匣から溢れ出る殺意 プロローグ

始まりは三年前、私が小学三年生の時だった。あの日は夏休み前で、今でもはっきりと覚えている。

両親から絶対に開けてはいけないと言われている扉が一つだけある。約束を破ればご飯を食べさせて貰えなくなることは分かっていた。けれども、どうしても、その扉の向こうに何があるのか知りたかった。
両親はいつも和室の小箱に鍵をしまう。だからその中から唯一家の中で鍵の掛かっている扉の鍵を探す。見つけたのは一本の銀色に鈍く光る鍵で、それを手に扉の前に立った。
両親が戻るのは夕方になってから。今は家に私しかいない。鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくりと回す。カチリという音と共に扉を開けば、その部屋は他に比べて酷く薄暗かった。何よりも気になったのは匂い。そして、幾つもの檻に入れられた光る目に、怖くなって動けなくなる。
よく見れば、檻にいるのは犬や猫ばかりで、大型犬は一匹もいない。ただ、犬も猫もこれだけ沢山いるのに、どれも毛はボサボサで痩せ衰えているように見えた。それは、夕飯を三日食べていない私と同じように見えて、可哀相になってくる。
私はまだ好きな時に好きなだけ歩ける。けれども、小さな檻に入れられた犬や猫はくるくると檻の中で回ることしかできない。
部屋の中に足を踏み入れようとしたけど、ビニールシートの敷かれた床は、糞や尿が沢山あり裸足で入ることはできない。
そうして悩んでいる間に玄関の鍵が開く音がして、その扉の鍵も閉めずに自分の部屋へと走って逃げた。見つかったらママに怒られる。だから怖くて、ベッドの布団に潜り込む身を固くして丸くなる。
しばらく後に部屋の扉が開く音がした。そして、勢いよく布団が剥ぎ取られる。恐る恐る顔を上げると、そこには怖い顔をしたママが立っていた。
「あの部屋は開けないで、って言ったわよね」
「開けてないよ!」
とっさに出てきたのは嘘だった。だって、本当のことが分かったら、ママは怒る。怒ると本に出てくる鬼よりもずっと怖い。だから嘘をついた。けれども、ママの目がカッと見開いた。その顔が怖くて身体が震える。
「嘘をつくなって言ってるでしょ!」
「ついてない!」
「それならこれから調べるわ。いい、これであんたが嘘をついているのが分かったら、あんたを捨てるわよ」
ママが捨てるって言ったら、本当に捨てられる。前に悪いことをした時、ママは車に私を乗せると、ずっと離れた橋のところで車を下ろして走り去った。
あんたは悪い子だから警察に見つかったら、牢屋に入れられるんだと言われて、泣きながら、それでもお巡りさんから逃げるようにして、次の日に家に帰った。もの凄く怖かった。
ママに捨てられた、って言ったら家に入れないって言われたから、大人に話し掛けられてもすぐ逃げた。家に帰らないとご飯も食べられない。だから怖くて、走って、どうにか家に帰った時、泣きながらママに謝った。
ママは何も言わなかったけど、きちんとご飯を作ってくれた。だから、今回はもう大丈夫なんだとホッとした。
また、あの時みたいなのは怖くてイヤだった。だから、慌ててママの腕を掴んで謝った。
「ごめんさい! 嘘ついた。マリア、嘘ついたの! ごめんなさい! だから捨てないで!」
ママは叩いたり、蹴ったりはしない。ただ、私の夕ご飯がなくなる。食べないとお腹も空くし、ママが怒ってるのは怖かった。
「……それなら、マリアには明日からお仕事をして貰う。きちんと毎日できたら捨てないであげる」
「お仕事、きちんとするよ! だから捨てないで!」
「でも、悪いことをした子は罰があるの。今日から三日間、夕飯は無し。いいわね」
ママの言葉に私は必死に頷いた。とにかく、捨てられるのが怖いから、ママの言うことを聞くしかない。ここで文句を言えば、捨てられて、もっとずっとご飯が食べられなくなる。
「お仕事、きちんとする!」
「そう、マリアは良い子ね」
そう言って笑ったママの顔はやっぱり怖かった。そして、その四日前の夕ご飯。それが私の記憶にある、ママが作ってくれた最後のご飯だった————。

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