟にいる人間が少ない。そんな中で、透は白い目を向けられていた。

「へー、それは良い話だ。なんて俺が言うと思うか?」

 いや、最初からそんなことは期待していない。元々辛口の夏樹に褒めてもらおうなんて、期待するだけ無駄というものだ。

「普通、そういう時は、そんな奴は諦めて俺を好きになれよ、とか便乗告白するところだろ」
「そんな真似できるか。するならストレートにする」
「そう言いつつ、告白のこの字もできないくせに偉そうにするな」

 それを言われると透としてはぐうの音もでない。実際、流果を好きになって長年経つ。夏樹に知られてからも既に数年経っていて、いい加減夏樹の中では「意気地なし」という称号を与えられているらしい。

「で、グチ聞いて、他人への告白を聞いて、背中を押して、それで終わりか?」
「弱ってるところにつけ込むような真似はしたくない」
「馬鹿か? ライバルいるのに正当性を前面に出してどうする。誰も色恋沙汰にフェア精神は求めてない」
「そうかもしれないけどな。ただ、弱みにつけ込んで流果の選択を間違えさせたくない」
「お前は、時々分からない奴だな。普通、好きならどんなことしてでも手に入れたくなるもんだろ」

 実際、夏樹の言う通り、どんな手段を使っても手に入れたいと思うくらいには、流果のことが好きだ。けれども、それをしてしまえば、どんな時でもフェア精神を持ち合わせている流果には、そのズルさをいずれ見破られる気がする。

「フェアじゃないと、流果には合わせる顔が無くなりそうな気がする」
「その時に千種がお前を好きになっていれば、何の問題もないだろ」
「そういう問題じゃない。スタートラインからズルしたくないって言ってるんだよ」
「言いたいことは分かるが……本気で馬鹿だな」

 ため息混じりに言われてしまえば、透としては苦く笑うしかない。これ以上の説得は無理だと思ったのか、はたまた透の意志を尊重してくれたのか、夏樹から続く言葉はなかった。

 本当はヒロなんてクソ食らえだと思っている。流果を泣かせるくらいなら、二度と会うなと言いたい。いや、次に会えば必ず言うに違いない。

 けれども、言ったことを知れば、また流果は泣くんだろうか。そう思うと気が重くなる。

 空回りを自覚しつつも、窓の外を眺めれば柔らかな日差しが目に痛い。だから、少しだけ目を細めて、今日も屋上にいるだろう流果の姿を窓越しに探す。

 勿論、離れた部室棟から屋上の様子が分かる筈もなく、小さくため息をつくと、手にしていた菓子パンに齧りついた。

 昼食を終えて部室棟から教室に戻る途中、友達と歩く流果と会う。声を掛けようか迷う透だったが、流果の方から声を掛けてきた。

「透、今日もバイト?」
「あぁ、その予定だけど」
「あのさ、これヒロさんに渡して貰えないかな」

 差し出されたのは、淡い水色の封筒だった。勿論、透は素直にその手を出すことはできない。

「そういうのは自分で渡せよ」
「今日のライブ遅いから、さすがに親に止められちゃって。果穂ちゃんも出張でいないから、アリバイ工作も無理っぽいし」
「だったらメールすればいいだろ」
「アナログがいいの。だからお願い」

 両手を合わせて必死に頭を下げる流果を見ていると、無碍にもできない。

 何よりも、少し前であればこんな可愛い頼みかたなんてしなかったに違いない。その可愛さにやられている自分がいる。

「……渡すだけでいいんだな」
「うん。それに全部書いてあるから」

 そう言って笑う流果はどこかぎこちない笑みを浮かべていた。らしくない笑い方に眉根を寄せる。

「何か重要なこととか書いてないだろうな。そういう重いのは嫌だぞ」
「私にとっては重要だけど、ヒロさんにとっては重要じゃないかも。勿論、透にとっては全然重要じゃない」
「お前なぁ、そういう大事なもんを人に預けるな」
「うん、でも今は透くらいしかヒロさんと接点ある人がいなくて……面倒なこと頼んでごめん」

 話す内に流果の顔から笑顔は消え、困ったような泣きそうな、複雑な表情をしている。

 そして、流果の泣き顔に弱い透としてはこれ以上否定することもできなくなる。

「……分かったよ。渡しておく」
「うん、ありがとう。それじゃあ」

 それだけ言うと、流果はパタパタと廊下を走って行ってしまう。

「……お前、やっぱり馬鹿だな」

 そんな言葉を投げてきたのは、隣で遣り取りを見ていた夏樹だ。

 言いたいことは分かる。けれども、正直これ以上流果が泣くところは見たくない。何よりも、自分がどうしていいのか分からなくなるのが困る。

「捨てるなら今の内だぞ」
「馬鹿、そんなことするか」
「それがラブレターだったとしても?」

 夏樹の言葉に、思わず手にしていた封筒をマジマジと見てしまう。封筒には空が描かれていて、もくもくとした雲は少しメルヘンチックだ。あの流果がこういうメルヘンチックなものを使うことにも驚きだ。

 正直、流果であれば異性への手紙も白封筒や茶封筒で渡しても驚かない、という自信があっただけに面白く無い気分で唇を引き結ぶ。

「渡さない、って選択も俺はありだと思うよ」

 心の奥底でチラリと浮かんだ言葉を口にされて、思わず夏樹へと勢いよく顔を向ける。

「そんなことできるか。約束したのに」
「無くしたとでも言えばいい」
「……お前、結構鬼畜だな」

 実際、思いつく程度のことはできても、それを実行することは難しい。もし渡さないという選択をしても、遅かれ早かれ流果にバレることは間違いない。

 そういうことで流果に白い目で見られることだけはしたくない。

「そうか? 本気ならそれくらいのことするぞ」
「本気なら何でも許される訳じゃないだろ」
「真面目だな」
「俺は普通だ。お前が不真面目すぎるんだ」
「じゃあ、お前は一生お友達してる訳か? あいつに恋人ができて、その愚痴を言われてもヘラヘラ笑ってられるのか?」
「……そんなこと、考えたこともない」

 実際、そうは言ってみたものの、この間のことはそれに近いことだった。面白く無いのは確かだけど、だからと言って流果からの信頼を失うような真似はしたくない。

 そう考えた時に、何か分かった気がした。

 自分は流果が好きだけど、好きとか嫌い以前に、流果の信頼を失うことが何よりも怖いと思っている。それは長年の付き合いで築いてきたもので、失えば再び築き上げることが難しいものだと分かっている。

 だからこそ、流果の意に反するズルいことをできないのかもしれない。もしこれが、付き合いの浅い相手であれば、多少のズルは夏樹の言う通り、してしまった気がする。

「付き合いが無駄に長いって面倒なんだな」

 ぼやいた声に、隣を歩く夏樹がクツクツと喉で笑う。

「今さら気づいたのか。本気で馬鹿だな」
「うるさい」

 肘で小突けば、同じように夏樹からも小突き返される。
 手にしていた流果の手紙を制服の内ポケットにしまうと、少しだけ胸元が重くなったような気がした。


 * * *

 シャツのポケットに流果の手紙を入れて掃除をしていれば、マスターである竹中に上の空だと笑われた。そんなことないと反論してみたけど、竹中は取り合うこともせずにカウンターからグラスに入ったコーラを差し出してくる。

 だからこそ、透は手にしていたモップをカウンターに立て掛けると、竹中から差し出されたグラスを手に取った。

「俺、腹減ったからホットサンド食うけど、透も食うか?」
「いただけるなら」
「おう、バイト代から天引きしていいなら」
「それならいりません」
「冗談だ」

 こんな遣り取りはいつものことで、竹中は楽しそうに笑うと冷蔵庫からいくつかの野菜を取り出した。正直、身なりは普通のサラリーマンには見えないおじさんだし、普通であれば近づきたいタイプではない。

 でも、話してみると竹中は外見のやさぐれ具合よりも、ずっと普通の人だった。気遣いのできる大人、でも透の身近にはいないタイプだった。

「そういえば、透のバイトもあと一ヶ月か。早いもんだな。再来月からは大学生か」
「はい。色々お世話になりました」
「そういう挨拶するにはまだ早いだろ。それにヒロ観察は終わったのか?」

 その言葉で飲みかけていたコーラを危うく噴き出すところだった。

「……何のことですか」

 どうにか呑み込んで噎せることなく問い掛ければ、竹中はニヤリと笑う。

「お前、これだけ顔会わせていて俺が知らないと思ってんのか? 透の視線の先が」

 確かに竹中は人の視線や空気に敏感で、客が必要としているものを瞬時に提供できる人だ。

 この近くだけでもライブハウスなら幾つもある。それでも、こんな繁華街から離れた場所でも、店として成り立っているのは竹中の力によるところが多い。

 ライブハウスではあるものの、必ずしも毎日ライブがある訳ではない。竹中曰く、一応厳選したライブしか行わないと言っているが、基本、口コミがなければここでのライブは行えないらしい。

「まぁ、視線のさきはヒロではないか」

 そう言って笑う竹中に透としては返す言葉がない。流果が来る時にだけニヤリと笑う竹中に、色々知られているとは思っていた。だけど、こうして言葉にしてからかわれたのは初めてのことだ。

「知ってるなら聞かないで下さい。流果の視線の先だって知ってるんでしょうし」
「まぁな。でも、俺としては透と流果ちゃんがお付き合いする方が健全だと思うがな」
「健全とかそういう問題ですか?」
「そういう問題でしょ。透と流果ちゃんがエッチなことしても避妊さえすれば問題ないけど、ヒロと流果ちゃんだと捕まっちゃうしなぁ」
「っ! オーナーっ!」

 余りの言葉に声を大にして呼べば、竹中は全く気にした様子もなく楽しげに笑う。

 正直、流果に対して邪なことを考えない訳ではないけど、こうして言葉にされると破壊力が違う。

「じゃあ、オーナーはヒロさんと流果が付き合うことには反対なんですか?」
「反対はしないな。付き合うなら付き合うで歓迎してやるよ。ただ、問題は色々あるだろうな。未成年と付き合うっていうのは、それなりに責任問題も発生する。俺ならそんな面倒はごめんだがな」
「そういうもんですか?」
「まぁ、高校生のお前らには分からないだろうがな。何よりも、ヒロと流果ちゃんの年の差を考えれば、周りはいい顔しないだろ。一歩間違えば援交と思われてもおかしくない訳だし」

「でも世の中には年の差があっても結婚している人は沢山いますよ」
「そりゃあ、お前、苦労してお付き合いしている人間もいるが、大人になってからお付き合いすれば、多少の年の差なんて問題ないからな」
「じゃあ、高校生だから問題なんですか?」
「高校生というよりかは、俺たち大人から見れば、未成年、ってところが引っ掛かるんだよ。少なくとも、俺たちの年になって高校生と付き合ってるなんて言ってみろ、ロリコン連呼されるぞ」
「ロリ……」

 時折、竹中が言う下ネタ言葉が透は少し苦手だ。けれども、今はそこでひるんでいられないだけの何かがある。それが何かは透自身、よく分からない。

 ただ、未成年だからダメ、というそれが酷く自分の中で引っ掛かった。

「ならオーナーが高校生から告白されたら、速攻振っちゃうんですか?」
「俺は無理だな。正直、お前らのことをガキにしか見られないし、何よりも面倒。休みの日にお子様の相手をしたくない」
「好きな相手でも?」
「好きな相手でも未成年は無理。親も出てくるし、正直面倒くさい」
「それってヒロさんも同じ考えですかね?」

 途端に動きを止めた竹中は、しばらく透を見てからクツクツと笑い出した。

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