休み時間、みんなで雑誌を広げながらこの服がいい、あの服がいい、と楽しむ。少し前までは、それがつまらないと思っていたのに、今は凄く楽しい。
時折、ダメ出しされたりするけど、だからこそ好きな服と似合う服は違うんだと分かってきた。
服も音楽も流行り廃りが早くて、ついていくのが大変だけど、その大変さがまた楽しく思える。既にヒロを紹介してくれた沙和も違うバンドにはまっている。
流果は、ヒロの曲は三ヶ月経った今でも一番よく聞いている。どれだけ他の人に紹介されても、流果の中ではヒロが一番だった。
だからその日も部屋でヒロの曲をステレオから流していれば、部屋の扉がノックされた。
「あら、本当に変身したのね」
そう笑いながら部屋に入ってきたのは、今一人暮らしをしている姉の果穂だ。
「何よ、悪い?」
「別に。お父さんは渋い顔してたけど、私もお母さんも流果がおしゃれに目覚めるのは賛成よ。あら、この曲……」
「果穂ちゃん知ってるの?」
「動画サイトにあるヒロの曲でしょ。流果が聞いてるとは思わなかったけど」
そこからは久しぶりに会った果穂に色々な話しをした。初めてライブに行ったこと、それがきっかけで化粧やおしゃれを始めたこと。女の子の友達ができたこと。
果穂は優しくて色々な話しをちゃかしながらも聞いてくれる。今までは剣道の話ししかしてこなかったけど、これだけ色々話したのは初めてだった。
「で、今が楽しいと」
「うん、凄く楽しい。でも、大学入るまでって決めてるんだ。私の性格だと両方は無理だから」
「自分の性格よく分かってるじゃない」
「それくらい分かります。でも、果穂ちゃんがヒロを知ってるとは思わなかった。動画サイトとか見るの?」
「見るというか……ヒロか……会ってみたい?」
「ライブで会ったよ」
「そういう意味じゃなくて、話しをしてみたい?」
「……は? それは話せるなら話してみたいけど」
一体、果穂がどういう意味でそういう質問をしてきたのかよく分からない。普通、ファンであるなら話してみたい、と思ってもおかしなことではない。
確かに他の子たちの中でも、歌声は好きだけどイメージ崩れると困るから会いたくない。という子もいるから、そういう意味なのだろうか。
「ヒロに会わせてあげようか?」
「会わせてあげるって、どうやって」
「ヒロは大学時代の同期生。因みに今も時々会ったりしてる。だから会わせることは可能。どうする?」
「会いたい! 会ってみたい!」
今しか動けない。だからこそ、できることは何でもやりたい。
「ライブでのイメージが違ったとしても?」
「違うの?」
「さぁ、ライブには行ったことないから知らない」
あっさり返されてしまい気が抜ける。でも、もしかしたらヒロに会えるかもしれない。そう思ったら気持ちが昂ぶってくるのが分かる。
でも、普通に考えて幾ら妹だからといっても、さすがに図々しいお願いのような気がする。何よりも、ヒロに図々しいと思われるのは嫌だ。
「……やっぱりやめとく。ヒロに図々しいと思われるのは嫌だし」
「そこは問題ないかな。元々ヒロの方が流果に会いたがってたくらいだし」
「……は?」
少なくとも、どうして会ったこともないヒロが、流果に会いたがるのか分からない。先を促すように果穂を見ていれば、果穂は視線をわずかに反らせて笑う。
「いや、色々流果の話しとかしてたら、ヒロが元気な妹さんに会ってみたいって言ってて……」
「待ってよ、私の話しって何を話したの!」
「剣道やってるとか、無駄に元気とか、寝起きが悪いとか……?」
「ギャーッ! やめてーっ! 何でそんな話しをヒロにしてんの! もうありえない!」
「何となく家族の話しになった時に……あ、ヒロ一度流果の試合まで見に行ってた。格好いいとも言ってたけど」
「それ、いつよ!」
「春の大会の時、実家が愛知にあるとかで見に行ったらしいけど」
「どうしてあの負け試合をよりによって……凄く格好悪いじゃん」
もう半泣きながら果穂に訴えれば、呆れた顔をしていた。こっちは泣きたい気分だというのに、果穂は笑い出したから腹立たしい。
「なんで笑う訳? もう!」
「だって、こんな必死な流果、剣道以外では初めて見たと思って」
「だって、果穂ちゃんにとっては友達かもしれないけど、私にとってはヒロは雲の上の人なんだから!」
「会えばヒロも普通の人だって分かるわよ。それじゃあ、都合つけたら連絡するから。多分、ヒロも喜ぶわよ」
「あぁ……違う意味で会いたくない」
「じゃあ、やめる?」
「会う! 会います! お願いします!」
「よし決まり。一応他の人には内緒だからね」
そんな果穂の言葉に頷いたところで、一階から母親が夕飯と呼ぶ声が聞こえてきた。その話しはここで終わりとなり、珍しく家族四人で夕食を取ることになった。
それから一週間もしない内に果穂から連絡が入った。
「急で悪いけど、今日の夕飯三人でどう?」
「三人って誰と」
「私と流果とヒロ」
「今日! 待って、まだ心の準備できてないし!」
「準備する必要もないでしょ。別にヒロは普通の一般人な訳だし」
「でも……何着ていったらいいと思う?」
思わず問い掛けたけれども、受話器の向こうから呆れたようなため息が聞こえた。
「そんなもん、自分で考えなさいよ。余り派手な格好してこないでよね。駅前に七時厳守。電話お母さんにも代わって。私から言っておくから」
「ヒロのこと!?」
「違うわよ。私と一緒に夕飯取るって言っておくの。夕飯用意したら可哀相でしょ」
「あ、そうか」
慌てて電話を母親と代わり、流果は慌てて自分の部屋に戻った。勢いよくクローゼットを開けると、今日着ていく予定の服を選び出す。
今まで洋服が欲しいなんて言ったことが無かったから、母親が喜々として随分と色々買ってくれた。だから着るものに困るということもない。
けれども、まだ組み合わせには充分困る程度の知識しかない。憧れのヒロに会えると思えば、その組み合わせだって流果にとっては途方もなく難しい。
最近になってようやく穿くようになったスカートを手にとってみたり、友達が絶賛してくれたパンツを手にとってみたり。そんなことをしている内に、ベッドの上には服の山ができあがる。
それでもハンガーに掛けて色々組み合わせている内に、二時間は軽く経っていた。どうにか服を決めると、今度は最近集めたコスメを使って化粧をする。
余り派手な化粧はまだ練習不足だからできない。それにファンデーションは、母親からも肌が荒れる、という理由で反対されているから、まだ持っていない。
だから、ベースメイク代わりの日焼け止め、そしてアイライナーをつけて、それから沙和に貰ったビューラーでまつげを上げる。
量販店で買った透明マスカラを塗って、リップにオレンジ色のグロス。鏡の前で変身した自分を改めて見つめてから、最後に果穂からこの間貰った、オレンジ色のマニキュアをつけて完成だ。
勿論、沙和がしてくれたように、見た目が変わるほどの変化はない。けれども、少しでも綺麗になった自分を見るのは、やっぱり楽しくもある。
「反動って怖いなぁ」
そんなことを一人呟きながらも、先ほどようやく決めたばかりの服に着替えると、姿見の前でチェック。
前ならこの姿見の前で立つことなんて、全くといっていいほど無かった。自分の変化に少しだけ笑ってしまいながらも、小さなバッグを手にした。
時間は既に待ち合わせの三十分前。だからこそ、階段を駈け降りると、母親に一言伝えてから家を出た。
既に薄暗くなった住宅街を足早に歩く。本来なら走りたいところだけど、最近買ったばかりの踵のあるブーツでは走れない。
それでも、約束の十五分前に駅へ到着すれば、駅前にあるカフェに果穂がいた。
「果穂ちゃん」
「何か飲み物でも頼んできたら? ヒロも時間ギリギリになるって連絡きたし」
果穂から千円札を渡されて、店内でミルクティーを頼み、それを手に果穂の席へと戻る。
「ヒロって仕事してるの?」
「してるわよ。まぁ、そこら辺はプライベートだから本人に聞きなさい」
「プロとか目指してないのかなぁ」
「それは無いわね。あくまで歌は趣味。だからプロとかは全然考えてないと思うけど。少なくとも私はそう聞いてる」
「大学の同期って言ってたけど、果穂ちゃんと同じ年なの?」
「違うわよ。元々、どこか別の大学に通ってたけど、受験しなおしたって言ってた。だから年齢は私の二つ上」
ということは、果穂が今二十四歳だから、その二つ上となると二十六歳ということになる。
二十六となれば、流果とは八歳も違う。完全に大人であるヒロに何を話せばいいのか緊張してくる。
「ねぇ、ヒロって……ヒロさんってどういう人?」
「マイペース男。誰が何をしようとマイペース。でもイイ奴ではあるかな。じゃなければ、流果に紹介したりしないし」
「いい人って優しいってこと?」
「別に優しいからいい人って訳じゃないわよ。無制限に優しい人を、私はいい人とは思わないし。悪いことは悪いときちんと指摘してくれる。そういう意味でのいい人」
師範も言っていたけど、悪いことを指摘することは難しいからこそ、言ってくれる人を大切にしなさいと言っていた。
少なくとも流果の周りにいる友達の、どれだけが悪いものを悪いと言ってくれるか。
まっさきに浮かんだのは透で、続いて沙和だ。けれども、それ以外は恐らくなぁなぁで済ませてしまう気がする。
「私もそういう意味でいい人になりたいけど、多分、友達に悪いことを悪いって言えない気がする」
「大丈夫。流果の場合、曲がったこと嫌いだから、絶対に言わずにはいられなくなるわよ。そういう意味で軋轢多くて大変そうだけど」
「軋轢ってどういう意味?」
「人と意見がぶつかることも多いってこと。まぁ、流果なら何とかしちゃいそうな気もするけど」
それは身内の贔屓目なのか、欲目なの分からないけど、過大評価しすぎている気がする。
「言えないこともあると思うよ。そこまで意見押し通せないよ」
「じゃあ、例えば友達Aが友達Bから物を借りて、そのままにしていたらどうする?」
「それは、友達Bに普通は言うと思うけど」
「言えない人も多い、ってこと。まぁ、そういう人もいるってことは分かっておいた方がいいかな」
「そういうもんなの?」
「そういうもの。でも、それは各々の性格だから責めるのはなしね」
「分かった」
頷く流果に果穂は笑いながら頭を撫でてくる。高校生にもなって結構恥ずかしいものがあるけど、それを振り解くほど嫌な訳でもない。
そもそも、流果にとって果穂は絶対的な存在で、いつも面倒を見てくれた。何よりも真っ先にダメなものはダメ、と言うのは果穂に違いない。
ふとテーブルに影が落ちたかと思えば、背後から声を掛けられた。
「ごめん、お待たせ」
その声に振り返れば、そこにいたのはスーツを着たヒロだ。ライブの時のようにシャツにジーンズという出で立ちとは違い大人に見える。いや、実際に大人なのだから、そう思うのは少しおかしいかもしれない。
「仕事だから仕方ないでしょ。とりあえず、これがうちの妹の流果」
「初めまして、流果ちゃん。果穂から色々話しは聞いてるよ。僕は入江千尋。だからヒロ」
「は……初めまして、入江さん」
「あー、ヒロでいいよ。友達はみんなヒロって呼んでるから」
「じゃあ、ヒロさん」
「何だかさん付けされると新鮮だし、くすぐったいなぁ」
そう言って笑うヒロの笑顔は、ライブで見た時と変わらない。でも、ライブの時と違うのは距離の近さだ。
心臓はバクバクいってるし、自分でも声が震えているのが分かる。凄く緊張するけど、その顔から視線が外せない。
どうしよう、近くで見ても格好いい。しかもあの声で名前呼んで貰ったら、鳥肌立った。