Chapter.IV:選びとる未来 Act.02

放課後になり、修平から自分のプリントアウト原稿を受け取る。確かに書き込みが酷いと聞いていたけど、予想以上の書き込みに秋生は驚いた。
「悪いな、本当は見せるなら綺麗な方がいいんだろうけど」
「いや、若葉先生もこれで構わないって言ってたから……それにしても凄いね。この区切りは画面の切り替え?」
「いや、文字のページ送り。どの部分まで文字を表示するか、ある程度区切らないと行けないからな」
「そっか、そういうのもシュウがやってたんだ……僕は凄い楽をしている気がしてきた」
正直、アドベンチャーゲームというのはシナリオ通りに文字を進めるだけだと思っていたけど、よく考えればページ送り、それにここという場面は文字を大きくしたり、文字にアクションをつけたりしなければならない。
本来であればそういう指定も自分がしなければいけない気がする。誰もがプロではない。だからこそ、完璧を目指している中で気を抜けば誰かの負担になる。
「楽はしてないだろ。少なくとも、俺がシナリオ書けなんて言われたら発狂する」
「それは畑が違うだけの話で……話し聞いてきちんと書き上げるから」
「そういう点は信頼してる。でも、正直時間がないから、かなりきついことになると思うぞ」
「頑張るよ。手抜きはできないし、半端なものは出したくない」
「あー……まぁ、頑張れ。俺はそれしか言えないけど」
そっぽを向いた修平が、どこか照れくさそうに言うその言葉に秋生は笑いながら返事をした。けれども、修平が呑み込んだ言葉が気になる。恐らく秋生を気遣って、修平は今確かに何か言葉を呑み込んだ。それを追求するだけの強さが今の秋生にはない。
「これ、後で返すから」
「あぁ、そうしてくれ。色々そこに書き込んでるから、それがないと困る」
それに返事をしてから、秋生は修平と別れて職員室へ向かった。すぐに進路指導室へと通されて原稿を見て貰う。若葉も書き込みの多さに驚いていたけれども、気を取り直すと紙に目を通し始める。
「小説とシナリオの違いって考えたことある?」
「正直余り考えたことはありません」
「小説は想像の世界で進む出来事。シナリオは視覚的世界で進む出来事。同じ文字で表現するものだけど世界は大きく違うもなの。だから、シナリオにはこういう複雑な心理描写は必要ないの。これだけの心理描写、人間の表情だけでは表せないもの」
そう言って若葉が指さした場所は、シナリオの一部だった。
「こんな顔、自分でできる?」
「……難しいです」
「結局、そういうこと。あくまで自分が表現できることを分かりやすくしないと。これに書き込んだのは川越くん、だったかしら。彼がもの凄く悩んでいる様子がこの文字からも読み取れるでしょ?」
その部分は特に色々と書き込まれていて、結局、表情は悲しげ、それ意外の表現については文字で表現することにしたらしく、青いボールペンで文字表現部分は四角で囲まれている。
「ドラマもゲームも似たように視覚的に訴えるものだから、文字で表現させるのは少なくしないと。勿論、ドラマにだってモノローグが入るから間違えているとは言わないけど、でも、モノローグは多くなればテンポが悪くなる。だから、極力減らさないといけないわ」
確かに秋生の書いたものは感情表現が多彩だ。でも、小説なら文字で装飾して伝えるのが普通だけど、ドラマでそんな感情表現が出てくることはない。言われてみれば当たり前のことだし、自分では気をつけていたつもりだった。でも、若葉から見てもまだまだ甘いということらしい。
「それに、シナリオの書き方本くらいは見たみたいだけど、きちんと画面転換事に背景まで示してあげないと。例えばここ、これだけだと昼だから夜だか分からない。だから、川越くんはシナリオの前後を読んで夜だと思ったから、ここに書き込んだ。でも、それはシナリオを書く側できちんと気をつけて。指示するのは場所だけじゃなくて、朝昼晩も」
「はい」
「それから注視して欲しいなら、ここの部分に坂戸くんが画面区切って、その描写を入れることも指示しないと。例えばここ。そのコインがどれだけ大切なものか台詞で説明しているけど、こういう場合はワンカット、コインだけの描写を入れると、より画面をみている側には分かりやすくなる。これと同じように、例えば人物が想像している物や人があれば、そこにもワンカット入れる指示を入れると、それだけ画面に動きが出るわ」
正直、その方法は想像していなかった。でも、ドラマなどを思い出せば、キーとなる物は大きく映し出されたりしていた。確かにそれは訴えかける意味で有効な手段だ。
「シナリオは、見た人がそれを一目で想像できるように書かないと意味がないの。どちらかというと、小説よりも台本に近いものじゃないと意味がない。それにゲームであれば、さらに文字の区切りとかも坂戸くんが指示しないと」
それは、先ほど秋生が気づいたばかりの部分でもあった。やはり、自分はシナリオ書きとして随分と楽をさせて貰っていたに違いない。
思わず降ろしていた掌を秋生はグッと握り締める。小説とシナリオが違うことは自覚していたつもりだった。でも、つもりだっただけでは意味がない。
「恐らくこれが文字のページ送りだと思うけど、こういう部分。さらっと目を通しただけだけど、ここはかなり大切な台詞じゃないのかしら。だったら、この一行だけでページ送りをしないと」
「一行で、ですか?」
「そうよ。余韻を持たせるためにも、もう一ページ改行させてもいいくらいだと思う。でも、川越くんはそのまま三つの言葉を続けて入れてしまっているでしょ。こういう大切な部分も、坂戸くんが指示しないと」
確かにそれは繋がりを指し示す台詞で、秋生的にも大切な台詞であった。そして、ゲームではそういう表現も必要なことを知る。結局、本を読んだくらいで書けるかもしれないと思っていた自分が甘かったのかもしれない。
「とにかく、このシナリオから文学的表現は全てそぎ落とさないと、テンポが悪いゲームになると思う。そのテンポの悪さこそ、気になっている部分だと思うわ……ごめんなさい、色々言い過ぎたかしら」
少し困ったような顔をした若葉に見つめられて、自分の顔が強張っていたことに気づく。正直、若葉の言うどれもが秋生を抉るような、自分の甘さを突きつけられるものであり、正直厳しいものがある。
「いえ、時間がないので色々と助かります。今指摘して貰わないと間に合わないので」
「坂戸くん、元々小説書きよね?」
「そうです」
「それなら余り無理せずシナリオに固執しない方がいいわ。シナリオと小説は似て非なるものだから。それに時間がないならある程度で妥協した方がいいとも思う。正直、シナリオっていうからもっと量が少ないと思っていたの。でも、ここまで本格的に量があるものなら、今から手直しするには時間が掛かる。だから妥協も必要になると思うの」
「でも、これに賭けてる人がいて、僕自身もこれに、このゲームに賭けてるんです。だから、手抜きするような真似はしたくないんです」
「言いたいことは分かるの。でも、はっきり言えば、これを全て直すには時間が掛かりすぎる。間に合わなくなるわ」
間に合わない、それだけは絶対にあってはならない。少なくとも、これは秋生だけのゲームではない。だとしたら自分は妥協するしかないのだろうか。もしかして、さき修平が言いかけたこともこのことだったのではないか。
それを考えると、一瞬にして胃の辺りが重くなった気がした。自分が躓けば周りに迷惑が掛かることを知っていた。
でも誰かと一緒に何かを作り上げることは楽しく、その負の部分に目を向けることは一度だって無かった。あのメンバーにいて、初めて自分が一番何もできていないことに気づいてしまった今、愕然としてしまう。
自分は小説を書けることで驕っていたのではないだろうか。
けれども、それを否定することができない。修平が本気になれないことを心配していた。光やケイの状況を不憫に思っていた。でも、結局そのことが驕っていたことの証明のような気がしてならない。
「……少し考えてみます」
「えぇ、期限あるなら考えてみて。でも、できる限り良い物に仕上げることはまだまだ可能だから、期限ギリギリまで頑張ってみて」
「有難うございました」
頭を下げてお礼を言う。そして進路指導室を出ると、そのまま修平が待っているだろう教室に戻ることなく階段を上る。一番上、屋上の出入り口である踊り場まで上がると、その場で手にしていたシナリオを床に叩きつけた。
クリップで留められたシナリオがバラバラになることはなかったが、秋生の目から見ても紙が折れていることは分かった。だが、それを拾い上げる気にはどうしてもなれなかった。
正直、他人を心配している立場じゃない。ロープレのテストをしていたけど、ケイのイラストは見る者を圧倒するような世界を作り上げていた。そして、幾つか修正は必要だったけど、光の音楽も世界に見合ったものだった。確かに秋生のシナリオが元となり作り上げられたものだけど、それは修平の努力があってこそ成り立つものだ。
恐らく秋生には言わずとも、何度も修平とケイは連絡を取り合い、そうやってあのゲームを作り上げていたに違いない。いや、若葉に言われるまで気づけなかった秋生自身も相当鈍いと言わざるを得ない。
一層のこと、シナリオ全てを書き直したい気持ちにも駆られたが、そんな時間がないことは分かっている。何よりもここまで進んできたのだから、引き返すことだってできない。けれども、指摘されたことが大きすぎて、今すぐシナリオに向き合うだけの気力も湧かない。
それは、秋生にとって初めての挫折でもあった。
どれだけの時間、床に叩きつけたシナリオと睨み合っていたのか分からない。ポケットに入れてあった携帯が鳴り出したが、しばらくそれを放置していた。けれども、何度も掛かってきた電話に小さくため息をつくと、嫌々ながら携帯を取り出すと画面を見つめる。
そこには修平という文字があり、戻りの遅い秋生を心配して電話してきたことが分かる。少し悩んだ末に秋生は通話ボタンを押した。
「秋生、お前今どこにいるんだよ」
「ちょっと色々考え事したくてね。ごめん、今日はさきに帰って貰ってもいいかな」
「そりゃあ別に構わないけど……何かあったのか?」
「色々と自己嫌悪中。立ち直れるのは分かってるけど、ちょっと時間が掛かりそうだから。それに、修平といると暴言吐きそうな自分がいる。そういうことはできるだけしたくないんだ」
しばらく電話口からの返答はない。そして、それ以上秋生にも言えることがない。沈黙の時間が十秒を過ぎた頃だろう、ようやく電話向こうで修平が口を開いた。
「分かった、今日はさきに帰る。ただ、あの原稿だけは今日中に必要なんだ。だから十分後に俺が帰るから、それまでに下駄箱にでも入れておいてくれ」
「……分かった。入れておく」
「頼むわ。それじゃあ」
こういう時、下手な慰めをしないのは修平のいいところかもしれない。いや、それ以前にいつものような平静を保てなかった秋生を、修平は分かっていたのかもしれない。
修平相手に弱音を吐き出したくない。八つ当たりなんて論外だ。別に修平を下に見ている訳ではなく、修平に負けたくないという気持ちがある。そんな相手だからこそ、弱音を吐くようなことはしたくない。
床に落ちたままになっていたシナリオを拾うと、軽くはたいて埃を落とす。折れ曲がった部分が直ることはなかったが、それでもどうにか紙を伸ばすと足早に階段を下りる。
下駄箱で修平がいないことを確認してから、クラスの下駄箱に近づく。番号順に並んだ金物の下駄箱は、無機質で他人を寄せ付けない規則性がある。その中で修平の下駄箱の蓋を開けると、その中にシナリオを入れた。
恐らく修平は今晩もかなり無理をして、打ち込み作業をするに違いない。だとしたら自分はどうするのか。
考えてもすぐに答えが出そうにないことに頭を悩ませながら、秋生はすぐに下駄箱から離れた。校内で秋生が行きつけにしている場所は一つしかない。だから、その足は自然と図書室へと向かった。
扉を開けて中に入れば、いつもの如く図書室に雑多な音はない。いつもカウンターに座る図書委員がいて、中にいるのはのんびりと読書を楽しむ片手にも満たない人数だけだ。
秋生は適当に本を選ぶと、いつものように本棚の奥にある椅子に腰掛けた。すぐに気持ちの切り替えが利くところが秋生の利点だと思っていたけれども、今日は本に集中できない。それどころか若葉の言葉が幾度となく頭の中で再生される。
若葉は小説とシナリオは別物だと言っていた。それは若葉に指摘されたことで理解できた気がする。そしてシナリオとして秋生が書いたものは粗が多いものだった。
果たしてそれはシナリオだけの話しなのだろうか。もしかして、小説にも決定的に欠けた何かがあるのではないのか。それを考えた時、秋生が目指すべき将来までもが揺らいだ。
努力すれば、頑張ればいずれ小説家になれるものだと思っていた。けれども、その自信は一体どこから湧いてきたものだろう。決してケイのようにプロとして将来確約された訳でもない。光のように努力するべき時間がある訳でもない。
小説家になりたいと思っていた。けれども、果たして自分はプロになる何段階前にいるのだろう。それを考えると薄ら寒い気持ちになる。
果たして、このまま小説家を目指した時、自分がプロになれるとしたらどれだけ先のことなのか。それまで、自分は何をしているのか。
確かに大学に行って、それから小説家を目指すのもありだとは思う。けれども、親が言う通り、文学部に進学しても小説家になれなかった時、自分は何になるのだろうか。その時まで小説家になりたいという夢を持ち続けられるのだろうか。
揺らいだ今、それを考えると、親が言うように医学部に進むのもありのような気がしてくる。けれども、それは逃げ道のようでその道を肯定したくない。小説家にはなりたい。これからも描き続けたい。
けれども、それは果たして下手の横好き程度ではないのか。
分からない。全てが分からなくなる。これから目指すべき道も、これからやらなければならないことも、そして、これから考えなければならない将来までも、全てが分からない。
今までやりたいことをやってきたし、物事は完璧に仕上げてきた。賞に応募して初めて結果を見た時には、落胆もしたけどあの時の比じゃない。どうしてここまで混乱するのかと思えば、比べる相手が身近にいる人間だからなのだろう。
そして何よりも、既にプロとしての将来を約束されたケイと、プロから声を掛けられた光がすぐ近くにいる。物を作る、という同じ立場にいるから焦るのかもしれない。そう、これは焦りだと思う。まだ何も結果を出せていない自分への焦りだ。
でも、これは他人に言ってどうにかなるべき問題でもない。恐らくケイも光もこんな問題をとっくに通り過ぎてきたに違いない。
根本的な努力が足りない    。
恐らくそういうことなのだろう。当たり前といえば当たり前だ。ケイのように友人関係を捨ててまで時間を作っている訳でもなく、光ように寝る時間を削ってまで時間を作ってもいない。ただ、友人と遊び、勉強して、それから規則正しい生活をしていたのでは追いつくはずもない。
どうして、自分はあの二人と同等だと思っていたのか、今となるとそれが分からなくなる。
「すみません、そろそろ図書室を閉めますので退席お願いします」
その声に顔を上げれば、本棚のところから顔を出した二年生が二人組が、恐る恐る声を掛けてくる。その声に開いたまま一ページも読まなかった本を閉じると、素直に椅子から立ち上がった。
「遅くまですみません」
「いえ、こちらこそすみません。あの大丈夫ですか? 少し顔色が悪いみたいですけど」
言われて思わず顔に手をあててみるけど、それで分かる筈もない。でも、他人に指摘されるほど酷い顔をしているのかと思うと、少しだけ苦い笑いが込み上げる。
「大丈夫です。心配してくれてありがとう」
どうにか笑顔を取り繕ってそれだけ言うと、秋生は椅子から立ち上がり本を返してから図書室を後にした。
誰も居ない教室に寄って鞄を手に取ると、そのまま下駄箱に向かう。下駄箱で靴を履き替える前に修平の靴箱を覗けば、そこに秋生が入れたシナリオはない。既に修平のいつも履いている革靴もなく、小さくため息をついて靴を履き替える。零れたため息の理由が安堵だったのか、後悔だったのか、自分でも曖昧でよく分からない。
靴を履いて校舎を出れば、グランドではまだ部活をする運動部のかけ声があちらこちらから聞こえる。夕暮れの中一人で歩く。その間も頭の中を激しく思考がいったりきたりしている。
将来のことは、もう一度改めて考えるべきだと思う。けれどもゲームの締切も迫っている。大切なのは確かに将来だと思う。けれども、みんなで作るゲームを投げ出したくない。何よりも最初に言い出したのは自分なのだから、投げ出すような真似はできる筈もない。
色々なことを考えたい。それなのにその時間がない。時間の使い方は下手な方ではないのに、色々なことがぐらぐらしすぎていて、上手く頭が回っていないのかもしれない。
学校から家に帰れば、母親から帰りが遅いと嫌味を言われる。けれども、その嫌味が短く済んだのは、家庭教師が来たからだ。
いつものように家庭教師から教わりつつも、頭の片隅で酷く焦る自分がいる。時間が足りない。シナリオがあのままでいいとは思わない。途中、集中していないと怒られながらも、家庭教師が帰ったのは十時を過ぎてからだった。
小川に夕飯を断り、一人部屋に籠もるとこれからのことを考える。今まで考えたことないほど本気で考えてみたけれども、その答えが出ることはない。
ただ優先順位だけは分かる。とにかく今はゲームのシナリオをやるしかない。何よりも時間が差し迫っているのはシナリオだ。
だからこそ、秋生は鍵のついた引き出しを開けると、その中からプリントアウトしたシナリオを取り出そうとした。けれども、そこにあるべきプリントアウトしたシナリオはない。確かに秋生は数ヶ月前にシナリオをここへしまっておいた。
鍵はついているものの、その引き出しに鍵を掛けたことはない。困惑しながらも階下に降りれば、丁度小川が帰るために玄関先から出て行こうとするその後ろ姿を見つけた。
「小川さん」
声を掛ければ、いつもの穏やかな表情で小川が振り返る。
「あの、ここ数ヶ月で僕の部屋に入りましたか?」
「お掃除に毎日入っておりますが、何かありましたか?」
「ちょっと僕の大切な物がなくなっていて、いえ、決して小川さんを疑ってる訳ではなくて……母さんが僕の部屋に入りませんでしたか?」
「あ……」
途端に顔を強張らせると小川は口を噤んでしまう。けれどもそれは、秋生の質問の答えでもあった。
「それ以上何も言わなくていいです。母に何か言われても、何も聞かれてないって言って下さい」
「秋生さん」
「大丈夫です。母さんに手を上げたりはしませんから、そんな心配そうな顔をしないで下さい。それよりも、折角用意して貰った夕飯食べずにすみません」
「それは構いません。でも、もし宜しければ冷蔵庫に夜食を入れてあるので、それを召し上がって下さい」
「ありがとう。もし、明日母さんの機嫌が悪かったらすみません」
「大丈夫ですよ。慣れてますから。でも、奥様とは一度ゆっくりお話し合いされた方がいいと思いますよ。どうしても親というのは押しつけがましくなってしまいます。でも、結局は子どもの幸せを考えて言い過ぎてしまうものですから」
そう言われても、どうしても小川の言葉を素直に受け取ることはできなかった。あの母親のことだから、全ては見栄のため、という気がしないでもない。
だから曖昧に頷きながら、小川の見送ってから秋生は母親の部屋に足を向けた。この時間であれば、テレビドラマでも見ている時間だろう。テレビの邪魔をされることを嫌う母親ではあるが、今はそれに構っていられる状況でもない。
シナリオ自体はパソコンの中にデータとしても残っている。けれどもプリントアウトしてあったあのシナリオには、打ち合わせの書き込みが幾つもされている。所感も書き込んであったので秋生にとっては大切なものだ。
ノックをして名前を言ってから中へ入れば、案の定、母親は四つ足タイプのやたら装飾がついたカウチソファでドラマを楽しんでいる最中だった。
「用事なら後にして頂戴」
「すみません、急を要するので。僕の部屋から何か持ち出しませんでしたか?」
「何か……あぁ、あなたが言ってるのはあの紙束のこと? あれならとっくに捨てたわよ。あんな物があるから、将来について迷うのよ」
ただでさえ迷っている時だからこそ、母親の言葉に苛立ちを感じる。
「迷うも何も、それは僕が決めることです。迷うのも僕のことですから、母さんが口出すことではないと思いますが」
「子どもの将来を心配して何が悪いのよ。そういえば、あの紙に書かれていたシュウというのは川越さんのことよね。親御さんが弁護士だというからお付き合いしてきたけど、あんな馬鹿を一緒にやるなら秋生さんの友達には相応しくないわ。友達辞めなさい」
母親が友達を選ぶのに親の職業を大事にしていることは知っていた。そういう部分が嫌だけど文句を言わないという選択をしたのは秋生自身だ。だが、修平のことまで言われて黙っていられるほど温厚ではない。
「あなたが……あなたがそうやって僕の友人を選別するから、今では僕の友人は修平しかいません。友達は多くいた方がいいと言うのに、そういう選別をする意味が分かりません」
「簡単じゃない。自分のためになる友人を作りなさいと言っているのよ」
「……友人は自分のためになるかどうかで決めることではありません」
「まだ若い秋生さんには分からないのよ。将来、どれだけそういう友人が必要になるのか」
まるで宇宙人とでも話しているような気分だ。何よりも友人をそういう目でしか見ることができない母親に、腹立ちと共に哀れみすら感じる。
よく考えてみれば、母親がいつも家に連れてくる友人というのは、議員の妻やら、どこぞやのお偉いさんの奥さんとか、そういう肩書きの人が多い。そして、秋生に紹介する時にも、必ずその肩書きまで紹介することを忘れない。
恐らく秋生と母親では、全く違う世界に生きる人なのかもしれない。そして、秋生の考えは恐らく母親には理解されないものなのだろうと、ようやくここにきて理解した気がした。
「……僕はあなたの飾り物の一つになる気はありませんから。失礼します」
「秋生さん、どういう意味なの? 私はあなたの母親なのよ! 母親にそんな口を利くものじゃありません! 待ちなさい、秋生さん!」
まだまだ続きそうな言葉に、秋生は背を向ける。そのまま廊下に出ると、腹立たしさ紛れに勢いよく扉を閉めて母親の怒鳴り声をシャットアウトした。
将来が揺らぐ今、色々と考えなければならないとは思う。けれども、絶対に母親が言う道だけは進まないと心に決めながら、秋生は自分の部屋に戻るべく階段を駆け上がった。
とにかく今は母親に構っている時間すら勿体ない。修平は時間との戦いだと言っていた。修正量を考えれば、確かに時間との戦いになるに違いない。だからこそ、今やるべきことをやるために、秋生は部屋に戻り鍵を掛けると、すぐにパソコンへ向かいシナリオをプリントアウトしはじめる。
心の中は嵐が吹き荒れるかの如く腹立たしさが渦巻いていたが、その全てを呑み込む。そしてプリントアウトした紙を机に置くと、チェックをするために赤いボールペンを手に取った。

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