JOAT Chapter.IV:どうしても欲しいもの Act.02

ゆっくりと意識が浮上してきて、話し声が耳につく。そして独特の薬品の匂いに僅かに顔をしかめる。
「目が覚めたみたいだぞ」
聞き覚えのあるその声にゆっくりと目を開ければ、そこには二つの顔がある。
「……円城寺さん」
「うん、俺もいるんだけどね」
少し呆れたような声は聞こえていたけど、聞こえなかったことにした。
「ここ……」
「病院です。あなたは遺体を見て倒れたのを覚えていますか?」
静かな円城寺の言葉でゆっくりと思い出す。目の前で人が刺されて倒れてきたところを円城寺に庇われた。
見たこともないくらい毒々しい色をした血の色と匂いに気持ち悪くなって意識を失った。
今だに気分は悪いけど、円城寺に抱き締めて貰ったのは美味しかった。別に怪我をしている訳でもない。
「覚えています」
ゆっくりと身体を起こそうとすれば、何故かダサ眼鏡が背中に手を回して起こしてくれる。
お前じゃないと言いたいところだけど、今は起き上がるのが先決だ。寝ていたせいで絶対に髪型が崩れてる。そっちの方がずっと問題だ。
「あの……有難うございます」
「目の前にいる人を庇うのは当たり前のことですよ」
円城寺はそう言うが、恐らく庇ってくれたのは依頼者だから。だったら、依頼をずっと続けていけばいい。
そうすれば、いつか円城寺だって私を好きになってくれるかもしれない。上手くいけば恋人に……。
思考を遮るようにノックの音が響き、円城寺が代わりに返事をする。すると入ってきたのは二人の男だ。
「こんにちは」
男を見た途端、円城寺とダサ眼鏡が椅子からゆっくりと立ち上がり一礼した。それに対して入ってきた男二人も軽く頭を下げた。
「……またあなたたちですか」
少し呆れたような声にあははと軽く笑うのはダサ眼鏡だ。一方、隣に立つ円城寺は不機嫌そうな顔をしている。
「俺達だって好きで巻き込まれてる訳じゃないんですよ。今回だって平和にチケット取りの依頼を受けただけですし」
そう言ってダサ眼鏡はポケットからチケットを取り出した。
「あ! それっ!」
「えぇ、渡す前に倒れちゃったから。はい」
差し出されたそれを受け取れば、横長の封筒にはチケットが四枚入っている。
「あの一緒にいた友達は」
「あぁ、彼女でしたら別室で事情を伺わせて頂いています」
言葉を遮るように声を掛けてきた男は、名刺を取り出すと私に差し出してきた。その肩書きを見て刑事だとわかる。もう一人も名刺を出してきたが、そちらも刑事だった。
その名刺を見た途端、何でも屋というのは警察とも親しくなるのかと驚いた。そして、円城寺のことが少しだけ心配になる。
——でも、私が倒れても余裕で支えてたくらいだから大丈夫なのかな。密着した時、筋肉とか凄かったし。顔が良くて頼りがいのある男というのは本当に美味しい。
「えぇ、もう大丈夫です」
近くには円城寺もいるし、何かおかしなことがあれば言ってくれるに違いない。そういう安心感もあり笑みを浮かべる。
若い刑事である松葉が一枚の写真を渡してきた。そこに写っていたのは見たこともない男だ。
「この人を知りませんか?」
「いえ、見たことないですけど」
「全く知りませんか?」
「知りません。誰ですか?」
かなり太った男の顔は、正直言って見るのも嫌だった。むしろ写真ですら指先で摘みたいくらいの嫌悪感だ。
「……先ほどあなたの近くで亡くなった男性です」
「そうなんですか。すみません、あの時余り顔を見てなくて」
言われてみれば、俯せに倒れた男もかなり体系的にふくよかさんだった。でも、あの時は円城寺に抱き締められたことの方が大事だった。
むしろ、あんなことがなければこんなに早く触れられるなんて思ってもいなかった。
「この男性、あなたのストーカーだったそうです」
一瞬、警察に言われた意味が理解できなかった。じんわりと意味を理解した途端、思わず写真を手放していた。
「ストーカーって私?」
「えぇ、あなたです。最近、物がなくなったりしていませんでしたか?」
「あ……」
指摘されて最近なくした物が多いことに気づいた。むしろ、なくなったことを浩美にぐちったことだってある。
鞄に入れた筈のハンカチ、リップクリーム、定期も一度なくしているし、小銭入れもなくなった。
てっきり落としたとばかり思っていたけど……。
「いつから……」
「そこまではまだ調べが進んでいないので……。ただ、彼の荷物からあなたの隠し撮りと思われる写真と定期が出てきました。その他にも女性物の下着やストッキングも……」
「最悪……」
それはもしかしなくても私がなくしたと思ってた物だろう。
一週間ほど前、ストッキングを干した気がしたのに、取り入れる時にはなかった。その時はてっきり勘違いだと思っていたけど、どうも違ったみたいだ。
「……本当に知りませんか?」
私の上掛けに落ちた写真を拾った松葉に問い掛けられたが、勢いよく首を横に振った。さきとは違う意味で気持ち悪い。
やけに念を押されることにうんざりしていれば、そこでようやく自分が疑われていることに気づく。
「ち、違います! 本当にストーカーされていたことも気づかなくて! 私じゃないです!」
「先ほども話しましたけど、違いますよ。彼女にはあの状況下では無理でしたから」
冷静な円城寺の声に俯いていた顔を上げれば、円城寺は西垣へ顔を向けていた。
でも、やっぱり助けてくれた。それが嬉しい。
「まぁ、確かに無理だな。彼女は俺たちに向いてたし、男はさらにその後ろから倒れてきた。その時には既に包丁が刺さってた訳だし」
「あなたたちには聞いてません」
先ほどとは違い尖った声を出したのは松葉だ。何となくピリピリした様子のこの刑事は好きじゃない。勿論、おじさん刑事である西垣も威圧感があって好きじゃない。
「別にいいじゃないですか。実際あの場にいたんですし。それに本当に気づいてませんでしたよ、ストーカーされてたこと。ずっと後ろをついてきてたのに」
「えっ!? 知ってたの?」
思わず食って掛かる勢いでダサ眼鏡に声を上げれば、ケロッとした顔で頷いた。
「こういう仕事だから人の動きにはそれなりに目をやってるからね」
「だったら早く教えて下さい!」
「いや、あの時点ではストーカーなんてわからなかったから。それに友達だった困るし」
「あんな友達いません! ありえない」
近くにいるだけでイラッとするのに、しゃべらせるとさらに腹立たしさが倍増する。そもそも、下っ端風情がべらべら話すなと思う。
「……最悪」
低く小さく呟いたつもりだったけど、しっかりとダサ眼鏡には聞こえていたらしく困ったように笑う。
ヘラヘラしたその顔を殴りつけてやりたい気分だったけど、そんなバイオレンスな姿を円城寺の目で晒す訳にもいかない。
「とにかく私じゃありません!」
苛立ちを現すように怒鳴りつければ、おじさん刑事は緩く頭を下げた。
「別に手嶋さんを疑ってる訳ではないんですよ。こうして彼らも証言していますし」
「でも、疑って話してたじゃないですか」
「確認させて貰っただけです。明日、男の持っていた荷物を手嶋さんに確認して貰うことは可能ですか?」
嫌だと言いたい。断りたい。でも、これはチャンスかもしれない。
「……あの、一緒にお願いできませんか?」
そう言って見上げたさきにいるのは円城寺だ。だが円城寺は私を見つめて反応がない。
どれだけの時間見つめ合っていただろう。ただ無言の円城寺を促したのはダサ眼鏡だ。
「コウ」
ダサ眼鏡が円城寺を名前で呼べるような立場だということに驚いた。そして、ダサ眼鏡の呼びかけに円城寺が深いため息で反応したことにも驚いた。
「わかりました。何時に伺えば宜しいですか?」
円城寺の言葉で一瞬にしてテンションが上がってくるのがわかる。おじさん刑事に確認する円城寺におじさん刑事は午後でしたら何時でもという答えだった。
「手嶋様は何時が宜しいですか?」
「えっと……それでしたら二時半に」
そんな半端な時間にしたのは、上手くいけばお茶と称して円城寺とカフェに入るくらいはできると踏んだからだ。
「わかりました。自宅へ伺わせて頂きます」
それだけ言うと円城寺は、どこの警察署へ行けばいいのか、到着時刻の確認などをおじさん刑事と話しだしてしまう。
「コウ」
不意に話しを遮るようにダサ眼鏡が円城寺に声を掛けた。
「悪い、俺、次の仕事がある」
そう言ってダサ眼鏡は壁の時計を指さす。つられるように見上げた時計は既に午後二時を回っていた。
「やだっ! 私もバイト!」
「手嶋さんのバイト先には申し訳ないけどお友達に連絡入れて貰うように伝えておいた。今回は緊急事態だし、警察からも一筆貰える筈だから」
確かにそれは有り難いことだと思う。そう思うけど、ダサ眼鏡にドヤ顔で言われると腹立たしい。
「えぇ、勿論用意させて貰います」
にこやかにおじさん刑事にまで言われて、私は笑ってお礼を言うしかない。
「コウ、悪いけど後宜しくな。それじゃあ失礼します」
ダサ眼鏡は私に一礼、それから刑事二人に一礼すると病室を出て行った。それから刑事二人も円城寺と二言、三言話すと部屋を出て行ってしまう。
これで二人きりかと思えば、刑事たちと入れ替わるように医者が入ってきて、色々と質問される。
不快さはあるけど、別に体調に響くほどでもない。医者の診察で帰宅が認められ、ようやく私はベッドを降りた。
棚の上に置いてある上着を着て、腕時計やバングルをはめていく。その間、円城寺は話すことはしなかったが帰ってしまうこともない。
鞄を持ち用意ができると医者に礼を言って部屋を出る。巻き込まれてお金を払うのは納得いかないが、渋々会計を済ませると円城寺が声を掛けてきた。
「家まで送ります」
「有難うございます」
二人っきりなんてこんな美味しいことはない。普通だったら断るところだろうけど、断るなんて勿体ない。だから笑顔で頼めば円城寺はスタスタと歩き出してしまう。
いや、そもそも既に仕事は終わっているのだから送ってくれるのは好意だ。それは悪くない反応に思えた。
円城寺と共に駐車場に到着すると、円城寺は一台のスポーツタイプの車の前で立ち止まった。キーの外れる音がして円城寺が助手席の扉を開ける。
「どうぞ」
「ありがとう」
お礼を言って車に乗り込むと、それはまだ新車の匂いがしていた。囲い込むような椅子は乗り慣れないけど、見た目よりも息苦しさは感じない。
そしてあちらこちらが革張りになっていて、車に詳しくないけど凄く高い車なんだろうことは伺えた。
「先日書類に記載して頂いた住所で宜しいですか?」
円城寺の言葉と共に車のエンジンが掛かる。エンジン音が普通の車とは違い、テレビで見たモータースポーツのエンジンみたいな音がする。
「お願いします」
「シートベルトを締めて下さい」
円城寺に言われて慌ててシートベルトをつけると、それを横目で確認した円城寺は車を走らせた。
車内で二人きり。時折円城寺に話しを振るが運転に集中していうるのか反応はいまいちだった。
これだけの車に乗っているのだから、車が好きだろうし、運転に集中したいのかもしれない。
車の運転には慣れているのか衝撃は余りない。包み込まれるような椅子の感覚も良いし、時折鼻先を掠める円城寺の香水の香りも好みだ。
余り話すことなく家の前に到着すると、円城寺はようやくこちらに顔を向けた。
「明日は二時半に迎えにきます」
「お願いします。あの、もし宜しかったらうちでお茶でも」
「いえ、これから仕事があるので」
「そうなんですか……」
もの凄く残念そうな声が出てしまい少し自分でも驚いた。
だが円城寺は次の仕事があるのか、こちらの落胆に気づいた様子もない。まぁ、仕事が詰まっているのであれば余裕がないのも仕方ないだろう。
シートベルトを外して車を降りる。扉を閉める前に円城寺と視線が合った。
「それでは失礼致します」
「はい、有難うございました」
お礼を言って扉を閉めれば、円城寺が乗った車は走り去ってしまう。私は視界から消えるまで、円城寺を乗せた白い車を見送った。

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