Chapter.I:秋吉結衣 Act.01

鏡の前でコテで巻くと、耳の下でふんわりなるように髪を整える。笑顔なんて作ってみて可愛いと納得すると、今度は立ち上がって制服を整える。
男は清楚系が好きだから身だしなみだけはきちんと整える。いつか私に似合う王子様が現れるんじゃないかと思っているけど、そんなことは誰にも言えない。一応、そういう考えが恥ずかしいことだと知っている。
本当は学校なんて大嫌い。でも、行かないとそれなりの大学にも行けないし、将来困ることになるのは目に見えてる。面倒くさいなと思いながら、鏡を見つつスカートのウエストでくるりと二巻きしてスカートの丈を調整する。
勿論、学校に入る前には戻すことが前提だ。じゃないと、生活指導の先生に長々と説教を受けることになる。
「結衣、そろそろ時間よ」
階下からお母さんの声が聞こえてきて、それに返事をすると鞄を掴んで部屋を出た。まだリビングにいるお父さんとお母さんに行ってきますと声を掛けて外に出れば快晴だった。
(日に焼けるのヤダなぁ)
強い日差しにうんざりしながら足早に駅に向かう。地面に落ちる影は濃くて、チリチリと首の後ろが焼けていく気がする。
改札を抜けて電車に乗り込むと、そこは学生服だらけだ。うちの学校の制服も幾つか見えるけど圧倒的に三駅さきにある男子校の制服が多い。
その中で扉近くにに立つ学ランの男の子は、私のお気に入りだ。電車の扉が閉まるその瞬間、男の子がちらりとこちらを見る。目が合ってお互いに会釈をするまでが様式美だ。
勿論、その時に小さく微笑むのを忘れない。誰からもおっとりしているように見えると言われて、馬鹿笑いするのは似合わないと言われた。だから、いつからか満面の笑みなんて浮かべたことはないし、必要もなくなった。
むしろ、男の人はそういうのを喜ぶ。そして、扉近くに立つあの男の子も、そんな私の笑顔を悪くないと思っている。じゃなければ、毎日目を合わせて会釈とはいえども挨拶なんてしない。
長身で眼鏡を掛けたその人は、いつでも文庫本を手にしていた。
(奥手なんだろうな……でも、本当に格好イイ)
横目で彼の様子を確認しながら五駅分電車に揺られる。途中、男子校がある駅で電車内は半分に減り、私が降りる駅ではさらに半分に減る。
電車を降りて駅のトイレでスカート丈を直してから、駅から学校までの距離をのんびりと歩く。
駅から学校まで歩いて五分。その距離をのんびりと歩くのは、おっとりしてると言われる自分のイメージを損なわないためで、回りの子のスピードに合わせてることもある。
校門前でいつものように「ごきげんよう」と挨拶をして中に入れば、そこは学園内になる。先生とすれ違うたびに「ごきげんよう」なんて普段使いもしない挨拶をして校舎に入れば、ようやくそこでため息をついた。
一応、首の後ろにも日焼け止めを塗ったけど、この日差しだと余りあてにならないかもしれない。階段を上り教室に入れば、おはようと声を掛けてくれる友達がいる。
「おはよう結衣」
「おはよう結衣ちゃん」
二人の声に「おはよう」と返事をすると机に鞄を置いて椅子に座る。
「結衣ちゃん、古典の課題やってきた?」
早速とばかりに声を掛けてきたのは彩だ。リボンが曲がっているのは朝練をしていたからだろう。髪がまっすぐで綺麗なのにショートなのは、陸上で走る時に邪魔だからだと言っていた。
私はその癖のない黒髪が羨ましくて短くするのは勿体ないと思う。その黒髪もシャワーを浴びた後なのか、しっとりと濡れている。
「やってきたよ。当たったら困るから」
「やっぱりやってきたか」
「彩ちゃん、やってこなかったの?」
「忘れててさぁ」
「なら、今からやればいいでしょ」
冷静な意見を言うのは由希子だ。真面目な由希子は課題を忘れるなんてことはしないし、眼鏡、三つ編みのいかにも優等生だ。実際、成績も学年トップを争う。
でも、その生真面目さが私はちょっとだけ苦手だったりする。何よりも、言葉が冷たい感じがして近寄りがたい。二人きりになると会話が成り立たなくなるのも苦手なところだ。
「えー、絶対無理! 当たらないことを祈るしかないかー」
しょんぼりとした顔をする彩は、由希子とは逆に余り成績はよくない。でも、元々陸上推薦で学校に入っているから、最低ラインの成績を維持していれば文句は言われないことを知っている。
この間の夏の大会でも全国一歩手前までいって、学校の壁面には彩の名前が入った垂れ幕が今でも掛かっている。
何か特技があることは羨ましい。私は何をやっても中の中にしかならないから、飛び抜けた特技を持っている彩が本当に羨ましくて仕方ない。
「課題、授業後提出だけど」
「えっ! 本当?」
「嘘言っても仕方ないでしょ」
「うわー、仕方ない……少しだけでもやっておくことにする」
それだけ言うと彩ちゃんは席に戻りかける。そのタイミングで予鈴が鳴り、いつものように絵莉香が現れた。
「おっはよー」
校則で怒られない程度に緩めた胸元と、くるくるに巻かれた長い髪で現れた絵莉香は、私の席の隣に鞄を置いた。それぞれが挨拶をしたけど、課題を忘れた彩は慌てて席に戻った。
「どうしたの、あれ」
絵莉香が指さしたのは、慌てて席へ戻った彩のことだ。大抵、先生が来るまで話していることが多いから彩が席を外すのは珍しい。
「古典の課題やってないから今から頑張るって」
「どうせなら諦めちゃえばいいのに」
説明したけどあっさり諦めを口にするあたりが絵莉香らしい。ついでに言えば、首筋にキスマークがある所も絵莉香らしい。
絵莉香が付き合うのはいつでも十歳は年上の人で、色々買ったりして貰っているのを知っている。クラスの子が援交してるとか言ってるけど、絵莉香は別に援交なんてしていない。しなくても貢いで貰えるくらい綺麗だ。
私たち四人の中でも一番絵莉香が綺麗で大人っぽい。私服で会うとちょっとだけ自分の服装が子どもっぽい気がして恥ずかしく思う時がある。
「絵莉香もどうせやってないんでしょ」
ため息混じりにゆきちゃんが言えば、絵莉香は肩を竦めて見せた。
「だってー、あいつが家に帰らせてくれなかったし」
「え? お泊まりだったの?」
「いつもの事でしょ」
少しだけワクワクした気分で問い掛けたのに、ばっさり切り捨てたのは由希子だ。男の話しで盛り上がっても、由希子は冷めた意見しか言わない。
(もう少しノリが良ければ話しやすいのに)
そう思っても由希子の性格が変わるとも思えない。結局、私は由希子が苦手なままだ。
でも、この四人で一緒にいるのは嫌いじゃない。むしろ、今さら他のグループに入りたいとも思えないし、グループを移動するのは色々と大変なことも知っている。
だったら、由希子一人が苦手でも我慢するべきだと思っている。
「まぁね。でも、そろそろ潮時かなぁ。束縛ウザくて面倒くさくなってきちゃった」
まるで何でもないことのように言う絵莉香がちょっと格好イイ。絵莉香は援交はしていない。でも、今は三人の男の人と付き合ってる。ブランドバッグとか宝石とか貰ったりしているのを見ると、やっぱり羨ましく思う。
それなりにお金を持っている男の人に甘やかされるっていうのも少しだけ憧れる。ただ、由希子曰く、私みたいなタイプは年の離れた男から見ても子どもっぽいから無理だと言われた。
そういうきついことをサラッと言うのも由希子が苦手な理由の一つだ。
「絵莉香はいつか刺されるタイプだね」
「まぁ、それで人生終わるならそれもありかなぁ」
そう言って笑う絵莉香は一層清々しい。当てこすりもきかないからなのか、由希子は深いため息をつくと人差し指で眼鏡を上げると手にしていた文庫本に視線を落とした。
「そういえば、あややん今日は部活休みって言ってたよね。K駅にできたドーナツ屋さんに行ってみない? 凄い美味しいらしいよ」
「え? いつできたの?」
「一週間前らしいよ。私も知らなかったけど、食べに行った子が美味しいって言ってた」
彩の部活が休みになると、四人で放課後に出掛けることもある。時には休みの日に待ち合わせて買い物に行ったり、それなりに楽しんでいる。
「行きたいなー。ゆきちゃん、行こう」
相変わらず文庫本に視線を落としている由希子に声を掛ければ、ちらりとこちらを見た由希子はすぐに本へと視線を落とした。
「彩が行くなら行くよ」
「彩ちゃんが行かない訳ないよ。じゃあ、決まりだね」
甘い物は幸せにしてくれる。美味しいドーナツとかケーキとか聞けば、お小遣いの範囲で試したくなるのは仕方ない。だからこそ浮かれた気分で決定を言えば、由希子が今度は私に視線を向けてきた。
「結衣、食べ過ぎないように気をつけなよ。最近、少し太ったでしょ」
「ダメ、そういうの言っちゃ!」
可愛く言ってみたけど、正直、そのストレートな物言いにカチンときた。確かに由希子の指摘通り、この一ヶ月で少しだけ太った。でも、そんなこと態々指摘されたくない。
「別に結衣がいいならいいけど」
「いいの! 甘い物食べてると幸せだし!」
「確かにゆーいとあややんは本当に美味しそうに食べるもんね」
微笑む絵莉香に私も小さく笑う。絵莉香はこうして美味しいお店を教えてくれることが多いし、大抵外れがない。学校外でも友達が多いらしく、男友達もいる。だから色々と情報が入ってくるらしい。
「うん、大好き!」
よしよしと頷きながら絵莉香が頭を撫でてくれて、そうして甘やかされるのが心地良い。
少し苦手な由希子がいる四人グループだけど、私は放課後までこのメンバーでずっといいやと思っていた。

Coming soon……

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