うさぎが逃げる Act.18:メタモルフォーシス 変貌

両親から連絡が無いこともあり、夜には三人で冷やし中華を食べた。久しぶりに食べた手料理は美味しくて、あっさりとお腹に収まってしまいうさぎ自身驚きだった。けれども、この数日の食生活を思い返せば酷い有様で、キッチンにあるゴミでそれを知られてしまい岡嶋と梁瀬にしっかりと怒られた。意外なことに二人とも自炊派らしく、今度の誕生日プレゼントは料理本だと笑われた。

食後に岡嶋が買って来た和菓子を食べながらお茶を飲んでいるところで、唐突に梁瀬が頭を下げた。

「そうだ、ごめん! オレたち、うさぎちゃんの携帯勝手に見た」

梁瀬の言葉で同じように岡嶋も頭を下げると、さすがにうさぎの手も止まる。

「本当にごめん。ただ、うさぎちゃんが言っていたメールの件が気になって少し見せて貰ったんだ」

二人に頭を下げられて謝られたらうさぎとしては、正直それくらいのことで、と驚くしかない。

「別に気にしません。まだ誰にも教えてませんし、プライベートなメールは無かったので」
「そう言って貰えると助かるよ」
「うー、マジでごめんな」

そんな二人に首を振ることで答えると、うさぎは和菓子フォークで透明なゼリーのような錦玉を一口分切り分ける。透明な錦玉の中には白と赤のまだら模様をした金魚が涼しげに泳いでいるように見え、まさに夏の和菓子という感じのものだ。

「本当に気にしてませんから」

それだけ言ってうさぎは口に入れたところで、目の前に座る二人が変に目配せしあっていることに気付く。一体何かと思えば、口を開いたのは梁瀬が先だった。

「あのさ、最近光輝と会った?」

何故か二人は光輝に会った事を確信を持っている様子で、うさぎとしては嘘もつけない。

「先輩とは……三日前に会いました」
「その時、何か言ってなかった?」

途端にあの写真を思い出してしまい、うさぎは梁瀬の顔が見る事が出来なくなる。今の今まで忘れていたけれども、そういえばその問題もあったことに気付く。梁瀬のこの様子だと、恐らくまだ光輝から写真の話しは聞いていないに違いない。だとすれば、それはうさぎから言うべきことなのか悩み、結局口を閉ざしてしまう。

「うさぎちゃん、結構大事なことだから言って貰わないと話しが進まないから……えっと、何か嫌なこと言われた?」

光輝自身と向き合うのに恐怖は感じたけど、何かこれということを言われた訳ではない。

「何も言われてません」
「だったら、何を話したの?」

困ったように梁瀬に問い掛けられても、うさぎとしては何も言えない。だから黙ってしまえば、それまで口を挟まなかった岡嶋が口を開いた。

「それなら質問を変えるね。携帯にメールが来たのはいつから?」
「この間岡嶋さんと食事を取る直前です」
「このメールの相手が身近にいることに気付いてた?」
「はい……まさか」

思わず梁瀬と岡嶋を順番に見て、うさぎは言葉を飲み込む。光輝のことに続いてメールのことを聞かれ、しかも身近にいると言われてそのラインが繋がる。けれども、うさぎの頭の中には、まさかという言葉しか浮かばない。それでもよく考えてみれば、何故、光輝がうさぎの家を知っていたのか、それを考えた途端に血の気が下がる思いがした。

「俺と梁瀬は、このメールは光輝が送ってるんじゃないかと思ってる」

そう言って岡嶋は電源の入った携帯を差し出してきた。そこに表示されるのはメールのタイトル一覧で、昼間にも幾つか受信したらしくうさぎに見覚えのないタイトルが並んでいた。けれども、相変わらず短いもので、遊ぼうとか、そういう類いのものばかりだった。

「それで幾つか聞きたいんだけど、昨日の一時頃、何してたか覚えてる?」
「昨日の一時なら……確か部屋からリビングに降りてきたところですけど。丁度テレビを点けた時に始まった通販番組が一時になりましたとか言ってましたし」
「この時間に外に出た記憶は?」
「いえ、夜になってからは家から一歩も出てません」
「これを見て欲しいんだ」

そう言って岡嶋は携帯を操作すると、うさぎへと差し出してきた。そこに表示されているタイトルは「どこへ行くの?」というものだった。

「出掛けてないんだよね」
「はい、間違いなく。けれども、その前まではネットで調べものをしてました」

恐らく岡嶋も梁瀬もハッキングされているという予想をしているに違いない。実際にネットから離れた途端にきたメールならそれが妥当な考えだと思う。

「それなら、何故出掛けると、このメールを送ってきた相手は思ったんだろう」

言われてみれば、確かに何で出掛けると思われたのだろう。ただネットから離れただけであれば、中座することだってあるから出掛けたという表現は使わないに違いない。けれども、メールの時間を見れば、うさぎがネットから離れて短い時間の間に送られてきている。
だとしたら、一体、メールを送ってきた相手は何を基準にしたのだろう。幾ら逃避気味とはいえ夢遊病の気は無いし、それこそ、ずっと調べものをしていたんだから履歴を見れば確認だって出来る。

誰もが口を閉ざした静かな空間で、梁瀬の声が落ちた。

「……盗聴器」
「どういうこと?」
「盗聴か盗撮されてるんだよ! うさぎちゃんの部屋が!」

勢い良く椅子から立ち上がった梁瀬は、真っすぐにうさぎを見据える。その顔が真剣で、うさぎは軽く息を飲んだ。

「うさぎちゃんの部屋どこ?」
「二階です」

途端に駆け出そうとする梁瀬のシャツを岡嶋が握りしめた。

「おい」
「どうしてそう猪突猛進なんだろうね」

呆れた口調に梁瀬の顔が情けないものになり、少しだけ二人の力関係が見え隠れするのがうさぎにはおかしかった。けれども、のんびりと笑ってられる状況じゃないことは分かる。

「梁瀬、座って」
「何で駄目なんだよ」
「部屋が盗撮やら盗聴されてるとして、そこに踏み込んでどうするつもり?」

岡嶋の問い掛けに梁瀬の答えは端的だった。

「取っ払う」
「で、その後は?」

そこで梁瀬は黙り込んでしまうと、渋々という様子で椅子に座り直した。

「梁瀬、悪いけど少し落ち着いて行動してよ。じゃないとうさぎちゃん、不味いことになるかもしれないから」
「どういうことですか?」

唐突に名前を出されて問い掛ければ、岡嶋にしては珍しく言い淀んだ。それでも渋々といった感じで、嫌そうな顔を隠そうともせずに口を開く。

「もし盗撮されてたとしたら……うさぎちゃん、着替えとかどこでしてる?」

勿論、タンスやら何やら部屋にあるのだから基本的に着替えるのは部屋な訳で……。ようやくそこで盗撮と岡嶋が言い淀んだ理由が繋がり、うさぎの背筋は凍るような恐怖を覚える。岡嶋を見て、それから梁瀬を見れば、顔色を無くした梁瀬がそこにいる。

「梁瀬さん、大丈夫ですか?」

思わずうさぎが声を掛けてしまうくらい、梁瀬の顔色は悪くみえた。視線を一瞬うさぎと合わせた梁瀬だったけれども、申し訳無さそうに視線を手元へと落としてしまう。

「ん、あぁ、大丈夫……なんかごめんな」
「別に梁瀬さんが悪い訳じゃありませんから謝らないで下さい」

別に梁瀬が悪い訳では無い。それくらいのことはうさぎにだって分かってる。

「そうかもしれないけど、やっぱり兄弟だし……なぁ、オレ、家できちんと話して来ようと思うけどダメかなぁ」

梁瀬はいつものように元気のいい声ではなく、少し落ち込んだ様子で岡嶋へと問い掛ける。その問い掛けを岡嶋はあっさりと却下した。

「ダメ、お前情に流されやすいし、単純だから光輝に丸め込まれるだろ」

真剣な顔の岡嶋に対して、梁瀬はどこか苦しげに自嘲すると小さく溜息を落としてから岡嶋へと視線を戻す。

「ヒデー言い草だな」
「俺、間違えたこと言ってる?」
「……言ってない。で、どうするつもりだよ」
「梶さんに言って探索機を借りようと思ってる。あそこの警備部ならそういうのあってもおかしくないだろ。いざとなれば、秋葉原に行けばそういう物は幾らでも安価であるだろうし、まずはどこにそれがあるのか、盗聴なのか盗撮なのか確認してからだな」

岡嶋の口から出た梶の名前に、うさぎの胸は捩れるように痛んだ。貴美の亡くなった外因的な要因が自分にある可能性のある今、梶の名前だけでも過剰反応を起こす自分を苦く思う。

「取り合えず、借りれるか電話だけでもしてみる」

それだけ言うと岡嶋は携帯を持つと、ボタンを操作してから耳にあてた。随分長い間呼び出し音を鳴らしていた岡嶋だったが、梶が出たのか会話が始まる。

途端にどうしようもなく梶の声が聞きたくなったのと同時に、梶に謝りたい気分になり慌ててその気持ちを打ち消す。梶は今、そんな場合じゃない。謝るだけならまだしも、声を聞きたいなんて気持ちを押し付けるようなことを思っていい時ではないとうさぎだって分かってる。

恋をしたら狡くなる、そう言ったのは利奈だったか、ちょっと思い出せない。けれども、確かに狡くなる気がする。狡いというよりも我侭というか、相手への思いやりの気持ちが薄くなるというか。そんな自分が卑しい気がしてうさぎとしては気分が沈んでくる。

「うさぎちゃん」

唐突に声を掛けられて顔を上げれば、岡嶋がこちらへと携帯を差し出してくる。

「梶さんが代わってだって」
「あ、はい」

携帯を取る手が微かに震えていて、それでも岡嶋から携帯を受け取ると耳にあてた。

「もしもし」
「大丈夫か?」

耳元に響く低い大人の落ち着いた声に、うさぎは聞きたかったにも関わらず胸に酷い痛みを覚えた。

「すみません、報告しなくて」
「今度からはすぐに報告するならそれで構わない。それから貴美の件は純粋に事故だ。君が責任を感じることは全く無い」
「でも」
「事故の原因も既に理由が分かってる。間違いなく君に関わるようなことではないから、何度も言うが責任を感じる必要は無い。ただ、悪いと思うのであれば、今後は些細なことでも報告しろ」

うさぎの声に被せるように話した梶の言葉は、まさにうさぎが求めていた言葉だった。梁瀬と岡嶋には何度も事故だし貴美の死にうさぎの責任は無いと言われた。けれども、身内である梶に言われるとやはり絶対的とまでは言わなくても、かなり安心することが出来た。安堵の溜息を小さく零しながらも「分かりました」と答えると、途端に涙腺が緩んでくる。

「大変なことになってるが、無理はするな」
「多分、しません」
「多分じゃなくて絶対にするな。貴美がいない今、君や梁瀬はうちにとって重要な人間だ。何かあれば困る」

梶の言葉は、そんな場合じゃないと分かっていても一瞬にして心拍数が上がった。うさぎは他人に必要とされることに余り慣れていない。だから他人に必要とされるのは嬉しいと思うし、梶の言い方を曲解してしまいそうで自重する。

「気をつけます」

心の内を隠すように答えたその声は、うさぎが思っているよりも真剣なもになっていた。そんな会話の後に挨拶を交わして再び岡嶋へと電話を戻せば、岡嶋も少しの会話の後に梶との電話を切った。

「梁瀬、警備部に行って機械借りて来て」
「え! オレが行くの?」
「この場合仕方ないだろ。俺はあそこのセキュリティーカードなんて持ってないし、まさかうさぎちゃん行かせる訳に行かないだろ?」
「う……そっか、しゃーない、行ってくる」

立ち上がりすぐさま扉に向かい歩き出した梁瀬の背中に岡嶋が声を掛けた。

「ついたら梶さんの携帯に電話くれって」
「了解ー」

そんな言葉を残して梁瀬はリビングから出て行ってしまう。

「取り合えず、うさぎちゃんはこれを食べようか」

笑顔で岡嶋が指差した先はまだ二口ほどしか食べていなかった錦玉で、うさぎは一口分に切り分けてから口の中に入れる。柔らかな甘みが口の中に広がると、涙が零れ落ちた。色々ありすぎて頭がついていかないけど、取り合えず、梶の言葉が聞けただけでも本当に良かったと思える。全面的に鵜呑みにするには情報が足りないけど、それでもかなり気持ちが落ち着いたことが自分でも分かる。少なくとも状況は何一つ良くなっていないし、どちらかと言えば悪くなっていく中で、梶の言葉だけが少し浮上するきっかけにもなった。

目の前に座る岡嶋は何も言わずに、ただティッシュの箱を差し出してきて、うさぎは眼鏡を外してから渡されたそれで涙を拭う。何だか、岡嶋にはみっともないところを見られてばかりだと思うと少し恥ずかしいものがある。

「すみません」
「うん、謝らなくていいよ。泣けるならね、沢山泣いておいた方が早く気持ちの切り替えが利くから」

もしかしたら、岡嶋は既に梁瀬から利奈と沙枝の件も聞いているのかもしれない。幾ら友達同士の話しとは言えども、この状況なのだから梁瀬が聞いていなかったとは余り考えられない。それに対して腹立たしさは全く無いし、仕方ないことだと思う。そして、それを梁瀬が岡嶋に伝えていたとしても、やはり余り腹立ちは無い。

それだけ、二人に対して自分の中で特別な思いが芽生えてきていることが分かる。
この人たちはずっといてくれるんだろうか。利奈や沙枝さえ一緒にいられなくなったうさぎと————。

「うさぎちゃん、声上げて泣いてみたら? もっと楽になると思うよ。そんなに我慢しなくていいから」

けれども、声をあげて泣くなんて泣き方、うさぎは知らない。だからティッシュで顔を押さえながらも、俯いたまま首を横に振った。

それに対して岡嶋は何も言わず、ただ目の前に座っている。今はすぐ近くに誰かいてくれることがうさぎには嬉しかった。しばらく泣いていれば、徐々に落ち着いてきて大きく息を吐き出したところで、いつのまに席を外していたのか岡嶋が横から湯のみを差し出してきた。

「ごめん、勝手にキッチン借りたよ」
「いいえ、全然大丈夫です」

差し出された湯のみには温かい緑茶が淹れられていて、それを飲めば自然と溜息が零れた。

「有難うございます」
「うん、少しはすっきりした?」
「何となく」

少なくとも、泣く前よりも頭は随分とすっきりした気分はする。いつまでも泣いてばかりはいられないことをうさぎは知っている。泣けばどうにかなるなんてことは一度だって思ったことは無い。

「一度、梁瀬先輩と話しがしたいです」
「それは止めておいた方がいいんじゃないのかな」
「確かに告白されましたけど、何か違う気がします」
「違う? 何が」

確かにうさぎは光輝に告白はされた。けれども、果たして相談とは言えども好きな相手にそういう写真を見せたりするものだろうか。しかも、それを面白がるなんてことはうさぎには俄に信じがたいものがある。

「もしかしたら、別の目的があるのかもしれません。もし、岡嶋さんたちが言うようにメールを送ってくるのが梁瀬先輩だとしたら、ラストとどういう繋がりがあるのかも知りたいです」
「うーん、俺としては余りお勧めしたくないんだけどね」

そう言った岡嶋の顔にはいつもの笑顔は無く、どちらかと言えば渋面という感じだった。けれども、うさぎとしてはとにかく今は情報が欲しい。いや、多分、情報が欲しいのはうさぎだけではないし、一番気に掛かっているのは梁瀬に違いない。兄弟姉妹のいないうさぎには梁瀬の気持ちまでは分からないけど、それでも梁瀬が光輝のことで心を痛めているのは分かっている。

「けれども、話しをしないと何も始まらないと思います。でも、おかしいですよね、梶さんが言うにはラストは既に海外で捕まってるという話しだったんですけど」
「俺もそう聞いてるけど……後で確認してみよう。逮捕情報であれば海外でも流れていると思うし」

岡嶋の言葉にうさぎは緩く首を横に振った。

「いえ、ありませんでした。検索したけどそれらしい記事は一つも引っかからなかったんです。ルナスペースの件が結構話題になったから小さなニュースくらいにはなると思ったんですけど」

岡嶋はうさぎの前にある椅子に座ると、少し考える様子を見せてから微かに眉根を寄せた。

「それはおかしいね。それとも海外では余りルナスペースのハッキング事件は有名じゃないってことかな」
「いえ、かなり有名な話しにはなってましたけど、ただ逮捕された事実だけが見つけられないんです」

少し前に検索した時に、ラストが逮捕されたという記事はどこにも無く、海外でも騒がれていた事件だけに、うさぎ自身も微かに引っかかっている部分ではあった。けれども、ここでうさぎに接触してきたあの男だけでなく、梁瀬先輩ともラストが繋がるのであれば放っておく訳にもいかない。

「うさぎちゃんは光輝と話したいの?」
「負けたく無いんです、ラストに」

いつから勝ち負けの話しになったのかうさぎにも分からない。ただ、このまま流されたままでいるのは初めて嫌だと思った。泣いたことで、やっぱり気持ちが落ちついたのかもしれないし、肝が据わった気もする。こんな状況だからこそ、いつまでも後ろを向いてなんていられない。

「分かった」

短く言った岡嶋さんの言葉は溜息混じりだったけれども、その表情はとても優しいもので呆れたりしていなことにうさぎはホッとする。余り馬鹿なことを言って岡嶋や梁瀬、そして梶には嫌われたく無い、それはうさぎの本心だった。

「ただし、梁瀬には内緒。俺が思うに梁瀬も少しだけ絡んでると思うんだよね。勿論、あいつがうさぎちゃんに危害を加える訳無いから、違う意味でね」
「それは先輩と梁瀬さんの間に何かあるってことですか?」
「まぁ、そういう意味。確信がある訳じゃないし、どっちからもそういう話しを聞いたことが無いから想像だけど」
「分かりました。でも、後できちんと説明しても構わないですか?」

もう、誰かに内緒事を作って拗れるようなことをうさぎはしたくなかった。全てを曝け出す必要までは無いと思うけど、既に関わっている梁瀬にはきちんと説明くらいはしたい。

「そりゃあ勿論、きちんとするよ。うん、一緒に説明しようか」

少し悪戯含みの顔をした岡嶋にうさぎもつられるように笑う。

「取り合えず、明後日くらいに光輝に呼び出し掛けてみようか。丁度、梁瀬もいないみたいだし」
「そうなんですか?」
「うん、社葬に一応参加するように梶さんに言われたみたいだよ。既に梁瀬の場合は内定も出てるし、おかしなことでも無いしね」

正直言えば、うさぎとしても出来ることなら参加したい。けれども、社員の前には出られない隠れたアルバイトの存在であることは自覚しているから、そんな我侭を言うつもりも無い。ただ、後でお線香だけでも上げさせて貰いたい、うさぎがそんなことを考えていれば、目の前に座る岡嶋が穏やかに笑う。

「今度、お線香でもあげに行こうか。墓前に行くなら大丈夫だろうし」
「同じ事考えてました」

二人で視線を合わせると、穏やかに笑い合う。けれども、笑いが収まると岡嶋は時計を確認してから真面目な顔をうさぎへと向けた。

「まだ梁瀬が戻って来ない内に聞くけど、三日前、光輝に何を言われた?」

このタイミングで聞いてくるということは、岡嶋は梁瀬について何かを言われていると思っている様子だった。果たして言うべきか、言わざるべきか、少し悩んだところでうさぎは口を開く。

「相談があるって家の前に来たんです。それで、相談された内容が、梁瀬さんが結婚したい相手がいるのに、他の女性とその……ベッドに入ってる写真が家のポストに入れられてたって言われました」
「それは梁瀬が浮気してるってこと?」

少なくともあの写真はそういう意味の写真だったと思う。

「はい、一瞬だけですけど写真も見ました。あの、美樹さんってどんな髪型の人ですか?」

聞くべきか悩んだけれども、一応念のために岡嶋へ問い掛ければ、岡嶋はあっさりと答えてくれた。

「肩までのストレート。髪色は少し茶色掛かってるかな」
「だとしたらやっぱり別人です。写真に映ってたのは髪の短い女性でした」
「コラージュの可能性は?」

ネット内でも様々なコラージュがあり、アイドルの顔とアダルトビデオのパッケージの顔をすげ替えたりしたものをうさぎも見たことがある。マジマジとは見れなかったけれども、あれもその類いだったのだろうか。

一層のことよく見ておけば良かったと思ったけれども、うさぎはすぐにその考えを否定した。少なくとも、うさぎ自身、そういう類いの写真をよく見るなんてことが出来るとは思えない。しかも映っている片方が梁瀬なのだから、どれだけ頑張ったところでうさぎには無理だったに違いない。

「分かりません。きちんと見なかったので可能性はあるかもしれません」
「まぁ、恐らくそうだろうな。あいつ、本当に美樹ちゃん一筋だから。でも、一体何のために相談なんてしたんだろうね」
「私にも分かりません。ただ、梁瀬先輩の告白が信じられないのはそこなんです。幾ら相談とは言えども、普通、そういう写真を見せます? しかも、何だか楽しまれているような雰囲気で、正直気分が悪かったです」

とにかく、あの時うさぎは嫌だと思った。あの光輝の視線と、口元に浮かぶ笑み、どちらかと言えば生理的嫌悪に近かったかもしれない。

「そういえば、私が梁瀬さんと食事に行ったりすることも知ってました」
「あとは?」
「あとは別に……最後に私が梶さんと付き合ってるのか確認されたぐらいです」

聞いていた岡嶋は考えているのかしばらくの間沈黙が落ちる。うさぎは食べかけだった錦玉とお茶をその間に胃の中へと納めてしまうと、いまだ考えている様子の岡嶋に声を掛けずにテーブルに置いてある三枚の皿と空になった三つの湯のみを片付ける。

いつもであれば億劫な片付けも、三人で食事をしたことを思えば全然苦にならない。夕食後の片付けも、どちらかと言えば三人で気楽に出来たことを思えば、少し不思議な気がした。やっぱり、こうして誰かが家にいることをうさぎは嬉しいと思っている。少なくとも一人じゃないと安心出来るからなのか、うさぎには分からないけど、気持ちが落ち着いた今なら楽しいと思える。

小皿三枚と湯のみ三つなので手早く片付けまでしてしまってから、インスタントコーヒーをいれると岡嶋の前に置いた。

「ありがとう。あのさ、嫌な話しかもしれないけど聞いて貰える?」

窺うように問い掛けてくる岡嶋に、うさぎはしばし考えてしまう。こうして前置きをするくらいだから、恐らく岡嶋が言うように嫌な話しかもしれない。けれども、ここで聞かないという選択肢は浮かばずに、うさぎは頷いてから改めて岡嶋の前へと座る。

「うーん、どこから話せばいいかなぁ。まず、最初に言っておくけど、多分、光輝はうさぎちゃんのこと本気だとは思うよ。前に梁瀬も言っていたけど、あいつが好きでもない相手の写真を持つとは思えないんだよね、俺も」

うさぎ相手に気遣って、もの凄く言葉を探して選んでいるのか、岡嶋の話し方はいつもよりもゆっくりなものだった。

「うさぎちゃんには分からないかもしれないけど、人をね痛めつけて性欲を感じるタイプの人間もいるんだ」
「それが梁瀬先輩ということですか?」
「俺はそう思ってるけど、光輝が実際にそういう嗜好があるのか本人に確認したことは無い。ただ、あいつが今までに付き合ってきた彼女にしてきたことを考えると、そういうことも考えられなくはないと思ってる」

恐らく、うさぎよりもずっと岡嶋の方が光輝のことを知っているに違いない。少なくとも、うさぎは光輝に告白されるまでその存在すら知らなかったのだから、当たり前と言えば当たり前だ。その岡嶋が言うのであれば、多少なりともそういう嗜好があるだろう可能性は、うさぎも覚えておくべきなのかもしれない。

「だから、写真を見せて楽しんでいたのはまさに愛情の裏返しというか、好きだからこそ嫌がる顔を見たかったんだと思う。それは決してあいつの中では嫌がらせじゃなくて、愛情の一つなんだと思う」

正直、嗜好なんて人それぞれだからうさぎとしては異を唱えるつもりは全く無い。ただ、そんな嗜好で行為を自分に向けられるのはやっぱり嫌だ、としか思えない。

「そんな愛情ならいりません」
「まぁ、普通はそうだよね。俺も欲しく無いし。だからね、あいつが嫌がらせしたとしても、本気じゃないとは言いきれないから、うさぎちゃんは本当に気をつけてくれないかな。人を好きになることで起きる犯罪も多いから」
「分かりました」

確かに人を好きになることで起きる問題は新聞やニュースで取り沙汰されることもあるから、うさぎにだってそういうことがあることは分かっている。身近では、人を好きになっただけで沙枝とは上手く行かなくなってる。誰かを好きになるということは、実はうさぎが思っているよりも大変なことなんじゃないかと思えてきて内心溜息をついた。

けれども、そんな中で利奈の「人を好きになることを止めないで」という言葉が蘇り、大丈夫だからと心の中だけで答える。確かに大変なことだとは思うけど、今は止めたいと思わないし、止められるとも思えない。

そんなことを思いながら、うさぎはコーヒーのマグカップに口をつけた。

* * *

うさぎと話している間に小さなトランクケースを抱えた梁瀬が戻って来たが、微妙に様子がおかしい。ただ、うさぎの手前、今聞くべきか悩み、岡嶋はすぐに問い掛けることはしなかった。

梶から貸して貰った盗聴、盗撮、どちらも調べる事が出来る機械はトランシーバーのような形で液晶がついていた。

「それで、盗撮されているとここに映像が出るってことらしい。んで、ここに出てる数値が上がると盗聴器が近くにあるってことらしい。一応、聞いた説明はこんな感じだな」
「それじゃあ、早速調べに行こうか」

椅子から岡嶋が立ち上がれば、同じようにうさぎも立ち上がる。うさぎには一階で待ってて貰おうかとも思ったけれども、本人がいないところで部屋に入られるのも嫌だろうと思い、岡嶋は結局止めることはしなかった。

三人で二階に上がると、扉前で梁瀬が口元に人差し指をあてた。そんな梁瀬にうさぎと岡嶋は頷くと、梁瀬は機械の電源を入れるとゆっくりと音を立てないようにして扉を開いた。途端に反応を示したのは映像よりも数値の方だったけれども、部屋に足を踏み入れた途端、映像も映し出される。

一旦足を止めた梁瀬は、映像と部屋を見比べてから天井を指差した。その先にあるのは煙探知機で、梁瀬の手元を覗き込めば、確かにそこから部屋全体を見渡すように映されているのが分かる。大抵、煙探知機というのは部屋の真ん中につけられていることが多く、こんな部屋の入り口につけられているのは見た事が無い。ということは、この煙探知機自体が盗撮器なのかもしれない。

もう一度部屋の外に出ると、岡嶋はうさぎに梯子があるか確認すると、納戸にあるということでうさぎと一緒に一階へ降りた。緊張感に包まれる中で会話らしい会話は余り無く、納戸から出された梯子を手にすると、岡嶋は再び二階に上がり廊下で待つ梁瀬に小さく声を掛けた。

「どうする、あれ外す?」
「カメラは部屋に向けてつけられてる。何かで視界を塞いでから取り外した方がいいぞ。顔見られると面倒だし」
「分かった」

煙探知機の下に梯子を用意すると岡嶋は梯子の一番上まで上ると、ポケットからハンカチを取り出す。部屋の方向にあるだろうレンズの視界を塞ぐと、そのまま力任せに取り外した。

細い釘で打ち付けてあったのか、小さくプラスティックの割れる音と共に外れたそれを、下で待機している梁瀬へ手渡す。すぐさま梁瀬は裏返しにして蓋を開けると、電池を抜き取ってからうさぎに渡した。

そして、再び探知器を手に取った梁瀬は足音を立てないように梁瀬が機械を持って部屋をぐるぐると回る。徐々に範囲を狭めていくと、盗聴器の可能性は一つのバッグから見つかる。一旦扉まで離れてから、少し声を落として梁瀬が口を開いた。

「バッグ、開けていい?」

問い掛けにうさぎは頷きで答え、再び梁瀬は部屋に戻るとまず最初に窓を開け、それからバッグを開けるが目的の物は見つからなかったらしい。そんな梁瀬に、隣にいたうさぎがバッグについている外ポケットを指差すと、そこに手を入れた梁瀬はゆっくりと何かを取り出した。梁瀬の手に握られていたのはどこにでもあるような黒いボールペンで、そのボールペンをうさぎの部屋の窓の外にある桟に乗せると、そのまま窓を閉めた。

「よし、これで大丈夫だな」
「あれ、そのままでいいのか?」

窓の外を指差せば、梁瀬は肩を竦めて見せた。

「だって、急にカメラもマイクも音が拾えなくなったらおかしく思われるだろ」

言われて納得してからうさぎへと振り返れば、うさぎの顔色は幾分悪い。自分の部屋から盗聴器やら盗撮器が出てくれば、普通であれば平静ではいられないに違いない。やせ我慢かもしれないけど、こんな時でも平静を装えるうさぎに岡嶋は内心苦笑するしかない。

「取り合えず、下に降りて手分けしてネットに画像とか動画とか流れてないか調べよう」
「調べようって言われても、ここにはパソコン二台しかないし」
「いいから、いいから」

そんな梁瀬の声に背を押されるように梯子を畳み一階へ降りると、岡嶋はそのまま梯子を出した納戸へとしまう。リビングへ戻れば、二人で身を寄せ合うようにしてソファに座っていて、そしてその梁瀬の手には先程取り外したばかりの盗撮器があり、色々と説明している様子だった。

「それにしても、梁瀬さん、随分詳しいんですね」
「まぁ、一時期こういうのにはまったことがあるし」

途端にうさぎの表情が強張ったのを見て、岡嶋はつい噴き出して笑ってしまう。

「うさぎちゃん、大丈夫。別に素人相手に盗聴とか盗撮とかしてた訳じゃないから」
「え? オレ、そんなことしないよ!」

慌てたように否定する梁瀬に、うさぎは訳が分からないという顔をして梁瀬を見て、それから岡嶋へと視線を向けてきた。

「梁瀬はね、一時期、警察無線にはまってたんだよ。パトカーとかの無線を拾って聞いてたりしてて、そういう関係で詳しいだけ。別に変なことはしてないから」
「当たり前じゃんか! そんなことしてたら人間として終わってるだろ」

はっきりいって警察無線の傍受だって一応は違反だというのに、そういう所は妙に正義感溢れる梁瀬につい苦笑してしまう。そして、それを聞いたうさぎは明らかにホッとした顔をしていて、そんなうさぎを見た梁瀬が少し泣きそうな情けない顔をしている。

そんな二人を微笑ましくおもいながらも、岡嶋は二人の向かいのソファへと腰掛けた。それに気付いた梁瀬はうさぎへの釈明を終えたのか、子供のような笑みを浮かべた。

「んじゃ、探すか」

そんな言葉と共に再びトランクケースを開けると、中からノートパソコンを取り出し岡嶋へと差し出してくる。

「どうしたの、このノート」
「梶さんが一応、って用意してくれたんだよ」

そう言いつつ梁瀬はもう一台ノートパソコンを取り出した時には、さすがの岡嶋も驚いた。

「二台も用意してくれた訳?」
「借してくれるって言うなら借りておくでしょ、ここは。それに、ハッキング禁止令を厳命されてきました」

酷く神妙な顔をして言う梁瀬に、岡嶋は苦く笑うしかない。禁止令と言われたところで、もうしてしまった後なのだから今更どうしようもない。けれども、梁瀬はうさぎには言うつもりが無いらしく、何事も無いように笑う。

「まぁ、画像とか映像探すだけだし、何もハッキングする必要ないよなぁ」

頷くうさぎに殊更笑ってみせた梁瀬は、そのままどこら辺を調べるべきかうさぎと相談し、三人分にある程度切り分けると後は単調な作業になる。途中雑談をしながら指先を動かしていたけど、気付けば既に一時を回っていて順番に風呂へ入ることになった。

最初にうさぎが風呂に消えると、ようやく岡嶋は切り出した。

「会社に行った時何かあったの? 微妙な顔してたけど」
「ん? あー、うん、あったというかオレ、余計なこと言ったかも、梶さんに」

確か電話では出掛けるかもしれないから秘書に頼んでおくようなことを言っていただけに意外でもあった。

「梶さんに会ったの?」
「オレが会社についた時、丁度梶さん外から帰ってきたみたいでエレベーターでばったり」
「それは、また、随分確率の低い偶然だね」

キーを叩きながらも岡嶋が言えば、梁瀬はついにキーを叩く手を止めると腕を組んだ。梁瀬の言い方を聞いていると余程、何か気になる様子だったらしい。

「うーん、何ていうか変なんだよな、梶さん」
「変って、そりゃあ家族亡くしたばかりなんだから変でもおかしくは無いだろ」
「そういうのじゃなくてさ」

ガシガシと頭を掻いた梁瀬は、上手く説明出来ないらしく、一生懸命言葉を探しているように見える。だからこそ、岡嶋はせかすようなこともせずに岡嶋の言葉を待つ。

「あのさ、うさぎちゃんの友達と結婚すること、梶さんって全く乗り気じゃなかったよな」
「どう聞いてもあれは乗り気では無かったと思うよ」
「うん、オレもそう思ってたから、ついうさぎちゃんの友達が話してた爺さんからの婚約破棄の話しをしたんだよ。そしたらさ、それは本当なのか、とか、何だかこっちが予想してた反応と全然違って」

言っている梁瀬の珍しく難しそうな顔をしていて、訳が分からないということらしい。

「梁瀬から見て、どう見えた?」
「ショックを受けるというか、婚約破棄は困るみたいな感じで、こっちが困った。それと、高校卒業してすぐにうさぎちゃんに会社に入って貰うとか言ってて、こっちもはい? みたいな」

いつものことながら混乱した梁瀬から話しを聞き出すのは至難の技で、ここにきてキーを叩く手をようやく止めると、顔を反面覆うようにして手をつくと大きく溜息を吐き出した。

「えっと、その最後のはい? はどういう意味で?」
「いや、前までは梶さんってうさぎちゃんをあくまでアルバイトとしてきたじゃん。それなのに、何で急に社員なんて話しが出て来たのかよく分からないし、しかも、高校卒業してすぐにって、まるでうさぎちゃんの意思は関係ないような感じでさ。何か、とにかく変なんだよ!」

勿論、梁瀬がこんな嘘をつくとは思えないから、実際に梶は変なのだろう。ただ、こうして梁瀬から話しを聞いているだけは何が変なのか岡嶋にはいまいち分からない。

「元々、梶さんだってうさぎちゃんの腕に惚れてた一人だろ。別に社員にしたいと思うのはおかしいことじゃないだろ」
「いや、そうだけど……そうじゃなくて、梶さんがあのままだと一緒に仕事してけるか不安なんだよな。あー、もう、どう説明していいか分かんねーよ」

最後には頭を掻きむしってまさに訳が分からない状態に入ってしまった梁瀬に、岡嶋は溜息をついた。

梁瀬が言いたいことがよく分からないけど、部分的におかしいと思えることは確かにある。確かに梁瀬が言うように婚約にはとても気乗りしている雰囲気では無かったけれども、貴美がいなくなった今、寒河江との繋がりを保つ意味で結婚を考えたとしてもそれはおかしいことでは無いとは思う。政略結婚などと言えば梁瀬辺りは怒るだろうけど、昔からよくあることだし、実際に梶は結婚することに違和感を覚えてない口調ではあった。基本的に梶は相手を好きでなくても結婚出来るタイプなのだろうことは、あの時の会話からも分かってはいたのだから何ら不思議は無い。

ただ、うさぎの件は岡嶋にも不可解ではある。元々、梶は余りうさぎが会社に関わることに乗り気ではないからアルバイトという形にした筈だったのに、高校卒業したらすぐにでも社員に、と言い出すのはおかしい。貴美がいなくなったことで、その穴を梁瀬とうさぎで埋めようとしているのであれば、一応は理解出来る。少なくとも、うさぎの腕ならシステムセキュリティーの社員としても喉から手が出るくらい欲しいに違いない。

ただ、無理強いしてまでうさぎをシステムセキュリティーに繋ぎ止めようとするかと言えば、今までの梶であればノーと答えたに違いない。それだけ余裕が無いということなのか、それとも他に別の思惑があるのか……。

「なぁ……もし、梶さんが高校卒業して社員になってくれって言ったら、うさぎちゃん、入ると思う?」

うさぎと友達の会話を聞いてしまった梁瀬は、うさぎの気持ちを知った上での問い掛けなのだろう。けれども、その問いに岡嶋は肩を竦めて見せた。

「さぁ、うさぎちゃんがどういう選択をするかまでは俺には分からない。でも、どうだろうね、うさぎちゃんは損得勘定が出来ない訳では無いから、好きって気持ちだけで入社するとは思えないかな」
「でもさ、好きな人に頼まれたりしたらどうだろう」

恐らく梁瀬はうさぎの何かを心配をしているのだろうけど、岡嶋にはその心配の意図が全く読めない。一体、梁瀬は何が不安で、何を心配しているんのだろう。

「今の言い分だと、うさぎちゃんにはシステムセキュリティーに入って欲しく無いみたいだね」
「……そうかも。正直、今の梶さんには会わせたく無いかも」

難しそうな顔をしたまま言う梁瀬に、少なからずとも岡嶋は驚かされた。岡嶋が岡嶋なりにうさぎを大切に思っているように、梁瀬も梁瀬なりにうさぎを大切に思っていることは分かっている。その梁瀬が会わせたくないと思うくらい、梶に何の変化があったのか、考えてはみたものの会っていない岡嶋には想像もつかない。ただ、梁瀬はむやみやたらに会わせたく無いと言う筈も無く、言葉には出来ない根拠があるように見えた。

しばらくの間、部屋には沈黙が流れたけれども、微かにシャワーの音が止まったことで、梁瀬と岡嶋の指は動き出した。

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