run down Act.06

濛々とした煙の中に加藤はいた。まるで被疑者でも見るような視線を向けてきたが、俺の顔を確認すると瞬きを繰り返し、それから口の端を上げた。

「お前、こんなところで何してるんだよ」
「いや、お前が資料室にいるって言うから足を運んだんだろ。そっちの事件どうだ?」
「進展ねぇな」

手にしていた資料を机の上に放り出すと、机に置いてあったタバコに手を伸ばす。それを見て釣られたようにポケットからタバコを取り出すと火を点ける。

今日は散々一服する機会を逃してきたから肺にニコチンが回るのが心地良い。

「太田商事にさ前山っているだろ。前山浩介」
「確かにいるが……」

加藤が名前を覚えているということは間違いなくデータ流出問題で何かしら関わりがある人物なのだろう。恐らく捜査線に上がるような人物の一人に違いない。じゃなければ名前なんて覚えていられない。

「それがどうした」

訝しげに俺を見る加藤に肩を竦めてみせた。

「今日会った」
「……本庁の事件に絡むのか?」
「詳しいことは話せないが微妙に」
「微妙ねぇ……」

守秘義務があるから詳しいことは話せない。だが情報を開示して貰うにはこちらも多少は開示しなければ話しは進まない。

「あの人、やけに警察に対してビクビクしてるっていうかさ、いかにもな感じなんだけどお前はどう思う?」
「聞きたいことがあるならストレートに聞け」

ピシャリと言い返されてしまい、同期ということもあり遠慮なんて欠片もない。友人とは違う。だが警察学校で一緒に過ごしてきた時間があるからこそ、それなりに信用はしている。

プライベートに深入りさえしなければ人付き合いなんてどうにでもなる。

「お前の持ってる事件で前山はどの位置にいる? 容疑者、被疑者、被害者」
「容疑者の一人ってところだな。より黒に近いグレーだ。そっちの事件と関係あるのか?」
「いや……俺の勘ではそっちの事件に関わってるんじゃないかと思ってる」

付き合いが長いだけに加藤は俺の勘の良さを知っている。だがそれが信用されるものではないこともわかっている。

実際加藤はこちらを見ることなく長く煙りを吐き出すと、ゆっくりと俺へ視線を向けてきた。

「根拠は?」
「ない」

俺がきっぱりと断言すれば、加藤は目を瞬いた後、タバコの火を灰皿で消すと窓を開けた。小さな小窓は換気の役割を果たしていないがないよりマシ程度だ。

「だよな、勘なんだから」
「あぁ、勘だからな。ただこっちの事件を起こせるほど肝っ玉が据わったタイプには見えないんだよ」

そこまで話せばようやく加藤がこちらへ顔を向けた。その顔には苦笑が浮かぶ。

「だろうな。俺も似たような印象を受けた。まぁ、刑事が印象で語るなって感じだがな」

それを言っては身も蓋もない。

一層のこと全てが第六感でわかるようになればいいが、残念ながら勘だって万能じゃない。前山に心の中でお前はデータ流出事件に関わっているだろうと問い掛けたところで勘は働かない。

結局、細かい部分まではわからないのだ。ただ、自分の知っている事件の犯人かどうかしかわからない。しかもニュース程度の情報ではやっぱりわからないのだから半端だと思う。

歯噛みしたい気分になるのはこういう中途半端な時だ。

そんなことを考えていれば、不意に目の前に座った加藤は一つのファイルを手に取ると俺に投げてきた。開けばそれはデータ流出事件の供述調書を含む資料だった。

「いいか、それはお前が新宿署にいた時に見たもんだからな」
「わかってるよ」

文字が視線を追っている間にも加藤は再びタバコに火を点けると話し出した。

「お前が言ってた前山は会社からデータを持ち出した人間だと思う。アリバイも怪しい。だが物的証拠が押さえられていない。仲介していた男は機密データの販売屋で裏も取れてるが、残念ながらこいつと前山を繋ぐ証拠がないのが現状だ。流出データを持ち出せたのは前山の他に二人。他二人に関しては綺麗なもんだが、前山には借金があった」

「借金があった? うちにはそんな情報きてないぞ?」
「まぁ、俗に言うツケって奴だから全て現金での遣り取りだ。銀座のお姉ちゃんいる飲み屋約八百万」
「ってことは、データ仲介に売ってツケをチャラにしたってことか」
「飲み屋の店主はそんな事実はないって言ってたけど、お姉ちゃんたちが話してくれたから信憑性はあるだろうな」

加藤の言う通り店の人間が複数人証言しているのであれば信憑性は高いだろう。今回の流出データは太田商事の国内外の取引先データの詳細と五年分の取引内容とのことだった。

取引内容は幾らで新規契約したかなど詳細に示されており、大手である太田商事のデータは同業者にとって涎物に違いない。太田商事よりも上乗せした額を提示すれば横から取引をかっさらえるのだからこんな美味しいことはない。

「社内での前山の立場は?」
「課長なんて名ばかりで、責任は何一つない閑職みたいなもんだな。頭下げるだけがお仕事。課内のことはほとんど部下の渋谷が……あぁ、そういえば渋谷は」

途中まで言いかけた加藤だったがそこで口を噤むと苦笑した。

「まぁ、渋谷は部下の信頼も厚いし、少なくとも前山なんかよりも上の覚えが良かったみたいだ。来年には入れ替わりかなんて揶揄していたみたいだな」

どうやら呑み込んだ言葉は俺が何を追いかけているか気づいて指摘を避けたのだろう。実際聞かれたところで答えられる訳でもない。こういう判断が早いところに何度か助けられたこともある。

「確かに渋谷に対して敵対心みたいなものは持っていただろうけどな。そういうストレスを姉ちゃんがいるところで発散させたんだろ。少なくとも前山の虚栄心は満たされるだろうし。ただ、前山が渋谷を……ってなると、奴にそこまでの度胸はないだろ、揉めてはいたみたいだがな」

「揉めてた? 渋谷と前山が?」
「同僚が何人か見ててな」
「それはこっちも聞いてるけど、揉めた原因は?」
「前山が辞職するとか言うのを渋谷が止めてたみたいだな。ただ見てた人間は前山なんていなくても何ら問題ない状態だったから不思議に思ったらしい」

総合的に考えれば既に渋谷で課内が回っていたのだとすれば今さら渋谷が前山を引き留める理由がわからない。辞職したいと願うのであれば、渋谷からすれば目の上のたんこぶだし辞めて貰った方が楽だろう。

「……待てよ。データ流出の件で前山に容疑が掛かってることはどれくらいの人間が知ってるんだ?」
「上の人間が少しって程度だな。こっちも話しを聞くし、向こうは向こうで内部調査をしてるだろ。そもそも怪しい三人ってのも向こうの内部調査でわかったことだ」
「今後会社はどうするって?」
「さぁな。刑事告訴してる訳だし退職させるだろ」

「因みに内部調査始めたのっていつ頃なんだ?」
「発覚した直後だって聞いてるな」
「渋谷はもしかしたらそれ以前から前山がデータを持ち出していることを知っていた可能性もあるかもな」
「あぁ、だから揉めてたって?」

改めて資料を捲り渋谷のページを開くと加藤へと差しだした。

「渋谷は上昇志向が強い人間だったみたいだし、小心者の前山を会社に引き留めておく一方で上に告発をしたのかもしれないな。少なくとも上の覚えもいいだろ」
「なーるほど。そういう考えもあるな」

改めて資料に視線を落とした加藤は経歴書を目で追っている。社内プレゼンなどにも積極的に出ているし、何回か表彰もされている。恐らくかなり綿密に計画を立てられるタイプだ。
だが上昇志向もあるが部下をないがしろにすることもない。上手く立ち回って余り敵を作らないタイプかもしれない。腹黒そうで余り傍にいたいタイプではないが。

「で、これも勘か?」
「いや、思いつき。だから外れてても文句言うなよ。まぁ、でも前山の人となりはわかったし俺の用事は終了」
「んじゃ、これから飲みに行くか?」

平日に飲みに誘われることは珍しい。けれども今日ケガした姿を見られたから恐らくうちに伊緒里が来ているだろう。身内がいないせいか伊緒里は俺のケガに敏感だ。無茶する俺も悪いかもしれないが、伊緒里もちょっと心配性が過ぎる。

「いや、今日は帰る。多分伊緒里も来てるし」
「あぁ、それは帰らないとヤバいな」
「そ、ヤバいんだよ」

苦笑で返せば加藤からも同じように苦笑が返ってきた。

「何かこっちで動きあったら情報くらいくれてやるよ」
「そうしてくれ。んじゃ、お疲れさん」

イスから立ち上がり踵を返してからヒラリと手を振る。だがそんな俺に加藤が声を掛けてきた。

「そんなケガばかりしてるから伊緒里ちゃんも心配すんだろ。その手も早く治せよ」

加藤に言われて上げた手がケガをした手だったと気づく。加藤あたりは俺が警察学校時代から事件体質ケガ体質ということを知っている。背中に投げかけられた言葉は心配の裏返しだろう。

「おう」

照れくさいから振り返ることはしない。それでも苦笑しつつ短く返事をすると資料室を出た。

途端に口元に浮かんでいた笑みは消え去る。

加藤と話したことで前山はやはりこちらの事件に関わっているだけで、放火事件のことではない気がする。だとしたら放火事件の犯人はどこにいるのだろう。

少なくとも今日会った中では俺の勘に引っ掛かった人間はいない。だとしたらもう少し会う範囲を広げないといけない。

どちらにしても明日は現場付近で張り込む予定だから、ある程度それは叶うだろうが果たして犯人と会うことはできるだろうか。

いや、むしろ心配しないといけないのは明日着るスーツかもしれない。普通にしていれば平気だがすっかり脇の下が破けている。

「安全ピン止めていけるかなぁ」

一人ぼやきながら新宿署を出ると再び駅へ足を向ける。途中、酔っ払いを保護して交番に運んだり、再び電車で痴漢を捕まえて引き渡したりしていれば家に帰る頃には二十三時を回ろうとしていた。

今日も疲れたとばかりにぐったりしながら玄関の扉を開ければ、仁王立ちした伊緒里がそこにいた。

「遅い」

確かに一般的なサラリーマンが帰宅するなら遅い時間かもしれないが、サラリーマンだって残業があればこれくらい遅くなる筈だ。

そんな言い訳を心の中でしてみるが口に出さないのは、どうにも伊緒里相手では口で勝てないところがあるからだ。切り返しの早さを見るに男と女では脳に違いがあるのだろう。ようは口が回る。口では勝てない。

「まぁ、いつものことっていうか」
「引っ越すなんて聞いてない」

どうやら部屋に幾つも転がるダンボール箱を見て引越に気づいたらしい。思い返してみれば伊緒里に言った記憶がない。

「まぁ、ほら、先月決まったばかりだったし」
「だったら先々週会った時に言えば良かったでしょ!」

確かに二週間ほど前に伊緒里と会ったが————。

「話そうとしたらほら、例の事件が」
「あぁ……例の事件ね……」

先々週、非番ということもあり伊緒里と食事をして店を出たところで酔っ払った男が伊緒里に抱きついた。とっさに男に対し背負い投げ一本決めてしまい通報された。

挙げ句の果てに新宿署から交通整理に駆り出された同僚に見られて大爆笑を喰らった。結局、相手も酔いが覚めれば謝罪の嵐ということもあり注意のみで終わったのだが、その後、特捜が立って非番が吹っ飛んだ。

だから伊緒里に説明する機会もなかった。特捜は三日ほどで事件解決したが、その後伊緒里とは都合が合わなかったから説明機会はなかった。

「まぁ、悪かった」

仁王立ちする伊緒里の頭をポンポンと撫でて横を通り過ぎようとしたところで腕を掴まれた。

「ん?」
「やっぱり! 病院行った方がいいって言ったでしょ!?」
「あー、そういう暇なくてさぁ。とりあえず飯ある?」
「もう! 本当に頭にくる!! あるわよ! 作った!!」

最初から怒り爆発気味なのはケガしているからだ。そして火に油を注いだのは病院に行っていないからだ。心配をかけているのはわかるが、ここまでくればケガの一つや二つで騒ぐ気にもなれない。

「悪い、悪い。でも腹減ったしくったくただし」

話しながらリビングに移動すると腹を刺激する香りがする。醤油とニンニクの組み合わせは個人的に最高だと思いながらネクタイを解いた。

「ちょっと、スーツまたダメにしたの!?」
「そう。今度の非番に買いに行かないとダメだな、これ」
「もう、それ貸して!」

脱いだ傍からジャケットを奪った伊緒里は勢いよくソファに腰掛けると、鞄の中から裁縫セットを取り出した。この間裁縫セットと言ったらソーイングセットだと言い直しさせられたこともまで思い出し、苦い気持ちでキッチンへと向かった。

冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをグラスに注ぎ一気に飲み干すと、近くにあるガス台の上に鍋が置かれている。ガラス蓋から見えるのは味噌汁で途端に心温まる気がするから現金なものだ。

「で、今度はどこに異動になったの?」
「あぁ、警視庁」
「ふーん、警視庁……は? 警視庁? え?」
「だから警視庁。捜査一課に異動」
「え、何で断らなかったの!」

怒った顔で食って掛かってくる伊緒里に対し首を傾げるしかない。

「え? 何で断るんだよ。一応栄転だぞ?」
「やめてよ! そんなの興味ないくせに」

まぁ、確かに興味はない。ただ単純に上から言われたから移動したに過ぎない。そもそも断るなんて考えてもいなかったから伊緒里の言葉に俺の方が驚く。

「そもそも何で怒ってるんだ?」
「普通怒ると思うんだけど! 所轄署でケガ大量なのに、捜査一課なんてもっと凶悪事件扱うのに、これ以上ケガ増やしてどうするのよ!!」
「いや、今までも特捜立ったりしたら凶悪事件とかあった訳だし」

ほとんど参加していなかった、なんてことはここで口に出すことじゃない。それくらいは俺にだってわかってる。

「もう、本当にありえない!! お兄ちゃん馬鹿なの? 本当に超馬鹿なの!?」
「えぇぇ、俺、そこまで言われるようなことしてるか? 別にどこにいっても刑事なのは変わらないんだから一緒だろ」

どんなに気をつけていたって怪我する時はするし、しない時はしない。大抵そんなもんだと思っている。そういう意味で俺は運がない方なんだろう。逮捕術の成績は悪くないし逮捕時に適度な緊張感もあるけど人一倍怪我が多い。

これだから伊緒里を心配させていることはわかっているが、今のところクビじゃなければ警察を辞めるつもりはない。

「でもさ、多分、俺これしかできないんだよね」
「……知ってる。だから馬鹿だって思ってるの」

怒りながらもその手元は器用に破れた箇所を繕っていく。そんな伊緒里の姿を見ながら換気扇下でタバコを咥えると火を点けた。

既に伊緒里と一緒に住まなくなってから三年と少し経つ。俺が伊緒里の家に行くことは余りないが、社会人になりそれなりに忙しく仕事をしていることは知っている。

非番と土日が重なったからと伊緒里を誘っても仕事だと断られることもそれなりにある。年の割にしっかりしているので余り心配はしていない。

ただ、伊緒里もそれなりの年だし恋人の一人や二人できてもおかしくない年齢なだけに、こうして時間があれば俺のところに来るのはどうだろうと考えてしまう面もある。

年の離れた妹なだけに幸せになって欲しいと思う親心に似た気持ちもある。両親がいないからこそ余計にそう思うのかもしれない。

心配ばかりかけている俺が言うべきことではないから口にしたことはない。ただ、来るべき日に供えて貯金だけは堅実にしている。

もっとも貯金をするにも、もう少しスーツ代がかからなければ、という憂慮はあるが。

「それで、いつから捜査一課に入ったの?」
「今日から」
「……それでこのスーツな訳?」
「いや、それは別件。因みにケガだって別件だからな」
「それは見てたからわかってる! もう本当にもう少しケガ減らしてよね」
「気をつけるよ」

答えてみたものの返ってきたのはため息だ。今現在もケガをしているのだから信用がないのは仕方ない。苦笑しつつもタバコを灰皿で揉み消す。

「それでいつ引っ越す予定?」
「明後日が非番だからその時だな」
「手伝いに来られないよ」
「大丈夫だよ。今回は引越屋に頼んであるから」
「ここよりイイ感じ?」
「ボロいな。ただ広くはなる。独身用に空きがなかったらしい」
「それでいいの?」
「問題はないだろ」

実際寝に帰るだけみたいなものだから余り住む場所に関しては気にしていない。そもそも民間で探す余裕すらなかったから仕方がない。

それに上から絶対に官舎と言い渡されているので所轄署に比べて本庁となると勝手が違うのかもしれない。どうにも強制されることが多くて面倒ではあるが、所詮公務員だから仕方ない。

「官舎って私でも出入りできる?」
「別に家族なら問題ないみたいだな。ただ壁が薄いから隣に話しが聞かれる可能性はあるけど」
「うわぁ、最悪」

あからさまに嫌悪感を浮かべた伊緒里にこれまた苦笑するしかない。伊緒里は山手線圏内からは外れるがオートロックのついた小綺麗な場所に住んでいる。

探すときには一緒に探し、何かあっては困るからとオートロックと管理人常駐のアパートにした。デザイナーズマンションとかいうやたら瀟洒なアパートだったが、女性のみというのも俺にとっては安心材料だった。

大学生の頃に暮らしたそのマンションに社会人になった今でも伊緒里は暮らしている。もっとも伊緒里の部屋に行ったのは引越の一度だけで、女性専用というのに尻込みしている自分がいる。

冷蔵庫を開ければそこには色々な皿が詰まっていた。豚しゃぶのサラダに刺身、アジの南蛮漬けと魚がメインになっている。恐らく外で食べると肉ばかりになる俺のために考えられたメニューなんだろうことはわかる。

それをカウンターに並べると味噌汁を温めている間にご飯をよそう。先ほど腹を刺激したのはどうやら豚しゃぶサラダのドレッシングだったらしい。ラップを外した途端に香りが広がり鼻孔をくすぐる。

ほどよく温まった味噌汁を碗によそいカウンターのイスに腰掛けた。

「ありがとな、いただきます」
「どうぞ。有り難く食べてよね」
「勿論です」

軽いノリで恭しく返事をすれば、ようやく伊緒里の口元に笑みが浮かぶ。少しだけホッとした気分でご飯を食べ始めれば、どれも美味しいものだった。
どうやら順調にご飯も美味しくレベルアップしているらしい。

「伊緒里の方は相変わらず忙しいのか?」
「少し忙しいかな」
「お前、今はどんな仕事してるんだ?」
「最近は新作のアイデア出しか売り込みかな」

そう言われても実際、伊緒里がどういう仕事をしているのかはわからない。何だかパソコン関係の仕事をしているらしいが、深く聞いたところでさっぱり意味がわからなかった。

そもそもパソコンなんて報告書を書くくらいしか使わない。そういう意味ではまだスマホの方が使うことは多いし、扱い方もわかっている。

「ふーん。パソコンも大変なんだな」
「仕事に大変じゃないものなんてないと思うよ」
「そりゃあそっか」
「はい、直った」

そう言って伊緒里はソファから立ち上がると壁際にあるハンガーにジャケットを掛けた。そしてカウンターの向こう側にあるキッチンでコーヒーを用意すると俺の方にカップを差しだしてくる。

それにお礼を言えばカウンター向こうで伊緒里が薄く笑う。

そんな数があった訳じゃない。でもそれは確かに見慣れた風景でもあった。

Coming soon……

Post navigation