JOAT Chapter.VI:シンデレラ症候群 Act.03

暗闇の中で縮こまっていれば、今度はガラスの割れる音が聞こえてきた。それから怒鳴り声が聞こえ、本格的に身体が震えてくる。
逃げ出したいのに、身体は全く動いてくれない。恐怖で涙がボロボロ零れて、ただ怖い。
バタバタと廊下から足音が近づいてくるのに動けずにいれば、大きな音と共に両開きの扉が開いた。
途端に眩しさで何も見えなくなる。その眩しさに目を瞑れば、身体を抱き締められてさらに混乱した。
「優花さん……」
安堵混じりに私の名前を呟いたその人の声に聞き覚えはない。ゆっくりと目を開けてみるが、先ほどあてられた明かりが眩しすぎたために視界は回復していない。
「……誰?」
「穂高です」
「ほ、だか……」
名前を聞いてもピンとこない。まだ頭が混乱していて聞き覚えがある名前なのに、誰なのかが分からない。
「無事で良かった。とにかくここを出ましょう」
そのまま穂高に横抱きにされて外へ出れば、木々の合間から差す月明かりで、ようやく何人もの人たちが動いているのが見える。
その中に見知った顔があり思わず声を上げた。
「あ……」
その声に抱えていた穂高の足が止まる。そして、向こうもこちらに気づいたのかすぐに駆け寄ってきてくれた。
「六条さん、大丈夫ですか?」
「え、えぇ……あの」
「六条家の財産を狙ってあなたを攫おうとしていた人間がいたんです。それもあって、ここへ近づけなかった。約束したのに顔も出せずに申し訳ない」
「攫う……?」
「えぇ、身代金を目的とした誘拐を企てていた。それを穂高さんが助けて下さったんです」
円城寺の言葉に抱き上げてくれるその人の顔を見る。月明かりの中、ようやくその顔を見て誰なのか思い出した。
「穂高さん……どうして」
「婚約者の危機ともなればどこへでも行きます」
そう言って笑う穂高の笑顔は凛々しいもので、一瞬にして心拍数が上がる。しかも、写真で見ていた印象よりもずっと怖い人ではない。
「あの……有難うございます」
先ほどとは違う緊張でどうにか声にすれば、穂高の顔が先ほどとは違う優しい笑みに変化する。想像していた人物とは全く違う。
「円城寺さんから話しは伺いました。もし、婚約が嫌なら一旦白紙に戻しても構いません。ただ、今回のことで少しでも罪悪感をお持ちでしたら、何度かお会いして友達から始めませんか?」
「友達?」
「えぇ」
「でも、それでは穂高さんの立場が」
「別に構いませんよ。それよりも無理に結婚して優花さんに嫌われる方が辛い」
途端に表情を曇らせる穂高をつい見つめてしまう。正直、穂高がそこまで私を好いてくれているとは思ってもいなかった。
「でも、連絡入れても会えないって……」
「すみません。実は先日まで海外で仕事をしていた関係で連絡を頂いても会うことができなかったんです」
仕事が忙しいとは聞いていた。でも、それは会いたくない口実だとばかり思っていた。
いや、もしかしたらきちんと説明があったのかもしれない。でも、押し付けられる婚約者に嫌気が差して手紙にきちんと目を通していなかった。
「穂高さん、そろそろ六条さんを運んであげて下さい。体調なども心配ですから」
「あぁ、そうですね。それでは失礼致します。お礼は後ほど」
穂高は円城寺にそう言って頭を下げると、再び私を抱えたまま歩き出す。しっかりとした体躯は、私を抱えていても揺らぐことはない。
それでも、抱えられていることは気恥ずかしくて声を掛けた。
「あの……私、もう歩けますから」
「遠慮しないで下さい。もう少しで車に到着しますから」
「でも、重いですし」
「全然軽いですよ。優花さんはもう少し食べた方がいいかもしれません。もし宜しければ、明日、一緒にご夕食でもどうですか? 向日葵をモチーフにしたフレンチがあるのですが」
そう言った穂高の視線は私が胸元につけているコサージュにちらりと向け、悪戯好きの子供のような顔を見せる。
私と十は年が離れていると聞いていたが、全くそうは見えない。むしろ、そういう顔にドキドキする。
「は、はい……もし、宜しければ」
「嬉しいですよ。ゆっくり行きましょう。まだ出会ったばかりなんですから」
穏やかに笑う穂高は円城寺とは違う意味で良い男性だと思う。俗に言う男らしさがある。
「……どうして、私と婚約しようと思ったんですか?」
ずっと私が気になっていたことだ。それを口にすれば、穂高は再び顔を曇らせた。そういう顔をさせたくはないけど、でも、そこをはっきりさせないとどうしても落ち着かない。
「正直言うと、親が決めた婚約だったんです。けれども、ご両親からあなたの話しを聞いたり、あなたの学園での様子を見ていたら婚約はとても良いことのように思えて」
「それって、好きってことですか?」
その問い掛けに穂高は驚いたように目を丸くすると、次の瞬間には優しげな笑みを浮かべた。
「えぇ、好きです。愛しています」
穂高の言葉で身体中の熱が上がった気がする。まさか、こんな目を見て告白されるとは思ってもいなかった。むしろ、求められることが嬉しくて仕方ない。
何よりも危機を救ってくれた穂高に好意はあるし、好きだと言ってくれる。勝手に結婚することが叶わないのなら、こうして好意を示してくれる穂高相手の方がいい気がしてきた。
少なくとも、先日までの嫌悪感は全くない。
「もし今回の婚約を破棄した場合、穂高さんにとってマイナスは何でしょうか」
「そうですねぇ……まず、結婚式へ呼んだ方への謝罪回りと、親族への言い訳くらいですかね」
簡単に言うが、結婚式へ呼んだ人たちは千人を越える。半分は六条家としても半分である約五百人は穂高家の招待客だ。
その人たちに謝罪に回るとなれば、かなりの労力になる。そして、同じように私も謝罪に回らなければならないのだろう。
車に到着したのか、ゆっくりと座席に座らせてくれた穂高は、後部座席から水やクッキーなどの食べ物を差し出してくる。
「お腹は空いてないかな?」
「喉が渇いているので頂きます」
言われて喉がカラカラだったことに気づいて、素直に穂高に差し出された水とクッキーを受け取る。キャップを外し少し水を飲んだところで、再び穂高に声を掛けられた。
「一応、念のために病院に行こうと思っているけどいいかな」
「そこまでは、別に……」
「円城寺さんにも言われてるし、僕も心配だからお願いできないかな」
そうやって下手に出られたら文句など言えない。少なくとも心配しているから病院などと言い出したことだってわかる。
「わかりました。お願いします」
私が言えば運転席に回って来た穂高はすぐにエンジンを掛けると、ゆっくりと車は走り出す。木々が生い茂り街灯はほとんどない。ただ、暗闇を滑るように車が走る。
こうして会ってみると穂高は良い人だと思う。何よりも優しいし、顔立ちも整っている。十歳年上というのもネックだったけど、こうして会ってみると落ち着いた雰囲気が凄くいい。
少なくとも同年代では感じない落ち着きに安心する自分がいる。
「破棄、必要ないかもしれません」
「ん?」
「婚約破棄、別に必要ない気がします。結婚してから恋するのも悪くない気がしてきました」
「いいのかい? 一度決めたら簡単にやめられないよ?」
「いいです。その代わり、結婚前に一度、デートしてみたいです」
「あぁ、勿論それくらい構わないよ。僕も結婚式前ということで、時間はそれなりに作れるからお付き合いしますよ、お嬢様」
穏やかに微笑む穂高に私もうっとりと微笑んだ。

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