ゲームを作り終えて半年、修平が受験のために必死で勉強している中、久しぶりと思える相手からメールが飛び込んできた。
『日曜日、光と一緒に家に行っていい?』
短くシンプルな用件を伝えるメールは相変わらずらしく、すぐに携帯を操作して了承の返事を送った。
一ヶ月に一度、ケイからは何気ないメールが飛んでくる。原稿にダメだしされたとか、同人活動を再開したとか、たわいもない近況だった。けれども、既に将来の決まっているケイのメールは少しだけ修平を焦らせる。
だからといって、ケイからのメールを断るような真似はしない。焦るのは自分の問題であって、ケイには関係ない。焦りすら、今の修平には必要なスパイスのように思えた。
経済学部に進路を変更すれば、親は好きにしなさいと言って余り興味がなさそうだった。それでも、リビングには大学受験を専門とした塾のパンフレットがテーブルに置かれていたり、両親なりの心遣いも見て取れた。
秋生は元々家庭教師がついていることもあって、塾には行っていない。ただ、教室で話す限り、余裕ありげな感じがした。親とは接触が余りなく、親が考えていることは分からないらしい。それでも、大学に進学したら家を出る決心はついている様子だった。
修平は机の引き出しから、先月塾であった模試結果を睨みつける。希望大学は四校。けれども、第一希望がどうしてもB判定から上がらず、塾や学校の教師がやきもきしている。勿論、修平としても落ち着くことはできない。
だからこそ、再び模試結果を机の中に片付けると、勉強するべく参考書に視線を落とす。
それは、センター試験の一ヶ月半前、そしてゲームコンテストの結果が出る一週間前のことだった。
日曜日になれば、事前に話をしてあった秋生が午前中の内に顔を出した。久しぶりに家へ来る三人のために、母親は夕食かと思えるほど大量の昼食を作っているのには修平としても苦笑するしかない。昼前には光とケイもやってきて、昼食を取ってから修平の部屋へと移動した。
「ふーん、受験生してるじゃん」
ケイの言葉は、机の上に積み重ねられた参考書を見たからだろうことはすぐに読み取れた。
「俺は受験生だっての」
軽口を叩けば、ケイは笑いながらも定位置に腰を下ろす。
ゲームを作り終えてから、修平がケイと学校で接触することはない。ニアミスで接触しても、基本的には友人という空気を醸し出すことはお互いにしない。それなのに、こうして顔を合わせれば、ゲームを作っていた時と何も変わらない。
「うちのクラスの女子が騒いでたよ。二年半ばからシュウが遊んでくれなくなったって。もっぱら、学校では面倒くさくて外で遊んでいるんじゃないか、ってことで落ちついていたけど」
「お前なぁ、分かってるんだから否定しろ」
「何で私があんたの尻ぬぐいしないといけないのよ。遊び人レッテルは自業自得」
ピシャリと言われてしまえば、修平としては言い募ることもできない。すっかり言い負かされた形になった修平を秋生と光が笑う。
「そういえば、光くんは随分身長が伸びたね」
「えぇ、この半年で五センチ伸びました」
「羨ましいなぁ、成長期。来年、再来年には身長を抜かされそうだ」
「どうでしょう。友達とか成長期だと喜んでいたら、ピタッと止まって嘆いているのもいますよ」
「確かにいきなり止まると困るよねぇ。こっちは期待してるのに」
そう言って笑う秋生に、光も穏やかに笑う。修平から見ても光の身長は伸びているし、顔つきなども幼さは随分と消えている。光にとって学校という場所は、それなりに成長を促しているのだと分かる。
「さてと、今日三時発表だっけ?」
「そ、あと一時間」
「普通、こういうのって事前に連絡あったりしないのかな。コンテストでしょ?」
「どうだろうねぇ、僕も初めてだからよく分からないんだ。小説の賞とかは事前に連絡もあたりするんだけどね」
「漫画もそう。うー、こうしてジリジリした気分で待つのがかなり嫌な感じ」
「本当だよ。こういうのは受験だけで勘弁しろって感じだな」
途端にケイが意外そうな顔でこちらを見ているから、つい「何だよ」と条件反射的に問いかけた。
「シュウはこういう時、ワクワクして待つタイプかと思った」
「自分一人で作ったものならそうだっただろうな」
「まぁ、そっか。自分一人だったらワクワクドキドキってなもんだもんね。今はちょっと心臓が痛い感じ」
「凄く分かる気がする。どういう面が評価されるのか気になる。音楽がダメだしされたらと思うと……心臓よりも胃が痛い」
「光くんは平気でしょ。僕なんか今となっては修正したくてたまらないけど」
「それ言ったらみんな同じでしょ。あれからもう半年経ってるんだから」
あれから半年。修平にとっては長いようで短かった気がする。ゲームを作り終えた後はひたすら受験に挑むために勉強してきた。時には秋生も巻き込み試験対策もしてきた。
目標を定めたからなのか、ゲームを作り始めてから一年半、もの凄く早く時が経った気がする。少なくとも一年から二年夏までの長さとは比べものにならない。それだけゲームを作り始めてからの時間が充実していた、ということなのかもしれない。
「結果がどうなってもいいと思ってたけどさ、やっぱりここまできたらトップスリーには入りたいよな」
「あれだけ頑張ったんだから、せめてトップになって欲しいけど、今になって色々荒が見つかるってことは、完全では無かったんだろうね」
「それは仕方ないと思うよ。まだ僕たち自身が不完全なんだから」
確かに秋生の言う通りかもしれない。まだ将来の目標を決めたひよっこで、修平たちは誰もが社会の荒波に揉まれてもいない。学生であり、保護者という庇護があるから自由にできる存在でしかない。
そういう意味では、秋生の言う通り修平たちは誰もが不完全だ。
「去年のコンテストにも出たかったです。たらればを言っても仕方ないのは分かっているんですけど、もっと良い物が作れた気がして」
「確かにたらればを言っても仕方ないわね。それに一昨年アキに誘われたとしたら、私は間違いなく断ってた」
「え? 何で? 姉さんも坂戸さんの小説好きだよね?」
「実力と自信が無いからに決まってるでしょ。一昨年なんて、まだ同人の売り上げそこまでなかったし、自分の実力なんて分かりきってた。そんな状況で話しされても受ける訳ないでしょ。去年話を貰った時にも悩んだくらいだったのに」
「姉さんでも悩むことあるんだ……」
「あんた、どんだけ私を馬鹿姉だと思ってるのよ。考えるわよ。考えた上で何ができるか考えるもんでしょ。そもそも、一昨年なんてアキと知り合ってないんだから、そんな話がくるっていう前提が成り立たないけど」
ケイの言葉は修平の耳には酷く痛い。修平自身は秋生に誘われて、もの凄く軽い気持ちで引き受けた。けれども、ケイは違う。自分の実力なども分かった上で、責任持って参加表明した。
考え方の食い違いもあったのだから、最初の時点で口論になるのも当たり前だ。けれども、そうしていがみ合ったにも関わらず、今は気兼ねなく話すことができるのだから不思議なものだと思う。
「ケイがそういう覚悟をしていたのに、僕がフラフラしてて悪かったなって正直思ってるよ」
「覚悟なんて立派なもんじゃないけどね。でも、アキはアキで色々考えがあったんでしょ。それでいいじゃん。少なくともその時なりの覚悟があったんだろうし。それに、アキには色々と感謝はしてるよ。こうしてここで話していられるのもアキがいたからこそだし」
「そう言って貰えると少しは救われるけどね」
「少しじゃなくて、沢山救われて下さい。少なくとも僕は参加させて貰って本当に良かったと思ってるんです」
珍しく力説する光に視線を向けた秋生は、柔らかな笑顔を浮かべた。それは光の言葉を心底喜んでいることが伺える笑顔でもあった。
「ありがとう」
「こちらこそ有難うございます」
それからはゲームのあそこを修正したい、ここを修正したいという話題で盛り上がる。けれども、刻一刻と発表の時間が近づいてくると、それぞれの口数が徐々に減っていく。
修平自身も同じように口数が減り、らしくもなく緊張していることが分かる。
「ヤバい、緊張してきた」
「シュウでも緊張するんだ」
「当たり前だろ。そういうケイは緊張してないのかよ」
「してるに決まってるでしょ。ある意味、どこまで自分の絵が受け入れられるか、それによって今後の仕事幅だって考えないといけないんだし」
「ゲームの仕事したいのか?」
「仕事なら何でもしたいに決まってるでしょ」
そう言われて、改めてケイの貪欲さに感心した。プロになるのなら、確かにそれくらいの貪欲さは必要なのかもしれない。そういう意味で対照的なのは秋生で、ケイの言葉に何か言うこともない。
秋生の小説家になりたいという気持ちは分かるけど、ケイに比べたらやっぱりまだまだ貪欲さが足りない気がする。
余り不自由ない生活をしてきた秋生はおっとりしていて、貪欲になれと言われてもピンとこないのかもしれない。それが少しだけ不安に思える。
「よし、更新するぞ」
「まだ一分前だけど」
「もしかしたら、フライングがあるかもしれないだろ」
「まぁ、更新するのはタダだし?」
「そういうこと」
修平の手がマウスを操作して、ひたすら更新ボタンを押す。三十秒前になると途端にネットが重くなり、似たようなことをしている輩がいることが分かる。
「表示されねー!」
「同じこと考える人が多くいるんだよ。うちは四人で作ったけど、多いところは二桁人数で作っているだろうしね」
「そうかもしれないけど、少しは遠慮しろっての」
「多分、僕らも同じこと思われてると思うけど」
「俺たちはいいんだよ」
「あんた、本気でわがまま」
「お前にだけは言われたくない……あ、表示された!」
修平の声で周りにいた三人が一気に身を乗り出してくる。クリックして発表ページの飛べば、トップ賞のゲームタイトルが表示される。けれども、それは自分たちのゲームではない。
トップ賞の下には評定があり、続く二位、三位が表示されている。そこにも自分たちのゲーム「クロニクル」はなくて、さらに下へとページを進める。
「あっ!」
その声が誰のものだったのかは分からない。ただ、修平の目にもタイトルが飛び込んできて、マウスを操作する手を止めた。
特別賞として並ぶのは三つのゲームタイトル。その内の一つが修平たちの作ったもので、思わず口元が緩む。
タイトルの下には評定が並び、ケイの絵に関しては悪くない感じの評価だった。だが、音楽はゲーム音楽には不向き、シナリオは稚拙、そしてバグが数カ所あったことが書かれていて、修平はその評価に撃沈した。
「……バグ、まだあったのかよ……」
「テストしたのもギリギリだったし仕方ないよ。稚拙か……修正したいと思うくらいのシナリオなんだから稚拙と評価されても仕方ないね」
「僕はもっとゲーム音楽について色々聞いてみるべきでした。世界観押しつけの曲になっていたのかもしれない」
それぞれが反省点を零す間、家の電話が鳴り出す。階下で電話を取ったらしく、すぐに呼び出し音は鳴り止んだ。けれども、すぐに内線で掛かってきて、手近にある子機を手にした。電話に出る直前、ケイが慌てた様子で携帯を取り出しているのが見える。
「株式会社タカイの大山さんという方から電話なんだけど」
タカイは今回、コンテストの協賛に入っていたゲーム会社の一つだ。電話向こうの母親に返事をする間もなく外線ボタンを押すと、慌てて受話器に声を掛けた。
「電話変わりました、川越です」
「川越修平さんですか?」
「はい、そうです」
「私、株式会社タカイの大山と申します。このたびはコンテストへのご応募有難うございました。既に結果はご覧になられたでしょうか」
「はい、今確認しました」
「今回のゲームなのですが、うちで買い取りさせて頂きたいと思ってご連絡させて頂いた次第です。つきましては打ち合わせなどをしたいので、メンバー全員が都合のいい日を後日連絡いただきたいのですが」
正直、聞き違いかと思った。だから、酷く間抜けな返事をすれば、電話向こうで大山が少しだけ笑う気配がある。そして、もう一度同じことを言われて、修平は慌てて今日中に連絡を入れることを伝える。その後は連絡先を聞き、ぎこちないながらも挨拶をして電話を切った。
そして同じく電話を終えたらしいケイと視線が合う。
「……タカイが俺たちのゲーム買い取ってくれるって」
「私はクロニクルを漫画で連載をするって言われた。それにあたって、先日出した漫画が今月末発売の雑誌に載って、デビューって……」
にわかに信じがたい情報に呆然としている俺たちに、声を掛けてきたのは秋生だ。
「凄い、買い取りって凄い! 名前はどうなるの? 僕たちの名前はでるの?」
「あ……いや、その辺りは聞いてない。ただ、全員の予定が合うところで打ち合わせを一度したいって」
「それって、僕たちが作ったゲームが店頭に並ぶかもしれないってことですよね! 何か凄いです!」
「あ、あぁ……凄いことだ」
期待はしていた。けれども、特別賞という言葉に少しだけへこんだ後、またすくい上げるように評価されて感情がついていかない。
「アキ、私の方もアキのスケジュールが欲しいって、今編集さんに言われた。原作としてアキの名前を使ってもいいって」
「……嘘」
「嘘言ってどうすんのよ。しかも連載! どうしよう、もう顔がにやける」
「凄い、姉さん凄いよ! それじゃあ月末の雑誌でデビュー確定?」
「そういうことみたい。どうしよう、夢みたい」
「夢じゃないよ、ケイ、おめでとう!」
笑顔で声を掛ける秋生と光を見ていたら、ようやく修平の中にも実感がわいてくる。
「凄くない? 実は俺らって」
「凄いよ! 充分凄いと思う!」
「そうですよ! タカイって言ったらそれなりに有名どころじゃないですか!」
「それに漫画連載も始まるからタイアップ効果で、うまくいけばかなり凄いことになる!」
力説する三人に、修平の中で徹夜して頑張ってきた日々が蘇る。正直、なんでこんなことしてるんだろうと思った時もあった。楽しいと思った時もあった。その全てが実ったといっても間違えてはいないに違いない。
「……スゲー! スゲーよ、俺たち! やった!」
派手に修平が立ち上がり両手を挙げれば、それぞれが修平の後に続く。溢れ出す感情は間違いなく歓喜だ。だから嬉しくて叫んでいれば、その横で光が感極まって泣き出す。そんな光の肩に手を置いた秋生の目にも涙が浮かんでいる。
誰もができる限りの努力をしてきた。トップは取れなかったけど、今できる全てを掛けてあのゲームを作ってきたことは間違いない。だからこそ、こうして結果が出たことがこんなに嬉しい。
「光もアキも良かったな」
「うん……本当に……本当に良かったです」
涙声で答える光に修平は何度も頷く。嬉しい、けれどもホッとした気分でもあった。
「アキ、原作頑張れ。もしかしたら、そこで出版社と繋がりができるかもしれないから。小説家、なりたいんでしょ? 私、アキになら利用されても構わないから。まぁ、利用できるほどの価値があるかないか分からない新人だけど」
「利用なんて、そんなことしないよ」
「しないとプロになんてなれないでしょ! 使えるものは何でも使わないと。それこそコネでも何でもいいから!」
「……ありがとう、ケイ。僕も頑張ってみるよ」
それを考えれば、今回ゲームを作ったことはもの凄い成果だったのかもしれない。ゲームを作り上げたことで、自分たちのゲームが商業ベースに乗る。そしてケイはデビューが決まり、秋生だって原作ながらも作家としての第一歩を踏み出すことになる。
「光は美味しいところがなくて残念だな」
「僕はいいんです。まだまだ未熟ですし。それに、今学校で色々習っている最中ですけど、半年前の自分に比べたら、絶対にいいものが作れる自信があります。だから、まだまだこれからです」
そう言って笑う光に影はない。今までのこと、そして学校での勉強、それらが光の自信に繋がっているに違いない。早くから将来を見据えた光は、覚悟と自信、そういうものを既に手にしている。
そして、まだ将来を決めたばかりの自分には何もない。けれども、今回ゲームを最後まで作り上げ、結果を出したことは修平の自信になるに違いない。
果たしてこれから数年後、自分たちはどうなっているのか。修平の中で将来を想像することが、少しだけ楽しいものに変化したのは確かだった。