四限目が終わり大きく伸びをしたところで、丁度一番後ろの席に座る朝霞が席を立ったのが見える。それは、ちょっとした好奇心だった。
修平は学校へ来る前に買った、コンビニの袋を手に椅子を立ち上がる。そして朝霞が消えた扉に向かって歩き出た。
「シュウ、どこに行くの?」
すぐに隣の席にいる女が声を掛けてきたけど、聞こえなかったふりで教室を出た。教室棟から出て行った朝霞はそのまま特別棟に足を踏み入れる。
途端に人気がなくなり、身を隠すようにして後をついて行く。けれども、不意に足を止めた朝霞が振り返り、隠れ場所がない修平はその場で立ち止まる。
「……何してる訳?」
「どこに行くのかと思って……悪い」
「本当に悪いわよ」
それだけ言うとまるで犬でも振り払うかのように朝霞は手を振った。
「言った筈だけど、学校では声掛けるなって」
「声は掛けてないだろ」
「こそこそつけ回すような真似も止めてよ。あんたに学校で関わると女子の目が痛いの。面倒掛けないで」
お互いに睨み合っているところに、朝霞の背後からパタパタと足早に近づいてくる影がある。
「あら、朝霞さん早かったわね。今日は……川越くんと一緒?」
意外そうな顔をするのは化学教師の鶴瀬だ。今年二十八になる鶴瀬は男子生徒の中でも人気が高く、厚めの唇とと大きな胸は注目度が高い。
「一緒じゃありません」
「そう? ちょっと待っててね、今鍵開けるから」
鶴瀬は白衣のポケットから鍵を開けると、朝霞の目の前の扉を開ける。途端に朝霞は化学室へと入ってしまい、扉を開けた鶴瀬はこちらへと視線を向けた。
「入る? どうする?」
その問い掛けに修平は迷うことなく化学室の扉を潜った。規則正しく並んだ黒い実験机は全部で十二台ある。その中でも中央寄りの机で朝霞は弁当を広げようとしていて、入ってきた修平を見るなり長い前髪の隙間から睨みつけてきた。
「何であんたまで入って来る訳?」
「……ちょっとした興味?」
「私はこの間言った筈だけど。近づくなってはっきり」
「いや、まぁ、そうだけどさぁ」
言い方からも、その視線からも本気で近づくなと言っていることは分かる。確かに自分が嫌われる要素も分からなくはないが、ここまで拒絶されるとは思ってもいなかった。
「意外な組み合わせねぇ、朝霞さんと川越くん。仲がいいの?」
「先生、今の会話を聞いてどうやったら仲がいいと思います?」
「でも、朝霞さんがそこまで地のまま会話するのを初めて聞いたんだけど」
「仲良しじゃないですけど、一応仲間なんで」
「仲間ってことはやっぱり仲良しなんじゃない」
「期間限定の仲間だし、いつ抜けるか分からないですから」
「おい……俺は抜けるなんて一言も」
「それだけ川越に信用が無いってこと」
それ以上の会話は求めていないとばかりにきっぱり言い切った朝霞は、机に置いた弁当の包みを開けた。
少し悩んだ末に朝霞の前に陣取ると椅子に腰掛けて手に持っていたコンビニ袋を置いた。途端に目の前に座る朝霞が箸を持った手を止める。
「どういうつもり?」
「どうしてここで弁当食べるのかと思って」
「あんたには関係ないから」
「分かった、それなら説明されたら明日からは近づかない。それでどうだ」
しばらく黙っていた朝霞だったが、机の上に置いてある鞄からノートを取り出すとこちらへと滑らせてきた。それを受け取りページを捲れば、ただのノートではなくスケッチブックだと分かる。
そしてそこに描かれていたのは、実験器具やら窓から見える風景。それは鉛筆だけで描かれたものだったけど、俗にいうスケッチというもので先日見せられたイラストとは全く雰囲気が違う。
「これ描きにきてるってことか?」
「そう。だから川越の相手してる暇は爪の先ほどもないから」
正直、どうしてここまで朝霞にとげとげしくされるのかよく分からない。確かに朝霞の中にある俺の印象が余り良くないことは分かってる。でも、ここまで毛嫌いされるのは単純な話しでは無い気がする。
「先生は準備室で五限目の準備してるから」
話しを聞いていたにも限らず、鶴瀬は余計なことを言わずに準備室へと消えてしまう。そして部屋に二人だけになると、さらに朝霞には遠慮が無くなった。
「いい、あんたに関わると私が女子に目をつけられるの、分かる? 私はあんたの女関係に数えられるのはごめんだって言ってるの。折角地味にやってるんだから、本気で構わないで」
「でも、朝霞だってクラスの女子と話しくらい」
「言ってるでしょ、そんな時間がないの。悪いけどこうして話している間にも私は一枚でもスケッチをしたいの。だから邪魔するなって言ってるの」
人として全く違うのだということだけは、この会話だけでも分かる。恐らく朝霞にとって余計なお節介だったに違いない。
「……分かったよ、余計なお世話して悪かったな!」
「逆ギレはみっともないけど」
「あー、そうかよ。勝手にしろ」
「だから勝手にするって言ってるでしょ」
確かに余計な世話だったに違いないけど、物には言い方もある。折角、人が気遣ってやったっていうのに、このいいざまはないだろうと思う。
袋から出したばかりのパンを再び片付けると立ち上がった。
「邪魔したな」
「自覚があるなら学校では近づかないでよ」
最後の最後までそんな言葉で、面白く無い気分で化学室を出ると勢いよく扉を閉めた。本気で腹立たしく思いながら廊下を歩く。
珍しく他人に気を利かせたのがいけなかったのかもしれない。あんな地味女、放っておけばいい。秋生の紹介じゃなければ近づくこともなかった女なんだから、気にする必要すらない。
ただ、本気で女にムカついたのは初めてのことかもしれない。そういう意味では自分が女に本気でムカつけるんだということに驚いた。感謝なんてしてやらないがな。
コンビニ袋をぶら下げながら教室に戻ると、群がる女子と一緒に昼飯を食べることになった。
* * *
結局、同じクラスにも関わらず、朝霞とは話しをしないまま週末になった。今日は昼過ぎから例のファミレスで打ち合わせがある。
気が重いままファミレスに向かえば、約束の時間十分前だというのに二人は既に来ていた。
二人は話しに夢中なのか、こちらに気づくこともない。まるで自分一人がのけ者にされた感覚で面白い気分じゃない。何よりも面白くないのは、何故秋生が朝霞とつきあえるのか理解できない。
「シュウ、どうかしたの?」
こちらに気づいた秋生が声を掛けてきて、薄暗い感情に蓋をすると秋生の隣に腰掛けた。
「どうもしない。何の話ししてんだ」
「これ見てよ」
そう言って秋生がこちらに向けてきたのはノートパソコンの画面だ。タッチパネルを操作して秋生が再生ボタンを押せば、ゆっくりとアニメーションが始まる。
幻想的な風景から始まったアニメーションは、徐々にテンポよく画面が切り替わり剣を持った少年と少女が向き合いお互いに剣を構える。そして出てきたタイトルは(仮)となっていて、思わずその部分で噴き出してしまう。
「確かにアニメーションは凄いけど、何だよ、この仮って」
「まだタイトル決めてないでしょ。だから仕方ないのよ」
答えたのは朝霞で、思わずパソコンで流れるアニメと朝霞を見比べてしまう。
「もしかして、これ朝霞が作ったのか?」
「とりあえずアキと話して主人公のキャラクターと世界観ができたら、分かりやすくするために作ってみたの」
「絵を描くだけかと思ってたから意外だ」
「これくらいならできる。でも、ゲームのオープニングにするにはこのアニメじゃ全然弱いし、キャッチャーじゃない気がする」
「キャッチャーってそこまで考えるものか?」
「考えるに決まってるでしょ。そもそも、ただゲームを作りたい訳じゃないの。コンテストで勝てるためのゲームを作るんだから」
確かに最初からそう言われていたけど、一番を目指したことがない修平にはその感覚が難しい。
でも、もう一度再生して画面を見ていると朝霞が言っていることも分かる。最初見た時は動いていることが凄いと思ったけど、確かに市販のゲームに比べたら華やかさが足りない。
「絵は悪くないと思うんだけど……何が足りないんだろうね」
「さすがに動画系は私も専門分野じゃないから分からない。でも、色々見比べてもう少し改善できるか考えてみる。そうだ、アキのシナリオはどんな感じ?」
「あぁ、コピー持ってきたから今度までに目を通してくれると嬉しいかな」
そう言って秋生が鞄から取り出したのは大きなダブルクリップで留められた紙束だった。ゆうに百枚はあるだろうその紙を受け取ると、秋生は朝霞にも同じ物を渡す。
「一応、大まかな設定はこんな感じ」
今度は普通のクリップに挟まれた紙を渡され、それは三枚でまとめられていた。目を通せば主人公二人の性格や持ち物誕生日などが記されている。そして二枚目と三枚目はシナリオの大まかなあらすじらしく、あらすじだけなら充分にロープレとして心惹かれるものになっていた。
逆に三枚目の女主人公はアドベンチャーとして謎解きが要素が多く、ラストに向けては選択によって四つのエンドが用意されていた。その中の一つに辿り着かなければ男主人公との繋がりは分からないままだ。
「これ、さすがに難易度高くないか?」
「一応、普通にいけばエンドで男主人公の方と話しが繋がるようにはなってるよ。だからそこまで難易度を上げるつもりはないよ。ただ、二つのシナリオとなると、どうしても出てくるキャラが多くなって、そこが難題かな」
「今のところどれくらいの予定?」
「名前がついたキャラは各シナリオで八名くらいに抑える予定。さすがにこれ以上増えるとケイの負担が大きいし」
秋生は鞄からもう一枚の紙を取り出すと、それをテーブルに置いた。どうやらそれは秋生がシナリオを作る際に書いたキャラ表らしく、確かに今のところ名前がついたキャラはどちらのシナリオでも八人になっている。
「最後にリンクする訳だからどちらにも出てくるキャラがいてもいいんじゃないの? 例えばこのキャラとこのキャラは同じ人物にするとか。そしたらこっちもかなり楽になるし」
「あぁ、それもありだね。ちょっと検討してみる。それだとキャラを四、五人減らせるし」
「できたらお願い。私の方は今回見せるのはこれかな」
そう言って修平の前にあったパソコンを引き寄せると、タッチパネルを操作して何か画面を出すとこちらに向けた。そこに表示されていたのはゲーム画面で、どうやらロープレの方のバトルシーンが表示されていた。右矢印を押せば、次に出てきたのはチビキャラが移動する画面で、その他にも幾つか画面が用意されていた。
「一応、こういう形にしようと思ってる。勿論、川越が使うツールの種類によって多少変更しないといけないだろうけど」
「シュウはどう?」
「……悪い、まだツールの方はちょっと」
「あれから一週間経ってるのにまだツール決めてないの?」
少しきつい口調で声を掛けてきたのは朝霞だ。
でも、正直言うと二人がここまで話しを進めていると思わなかったから、というのは言い訳にもならないに違いない。
「だから悪かったって言ってるだろ」
「悪かったって、ゲーム作るのに時間掛かることは分かってるでしょ?」
「分かってるよ。ただ、そこまで話しが進んでるとは思って無くて……」
「まぁ、遣る気がないことは分かってるんだけどね」
ため息混じりで言われてさすがにカチンときた。
「遣る気がないなんて言ってないだろ」
「川越の態度そのものが遣る気無いって言ってるようなもんでしょ? そもそも、川越から仕様とかそういうの聞いてきたことないじゃない。それって遣る気がないってことじゃないの? アキとは何回か連絡取ったりしてるのに、川越は連絡取るだけの何かをしてないってことでしょ」
それを言われると修平としては何も言えない。確かにこの一週間で修平がしたことはツールを適当に見て回っただけで、最終的にどうするとかそういうことは全く考えていない。聞かないといけないと思っていたCDもまだ一度も聞いていない。
「悪かった……」
「別に謝るだけなら何とでも言えるからそういう言葉はいらない。遣る気がないなら今すぐ降りて。そしたら他の人間を入れるから」
「おい、待てよ」
「最初から言ってるけど、私もアキも本気なの。アキが決めたならと思ってたけど、半端なことされるなら困る」
「まぁ、それに関しては僕も同意かな。遣る気って誰かにして貰うものじゃないよ。自分で見つけないと」
さすがに秋生の言葉に驚いて隣を見れば、いつもの穏やかな顔とは違い真剣なものだった。
「ちょっと待ってくれ。遣る気がない訳じゃない。今度からきちんと考えてくる。多分、本気を甘く見てたんだと思う。悪かった」
「いつでも謝れば済む訳じゃないから。特に今回、私は一千万近い売上フイにしてこれに参加してるんだから、結果出せない人間と組むつもりないの。悪いけど、私これで帰る。川越もそこまで言うなら次の打ち合わせまでに、その遣る気とやらをきちんと見せてよね」
ノートパソコンを閉じると、それを鞄にしまい本当に朝霞は帰ってしまう。どこか気まずい空気の中で隣に座る秋生がため息をついた。
「まぁ、今回に限ればケイが正論だよ。僕もいつシュウからケイの連絡先を聞かれるのか待っていたし」
「言えばいいだろ、それくらい」
「それは僕が言うべきことじゃないでしょ。結局、遣る気の問題だと思うよ。実際ケイは翌日にはシュウの連絡先を聞いてきた。それでもシュウに連絡しなかったところを見ると、ケイも僕と同じことを考えていたのかもしれないね」
「何を」
「シュウが現時点で本気かどうか」
秋生はそれだけ言ってテーブルに置いてあるコーヒーに口をつけた。すっかり冷めてしまっていたのか、少しだけ眉根を寄せると、すぐにカップを置いた。
「確かに何もしなかったのは俺が悪い。それは今度までにきちんと取り返す。でも、あいつも色々問題ありだろ。何だよ帰るって」
「まぁ、確かにケイはケイで言い過ぎだとは思うけど、嘘は言ってないよ」
「一千万近い売上っていうのもか?」
「うん、多分嘘じゃないと思うよ」
「冗談だろ? 一千万ってどんだけヤバいバイトだよ」
「別にケイはバイトなんてしてないよ。でも、今回のゲームを作るのは随分迷ってたよ。名前は売れるけど、売上をフイにしてまでやることなのかって。結局僕が無理矢理巻き込んだようなものだから、僕も余り半端なことはできない」
ただ勢いで大口叩いてるだけだと思っていたけど、こうもあっさり認められると信じがたいものがある。第一、高校生がどうやったら一千万なんて大金を稼げるのか分からない。
「ケイのことが気になる?」
「気になるっていうか、どう信じればいいのか混乱中」
「まぁ、そうだよね……見に行ってみる?」
何を見に行くのかさっぱり分からずに困惑したまま秋生を見れば、秋生はいつものよに穏やかな笑みを浮かべた。
「ケイがどれだけ凄いのか」
「凄いのか? あいつが? 絵が描けるだけのオタクだろ」
それに対して秋生からの返事はない。ただ、その目がどうするのか問い掛けてくる。
確かに朝霞があれだけ大口を叩けるのであれば、本当にそうなのか確認してみたい。それは少し意地の悪い気持ちでもあった。
「見たい」
「それじゃあ日曜日、駅前で十時に待ち合わせで」
「駅前? 遠出するのか?」
「別に遠出はしないよ。うん、でもシュウは知っておくべきなのかもしれないね。ケイの凄いところ」
その言い方からすると、秋生は既にケイの凄いところを知っているということらしい。
「勿体ぶらないで教えろって」
「僕が説明するよりも、直接見た方がいいと思うんだ。ケイは確かにきついけど、言うだけのことはしてると思うよ。今日のアニメーション、ああいうの作るの結構大変だったと思うよ。それはシュウだって分かっているだろ。今回見せてくれた画面以外にも、僕のところにラフイラストは何十枚もきているんだ」
そこまで何枚もイラストを遣り取りするほど秋生が連絡を取り合っているとは思ってもいなかった。最初から二人が本気だとは思っていたけど、自分は分かったつもりで全然分かっていなかったのかもしれない。
「世界観のズレがないように、キャラのズレがないように。多分、今回のことに一番失敗できないと思っているのはケイだと思うよ」
「失敗できない?」
「まぁ、日曜日に見れば分かると思う」
「それまでは言うつもりはないって?」
「うん、実際に口で教えるよりも見て貰った方が分かりやすいから。正直言って、僕としてはケイとライトさんが参加してくれたことは、本当に光栄なことだと思ってるよ」
実際に何が凄いのか分からないからなのか、秋生が何故そこまで二人を持ち上げるのかよく分からない。ただ今日帰ったら、渡されたCDを聞かなければならない気がした。