余り寄りつくことのない図書室に修平が足を運んだのは、単に暇だったからだ。それでも図書室という場所を選んだのは気まぐれでも何でもなく、そこの住人となっている腐れ縁とも言える友人がいたからだ。
図書室の扉を開ければ静かな空間がそこにあり、扉を閉めれば廊下のざわめきも遮断される。委員会の連中はカウンター内で本を読んでいて、室内に入ってきた修平にちらりと視線を向けてくる。けれども、顔を確認しただけなのかすぐさま手元の本に視線を落としてしまった。
幾つも並ぶ本棚を通り抜けて一番奥に到着すると、読書や自習用の丸テーブルが並ぶ。その一つで友人である秋生は雑誌を読んでいた。いつ見ても小説を読んでいることが多いだけに雑誌を読んでいる秋生は非常に珍しい。
修平がゆっくりと近づけば、秋生は不意に顔を上げた。
「シュウがここに来るのは珍しいね。彼女はどうしたの?」
「うるさいから別れた」
「色々言われてるよ。遊び人の川越クン」
笑顔でサラリと痛いところをついてくるのは相変わらずだ。
「もう飽きた。っていうか面倒になったからしばらく恋人はいらない。後腐れ無い奴だけにしとく」
秋生の正面にある椅子に腰掛ければ、さも意外と言わんばかりでこちらを見る秋生と視線がぶつかる。確かに高校入って好き勝手やってきた自分が言っても真実味はない。
「結局、本気になるのは相手ばかりで、こっちは全然楽しくない」
秋生は呆れた顔を見せたけれども、さほど内容に興味は無いのかすぐに雑誌へ視線を落としてしまう。
落ち着いた優しげな雰囲気を持つ秋生は女子受けは悪くない。ただ、これ以上踏み込ませない一線があるようで、誰かと付き合ったという話は聞いたことがない。そういう意味では秋生と修平は正反対だ。
修平は基本的に来る者は拒まず、去る者は追わずという性格もあって隣を歩く女が一ヶ月同じだったことはない。
「それは」
ぽつりと呟いた秋生の声に、てっきり話が終わったのだとばかり思っていた修平は顔を上げる。
「シュウが本気じゃないのに付き合うからだと思うけど」
「本気にさせてくれないかな、って期待するだろ」
「僕はしないよ。そもそも本気じゃなければ付き合わない。面倒だしね。そもそも、本気になれるものを他人に求める時点で間違えていると思うよ」
サラリと痛いところをつくのはいつものことだ。そして自覚もあるから苦い気持ちをごまかすようにシルバーフレームの眼鏡を人差し指であげた。
「仕方ないだろ。本気になれるようなことなんて俺にはない」
秋生が彼女を作らないのは自分がやりたいことがあるからだと知っている。でも、修平には何もない。それは大きな差でもあった。
「本気になれるものが欲しいの?」
「まぁな。でも、面白いことなんて早々転がってないし」
「だったら、これにチャレンジしてみる?」
そう言って秋生が机の上に置いたのは手にしていた雑誌だった。見開きで書かれた大きな文字に思わず眉根を寄せる。
「……何の冗談だ?」
「別に冗談でも何でもない。でも、シュウが本気でやるなら難しいことじゃないと思うけど」
真剣な顔でこちらを見る秋生はとても冗談を言っているようには見えない。ただ唐突すぎて言葉に詰まる。
畑違いとまでは言わずとも、こういう物は遊ぶ方が専門だ。
「正直言うと、今プログラマーを探してる。主催者に大手ゲーム会社とタイアップして出版社がついてる。こういう部分で名前を売るのも僕としてはありだと思ってる。ただ、こういうことは一人ではできないからね。やってできないことは何もないんでしょ?」
いつも穏やかな秋生にしては酷く挑発的な口調と笑みだった。少なくとも、修平はこういう笑みを浮かべる秋生を見たことがない。
確かに修平にとって今まで生きてきてできなかったことはない。大抵のものは少し努力すればやりたいことはできたし、そんなことは無理だと言われるものには挑戦したいとも思えない。
今回秋生に提示されたものは、どちらかと言えば修平にとって挑戦したいと思えるものではない。ただ面白そうだと思ったのは嘘じゃない。
「多分な。……もし、俺が断ったら?」
「他を探すよ。幾らでも伝手はあるから。ただシュウが本気で何かをしてみたいと思うなら、これは楽しめるものだと思うよ」
穏やかな笑みで言い切る秋生から視線を外し、机の上に広げられた雑誌に目を向ける。
机の上に置かれた雑誌には大きな文字でゲームコンテストという文字が踊っている。
募集要項にはツールを使っても構わないと書かれているから、何も一からプログラムを構築する必要はない。ゲーム作成ツールを使えばプログラムは難なく作れる。少なくとも少し触ればツールなんてものはどうにでもなる。
ただ秋生がこういう物に惹かれるのは意外に思えた。確かに秋生はゲームをするが、ゲーム好きというタイプではない。
やりたいことがあるからゲームをやることに時間を掛けてられない、というのが正しいのかもしれない。
「アキの目的とは随分違うだろ」
秋生がなりたいのは小説家であってシナリオライターではない。昔から秋生の書いた小説を読んでいた修平はそのことを充分に知っていた。
「そうでもないよ。正直、僕には時間が無いからこういう形でも名前を売れるならなんでもいいんだ。結果が出るのは来年十一月。ギリギリセンター試験の前だからね」
それを聞いて秋生が本気でこのコンテストの入賞を狙っているのだと知る。何よりも、その目が本気だと訴えていた。
「自分が本気になった時、どうなるか知りたくない?」
それは知りたい。でも、それよりも自分の代用はいるのだと言われた方がチリリとプライドを刺激された。
別に修平は負けず嫌いではない。実際何をやってもこなすことはできるけど、一番になれたことは一度だってない。勉強も運動も一番になれなければ本気を出しても意味がない。疲れるのはごめんだった。
けれども友人でもある秋生から簡単に切り捨てられるのは面白く無い。
「ゲームを作るって簡単なことじゃないだろ。シナリオはお前が書いて俺がプログラムを組む。でも他にも絵を描く奴だって必要だし、音楽を作る奴だって必要だ。物によっては声だって」
「現時点で絵を描く人間はもう決まってる。それに彼女が音楽を作る人は伝手があるから紹介して貰うことになってるんだ。声優は今回諦めたよ。さすがに人を探す時間も足りないし、声入れまでしてる時間もない。だから現時点で足りないのはプログラマーだけ」
「だったら四人でゲームを作るってことか。それは可能なのか?」
「可能にするんだよ。自分たちで」
秋生の言葉に全身に鳥肌が立つような感覚に襲われる。
可能性が低いからやらない。そう考える修平の思考に秋生の言葉は見知らぬ何かを見せられた気がした。
何よりも秋生の視線にいつもの穏やかさは全くない。本気で何かに向かおうとするその目に息を飲む。
「どうする、やる?」
本気で何かをやったのは小学生までだ。それ以降、何に対しても本気になったことは一度だってない。できないかもしれない何かにチャレンジするような無謀なことはしない。そういう安全な選択をしてきた。
でも、今まで見たことの無い秋生の表情に、もしかしたら自分も変われる気がした。この生ぬるい退屈な毎日から抜け出せるような、そんな気がした。
「……やるよ。どうすればいい」
そう答えた修平に、秋生は表情を緩めるといつもの穏やかな笑みを浮かべた。