Chapter.II:形になるもの Act.04

どうしよう、もの凄く嬉しい。誰かに伝えたい。
そう思った時にまっさきに思いついた顔は光だった。だから、慌てて立ち止まり携帯を取り出したところで、携帯が着信を知らせる。画面には坂戸と表示されていて、その電話がアキからだと分かり通話ボタンを押した。
「もしもし、今ケイがいるところからみて道路挟んだ反対側にカフェがあるでしょ?」
今いるところ……?
アキの言葉を不審に思いながら、恵は言われるままに道路を挟んだ反対側を見る。確かにそこにはカフェがあり、外にある席で手を振る集団がいる。言われなくても、それが誰か分かる。
タイミングよく信号が変わり、恵は携帯を持ったまま信号を走って渡ると笑って迎える三人に声を掛けた。
「何でここに三人がいるのよ」
「ごめん、アキさんに聞かれて僕が教えたんだ」
「まったく。ペラペラこういうことは話さない。ダメ押しだったらどうするつもりよ」
「それはダメ押しじゃなかったってことだよね。もしかして」
アキの言葉で恵はにんまりと笑う。笑うというよりかは自然と笑ってしまうんだからどうしようもない。
「卒業と同時に雑誌掲載決定!」
「嘘だろ、マジで?」
「マジ、超大マジ。とりあえず読み切りの反応見て次を描かせて貰えるみたい。もう凄く嬉しい! 勿論、それまでに下手になってたらそれも白紙になるだろうけど、でも、世界が開けた感じ!」
「おめでとう、ケイ」
「ありがとう! もう、どうしよう、凄い嬉しい」
努力はしてきた。努力が必ず報われるとは思っていなかったけど、でも報われることがこんなに救いになるとは恵自身考えたこともなかった。
「姉さん、凄いよ……本当に凄い……」
そう言って泣き出す光の首に腕を回して引き寄せると、柔らかい髪をグリグリと撫で回す。
「光が面白いって言ってくれたから、私はここまで続けられたんだからね。私こそ光に感謝してるから」
「痛いよ、姉さん!」
文句を言いながらも笑う光の目尻からは涙がボロボロと零れ落ちる。光の涙が移りそうになりながらも、恵は嬉しくてとにかく笑った。
それから少し落ち着くと、唐突に恵の携帯が鳴り出す。この携帯に電話を掛けてくるのは光か伯母くらいしかいなくて、光と視線を合わせると恵は少し緊張しながら通話ボタンを押した。
「ケイさん、野田です」
「あ、先ほどはどうも有難うございました」
「いえ、こちらこそ。あの、まだ近くにいますか?」
「会社の通りを挟んだ反対側のカフェにいます」
「今からそこに行きますので待っていて下さい」
そのまま電話が切れてしまい、訳が分からず首を傾げる。それから五分ほどするとカフェに野田は現れた。
「うちの高野がゲームの発表日を確認して欲しいと言われて」
「確か十一月だったかと」
「正確には?」
「アキ、発表いつだっけ?」
「十一月二日になります」
「そうですか。こちらがゲームを作る友達ですか?」
「はい、そうです」
「心配で一緒に来て貰ったんですね」
「違います。俺たちが勝手についてきただけです。どういう結果なのか知りたくて」
ケイが答えるよりも早く、川越が口を挟む。少し強い口調だったこともあり、思わず川越と野田、交互の顔色を窺ってしまう。
「そうなんですか?」
唐突に問い掛けられて恵は慌てて頷いてから、それも失礼だと口を開く。
「私も聞いてなくて驚きました。でも、一番伝えたい仲間だから嬉しかったです」
「そうですか。いい仲間に恵まれた様子ですね。ぜひとも最後までゲームの方も頑張って下さい。それからこれを渡しておきます。後でゆっくり読んでみて下さい」
「分かりました。有難うございます」
「いえ、それでは失礼します」
一礼する野田に再び恵も一礼してからその背中を見送る。信号を渡って建物の中へと消えると、川越に恨みがましい視線を向けた。
「あれは失礼じゃない?」
「馬鹿、あれはあれでいいんだよ。誰か一緒じゃないとダメな奴に思われたくないだろ」
まさかそういう意図での発言とは恵も予想していなかった。確かに誰かがいないとダメな奴だと思われるのは悔しい。
「ごめん。考えてもいなかった」
「別に気にしてない。あれで誤解が解けてるならいいけど」
「でも凄いね、出版社側が気長に待ってくれるなんて」
「時々描き上げた練習用の漫画は送って下さいって言われたよ。多分、そこで絵柄が崩れたり、今までと話しの方向性が変わりすぎたらご破算、ってところだとは思うけどね。そこまでは甘くないと思う」
「結局それって、投稿してるのと変わらないんじゃないの?」
アキに言われるまで気づかなかったけど、いくら練習用とはいえ野田に出すとなれば半端な物は渡せない。勿論、練習の時に手を抜いている訳じゃないから半端を出すつもりは無かったけど……。
「……あれ?」
「あー、でも、ほら一回分の掲載は確約貰えた訳だから良いんじゃないのか?」
「そ、そうだよね! でも、それって結局ゲーム作りながら一定期間で漫画原稿作らないといけない訳だから、さらに忙しさが倍増しか……私、だまされてる?」
「だまされてる訳ではないと思うけど……」
一気に暗くなるムードに、恵は殊更明るく声を掛けた。
「いいじゃん、どっちも頑張ってやる! ゲームも完成させるし、漫画も数ヶ月置きにはなるだろうけど描くよ。人生の挑戦と受け取った!」
拳を握り力説すれば、途端に三人が笑い出す。その誰もが楽しそうで、暗い空気を一掃したことに内心ホッとした。
「勢い乗ったし、このままがっつりゲームも作るからね!」
「乗った!」
次々と重なる声にボルテージが上がる。一人では絶対に得られない勢いに、楽しいこともあって恵は乗ってしまうことにした。
「よし! それなら試験明けには必要箇所の詳細スケジュールを組むよ。予定崩れだけは避けたいし」
「そうだね。手当たり次第作り込んでいくとちょっと危ない気がする」
「そういうこと。アキにはプロット全部吐き出して貰うから宜しく」
「いつか言い出すと思った。僕のプロット汚いけどいい?」
「いいも何も、そこを確実にしないと始まらないから。とにかくやるよ」
お互いに顔を見合わせながら頷くと、ここで新たな結束を結ぶ。一つの方向に向かって進む力、それは恵が求めて止まないものでもあった。
「卒業後の進路ももの凄く暫定的だけど決まったし、これでゲームにだけ打ち込める。来年の夏までこれで突っ走れそう」
「まぁ、その前に明日から始まる試験をクリアーしないとね」
こういう時に現実的なのはやっぱりアキだ。けれども、それはどちらかというと恵よりも川越の方が切実な問題に違いない。
「……嫌なこと思い出させるなよ」
「でも帰ろう、もうここには用もないし。それに期末明けから気分よくゲームに打ち込むために、今勉強が必要なのは確かだしさ」
「まぁ、そうだな」
それぞれ立ち上がり、テーブルの上にあったゴミを片付けると駅に向かって歩き出す。下らないことで笑い合う。そして報告できるこの三人がいて本当に良かったと思う。
まだまだ問題は山積みだけど、恵にとって先が見えたことは本当に救いだった。

* * *

一度家に帰ってから着替えて光と共に家を出る。途中、店で自分では買わないようなクッキーの詰め合わせを買うと、その足で教えて貰った川越の家に向かって電車に乗った。
「……姉さん、どうしよう、もの凄い緊張するんだけど」
「大丈夫、私も緊張してる。とにかく挨拶だけはきちんとして」
「分かってる。大丈夫だと思う」
実際、光は恵以上に緊張しているらしく、隣で立っていても酷く落ち着かない様子で、足の爪先でリズムを取っている。これは光が緊張したり、考え事をする時の癖だ。
電車に揺られること十五分、そこから歩いて五分ほどで川越の家に到着した。予想以上に立派な一軒家で、恵としては正直帰りたい気分になってきた。
川越やアキから聞いていた感じでは、両親そんなうるさくない印象を受けた。けれども、やはり異性を家にともなれば、反応がガラリと変わることだって予想できる。
大丈夫、手土産はきちんと用意してきた。格好もそんなにおかしな格好はしていない。
身だしなみを確認してから恵が覚悟して呼び鈴を押せば、扉が開き出てきたのは川越だった。
「待ちくたびれたぞ、おい」
「家に帰ってたから。今日、両親は?」
「今はいない。夕方になったら帰ってくるけど……何だよ、緊張してるのか? らしくない」
「私だって初めての家に来るのは緊張くらいするけど」
「俺、全然しないけど。アキも待ってるし上がれよ」
そのまま家の中へと通されると、広い玄関に川越は無造作に靴を放り出した。まるで子どもだ。その隣にきっちり並べられている靴はアキのものに違いない。
靴を脱いで上がると、自分の靴を並べ、ついでに川越の靴もきっちり並べてやる。せかす川越の後をついていけば、既に階段に足をかけていてその背中を慌てて呼び止めた。
「川越、これ親に渡して。一応、光まで連れて来てるから手土産」
「は? お前、別にそんなもの用意しなくても」
「そういう訳にはいかないでしょ。とにかく渡しておいて」
「気なんか遣わなくても良かったのに。他の女連れてきた時でもこんなもの用意してきた奴いないぞ」
「あんたの歴代の彼女連れてきてた訳? それでよく親に何も言われなかったわねぇ」
呆れて口がふさがらないとはこのことかもしれない。少なくとも恵が同じクラスになってから
「歴代って、別に全部を全部連れてきた訳じゃねぇよ。まぁ、試験勉強とか色々理由はあったしな」
「試験勉強ねぇ……何してたんだか」
「まぁ、ナニもしてたけど」
「イエローカード。次に光の前でそういう発言したらレッドで退場」
「お前が振ってきたんだろ。ちょっと待ってろ」
笑いながらも川越は受け取った紙袋を持って一旦扉の向こうへ消えてしまう。すぐに戻ってくると、そのまま二階へと上がるとそこにも広い廊下がある。
恵が思っていたよりも川越はお坊ちゃんだったらしい。意外に思いながらも川越についていけば、一番奥の扉を開ける。大きな窓がある部屋の中でシュウはノートパソコンに向かっていた。
扉が開く音ですぐにこちらに視線を向けると笑顔を浮かべた。
「遅かったね」
「家に帰ったから」
「こいつ手土産まで持ってきたんだぜ。そんな物いらないのに」
「普通、初めての家には手土産くらい持ってくるものだよ。僕だって最初はそうだったでしょ」
「そういうもんかねぇ、あぁ、適当に座って」
広さにして十畳ほどだろうか。扉から入ってすぐにはラグが敷かれ、その上にテーブルが乗せられている。壁際には机があり、パソコンや周辺機器、そしてやたら高価そうなオーディオセットが置いてある。
川越に言われた通り、恵はラグに乗るとその毛足の長さと柔らかさに驚いた。
適当に並べられているクッションの一つを、恵は手でたぐり寄せるとその上に座った。落ち着かないのは光も同じらしく、視線が泳いでいる。
その間に川越は部屋の片隅にある冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すと、冷蔵庫の上に置いてあるグラスにお茶を注ぐ。そして二つのグラスをそれぞれ、恵と光に差し出してきた。
「アキ、コースター渡してやって」
「はい、これ」
既に慣れた様子でアキは背後にある棚の一つからコースターを取り出すと、恵と光に渡してくれる。少なくとも、恵は自室でコースターを使うことはない。それ以前に家にはコースター自体が存在しない。
「何か色々とカルチャーショック。まさか川越にコースターまで用意されると思ってもいなかった」
「普段は使う訳ないだろ、面倒くさい。ノートパソコン持ってきたんだろ? アキも持ち込みだし、グラスから水滴垂れたら嫌だろ」
「あぁ、そういう気遣いだった訳ね。素直にお借りします」
「そうしとけ。あぁ、そういえば二人が来るのが遅かったから、先までアキと最初の部分動かしてたんだよ。ただ、何て言うか違和感があるっていうか。とにかくこれ触ってみてくれないか?」
川越は机の上にあるマウスを操作すると、画面上にあるアイコンの一つを操作した。そこに現れたのは恵が指定したオープニングの画面だ。
「今、最初のアニメーションは抜いてあるから、クリックすればすぐにゲームが始まる。ちょっと動かしてみてくれ。それで感想頼む」
「分かった」
座ったばかりだったけれども、恵は立ち上がると川越からマウスを受け取りスタートボタンを押した。光も気になったのか、恵の横に立ち画面を食い入るように見ている。
音楽と共にゲームが始まり、少年が二人の子どもと出会うところから始まる。二人の会話が始まり、マウスを操作して文字を進めていく。物語のキーである石を受け取ると、それを届けるために少年を操作して街へ戻る。
でも、この初期段階で恵にも違和感を覚えた。何が違和感なのか決定的なものが分からない。川越とアキが悩むのも分かる気がする。
「確かに少し変な気がする……」
隣で呟いたのは光で、余りゲームをしない光にも感じる違和感らしい。果たしてそれが何なのか、しばらくゲームを進めてからようやく恵はその違和感の正体が分かった。
「これ、文字がおかしいのかも」
「文字って表示文字がか? 文字化けでもしてたか?」
「そういう問題じゃなくて、アキのシナリオの問題だと思う。例えばここ」
画面に表示された文字を指させば、背後からアキも一緒に覗き込んできて恵は背後のアキにも見えるように少しだけ屈み込む。
「少女の顔は暗く、俯いたまま顔を上げることはない。ってこの文章、これだと小説っぽいんだと思う。実際、ここには右側に少女の上半身絵が入るから、表情とか俯くっていうのはそっちでつけるから説明がいらない。多分、全体的に小説っぽいから違和感を感じるんだと思う」
「あぁ、そういうことか。ようは文字で説明しすぎてるってことか」
「そういうこと。アキ、意味分かる?」
「うん、分かった気がする。その部分については自分でも見直しして全体的に修正するよ」
「そうした方がいいと思う。とりあえず、これは一旦置いておいて打ち合わせから始めよう。色々と詰めないといけない部分もあるし、スケジュールを切らないと」
恵の言葉でそれぞれが一旦ラグの上に戻ると、川越が印刷した月間カレンダーをテーブルの上に置いた。
その横でアキがプロットを取り出すと、クリップで留めたものを全員に回してくれる。プロットといっても、それだけで三十枚以上あり、それをペラペラと捲っていく。
「締切が六月三十日だろ。ついでにいえば、せめて一ヶ月はテスト期間が欲しい。テストで何かあれば、修正していかないといけないからな」
話しながらも川越は赤ペンで六月三十日と五月三十一日に書き込んでいく。六月末は締切、五月末は完成と書き入れられ、恵の気持ちが少しだけ引き締まる。
「ついでにいえば、ロープレとアドベンチャーの二本立てだし、十ヶ月を半分に切って十二月末。エンディングについてはアニメーションだから、ケイのイラストが仕上がり次第仕上げてく。一応、俺はこんな感じ」
「一ヶ月前に終了してテストは全員確実ね。アキのプロットが思ってたよりも細かいから、ここから曲数は計算できるか。それなら光はできるだけプロットで確認できる曲を全部八月中に終わらせて」
「姉さん、それはさすがに」
「やりなさい。プロットから漏れた分については二月の受験が終わってから作ること」
「それってまさか……」
そこまで恵がはっきり言えば、ようやく光にも言いたいことは伝わったらしい。途端に光の顔は困惑げなものに変化する。
「受験までは実質ゲームに関すること全て禁止。高校行きたいんでしょ? 行きたい高校があるんでしょ? だったらそっちに集中しなさい。それに、受験が終われば合流して構わないから」
「でも、僕だって一緒に作りたいよ!」
「作ればいいでしょ。きちんと受験が終わってから。別に仲間はずれにしたい訳じゃないわよ。今まで学校に行ってなかった分、九月から取り戻さないといけない。それがどれだけ大変なことは分かるでしょ」
「それは……」
「だから光は来月中にプロットにある曲は全て作り上げること。多少生活のリズム狂っても八月末までは文句言わない」
文句を言わないというのは恵にしては最大限の譲歩だった。けれども、それ以上の無理はさせられない。作れないというのであれば、恵は姉として今一番酷な言葉を投げなければならない。
「嫌だって言ったら?」
「降りなさい。今ならまだ間に合うから」
「ケイ、そんな追い詰める言い方はよくないよ。光くん、確かに僕たちはこのゲームに色々なものを賭けてる。でも光くんにはもっと大切なことがあるでしょ? 僕たちはこのゲームに全てを賭けられるだけの足場がある。でも、光くんは足場を固めることからしないといけない。言ってること分かるよね?」
アキの穏やかな声に、光は少し間を開けてから小さく頷いた。光も馬鹿じゃないから、恐らく分かってはいる。ただ、光自身も今現在が楽しいのかもしれない。でも、楽しいからといって、色々見失って困るのは最終的には光自身になる。
「……分かりました。八月末までに仕上げる。でも、受験終わったら絶対にまたやるから」
「当たり前だろ。デバッカー、ようはテストする人間は幾らでも必要だからな。その代わり、絶対に合格もぎ取れ」
「はい、できるだけ頑張ります」
「よし、頑張れ。少なくとも俺たち三人は応援してるんだから、根性見せてこい」
川越の言葉に元気に返事した光は、少しだけ情けない顔をしていた。心底納得していないことは、光の表情からも読み取れた。けれども、恵はそれ以上何も言わない。
恐らく誰もが光の気持ちを分かっている。それでも川越は八月末日に、プロット分曲完成という文字を書き入れた。
「次はアキ。正直、私はアキのシナリオ次第でスケジュールが組み変わる」
「そうみたいだね。とにかくロープレの方は八月末までに、アドベンチャーの方は九月末までにシナリオを上げる。上がり次第どんどんみんなに回していく」
川越が即座にアキの言葉をカレンダーに書き込む。これだけでも方向性が徐々に見えてくるから不思議だ。
「そしたら、シナリオ確認しながら私もイラスト上げていく。そうだ、アキの方でここは目玉ってところ三カ所くらいチェックしておいて、そこはアニメ取り入れよう」
「それは構わないけど、ケイは大丈夫なの?」
「大丈夫、死ぬ気で頑張る。っていうか、そこは外せないと思う。やっぱり見せ場は幾つかないとダメだし、だれると思う。引き締め効果も狙いたいから、ここだけはってところにチェック入れて。でも音声とか入らないから、そこだけ気をつけて」
「台詞入れられない?」
「難しいだろ、それ。だってアニメーション中にどうやって台詞を流す? 勝手にコメントを流していくか?」
途端に困ったような顔をしたアキに突っ込みを入れたのは川越だ。どうやら恵と同じ事に川越も気づいていたらしい。
「台詞切り替えがゆっくりだったらいけないかな」
「どうだろう……テスト的にやってみて、それから考えるってのはどうだ?」
「分かった。それでいいよ。もしおかしいようなら台詞無しの方向で」
「オッケー。それでケイの予定はどうだ?」
どちらにしても恵としては、アキのシナリオが上がらないことには予定が組めない。ただ、締めを決めることだけは可能だ。
「基本は川越の予定より二週間前倒しって感じかな。悪いけどロープレのマッピングはそっちに任せる。川越の作ったマッピング通りにイラスト入れていく形になると思う。もし私の方が作業が早ければ、その作業はこっちでやるから」
「分かった。どっちにしてもケイのイラストが上がらないとこっちも動けないから、マッピングはこっちでやる」
「そうして貰えると助かる。でも、これで大体の予定は埋まったから、あとはプロットからの書き出し作業か」
カレンダーに川越が恵の予定を書き込む。十二月十五日にロープレイラスト完成、五月十五日にアドベンチャーイラスト完成と文字が並ぶ。
「それぞれ細かいところは自分で締切を設定しておかないとギリギリだな」
「そこは自己責任で。でも、自分がこけたら他人を巻き込むってことが分かっていれば大丈夫でしょ」
「とりあえず、今現在締切が破れない状況なのは僕と光くんかな」
確かにアキのシナリオが上がらなければ恵と川越の作業が止まる。そして光の曲が上がらなければ受験に響く。そういう意味では一番切羽詰まった状況なのは二人かもしれない。
「まぁ、頑張れよ」
気楽に言ってアキの方を叩くのは川越だ。アキの視線が気楽に言ってくれる、と言わんばかりのもので笑ってしまえば、川越は訳が分からなさそうだった。
最初こそ適当に走り出したけれども、ようやくここにきて本格的に動き出すことになった。時間的猶予がないのは確かだから、かなり気合い入れて取り掛からないといけない。しかも、途中には何度か試験期間だって入る。
「一年間、死ぬ気で宜しく」
気合いを入れて声を掛ければ、それぞれの言葉で三人が答える。その一体感にワクワクした気持ちになってきた。
不意にノックの音が響き、川越がそれに応えれば扉が開いた。そこから顔を出したのは、スーツ姿の女性だ。髪が短く眼鏡を掛けたその様子は、とても知的な感じに見える。
「あら、本気でゲームなんて作るつもりだったのね」
「だから嘘は言ってないって言っただろ」
「この四人で作るの?」
「そうだよ。あぁ、こっちがクラスメイトの朝霞恵、んでこっちが弟の光」
川越がかなり投げやりに紹介すれば、女性の視線がこちらへと向いた。笑顔を浮かべたその顔はとても明るいもので、頭を下げられた。
「あぁ、いつも馬鹿息子がお世話になっています。私は修平の母です」
その言葉で慌てて恵も、そして隣では光も立ち上がった。
「あの、初めまして。朝霞です。不在にも関わらずお邪魔してすみません」
「弟の光です。初めまして、こんにちは」
二人揃って頭を下げれば、川越の母親はそれはもう楽しそうに笑う。
「いいわねぇ、礼儀正しいのは全てにおいて正義だわ。二人とも門限は?」
「特には」
「それならうちで夕飯食べて行きなさい。帰りは私が車で送ってあげる」
「そんな、とんでもない! 弟と一緒ですし、全然気にしないで下さい」
「あら、夕飯に誘ったのは私。食べていかないという選択肢はなし。だから送られるのはあなたたちの義務。分かった?」
「……は、はい」
もの凄く強引だ。けれども、それを不快に感じないのは笑顔のせいなのか、言葉が明るいからなのか分からない。
「いつでもうちの家使いなさい。正直、思っていたよりも真面目にやってるみたいだし、そういうのだったら幾らでも歓迎よ。アキくんも、アリバイ電話が必要ならいつでも声掛けなさい。家の方には電話してあげるから」
「そこまでご迷惑は」
「いいのよ。うちの馬鹿息子がお世話になってるんだから。今回のテストで赤点無かったのだってアキくんのお陰でしょ。本当にいつもありがとう」
「いえ、大したことはしてませんよ」
「そう? ならこれからは試験毎にお願い」
凄い強引で強かな人かしれない。でも、全く嫌な感じがしないところが素直に凄いと思う。
アキは対応に慣れているらしく、笑いながらも分かりましたと答えている。
「それじゃあ、ごゆっくり」
最後に挨拶して部屋を出て行くと、川越がぐったりした様子でテーブルに突っ伏した。
「色々と……悪かった。多分、お前ら気に入られたぞ。俺はあの人が夕飯に誘うのなんて、アキ以外では見たことがない」
「でも、それは良いことじゃないの? これから先、打ち合わせとかここでやるなら」
「あー、ケイはどうだ? あれが相手でも疲れないなら、今後はここで打ち合わせするけど」
「凄い緊張してたんだけど、気が抜けた。とりあえず大丈夫な気がしてきた」
「そうだろ、そうだろうとも! 俺はあれだけ好い加減な親を他人の家で見たことがない」
「でも、いいお母さんじゃん。多分、心配してたんだよ、川越のこと」
ゆっくりと顔を上げた川越だったが、その顔は憮然としたものだ。でも、その表情からも母親の気持ちは充分に分かっているのかもしれない。
パワフルな人だと思った。最初見た時には川越のお姉さんかと思うくらい若く見えて、母親だと聞いて本気で驚いた。でも、どう見ても悪い人には見えない。
何はともあれ、打ち合わせ場所を確保できたことは大きい。
他人と馴れ合うこともしなかったのに、仲間ができて、しかもその仲間の家に遊びに行く。つい数週間前までは考えられなかった程の変化があって、それを楽しいと思う自分がいる。
これが最後に楽しかったと思えるのは、ゲームがきちんと形になってからに違いない。そのためには、どれだけの修羅場が待っているのかは分からない。ただ、楽しいからこそ、絶対に作り上げてやる、という新たな気持ちが湧いてきて、それが恵にとっては嬉しく思えた。

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